アウトサイダーアートに関する記事のクリップ

最近、ヘンリー・ダーガーの展覧会があったようで、あちこらこちらで、ヘンリー・ダーガーアウトサイダーアートに関するブログ記事を見かけるので、クリップしておきます。


ダーガーだからこそ女の子をまもります!」(S kill to pay the \.)

ダーガーは本物のロリコンで、危険人物ではなかったのかという記事です。個人的には、ダーガーは実際に犯罪を行っていないので、危険人物ではなったという結論はすでに出ていると思っています。
また、孤独な人間は沢山いるので、ダーガーの人生自体はそれ自体それほど珍しいものではありません。先ず目を見張るような作品があるからこそ、彼らの人生に注目が当たるのであって、その逆はありえないことは考慮に入れておくべきだろうと思います。


アウトサイダーアートはアートではない」(B面-不思議なカブトムシ

アウトサイダーアートをアートだと認めることは、危険ではないかという趣旨の記事です。これは、アール・ブリュットやその英訳語であるアウトサイダー・アートという概念そのものの有効性を否定するものだろうと思います。ただ、すでにファインアートの世界でも多様な様式の美術作品が流通している現在、単純に作品のみを見れば、アウトサイダーアートとインサイドのアートにはすでに境はないとも言えます。そもそも、アウトサイダーアートは、表現上の様式とは関係ないので、作品のみを見てアウトサイダーアートか職業美術家の作品かは必ずしも分かりません。
また、特異な人生を送ったり、奇異な作品を作り上げる職業美術家も少なくないでしょうし、アウトサイダーアートとインサイダーのアートの違いは、単に美術市場や業界での立ち位置でしかないのではないかとも考えられます。


かへる日記

公開されることを想定していないで制作された作品を、公開されることを想定して作られた作品を、同質のものとして扱って良いのかという問題、つまりアウトサイダーアートの作者のプライバシー侵害という問題がここでは扱われていると理解しました。しかし、このプライバシー侵害は、多くのアウトサイダーアート作品では問題にならないではないかと思います。つまり、本人が存命であり、本人の同意を得て、作品が公開され、市場に流れる場合には、この問題は生じません。おそらく、ダーガーのように、死後に作品が発見され、本人の同意を得ずに作品が公開されると言う例は、それほど多くはないのではないでしょうか?少なくとも、この問題は、全てのアウトサイダーアートの作品に当てはまる問題とは言えないでしょう。

また、「表現が『症状』にしかなりえないこと、その意味で『表現に実存が先行してしまう』こと、それが私による「アウトサイダー・アート」の定義だ。」と齊籐環さんが書いているようですが、これは必ずしもアウトサイダーアートの作者にだけ当てはまることではないでしょう。職業美術家も、自分の実存をかけて作品を作っているわけです。全くお金にならず、貧乏暮らしをしながら、それでも作品を作ることに執念を燃やしている美術家は少なくないはずですが、彼らの作品の全てが、既存の美術様式や、他者の目や市場からの要求に束縛されており、「表現に実存が先行して」いないと考えられるでしょうか?

アウトサイダー・アート (outsider art) とは、フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet; 1901年-1985年)がつくったフランス語「アール・ブリュット(Art Brut)」を、イギリスの著述家ロジャー・カーディナルが英語の「アウトサイダー・アート」という表現に訳し替えたものである。

その意味は、デュビュッフェが1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットには、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」のことだとある。

つまり、特に芸術の伝統的な訓練を受けていなくて、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向、モードに一切とらわれることなく自然に表現したという作品のことをいう。特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。

Wikipedia

Sadly we find today that many use the term (註:Outsider Art) in the loosest way, to refer to almost any untrained artist. It is simply not enough to be untrained, clumsy or naive. Outsider Art is virtually synonomous with Art Brut in both spirit and meaning, to that rarity of art produced by those who do not know its name.

Raw Vision

アウトサイダーアート、あるいはアール・ブリュットという概念は、とかく拡散した意味で使われがちのようです。しかし、そもそもの定義が、かなり曖昧で、恣意的なので、仕方がない部分もあるのかもしれません。しかし、用語の用法が拡散すると話が通じなくなるので、本来の用語の定義をきちんと踏まえて用いることが重要になるのではないかと思います。