「天来の成長の順序」

 「地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。」(マルコ4:28)


 「このたとえを語られたイエスが、小さい種をつくり、それに活力を与え、その生長の法則をお定めになった。しかも、たとえが教える真理は、イエスご自身の生活の中に生きた現実となってあらわれていた。彼は、肉体においても、霊性においても、植物が示している生長の法則に従っておられた。そして、世のすべての青年たちも、その通りに従うことを望んでおられる。……成長しては、従順な子として家業に従事……された。……しかし、キリストは、その成長のどの段階においても完全で、罪のない人として、単純な、かざり気のない美徳をもっておられたのである。」(キリストの実物教訓62)
 「種のたとえは、神が自然界に働いておられることを示している。……種には命があり、土には力がある。無限の力が昼となく夜となく活動していなければ、種は、実を結ばない。……どの種の発芽も、どの植物の成長も、みな神の力によるのである。……
 種の発芽は、霊的命の発生を示し、作物の成長は、クリスチャンの成長の姿を美しく象徴している。自然界と同様に恩恵の世界でも、成長がみられなければ命があるとはいえない。作物は、成長するか、枯れるかのどちらかである。作物は、黙々と、人知れず、成長し続けるが、クリスチャン生活の成長もそれと同様である。成長中のどの段階においても、わたしたちの生命は完全であり得るのである。しかし、神がわたしたちのために備えられた目的を達成するためには、継続的に前進する必要がある。きよめは一生の仕事である。わたしたちの機会が増加するにつれて、経験も広くなり、知識も加わるのである。そして次第に重い責任を負うことができるようになり、特権が与えられるにつれて、ますます円熟するのである。
 苗木は、その生命をささえるために神がお備えになったものを受けて、成長するのである。苗木は地中に根をおろし、日光を浴び、露や雨にうるおされる。空気中から生命をささえる養分を受ける。それと同じように、クリスチャンも神がお備えになるものを受けて成長しなければならない。……自分たちの無力を感じつつも、豊かな経験を得るために、与えられたすべての機会を活用しなければならない。苗木が地の中に根をおろすように、わたしたちは、キリストの中に深く根をおろさなければならない。また、苗木が太陽の光や露や雨を受けるように、わたしたちも、心を開いて、聖霊を受けなければならない。……キリストをわたしたちの個人的救い主と仰いで信頼することによって、わたしたちは、すべてのことにおいて、わたしたちのかしらであるキリストのように成長するのである。」(同上43,45,46)

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