2011-01-30
教室の向き(教壇のある側)は西向きで設計される
教育 |
“教室の向きの取り決め
[編集] 一部の例外を除き、東側・南側の日光の入る窓は、原則として教室の前方(教壇のある側)に向かって左側になるように、教室の前後(教壇や黒板の配置)が決定される。例えば建物が南に面している場合、教室の向き(教壇のある側)は西向きで設計される。これは、右側に窓を配して右側から日光が差し込むと、大半を占める右利きの利用者が机上で書き物をする際に自分の右手の影で帳面が暗くなってしまうためである。”
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「リンガ・フランカ教育」
教育 |
“非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべきだと思う。
この二つは別のものでなければならない。
日本の英語教育が失敗しているのは、この二つを混同しているせいである。
「リンガ・フランカ」では日常的コミュニケーションでもっとも使用頻度の高い語から教える。
「英語」でははやい段階から英米文学の古典を教える。
「リンガ・フランカ」では身ぶり手ぶりもピジンもすべて正規の表現手段として認められる。
「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら
2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。”
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「おのれの未熟の自覚」
教育 |
“学ぶ力は「欠性態」としてのみ存在する。
何かが欠けているという自覚の強度のことを「学ぶ力」と呼ぶのである。
「おのれの未熟の自覚」、「ある種の知識や技能についての欠落感」、「師に承認されたいという欲望」といったものは存在するとは別の仕方
で私たちの生き方に深い影響を及ぼすのである。”
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学生の欠席よりも出席した上での態度に教員は不満を持っているようだ
教育 |
“ 教員に、自身が担当する授業の出席率を尋ねたところ、平均で86%と高い数字だった。
学生の「就職活動」や「アルバイト」が授業の「大きな障害になる」「障害になる」と答えたのが各53%だったのに対し、「授業中の携帯電話・私語」は64%。学生の欠席よりも出席した上での態度に教員は不満を持っているようだ。
また、授業の予復習に学生が週何時間使うことを想定しているかとの質問では「1時間」が44%、「2時間」が27%。ただ、学生の状況からうかがえる学習時間については58%が「不十分」、14%が「極めて不十分」としており、授業以外ではほとんど勉強していないとみていることも垣間見えた。
学生の学力について「専門分野の基礎的理解」では68%が、「国語の読み書き」では50%が「不十分」または「極めて不十分」と回答した。
”
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「中進国マインド」
“人を学びに向かわせるのは知的な向上心であり、さらに言えば知的な「飢え」である。
私たちは大学が用意する「定食」にはほとんど食欲を示さなかったが、その代わり別の場所でがつがつと知的資源を貪り喰っていた。
いまの大学生たちには、「知的な飢え」が足りない。
私はそれが悪いと言っているのではない。
そういうものだ、と申し上げているのである。
私たちが子どものころにがつがつと勉強したのは、端的に日本が貧しい国だったからである。
事態はアメリカでもEUでも変わらない。
がつがつ勉強するのは、どこでも移民とその二世三世たちである。
「中進国マインド」をもっている子どもはよく勉強する。
属人的な決意の問題ではなく、構造的に「ない」のである。
「勉強なんかしなくていいよ」「勉強なんかするなよ」というネガティヴなイデオロギー圧が瀰漫しているので、個人のレベルではよほどの理論武装がないと、これに抗しきれないのである。
これはしかたがない。
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありと古歌にもいうように、先進国になったら、次の仕事は「没落すること」だからである。”
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