何故初音ミクよりも作者に注目が集まるようになったか。

先日、初音ミクというキャラクターよりも、初音ミクを使った楽曲を制作した作者に注目が集まるようになってきたと書きましたが*1、「ぼかさちVOCALOID考察部屋」さんで指摘されていた、「みくみくにしてあげる」の被リンク数を「メルト」が上回ったことや、視聴者がVocaloidの種類よりも作者に基づいて動画を視聴するようになったことは、この仮説の傍証になっていると思います。

そのためか、id:xaby_bokasachiさんも、私と同様の見方をしているようです。

ここまでVOCALOIDに人格がないこともあり〜Pってことで、曲の作者に注目が集まるようになってきました。

初期はVOCALOIDのキャラクターばかりで曲の作者にそこまで注目が集まっていませんでしたけどね。

ニコニコ動画内なので評価に偏りはあると思いますが、歌い手ではなく作曲者に注目が集まるようになっていると思います。

http://d.hatena.ne.jp/xaby_bokasachi/20081203


xaby_bokasachiさんは、Vocaloidよりも作者に注目が集まるようになった理由を、投稿動画数が増えすぎ、情報を整理する必要が生じたためという情報整理の観点から説明しています。ある程度データもありますし、以前の私の説明よりも説得力がある説明だと思います。


個人的に、もう一つ重要だと思うのは、初音ミク、あるいはVocaloidがかなりの程度消極的に使われているであろうということです。現在、Vocaloidが次第に増えてきていますが、使用者・視聴者が多いのは、圧倒的に初音ミクだろうと思います。それは、最初に有名になり、使う人、あるいは知っている人が多いからと言う初期条件が理由の一つだと思いますが、それより重要なのは、初音ミクVocaloidとしての完成度が、他のVocaloidよりも圧倒的に高いことだろうと思います。

旧エンジンを使っているMeikoKaito はもちろん、鏡音リン・レンがくっぽいどは、発売から時間が経っても、なかなか歌唱の不自然さがなくなっていません。調整技術が進歩しても不自然さはなくならないので、おそらく元々のソフトウェアの出来が、初音ミクに遠く及んでいないのだろうと思います。

そのため、「不自然でない」歌唱を合成音声ソフトに歌わせたいと思えば、初音ミクを使うのが最も手っ取り早く、確実だということになります。現状では選択肢が他にないので、DTMで手軽にヴォーカルを入れたい場合には、初音ミクを使うしかないのが現状だろうと思います。

これまで初音ミクに曲調が合う合わないに関係なく、ありとあらゆるジャンルの楽曲で初音ミクが使われていますが、その中のかなりの部分は、初音ミクのかわいらしい、起伏のない歌唱とは余り、あるいは全く合っていないように思います。つまり、多くの作者が初音ミクを使う理由は消極的であり、無理に使っているという場合も非常に多いように思います。

そのため、使い手も、初音ミクに求めるものは、初音ミクならではの歌の魅力と言うよりは、むしろ曲の邪魔にならないことという消極的なものである場合が、非常に多いのではないかと思います。また、同じことはかなりの程度聴き手にも当てはまるのではないでしょうか。

私は以前、「人間とは違うけれども、違和感無く聴くことができる、あるいは歌心のある調整は着実に進歩していると思います。」と書きましたが*2、このような調整の一つの方向性は、初音ミクVocaloidらしい不自然さをなるべく消し、サウンドの一部として演奏に解け合わせる、あるいは埋没させるような調整のことです。このような調整では、当然初音ミクの歌は余り目立ちません。Capsule の楽曲で、目立つのは中田ヤスタカの作るサウンドばかりで、こしじまとしこのヴォーカルはほとんど注目を浴びないのと同じような現象だと言えるのではないでしょうか。

現在では初音ミクを使った楽曲は膨大に発表されており、初音ミクの歌唱自体はニコニコ動画では、既にありふれたもの、楽曲を成り立たせる所与の条件・環境のようなものだと感じられていると思います。そのため、初音ミクという環境の中で楽曲を選ぶ際に、作者というカテゴリーを使って情報整理をする必要が高まった。さらに調整技術が進み聴いていて違和感を感じないような歌唱の楽曲が増えた結果、初音ミクの歌唱はサウンドに埋没し、目立たなくなり、楽曲の背景にある所与の環境であると、視聴者が感じる傾向が助長された。そして、楽曲を聴くときに、視聴者は楽曲を成り立たせる環境に過ぎない初音ミクよりも、楽曲を実際に作った主体である作者に注目するようになったのではないかと、個人的に考えています。