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2007-11-17

[][] インサイド・マン 00:27

インサイド・マン』をDVDで観ました。

つまらなくは無いんですが、…いや、やっぱりつまらないか。

基本的に私はSF者なので、人質が解放されるかどうかなんてのはどうでもいいんです。時空の行く末は大事だけれど、人命なんて小さな問題なんです。なんて言ったら怒られるのだろうか?

こういった映画を観るのは別に宇宙の存在理由を思索するためではないので、そういったところがなかろうと楽しむには問題ないはずなんですけど、じゃあ人間ドラマがちゃんとあるか…というとそうでもないのが残念なところ。主人公の刑事の立ち位置というか、どういった感覚で事件に接しているのかが分からない。比較的頭が切れる描写はされているが、まんまと裏をかかれすぎたり、と思いきや政治的な駆け引きをしだし、でも結局は偶然手に入ったダイヤを眺めつつ元の鞘に…。

政治、社会描写が得意な監督…との噂も聞いたが、じゃあたとえばあの黒人少年が持っていたゲームが寓話的な意味以上のものを持っているかというと、NOと答えざるを得ない。犯人の動機も含め寓話的な話ではあるんだけれども、寓話にしてはインパクトが薄いし、もしかして監督はこれを大真面目でやっているのだろうか? と考えてしまうほどだ。

日曜洋画劇場でやってたら見ても良いかも。

2007-11-11

[] ロード・オブ・ウォー 01:01

ニコラスケイジ主演の『ロード・オブ・ウォー』を見た。ビデオ屋のコーナーには他にももっと、私がもう少し若ければ好きだったであろうDVDが並んでいたが、最近はこういった映画のほうがすきなのだ。別に考えさせられる…というわけではなく、人生の悲哀を描いたようなやつだ。私自身の人生がそれほどうまく行っていないからなのか、それとも、最悪の時期は脱してプラス方向に進んでいるがために、こういう映画も客観的に観られる精神状態になってきたからなのか。

2007-05-26

[][] 主人公は僕だった 21:27

今日、映画『主人公は僕だった』(原題:``STRANGER THAN FICTION'') を観た。最近、派手なSF映画より、ヒューマンドラマのようなものを好むようになった。ヒヨったな。そろそろフランス映画に手を出すべきかもしれない。これもそういう一本。評価としては「まあまあ」。

(追記:しばらく、感想らしき感想すら書いていないので、早いとは思うが、帰ってすぐに書いてみた。ネタバレには早いとの批判は甘受する。また、邦題は正直ひどいと思う。原題は良いのに…)


以下、ネタバレ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

上でも書いたが、一言でいえば「まあまあ」の映画だった。「悪くはない」が、名作というわけでもない。

こういうのは当り前で、これを映画の中で言ってしまっているからだ。主人公の人生はある小説家の書いている物語そのものなわけだ。この事実を知って、小説家は物語の結末を書き換える。元のままだと主人公が死んでしまうからに他ならない。結末を変えたことで、主人公は死ななかったが、小説自体は「名作」から「まあまあ」のものになってしまった…と作品中で語られている。

ということは当然ながら、映画のストーリー自体、その小説と同じく、(主人公が生き長らえたことにより) 「名作」ではあり得なくなってしまった。惜しいことをしたものだ。

もちろんそう簡単ではなく、劇中劇が面白くなかろうが、たったの120分なのだから、アイデアが良ければいくらでもみられるものとなる。しかし、この映画には致命的な欠点がある。おそらく元の (主人公が死んでしまう) ストーリーでも、名作とはとてもいえそうにないということだ。

小説家の行動を見るに、死ぬ (もしくは瀕死になってしまう) 場面までは、元のストーリーどおりらしい。確かにここまではとても良い。主人公の内面の描きかたはうまいと思うし、「ギターのシーン」はクライマックスにふさわしい。このあたりは「名作」の匂いを漂わせる。だがしかし、主人公の死に方があまりにあまりなのだ。伏線を回収したふりをしているだけ。

ということは、主人公が小説の主人公 (ああ、わかりにくい!) だという設定は飽くまで寓話的なものであると考えるのが自然だろう。「そうなのだ」という意味以上のものがあるわけではなく、元が「名作」かどうかは関係ない。

この仮定の元で重要になるのは、映画のプロットやその演出のインパクトだ。まず演出には満点をつけたい。特に冒頭等の画面効果は、「小説の語り」というコンセプトに合致するかどうかはともかくとして、鳥肌ものだった。

プロットはどうだろう? 途中までが良いのは上でも言った。では、この映画がこの映画たる所以。すなわち、「結末が書き換えられる」あたりなのだが…。残念ながら…としか言いようがない。

結論をいえば、主人公は死ぬべきだった。主人公、教授、小説家、皆少しだけどこか「狂気」に近い場所に住んでいる。すくなくとも「トゥルーマンバーバンク」ではない。だが、結局物語は「小説家の改心」という言葉でしか説明できない終わりかたをしてしまった。全ての人物造型がおいてけぼりになってしまった。元の小説は「皮肉」な終わりかたをしたらしいが、皮肉どころか、本当に「トゥルーマン」になってしまっていたのが残念である。

せめて、最後に死んでしまえば、教授の発言に引っかけて、「誰もが死ぬが、記憶には残る」というのを地でいった (寓話化した) 話として称賛できたのだが、消化不良気味。

2007-01-27

[][] 幸せのちから 00:13

本日公開の映画『幸せのちから』(原題: ``The Pursuit of Happyness'') を観てきた。アカデミー賞ノミネートということで興味をもった。公開初日から過剰なネタバレもあれなので、簡単な感想から。

一見単調に見えるものの、ちゃんとした作りで、なかなかお薦め。自分の「夢」について悩んでいる人は観て損は無いと思う。ウィル・スミスがどうかというのは難しいところ。『アリ』でもそうだったが、基本的に「少しカッコわるい」…良く言えば「ワイルド」な役とは、ずれがあるという感覚はあるのだ。本人がカッコよすぎるとでも言おうか。ただ、この映画ではイッセー尾形のサラリーマンネタのような「微妙なずれ感」を出せていて、実は良い配役ではないかとすら思えるのが面白い。

細かな話はまた後程…。

ただ、正直言って、邦題は良いとは思えない。書籍の邦題が親しまれていたからなのであろうが、『指輪物語』→『ロード・オブ・ザ・リング』の屈辱を味わっているあたしとしては、``Pursuit''の部分がわかるタイトルだと嬉しかった。

以下、ほんの少しだけネタバレ。ストーリーではなく、セリフの内容に触れています:

ここから↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

もっとも心に響いたセリフはバスケのシーンのこのような内容のものだった:

「『おまえには無理だ』というヤツは、自分にとって無理だから、僻んでそう言うのだ。父親に言われても夢を捨ててはならない」

記憶力が悪くて、内容すらあやしくて申し訳ない。

kazimakazima 2007/01/29 14:01 これも二割引やった?
http://www.yamato-toys.com/items/detail.php?gid=544

腰周りの歪みは工作精度か?

beeplexbeeplex 2007/01/29 21:37 惜しい! 似たようなセリフは会社で聞き飽きた。(笑
書くときに「これロボットの方だっけ? ズボンの方だっけ?」と迷ったのはここだけの話。

2007-01-03

[][] 最終兵器オカン…じゃなかった 23:18

最近は映画等を見ても感想の一つも書かないことが多かったあたし。しかも、「書く」と言っておきながら…。旧弊を改めるべく、…違うか昔の状態に戻るべく、実写版映画『最終兵器彼女』について書こうかと思う。原作の大ファンではあるが、適度な距離を保ちつつ評論したい。

以下ネタバレ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

(注:「ちせ」について…人物としては ちせ、最終兵器としては <ちせ> と表記する)

所謂「セカイ系」の映画の作りというのには疎いのだが、少なくともこの実写版では、原作やアニメ版にあった、「ちせの兵器としての抽象的さ」は完全に取り払われている。もちろん、質量保存の法則などあったものではないが、成長してゆくごとにどんどんと抽象的になってゆく<ちせ>を描いているわけではなく、飽くまで物質的、あるいは具象的な存在として<ちせ>を捉えたストーリー (同時に<ちせ>の存在に社会的な事情を付加している) となっている。「実写でこの抽象度合をいかに描くか」と少々楽しみにしていたのだが、反対に、映像化しにくい描写を避け、物質的な<ちせ>にとどめるのも一つの方法ではあるので、それを前提として話を進めよう。ただ、「原作が…」とは違う意味で、いくばくか残念な所はある。これについては後述したい。

映画として観始めたときには、正直、全く期待していなかった。邦画で、しかもマンガ原作。嫌な思いはいろいろとしてきている。しかし、なんとこの映画は「地雷」ではなかった。全体的な事から始めよう。少し観て、あたしが思ったことは、「え? 結構よく出来てない?」である。CG部分も<ちせ>の雰囲気をとてもよく表わしており、街の破壊のされ方等々、良くできている (CGくさいのは確かだが)。一本の映画として、アメコミ原作映画並みの作りになっている。段々と邦画も期待できるようになってきたか?

特に<ちせ>は良い。兵器部分が生えてくる描写、格納される描写、変形描写、そして敵への攻撃方法。自らの能力がコントロールできなくなったちせから生える触手状の兵器部分は、アニメ版より断然良い。アニメ版では、抽象的な<ちせ>を描こうとしていたが、それにしては触手が有機的すぎて、「抽象的」どころか「生物くさく」なっていたのだ。映画版では、生物的な動きながら、見た目は完全に、ちせを侵蝕する兵器であって、微妙なラインを保つことに成功している。ちせの胸の傷に至っては、原作、アニメ版双方を凌駕する出来である。痛々しさと、それを見たシュウジの動揺をもっとも良く表わせている。

細かいことであるが、最終兵器になった経緯をちせが「気付いたら」「記憶がない」と言っているのも、成功しているところである。この世界観では、あの状況を説明するのに、これ以上の言葉は無いし必要ない。まさしく必要十分。

では、不本意ではあるが、悪い部分である。

邦画の不満点は未だ解決されていない。話と演技のテンポが悪い。何度も「何故そこで○分の1秒程度の間を置く?!」と突っ込みたくて仕方がなかった。

キャスティング先行なのか知らないのだが、重要キャラの演技が下手なのも問題である。特に目についたのは、シュウジのナレーションとテツさんの怒りの演技である。前者は、キートン山田にでもやらせた方が良い、と暴論を吐きそうになるくらいに感情移入を妨げてくれた。後者は純粋に演技の問題である。最重要人物であるちせに対して、あそこまでの行動に出るからには、よほどの怒りがテツさんにはあったはずである (むしろ、そうでないとあのシーンの意味がない)。しかし聞こえた声は、中途半端そのもの。声帯が割れるほどに叫ぶか、逆に冷徹な声になるか、というのが妥当であろう。全般にちせの演技は及第点であったが、「生きたい!」の部分に説得力がない。これに関しては、ちせ役の演技というよりは、ストーリーとテツ役の演技とに説得力がないため、引っ張られてしまったものだろう。

セットや小道具も突っ込みどころはいろいろあるが、目に余った部分を一つだけ。自衛隊の研究所である。…一体いつの時代の戦隊物ですか? 時代錯誤のアイデアしか思い浮かばないなら、「暗くてよく分からない」にしておくべきであった。

さて、クライマックスである。原作ではどこまでも抽象的になっていった部分である。映画版は抽象的であることを捨てているので、物質的な設定でどこまでのものを見せてくれるか、が評価の分かれ目である。確かに<ちせ>はカッコいい。ロケット切り離しや、宇宙空間での描写、最後の落下した<ちせ>も逸品だ。しかし、話・設定としてはあまりに無難である。

まず、最終形態<ちせ>の「恐ろしさ」が全然伝わってこない。映画中でも、それこそ原作以上に強調された「最終形態の恐ろしさ」であるのに、「小さいロケットだなあ」で終わってしまう。いや、実は大きいのかも知れないが、比較対象が画面内に少ないために、実感がない。SF者の感覚かも知れないが、この程度の派手さでは足りないと思うのだ。物質的な<ちせ>を描くのであれば、「全てを敵に回して」戦える者の姿ではない (抽象的存在であれば姿は関係ない)。空全体を覆うほどにまで巨大化して…というと、映画のコンセプトに合わないかも知れないが、<ちせ>の強大さの伝わる映像が欲しかった。また、最低でもどんでん返しがもう一つは必要であろう。

結局のところ、《最終兵器彼女》という「なんでもアリ」な背景を持ってきておいて、それを活かし切れていない。消化不良に終わるのはそのためであろう。

いろいろ言ってきたが、実写版『キューティーハニー』よりは面白いよ。