2004-04-19
■[web]パウエル発言について

昨日の「パウエル発言削除」について考えたこと。
この発言は、実はなかなかやっかいで、「自衛隊という軍隊を派遣した国の市民であるボランティア」であるからこそ「国民は誇りに思え」という論旨。
これは日本の左右どちらの陣営にとっても相反する要素をふくんでいて、つまり「ボランティアに行く市民は自衛隊派遣を支持していない」し、「自衛隊を派遣した人たちは、公然とそれを軍隊とは呼べない」ジレンマを抱えている。
朝日新聞が発言を削除したのは、外部の風潮を気にしてではないか、と昨日書いたのだけれど、「自己責任バッシング」に対する批判として引用したはいいが、その相反する「自衛隊を誇れ」が朝日的コードに触れた、という推論もあるうるな、と、いくつかのサイト・日記を見回りながら思った。
こちらとか
http://d.hatena.ne.jp/kikori2660/
気付いたけど、アメリカに指示されての自衛隊派遣に反対する立場の人が、むしろアメリカ社会的な「よりよい市民」であり、自衛隊派遣によりアメリカとの関係が友好になるという立場の保守系の人たちは、たぶん、アメリカ的なグローバルな市民社会と折り合いが悪い(というか、むしろアメリカが嫌い)。
そういう感情に根ざした風潮を批判する為に、アメリカ要人の発言をもってくるのは、なかなか面白い試みだったとは思う。がしかし、55年体制的「保守・革新」の役割におけるアンチでしかない朝日新聞の内部には、やはり保守層と同じ「アメリカ嫌い」が潜んでいるのではないか。それが自らの論旨の矛盾に耐えきれなかった原因なのではないか。
※4/19注;この件に関し、朝日新聞より回答が寄せられています。ご参照ください。
http://d.hatena.ne.jp/beach_harapeko/20040419#p3
日本の左派の人たちは、この際、根拠の無い反米感情を一回捨て去らないと立ち行かないんじゃないだろうか。今回のことで、日本の右派が「反米」で一枚岩であることは明白になったわけだから。
『日本はアメリカ合衆国の一州として、合衆国憲法を戴くベきだ』
てなことを、朝日新聞や日本共産党あたりが言い出したら、とっくに日本国籍のアメリカ人になっている、イラクで活躍してる人たちに追いつけると思います。
■[野球]

例えば、NYのヤンキースタジアムが、試合中にテロリストに占拠されて、松井秀喜が人質に取られたら、自己責任で海外に行ったのだからと松井秀喜はバッシングされるのだろうか。NYはテロの起きる危険地帯だからな。
案外、手のひらを返してバッシングするんじゃないかな、日本人は。イチローだったらなおのこと。
『普段から目つきが悪い』『人を小馬鹿にした態度だ』『ヒゲが薄汚い』なんてな。
■[web]パウエル発言削除に関する朝日新聞からの回答

04/17のコメント欄で、mugenさんより、朝日新聞よりこの件に対する回答があった旨、寄せていただきました。
該当する記事は16日夕刊に掲載した。(夕刊は取っていないので未確認)
記事は常に新しくなっている。
この記事は第二版では該当部分が入っていたが、第四版になって本筋部分と「自己責任」部分に絞った記事として書き分けられた。Webでは本筋部分を採用したので該当部分は無くなった。
速報性を重んじているのでサイドの読み物的な話は内容の如何に関わらず、配信しないことがある。
取り急ぎ、本来ならば私が行うべき朝日新聞への問い合わせをしていただいたmugenさん、ならびにご多忙の中ご回答いただいた朝日新聞社ご担当者様へ、お礼を申し上げたく思います。ありがとうございました。
当該記事へトラックバックいただいた記事の中に『自己責任:ややこしいときは面倒でも情報源に当たれ』http://kotonoha.main.jp/2004/04/19self-responsibility.htmlというタイトルのものがありましたが、まさにその通りです。ソースに直接聴く、という手順を踏まずに邪推を繰り広げていたことは、軽率のそしりを免れないと反省しております。
(当該記事には、本件へのリンクを貼り、引用者へ誤った印象を与えないよう、留意したいと思います)
現在、手元に当該の夕刊がありますので、のちほど検証したいと思います。
■[新聞]検証

少々クドくなりますが、当該の夕刊紙を検証します。
朝日新聞4月16日夕刊4版、3面の「イラク人質問題」は、次の3つの記事(プラス「小泉首相 発言要旨」)から構成されています。
A.右上、一番大きな見出し
3人解放
自己責任問う声次々
政府・与党「費用の公開を」
※内容は以下リンクと同内容。
ただし最後の一段落
一方、石破防衛庁長官は「想定される危険から身を守る能力をもった組織は現在の日本国では自衛隊のほかない、ということで自衛隊が行っている。渡航自粛勧告が出ているわけで、(イラク支援活動は)いまは自衛隊でなければできない」と述べ、3人がイラク入りしたこと自体に無理があったとの見方を示した
は、紙面ではカットされています。
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200404160255.html
http://www.asahi.com/politics/update/0416/007.html
B.その記事の末尾に、パウエル発言が掲載(上記記事より小さな見出し文字。)
米国務長官は
「誇りにして」
※内容は以下。ただし記事文頭に
【ワシントン=坂尻信義】と署名あり
パウエル米国務長官は15日、一部メディアとのインタビューで、イラクで人質になった市民の自己責任を問う声があることについて「誰も危険を冒さなければ、私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、危険を冒した日本人がいたことを私はうれしく思う」と述べた。
「日本では、人質になった人は自分の責任を持つべきだと言う人がいるが」と聞かれたパウエル長官は、これに反論して「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語った。
C.Aの左やや下、見出しはAより小さくBより大きく
米国務長官
「日本政府に協力」
不明2人にも「全力」
※内容は以下リンクと同内容
※ただし記事文頭に【ワシントン=坂尻信義】と署名あり
※以下最後の段落
さらに「誘拐犯に屈したら、連中は新たな要求を突きつけてくる」としたうえで、日本人3人が解放された一方で、イタリア人1人が殺されたことに言及。「小泉首相もベルルスコーニ伊首相も、テロに屈してはいけない、テロリストの手に自分たちの運命を委ねてはいけない、ということを十分に理解している」と述べ、誘拐犯が要求したイラクからの部隊撤退に応じなかった両首脳を評価した。
は、紙面ではカットされています。
http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404160129.html
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200404160129.html
http://www.asahi.com/international/update/0416/005.html
朝日新聞の説明はつまり、当初「C + B」だった記事の、「B」が独立し、「A」のサイドストーリーになったということです。
ので、「C + B」が「C」のみになり、「B」は、サイト構成上「掲載対象外にカテゴライズされた(速報性を重んじているのでサイドの読み物的な話は内容の如何に関わらず、配信しないことがある。)」というわけですね。
比較検討のため、もういちど「削除された段落」を引用します。上記「B」と見比べてください。
また、「誰も危険を冒さなければ、私たちは前進しない。より良い目的のため危険を冒した日本人がいたことを私はうれしく思う」と述べ、3人の自己責任を問う声に反論。「危険を冒した市民がいることを、承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と述べた。
概ね、内容に変わりはないかと思います。
また、A及びCにおいて、Webに記載されているに関わらず、紙面ではカットされている箇所があることも、今回説明にあったの「編集上の都合であって他意はない」という回答で私は納得できるものです。
■[web][新聞]webと紙メディア

しかし!
この記事をリライトされた編集者のことを考えてみました。
彼(彼女かもしれませんがとりあえず)の意図は、その記事の配置により、ある程度推察できると思います。
つまり、「自己責任を問う声次々」という記事の直後に、発言の当該部分を引用することで、「問う声」に対する反論として、パウエル発言を際立たせたかったわけです。
【本筋部分と「自己責任」部分に絞った記事として書き分けられた】という説明も、それを裏付けます。
ところが、この「意図」は、webにおいては逆の効果を生んでしまったのです。すなわち当該部分の削除。
webのコンテンツ編集者と、紙面(誌面と書くのが正解のような気がしますが、「紙」の一文字がうまく問題を象徴していそうなのであえてこの文字を押し通します)編集者のあいだには、説明を聞けば回答できる程度の緊密な距離はあるはずです(互いの仕事のことは判っている、という意味で)。にもかかわらず、紙面編集者の「意図」は、「速報性を重んじている」という理由でwebには反映されない。
毎日膨大な記事が飛び交う大新聞のことであり、そのような差異は些末なことなのでしょう。お互いに、出来うる限り、相手の媒体の特性を理解しつつ、その意図するところを最大限伝えるべく、それぞれの媒体で努力をされていることとは思います。
しかしながら、やはり新聞は「紙」なのです。
見出しの大きさ、記事の配置、罫線の一本一本、編集という仕事は、その目に見える要素全てを用いて「新聞」というメッセージを体現することなのです。
然るに
プロの言論人や作家や学者などをのぞく、発言の媒体を持ち得ない一般の人々、その人たちは多く、ネットワークを介して、有り体に言うならwebで発言をします。
web依存も甚だしいと思いますが、しかし私を含めネットワーカーは、紙の新聞を購読しない傾向があると思います。
少なくとも、「○○新聞によれば」といったたぐいのクリッピングは、紙面からの転載ではなく、新聞・ニュースサイトからの「コピペ」もしくはURLの記載です。
さて、私はwebの仕事をしていて、紙媒体や電波媒体の人とご一緒する機会も多いのですが、そのときにしばしば感じるのは、「この人たちにとって、webという媒体で情報に接する人たちは眼中にないのだ」とう感覚です。
確かに、わざわざネットに日記やBlogを公開し、新聞記事を(勝手に!)クリッピング、引用、はては加工転用無断借用までしては、あーだこーだと言っているような人たちは、おそらく日本中で数万人程度しかいないのではないでしょうか。
何百万部を発行する新聞、何千万人を相手にする電波媒体にしてみれば、その数はわずかでしょう。世の中には、テレビや新聞を見て、刹那的に一喜一憂する人が大多数で、わざわざそれを文字にし、誰にだか向かって書き留める人は厳然たるマイノリティなのだ!フハッ!
といいながらも強引に教訓を導くとすれば、そこに「既存媒体・web」の感情的な二項対立を生み出してはならない、それにつきるのではないかと思うわけです。
一連のバッシング報道や、政府高官の発言は、世論を誘導し、かつまた誘導された世論に悪乗りしているものだ、という指摘があります。
ここでいう世論は、新橋でニュースのインタビューを受けるサラリーマンの意見でもなければ、新聞社の行ったアンケート結果でもありません。
まちがいなくそれは「ネットに横行するカキコ」のことです。
漠然とした「雰囲気」でしかなかったかつてのそれと異なり、はっきりと形として見える文字が、その存在を強固なものにしているのが、今回の「世論」です。
一面、これは「既存の媒体」や「政治家」が、「web」の存在をはっきりと意識し積極的に利用した、初めてのケースとして、好意的にとらえることも出来るかもしれません。
しかし注意したいのは、今回「web」が「既存の媒体」や「政治家」から認知されたのは、その「カキコ」が悪意に満ちていたからです。
「悪乗り」という言葉通り、それは「悪意に満ちた行為」に「無批判で便乗する」行為だったと言えます。であるからこそ、「既存の媒体」や「政治家」は、「web」に対してはっきりとそれが悪とみなしていることは想像に難くありません(であるか、「悪」でないカキコは無視している)。
極端な文系偏重かつ国際感覚に乏しい「既存の媒体」や「政治家」は、ネットにコンプレックスを持っています。きっと。
もちろん「雰囲気」に呑まれやすいネットワーカーたちだって、「既存の媒体」や「政治家」のことが大嫌いです。それはまた、ビンボーだったりなんやかや、満たされない鬱憤のなせる技です。
その両者の「悪意」というか「不満」というかが、共に補完するような形でふくれあがり、両者にとって共に異物であり、コンプレックスの対象になりうる人たち(「国際感覚にすぐれ」「お金持ち」)をバッシングして憂さをはらそうとしている。
しかし、両者は決して相容れないので、「悪意」は解消されることなく、「憎悪」ばかりが膨らんでいく。そんな状況が今のネットをとりまいていては、せっかく膨らみかけた、まっとうな「個人の自由な発言の場」としてのネットの良さまでもが摘み取られてしまう。
これはネットのみならず、そういう「場」を持ち得なかった日本という国の未来に対しても、大変不幸なことなのではないだろうか。
その為には、「既存の媒体」や「政治家」に優しくネットを解きほぐし、導いてあげる人の存在が大切になってくるのだと思う。
「既存の媒体」や「政治家」が権威を傘にきるのではなく、サービス業としてユーザと接する場としてのネットを構築することが、社会的な「善」となっていかないといけないのだと思います。
mugen
2004/04/19 14:06
私はこのエントリを知らずに問い合わせたのです。偶然だった
matsunaga
2004/04/19 20:27
mugenさんの記事によれば、やっぱり妙な感じがしますねえ。
beach_harapeko
2004/04/20 00:52
なんか距離感は感じました。ネットユーザには「意図」は伝わんなくてもねえ、というような。
lluvia
2004/04/20 01:40
はじめまして。突然ですが絵本百選のご指名に参りました。楽しみにしていますので、よろしくお願いします。
o-tsuka
2004/04/20 01:47
はじめまして。『日本は公用語を英語にすべし』みたいなことは、明治期から大戦後までいろんな人がいっていたと思いますよ
hide
2004/04/20 19:28
最初に言ったのは森有礼だな。しかしまあ馬鹿なこと考えるもんだよ。ちなみに右派
hide
2004/04/20 19:29
ごめん切れちゃった。右派が反米で一枚岩ってホント?対北朝鮮問題でアメリカ追随が右派の主流って認識だったけど今は違うのか?
beach_harapeko
2004/04/21 11:02
>hide 「反米で一枚岩」って言い方、変ね。保守系の政治家はアメリカに追従はするけど、心情的には嫌悪感を持っているように見える、というあたりかな。逆に左派は、軍事行動一般に反対するけど、アメリカ的民主主義には憧憬がある、というネジレがあるわけで、そのへんが日本におけるアメリカを語るときの「苛立ち」につながるのだ、とこういう事を云いたかったわけで。どっちの陣営もコンプレックスがあるので、憎悪するか、裏返って手放しで麗賛するかどっちかしかない、その状況はヤメにできないのかな、と。
beach_harapeko
2004/04/21 11:10
>o-tsukaさん はじめまして。明治期に生まれた欧米コンプレックスが変な形で日本に残っている、ということを、最近いろいろ読んだり見聞きしたりしています。僕が最初に「公用語を英語に」論を聞いたのはバブルのころで、どっかの学者が新聞で唱えていました。その説は「欧米に追いつけ」というより「日本は世界でNO.1の経済力を持ったのだから、公用語を英語にして、名実共に世界のリーダーになるべきだ」みたいなものだったと記憶します。まさにコンプレックスの裏返し、バカ丸出しと今なら言えますが、なんかそんな風潮だったのですね、当時は。ちなみにその時期の日本共産党のポスターに、富士山の写真をバックに「真の愛国者は私たちです」というスローガンが書かれたのがあって、たまげた(あきれた)こともありました。
o-tsuka
2004/04/25 02:00
そのポスター欲しい!カコ良杉!!まぁ、彼らの本質は民族自決ですよ


