2011-03-31
■[読む]志賀直哉と杉村春子の対談〜『志賀直哉対話集』より(1969年)
20代か30代のころ、神田神保町の古本屋、北澤書店*1で買った本が、本棚から出てきた。全編志賀直哉の飾りけのない<肉声>が伝わってきて、興味が尽きない。対談の相手も、いろいろだ。
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目次を写してみると、
- 谷崎潤一郎「文芸放談」
- 天野貞祐「内村鑑三その他」
- 広津和郎・川端康成「文芸鼎談」
- 佐々木基一・中村真一郎「作家の態度」*2
- 谷崎潤一郎・谷川徹三「回顧」
- 杉村春子「楽しませ楽しむために」
- 広津和郎・辰野 隆「お好み風流鼎談」
- 和辻哲郎「戦争と平和」
- 梅原龍三郎「山荘にて」
- 高見順「『白樺』派とその時代」
- 尾崎一雄「小説について」
- 川端康成・小林秀雄・丹羽文雄「よもやま話」
- 瀧井孝作・藤枝静男・島村利正「志賀さんの話を聴く」
- 広津和郎・阿川弘之「新春座談会」
- 武者小路実篤・亀井勝一郎「交遊半世紀」
- 武者小路実篤「秋の夜話」
- 網野 菊「緑蔭閑談」
- 河盛好蔵「作家の素顔」
- 井上靖「文学のふるさとを語る」
- 阿川弘之「広津和郎氏の思い出」
このなかに、小津安二郎との対談が含まれていないのが、残念。読んだことはあるので、きっと別の本だったのだろう。
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杉村春子との対談(1950年)*3では、小津安二郎の最新作『晩春』について語られている。少し長いけれど、抜粋しておこう。
志賀:(略)この間の「晩春」は大へん面白かった。小津君は役者の特長をよく活かして使っていると思ったけど。どうなんでしょうか。*4
志賀:小津君は前からよく知っているし、人間的にも好意をもっている・・・。
杉村:とても細かい先生だってよく言われますけども、例えばお箸をここまで(口の下あたり)持ってきた時に、これこれのことを言うんだという具合なんです・・・ですから役者は手も足も出なくなるというようなことを、よく耳にしていましたが、一度自分も、野放図な芝居ばかりしているから、そういう先生について自分で抜き差しならないようなメに逢って見たいと思いましたので、小津先生が使って下さるというので喜びました。
・・・セットへ入りましてからも、作品全体が自分には随筆を書くようなつもりだと先生は仰っていらっしゃいました。ああいう芝居は非常にリアルにやりたいから、表情なんて芝居をやるようなつもりで動かしたりしないで、普通にやってくれと言われたんですが、わたくしのクセで、いつものように動かして、芸が目茶苦茶で、やっぱりこういう顔(大抑に顔をしかめて)になっちゃうんですよ。それがいけないんです。
・・・ところがほかの人は動かさないでやってるんです。わたくし一人こんなにやっていて、情けなくなって、悲観して、小津先生に申し上げたところ「だんだんぼくの言うことが分ってくるよ。最初は仕方がない。三島さん*5(笠さんの友だちの役をやった)もやっと今ごろになって分ってきたんだ」というようなことで・・・そのうちに、だんだんコツが分ってきたようなわけでございました。
志賀:舞台とは違うんですね。映画とは顔の大きさが違うから、舞台ならそのくらいにしなきゃ見物に見えない。
杉村:その前に撮ったのが「四谷怪談」で、あるったけの大芝居をやったんです。ところが、こんどは何もするな、とショッ鼻に言われて。
志賀:とにかく、非常に面白かった。
杉村:一まわりまわるあそこは、とても皆さんに褒められました。
志賀:あれだとか、ガマ口を拾って急いで段々を上がるところなんぞ大へん面白かった。
杉村:(略)・・・八幡様のガマ口のところをやる時は、わたくし、日射病になって斃れるんじゃないかと思ったくらいでしたわ。あの階段を何度も何度も上りました。途中で止まっちゃ、いけないんでしょう、弾みをつけたら一気に上ってしまわなくちゃならない。これでいいのかと思ったら、もう一度、とくるんです。・・・でも楽しかった。
以上のところでは、志賀直哉が聞き手になっている。
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この対談が行われた1950年には、まだ『東京物語』(1953年)は制作されていない。しかし、こんな会話が出てくる。
杉村:尾道に先生がおいでになった、あそこはいいところでございますね。
志賀:わりにいいところですね。
志賀:あの千光寺より駅に寄ったところに宝土寺という寺がありますが、その上です。千光寺へ登る中段ぐらいの停車場に寄ったところです。
地震以来、不安定な気分が、こういうむかし愛読したものを読み返していると、少し落ち着いてくる。現実から逃避しているのかもしれないが、一種の精神安定剤と考えている。

>一度自分も、野放図な芝居ばかりしているから、そういう先生について自分で抜き差しならないようなメに逢って見たいと思いましたので、小津先生が使って下さるというので喜びました。
杉村春子はやはり大した役者ですね。 positive thinkingでこう言えるのですから。
>志賀:舞台とは違うんですね。映画とは顔の大きさが違うから、舞台ならそのくらいにしなきゃ見物に見えない。
これは、ウィリアム・ワイラーが、「嵐が丘」の演出をしていた時に、ローレンス・オリヴィエに言ったことばの裏返しですね。
「映画は大画面で後ろの観客も観れるのだから、そんな大げさな演技はするな!」と何度も怒鳴っています。
>杉村春子はやはり大した役者ですね。 positive thinking
>でこう言えるのですから。
芸熱心というか、小津演出の評判をきき、興味津々というかんじですね。怖気づくどころか、自分にないものを引き出してくれそうな小津との出会いを、たのしみにしています。
tougyouさんがおっしゃるように、 positive thinkingでとらえるひとなんですね。
>「映画は大画面で後ろの観客も観れるのだから、そんな大げ
>さな演技はするな!」
わたしのような素人でも、映画を見ていて、おおげさな演技を見ると興ざめすることがおおいのですが、テレビ仕込みなのかどうか、予告編をみていると、叫んだり、泣いたり・・・のシーンばかり出てくる映画があって、それを見ているだけで、もう見る意欲が失せてしまいます。
でも、見るほうもそれになれて、あまりへんにおもわないんでしょうね。
杉村さんの芸に対してのというか、今までしなかった事への好奇心、これは子供のように旺盛なんでしょうね。
やはり女優です。
変化が面白くて仕方がないんですね。
「楽しませ楽しむために」というのがよく解ります。
自分が1番楽しんでいるのでしょう、杉村さんも小津さんも。
個人的に谷崎潤一郎さんとの「文芸放談」も気になります。
「放談」というのが素敵ですね。
>杉村さんの芸に対してのというか、今までしなかった事への
>好奇心、これは子供のように旺盛なんでしょうね。
>やはり女優です。
>変化が面白くて仕方がないんですね。
shinya-sさんが役者だから、杉村春子さんの気持ちがよくわかるんでしょうね。ぼくなんか臆病だから、小津さんの演出が神経質で細かい、と聞いただけでビビりそうですけど(笑)。
>個人的に谷崎潤一郎さんとの「文芸放談」も気になります。
谷崎潤一郎と志賀直哉は、作風はかなりちがいますけど、ある時代を象徴する代表的な作家だから、対談も興味深いですね。
この本のなかでは、<谷崎潤一郎・谷川徹三「回顧」>というのが、中身が濃くておもしろかったです。谷崎と志賀が、自分たちが小さなころから読んできた本、影響された芸、芸能、影響された人など、それぞれの文学の背景になっているものを話しています。
紹介しようとすると、あれもこれも・・・どこを抜粋したらよいか迷います(笑)。