「無限の力を与える」

 「この神こそわたしの堅固な避け所であり、わたしの道を安全にされた。」(サムエル記下22:33)

 「すべての力の源である神に結合するときに私たちのものとなる力についての観念がすこしも私たちにありません。私たちは何度も何度も罪に陥り、いつもこんな調子にちがいないと思っています。私たちは自分の弱さに執着して、しかもそれが何か自慢すべきことででもあるかのように思っています。勝利しようと思えば、顔を火打石のようにしなければならないと、キリストは仰せになっています(イザヤ書50:7参照)。キリストは、十字架の上でご自身の肉体に私たちの罪を負ってくださいました。イエスがお与えになる力によって、私たちは世に対し、肉体に対し、悪魔に対して、抵抗することができるのです。ですから自分の弱さや無能を口にしないで、キリストとその力について語らねばなりません。サタンの力を口にするとき、敵はますますその力で私たちを堅くしめつけます。大能の神の力について語るとき、敵は撃退されます。私たちが神に近づくとき、神もまた私たちに近づいて下さいます。」(青年への使命97,98)
 「永遠の神の言葉がわたしたちの案内人である。このみ言葉を通して、わたしたちは救いに対して賢くされたのである。このみ言葉は、わたしたちの心と唇に常にあるべきである。「こう書いてある」がわたしたちの錨となるべきである。神のみ言葉を自分の勧告者とする者は、人間の心の弱さとすべての生まれつきの衝動を制御する神の恵みの力を悟るのである。彼らの心は常に祈りに満たされており、彼らには聖天使の守りがある。そして敵が洪水のように襲って来る時、主の霊は彼らのために敵に向かって旗を上げられるのである。真理の尊く力強い感化が勢力を持つので、心には調和がある。」(教会への証6巻160,161)
 「わたしたちは聖書にもっと精通しなければならない。もしわたしたちが聖句の暗唱に全力を傾けるならば、多くの誘惑に扉を閉じることができるだろう。「こう書かれている」という言葉によってサタンの誘惑を防ごう。わたしたちは信仰と勇気を試す争いに直面するだろうが、イエスが与えようとされる恵みを通して勝利するならば、それはわたしたちを強くするのである。しかしわたしたちは信じなければならない。わたしたちは疑うことなく約束をつかまなければならない。」(信仰によってわたしは生きる8)
 「誘惑にあっている人には、周囲の事情、自己の弱さ、誘惑の力などに目をむけたりせず、神のみ言葉の力をながめるように教えなさい。その力はすべてわたしたちのものである。」(ミニストリー・オブ・ヒーリング156)

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