2007-05-28
■[日本映画]熊井啓監督の死去(5月23日)
熊井啓監督でぼくが見た作品はどんなものがあるのか忘れていたので、ネットで調べたら、以下の6本でした。
- 『忍ぶ川』(1972年)
- 『サンダカン八番娼館 望郷』(1974)
- 『海と毒薬』(1986年)
- 『千利休 本覺坊遺文』(1989)
- 『深い河』【写真】(1995年)
- 『日本の黒い夏 冤罪』(2000年)
いつものようにきまぐれに見ているので、どれが代表作かどうかは、あまり気にしていません。
■『忍ぶ川』は、加藤剛と栗原小巻が主演。原作は、三浦哲郎の美しい恋愛小説。映画を見てから読んだか、読んでいたので見にいったか、忘れたが、この映画の栗原小巻はきれいだった。
■『サンダカン八番娼館 望郷』は、もと「からゆきさん」とよばれた出稼ぎ娼婦だった老女を、山崎朋子が、生活をともにしながら取材したノン・フィクションが原作(あるいは、そういう仕立てのフィクションだったか、忘れた)。
女性としての苦しい過去を歩んだ老女と、若い才能あるライターとのあいだに、次第に深い共感が生まれてくる。若いライターが栗原小巻で、老女を晩年の田中絹代が演じている。
■遠藤周作原作の『海と毒薬』は、昭和20年、九州帝国大学医学部でおこわれた、米軍捕虜の生体解剖事件を素材にした問題小説。「神はどこにいるのか」をつねに問いつづける遠藤の視点が痛烈にひびく。とても普通の小説を読むように冷静には読めなかった。映画は、奥田瑛二が主演。原作の迫力には及ばなかったが、熊井啓という監督を意識したのは、この映画がはじめて。
■『千利休 本覺坊遺文』の原作は井上靖。同じ時期にもう1本、千利休を描いた映画が撮られた。野上彌生子原作「秀吉と利休」を勅使河原宏監督が映画化した『利休』だ。
ぼくは、秀吉が利休に抱いた、ひとにいえないコンプレックスと嫉妬を描いた、野上彌生子の小説「秀吉と利休」が、好きだったので、映画も勅使河原監督の『利休』の方が強く印象に残っている。
■『深い河』は、遠藤周作がインドを舞台に「神の存在」を問いかけた実に深遠な遺作。遠藤文学の集大成といってもいい。晩年にこんな鋭い作品を書く遠藤周作は、やっぱり凄い、とおもう。遠藤が問う「神」は、すでにキリスト教とか仏教とかの境界を超えている。
秋吉久美子、奥田瑛二で、インドを舞台に撮影された映画もよかったが、原作を読んだときのおどろきは超えていない、とおもった。
■『日本の黒い夏 冤罪』は、わたしが最後に見た熊井啓作品。熊井啓監督は、白黒映像で松本サリン事件を再現。
松本サリン事件とはなんであったのか。
最初の通報者が犯人にされた。加熱するマスコミ報道と冤罪が、一人の人間、その家族を苦しめていく状況が、ノンフィクションのように描かれる。
これだけが、今ぼくの記憶にある熊井啓監督の作品。機会があれば、もう一度見直したり、見てない作品も見てみたいが、1作1作が重いので、茶の間で手軽にお酒を飲みながら見るには向いていない。







男性の職場を奪う女性が、ひどい迫害にあうということは、私も想像できませんでした。それも、そんなに古い時代のことじゃなかったのですね。ほんとうに、衝撃的な作品でした。アメリカには、歴史がない分、複雑な事情、背景があるんですね。まるで、思い描くイメージとは、かけ離れていました。でも、ジョージーが一人で戦うのを見てると、ひとりの人間が持つ強い意思は、どれだけ大切かを思い知らされた気がしました。これが、実話だと思うとさらに感動します。
シャーリーズ・セロン、よかったですね。
それと、ボブ・ディランの音楽。とってもよかったです。この映画の雰囲気にぴったりでしたね。
『スタンド・バイ・ミー』という映画に、父親から殴られて、片耳がきこえない少年が登場しますが、アメリカの父親がみんなホームドラマのようにやさしいわけではない、とぼくが知ったのは10代も後半になってからでした。
ただ『スタンドアップ』のような力強い作品をつくるのも、アメリカの底力ですね。つまらない暴力映画もたくさんつくりますけど。
『黒部の太陽』は、機会をみて見たいとおもいます。
ルー・ゲーリックは、選手生活の後半なので病気と闘いながら、というわけではないでしょうが、ぼくは小学生のころ伝記を読んで、すごく興味をもちました。ベイブ・ルースの破天荒さと、ゲーリックの真面目さ、わかりやすい図式ですけど、こどもが理解するにはわかりやすくて、ぼくはこの二人がとても好きでした。ゲイリー・クーパーのルー・ゲーリック、イメージにあいますね。ただ、映画そのものはあまり記憶に残っておりません。見るには見たのですが。
「沈黙」も「深い河」もすばらしい小説だとおもいます。すごくまじめです。周辺の思惑をキョロキョロすることなく、遠藤周作は自分のなかの「神の存在」を問いつづけています。
ひとが耐えがたい苦痛にあっているとき、「あなたは、なぜ沈黙しているのか」と遠藤周作氏は、問いかけますね。
「沈黙」では、政府の弾圧で、信徒が拷問・処刑にあっているとき、「海と毒薬」では、生体実験で、アメリカ人がむごたらしく生殺しにあっているとき、遠藤氏は、救いをさしのべない神に、その存在の疑問を問いかけます。神の問題が身近に感じられたのは、遠藤周作氏の小説を読んだときでした。
遠藤周作がノーベル文学賞を取れなかったのはやはり『沈黙』のラストがカソリック総本山とスウェーデンのアカデミー委員会でも反対する人がいたようです。 長崎でも二十年近く『沈黙』は禁書であったのにも驚きました。結局、遠藤周作もそして彼が最も愛した作家・グレアム・グリーンの二人ともノーベル文学賞を取れなかったのその為だったようです。 中村真一郎の教え子が遠藤周作の奥さんだったそうです。