2007-03-01
■【0】そら
<文章> −1 <体験> +1 <得点> 0
「真昼間」については既に別の作品で触れたので繰り返してもくどいし、ここでは
主題になっているわけでもないのでさほどは気にならない(全く、ではない)。
ただ、怪に遭遇した時「死後硬直で」と書いたのはいただけない。
この時点でこちらも友人同様、事故直後に硬直はないだろう、と話の中身そのものを
疑ってしまったからだ。怪談というジャンルで話の信憑性を疑われて読まれる程不利な
ことはない。そこで何が起こってもそれじゃあ、と読み流されてしまう危険が出てきて
しまう。
ここでそういう印象を与えておいてそれをひっくり返すことで恐怖を倍増させる、と
いう仕組みを狙ったにせよ、こうしたマイナス要素でそれは吹き飛んでしまっている。
若干表現が弱くなったとしてもここは手を挙げていた、という事実とそれを自分は
死後硬直だと思った(理解した)、というところを分けるべき。
警官についてもそこまではっきりとした記憶がありながらその様子の不思議さに
気付かない、というのは不自然な気はする。まあ思い込み、などは誰にもあるものなので
あり得ない、とまでは言わないけれど。
彼女はその手で何を指し示していたのだろう。
■【+1】我が家のルール
<文章> 0 <体験> +1 <得点> +1
空中で首つりを再現されては気味が悪くて外には出られないだろう。
家の中からなら見えないのだろうか。
死んだ場所で繰り返し死に直す、という話なら何度も聞いているけれど、墓の上で、
しかも何もない空中でパフォーマンスを見せてくれる、という霊は聞いたことがない。
そうしたユニークな怪ながら、怪自体は話の最後の方、わずか4行で終わってしまう
というのは勿体ない。
その前段も決して長いとは思わない読み易いし読ませてくれる文章なのに、一番力を
入れるべき部分で手抜きをされてしまったような拍子抜け感がある。
実はその光景をちゃんと思い浮かべられるようになるために読み直せばならなかった
位だ。明らかに書き足りない。
元々の体験談でこの程度だったのかもしれないけれど、「怪談」にする時点で
創作ではない演出はもっと練り上げても良いだろう。
川霧さんは結局禁煙を強いられてしまったのだろうか。
■【−2】窓の外から
<文章> −1 <体験> −1 <得点> −2
怪は必ずしも、否ほとんどの場合合理的なものではない。
何でこんなことがこの時にこの自分のところに、というケースが多々あることは
理解できる。
しかし、このケースではそれが重なり過ぎている。
外から呼ぶ声。
人形の焼けた炭。
いない筈の母親。
しかもそのそれぞれがどういう関連性を持っているか想像も出来ない。
あまりに理不尽ではないか。
これだけのことが起きながらその時一回きりでそれ以上何も拡がらない、というのも
そう考えるとピンと来ない。ここまで念入りに何かを仕掛けてくる力があるのだとしたら
それだけの見返りを求めてくるのが普通なのではないか。
文章的にも「犬すらいない」とか母親のことを思い出す段での「あれ?あれれ?」とか
どうも不必要、と言うか流れを阻害するような表現が目立つ。
「れる」表記も例え話し言葉であってもまだ文章として読まされたくはないし。
■【−3】寂しい人形
<文章> −1 <体験> −2 <得点> −3
タイトルでこの話の核を明らかにしてしまっているので、後段人形の想いが伝わって
きても(きたと思っても)既に驚きがない。
しかも写真を置いたからそれが元で不幸が起きた、と言うより不幸が起きてその原因を
人形に求めた、という感が拭えない。
本当に寂しいなら、何故一緒の家にいる伯母と体験者を狙わないのかまずそれが不思議だ。
また、体験者が何故その不幸連鎖から逃れられたのかもよく判らない。
二人目の不幸の後で都合良く伯母が写真と人形との関連性に気付くのも妙だ。
結局、先に核と述べた人形からのメッセージ、これを体験者が感じた時点で全てが
そこに収斂してしまった思い込みの産物である、そう感じられてしまう。
■【0】挟
<文章> −2 <体験> +2 <得点> 0
すみません、題名が変です。
これだけでは「きょう」もしくは「しょう」としか読めない。
シリーズとして漢字一文字に統一している、というのならあり得るけれど(某シリーズで
確かあったような)、ここはそういった披露の仕方をする場ではない。単品で勝負して欲しい。
一発怪談の場合、研ぎ澄まされた表現は必須である。これ以上削ぎ落とすことができないと
誰もが感じる無駄のない、しかも内容をちゃんと過不足なく理解させてくれる、欲を言えば
余韻や余情すら感じさせてもらえる。
そんなものでなければ、あえてこのジャンルにトライするのは無謀というものだろう。
この作品は残念ながらそのレベルに達している、とは言い難い。
三行目がいかにも説明的な文章であり、なお且つやや判り辛いからだ。
本来このような挑戦をする位だから筆力に自信はあると思うしそれは充分に感じる。
しかし、スケートでも体操でもモーグルでも敢えて難易度の高い技に挑戦して失敗したら、
やはり得点は失敗としてしか評価できない。申し訳ないけれど、題名も含めてここは−2。
指が全て親指、というのは指は違うものの他にもどこかで見聞したことがあったような気も
するけれど、想像すると結構怖ろしい。
それだけに、この作品(著者の場合)正攻法で攻めた方がより恐怖を感じさせることも
出来たように思う。
■【0】ウォータースライダー
<文章> −1 <体験> +1 <得点> 0
思いがけず排水口に吸い込まれていく小人。ある種とんでもない光景なのだけれど何とも
ユーモラスで想像するだけで楽しい。
しかし、文章にはやや難がある。
冒頭の台詞からいきなり体験談に入られてしまうと少々面食らう。何か一言つけるだけで
良い話ではあるけれど、こういうものは入り口でつまずいてしまうとその後どうもスムーズに
話に没入し難くなってしまうので特に気をつかって欲しいところではある。
後半に入る「でも」もどこからどうつながっているものかわからず、ここでもまた
引っかかってしまった。
途中の「という理由でだそう」「しません、と私」などもこういった妙な書き癖の方が気に
なってしまう。
この時、小人はどういう表情をしていたのだろうか。
■【−2】クロウリーの書
<文章> 0 <体験> −2 <得点> −2
魔術に関する本を読んでいたら眠ってしまってそれに関連する夢を見た、というだけの
話なので、これが黒魔術というものではないだろう。
本を読んだだけで(しかも理解も出来ずに)そんなに簡単に力を得られるなら誰も苦労は
しない。
確かに友人の病気との符合は不思議ではあるけれど、病気が死の危険を伴うようなもので
あったかどうかも判らず、偶然の域を超えているようには思われない。
これをもってラヴクラフトと同レベルと思われては向こうがたまげてしまうだろう。
■【−5】夜、歩く
<文章> −3 <体験> −2 <得点> −5
人が亡くなると判る、というのは私が子供の頃からさんざん聞かされてきた「定番」の
不思議話であり、それだけでは最早稀少性はない。
さらに天井が鳴るだけ、というのではこちらも怪としては成立ぎりぎり(個人的には
アウトの領域)である。
天井裏には人は入れなくても動物は充分に入れるし、家鳴りは霊とは関係なく存在する
物理現象でもある。
段落分けも改行もないのは、まず持って人に読ませる気はない、ということでそれだけで
この場においては評価に値しない。そろそろ同じようなことを書くにも言い回しの変化が
尽きてきそうだ。
さらに、この作品では、話の力点が「すごい力があるのかと驚いた」や締めの言葉と
なっている「いろんな意味で羨ましい存在だ」のように語り手の感想になっている。
これでは、日記か個人ブログの文章である。
一級の怪談を求め切磋琢磨しよう、というこのチャンピオンシップに素人の感想文など
必要はない。
■【+1】赤い手
<文章> 0 <体験> +1 <得点> +1
「ケモノヅメ」というアニメを思い出させるところもあるけれど、なかなかに怖い話である。
ただ、最後の下りで体験者の悩みが何なのか判らなくなってしまった。
彼女の手が変化することに悩んでいる、というのなら良く判る。
しかしこの話の成行からするとこれが初めてではない、というところがより問題らしい。
もし母親もそうであったことから女性は皆そういうものだ、ということが判ったのなら
悩んでみても仕方のないこと、受け入れるかそれは怖いからと女性との付き合いを断つしか
あるまい。彼女だけ、というより悩むべきことではない気がする。
これによって母と彼女との共通点を見つけてしまった、ということだとしたら、それによって
どんな結末が予想できるか、ということが悩みの元となっているのだろう。
だとしたら、それは書いてもらわないと判らない。
母親が赤い手となった時何かが起きたのか、その後にでも母親(と父親)を巡って何らかの
事件が起きてしまったのか。
そんな悩みの出所が気になって、肝心の怪の印象が薄れてしまった。
■【−1】超能力者
<文章> +2 <体験> −3 <得点> −1
評価が難しい。
なにせ怪談と超能力とは似て非なるもの(否似てもいないか)なので、同一軸で評価すべき
ものでもないからだ。
文章としては読ませてくれ、一編の笑話としては見事に成立している。
しかし、オチを含め出来過ぎ、と思えてしまうのも事実だ。体験者は否、本当なんだと
主張するかもしれなけれど、どうしても疑念が残る。
一番なのは、何故体験者だけが特別扱いなのか、という点である。
本来は握手をするだけの筈なのに彼に対してだけ二回とも全く違う行動を取っている。
その理由が判らない。
またそこを仮に納得したとしても、一回目はかなり抽象的な体験であり、元々否定派だったに
せよ、あるいはむしろだったからこそ突然の行動にそう感じてしまった、のかもしれない。
二回目はもうすっかり信じ切っているから指を指されたことで暗示にかかったと取れなくも
ない。プラシーボ効果は科学的に実証済である。
そういう二重の意味でこの体験の超常性を信じることが出来ないため、評価は出来ない。
■【−6】米袋の中身
<文章> −3 <体験> −3 <得点> −6
最初はちゃんと改行できていたのに、何故話に入っていったら出来なくなってしまったの
だろう。
しかも内容もええっと‥‥‥‥。
鼠じゃないと決めつけたのは父の一言だけなのだろうか。何故母の鼠と思った、という意見は
無視なのだろうか。
しかも「幸い」清潔にしたらその後は来なかったと。
より鼠っぽいとは思わないのだろうか。
せめて父親が何故鼠でないと思ったのか、それをきちんと書いてもらえたなら納得のしようも
ある。しかしそこを何だか判らん、と大滝秀治のように切り捨てられてしまっては、こちらは
どこへも寄る辺なくさまようばかりである。
■【−2】日常
<文章> −2 <体験> 0 <得点> −2
電車の中で人と霊が重なってしまう、という話は既に目新しくはない。
ただそれを日常的に見る、という話はあまり聞いたことがない、ような気がする。
ただ、残念ながらそういった新鮮さをこの作品は台無しにしてしまっている。
冒頭まさに日常の風景を詳細に書きながら怪そのものは2行で終わってしまい、しかも
本来書くべき「毎日のように」という部分は感想のように省略されてしまっている。
これでは、気合いの入った料理を目の前で見せられながらそれを引っ込められてしまい
白米だけを渡されたような気分である。
今日この頃であった、などと締めている場合ではない。
個人的には(!)という表現も受け入れられない。
■【−4】向かいの店舗
<文章> −2 <体験> −2 <得点> −4
店というのは立地が大きく影響する。
一見どこも変わりないように見えてもちょっとしたことで人の動線から外れてしまい
そこだけ何を出店しても続かずどんどんと変わっていってしまう。
そんな店はどこの商店街にも一箇所や二箇所はあるものである。私の身近にも何か所か
知っているところがある。
だから、それをもって怪現象と言われても全くピンと来ない。せめてそれがそういう
ことのあり得ないような一等地であったりすることだけが最低限の成立条件である。
まして首つり、霊現象、という「噂」が出るだけで商売にとってはマイナスにこそなれ
プラスになることはあるまい。
さらに、語るべき怪を霊が出る、見たという噂、だけで捨てられてしまっては。
閉店については既に怪ではないと断定済なので。
文章も句読点が時折変だったり「という」が繰り返されて気に障ったりと内容を一層
薄いものにしている。
■【−1】じぇんこ
<文章> +1 <体験> −2 <得点> −1
方言を適度に入れながらしかもじんわりとしたノスタルジーも感じさせる。
それだけで程良い味が出てしまう。何か卑怯な手に填められてしまう悔しさもあるものの
やっぱりそうした文章を読むのは心地良く感じられる。
ただ、このCS(チャンピオンシップ)でも既に何回か似た作風が登場しており(同一
著者もあるのだろうか)こういった雰囲気自体のプレミアムポイントは次第に無くなって
きつつある。
この作品は実は当初読み違えて高い評価をしていたのだけれど、改めて読み返すと少々
厳しくならざるを得ない。
この話の雰囲気からこれは母の子供時代の話で、まだ子どもである母が行なったことだと
思っていたのだ。だとしたら微笑ましい内容でちょっとした感動すら覚える(落ちに
関しては別評価なので後程)。
ところがこれは既に大人になってからの話だった。
だとすると、母は何故墓前の土を掘り当てられなかったのだろう。
子どもであれば力もないし道具も持っていかなかったりして結局諦めざるを得ない、と
いうのは納得もいく。
しかし仮にも大人ならちゃんとしたスコップを持っていく筈(いかないようなら埋めに
いく行動自体が変)であり、だったら雪が深くても掘れないことはないだろう。
もし墓全体が見えない程深い雪だったとしたら適当なところに埋めてしまう危険も高い。
さらに行った後で家族に話をするなら、行く前もしくは行って掘れなかった時点で助けを
求めても良かったと思える。
このように大人の行動だとしたらあちこち不完全で何か釈然としないものが残ってしまう。
瓶に「おじぃ」と書いているのも何だか幼稚過ぎないか。
そして、瓶が見つかったこと。
墓のものを持って帰ることがタブーであったとしてもだから絶対にあり得ない、と
言い切るにはそれだけでは弱いだろう。何しろ中身は金なのだから。
さらに、雪に埋まった状態であればそれが解けた時に移動して既に墓地内にはなかったかも
しれない。それも否定できない。瓶は転がるものだし。
あるいは家族が話を覚えていてこれは埋め直さねば、と思って帰って一旦仕舞ったまま
忘れてしまった、ということも可能性は考えられよう。夢を見た当人以外はそれ程強く
意識しているようなことではないだろうし。
ここを除いてしまうと、ただ亡くなった祖父の夢を見た、というお話だけが残ってくる。
■【−3】あたしの
<文章> −2 <体験> −1 <得点> −3
怪そのものは怖いし、何より霊と物の取り合いをする、というある種滑稽とも言える経験を
した、という点がユニークである。
ただここではそれに「超」怖い話では定番の曰く付き商品というネタを付加(と言っても
創作ではあるまいから事実なのだろうけど)したことでかえって焦点がぼけてしまっている
ように思う。
通常の、と言うのも変だけれどこの種の話では彼氏が贈ってくれたので喜んでいたらそれで
とんでもないことに‥‥というパターンが多い。
この場合、もともと中古で手に入れたりどこかで拾ったり、ということ自体が問題なので
それで相手が激怒するのも納得出来ることが多い。
しかし、このケースでは最初から古着が好き、という前提が出来てしまっているから
入手法が問題にはなり得ない。
霊と取り合う、というとんでもない経験をしながらまだ渡したくない、としおらしいことなど
言っていた体験者が、無理矢理のように買わされた、という話を聞いた途端に態度を一変させて
しまう、というのは一見先の類例と似ているようでかなり次元が違う話になってしまって
いるのである。
だからどうしても何だか突然理由もなく態度が豹変したような印象を与えてしまう。
これは文章の問題と言うよりもう少し中身に関わることだと思うので、<体験>にこれで
−1追加した。
また、なぜ指しか見えなくなった時点で今更目を覆うのか判らないし、その行動と次の
気持ちとが背反してしまっている。そのあたりもついていけない。
■【−5】トリビア
<文章> −3 <体験> −2 <得点> −5
ピグモンを公園で見た、という体験の是非は「実話」怪談という前提なので問わないとして
(突っ込みたい気も多々あるものの)、それを妖怪と断定する理由が全く判らない。
ピグモンはあくまでもピグモンであって、この話の中でそれを妖怪と思わせるところなど
一つもないだろう。
さらにピグモンの顔を魚顔というのは変ではないか。あれは猿顔だと思う。あのように
正面を向いて目が並んでいるのはヒラメかカレイ位だ。
だから、ピグモン、と落とされた時点で、へっ、と呆気に取られたのも事実。
そう見える人がいる、ということの方がこちらにとってはトリビアだった。
後半はただの御利益話。
神社がもし御利益をかなえてくれるとして、パチスロだろうと何だろうと願った当人の
望む形に添うものだろうし、特にパチスロを良く知っている必要はあるまい。
コインを欲しがった理由もパチスロをやりたかったからかどうか判らない。相手は
神様なのだから。
しかも最後のトリビアの文章は何度読み直しても日本語としての文意すら掴めない。
謎だ。
■【+2】あっ
<文章> +1 <体験> +1 <得点> +2
一発怪談としては綺麗にまとまってはいるものの、怪異としてはやや弱い感じ。
しかも見えているものが今の描写ではぼかされているのでそれ程怖くはなく、
何故求めている相手にそれを告げられないのか判らない。
言えない程やばいものなのだったらもう少しのその辺の突っ込みが欲しい。
また「幽霊見えるんですよね」は無い方がよりインパクトは強まるのでは。落ちの行で
見える人であることは充分判るのだから。
■ 【+2】指輪
<文章> −1 <体験> +3 <得点> +2
おばあさんとの思い出からスタートするためほのぼのした話かと思いきや見事な不条理譚。
しかもずっしりと重く暗く怖い。
久々に読み応えのある、しかも好みの怪談を味合わせてもらえた。
しかし、その内容の素晴らしさと比較して文章はそれに見合っているとは言い難い。
単純だけど気になる「なっという」というようなミスタッチ、「マニュキュア」のような
妙な訛り、そして最初の肝であり脅かしの部分である腕の登場文を「という」というひ弱な
伝聞形で記述してしまうセンスの無さ。
しかもこういった内容のわりに最後を「懐かしそうに」締めてしまうアンバランス。
全体として文章は判り易くクライマックスの描写などもしっかりしているだけに、こういった
あらが無くなれば、相当に読み応えのある作品を問うてくれることは期待できる。
体験者はこれを最後に忍び込むことはなくなってしまったのだろうか。残念だ。
■【−2】ネイルの持ち主
<文章> −1 <体験> −1 <得点> −2
一度きりではなく繰り返し出現しているようであること、しかも数が常に決まっていること、
などから偶然や人為的なものであることが考え難くはなっており、怪としての成立要件を
ぎりぎり満たしそう、な一歩手前で取りこぼしてしまっているような印象を受ける。
まずこの現象が社員もしくは外部の人間によるものではない、ということがきっちりと
検証されてはいない。
他の人はネイルアートをしていない、とさらっと書かれてしまっているけれど、この
会社がどの位の規模なのか人の出入りがないのか判らないのでそのまま素直に信じられない。
また、それ以降についてはTさんが元々よく爪を落とす、と書いているので、その一つでは
ないのか、という疑いを残してしまうし、穿ってみれば最初のものもそれ以前に落とした
ものがたまたまその日出てきただけで、Tさん当人も忘れていた、という可能性も否定できない。
爪の形が違うなど、もう少しちゃんとした違いがあれば問題ないのだけれど。
その後落ちている爪の模様はどうなっているのだろう。それがいつも一緒というならかなり
怪異的な要素は強まる。まだいたずら、嫌がらせの可能性も残るものの。
また、その後を語る文章は日本語としておかしくなっている。今でもたまに落ちている、が
先にないと変だ。
どうもこれはたまたま落ちていた爪が赤くて気持ち悪く、同時に変なことを言われて妙に
意識してしまった、ということが体験者の意識を大きく方向付けしてしまっているように思える。
■【−5】細腕
<文章> −2 <体験> −3 <得点> −5
何だか典型的な怪談を読まされた気分だ。
しかもそのクライマックスをすぽんと落としてしまった形で。
この話では体験者が運転者であるにも関わらず、逃げる途中のことを覚えていないという。
女の子の首を絞めた跡が残るような状況なら車内は阿鼻叫喚の地獄絵図だった筈で、それを
覚えていない、というならこの事件そのものが記憶に残っていなくてもおかしくはない。
というより全ておかしい。
道の真ん中に女が「バーン」と立っている、という表現は妙なだけでなく、もう霊だ、という
意識剥き出しになってしまっている。
しかも最後に「照れ笑いながら」この話を締めるとは。
これでは体験者の感情が壊れているとしか思えない。これだけの恐怖があればトイレなど
些細なことだろう。
さらに言えば日本語としても壊れている。こういう言い回しはない。
■【+4】目の前に……
<文章> +2 <体験> +2 <得点> +4
近年新たなジャンルとして開拓されつつあるH怪談。
そこに新たな素晴らしい事例が加わった。
冒頭怪現象をまとめてさらっと流し、しかもありがちでしょ、と括ってしまう。
自らハードルを高くしておいてさあ、どう出るかとなにがしかの期待と相当の不安とをもって
読み進めてみたら、思っていたコースとは全く違うフィールドに飛び出した上で見事に新記録で
飛び越えてくれた。そんな感じだ。
築50年の古い雑居ビル、飛び交う生首やうめき声、そこからおっぱいへと話が転換する
などとは、まるで予想出来なかった。
これぞミスディレクションによる叙述演出効果の模範解答のような活用の仕方だ。
出た相手が女性、ということが生々しさをうまく削ぎ、話の展開における間(すぐに反応しない
こと)も無理なく創り出しており一層うまく読ませてくれる。
女性でもほれぼれするようなおっぱい、どんな逸物なのか一度拝んでみたいものだ。
■【0】様子見
<文章> 0 <体験> 0 <得点> 0
じわじわと怪が忍び寄ってきて、最後でスパークする。
怖い話ではある。
しかし二点納得がいかない。
まず母親を自殺にまで追い込んだ(かどうかは定かではないにしろ)霊が何故
しばらく何もしようとしなかったのか。最後にしても首筋を触って呟いただけでは
体験者が動じなければそう怖ろしい体験ではない。
作品としてはこのギャップがなければただの生き霊譚になってしまうものの、
そうすることで妙な違和感が生じてしまう、という矛盾を抱えている。
もう一点は中学二年生で家を出て自立してしまうところ。
不可能、ということはないにしろ現実的にはかなり難しいだろう。
それともその後取り殺されてしまった、ということなのだろうか。
題名の様子見、というのも内容には合っていない気がする。
■【−4】廃病院でのロケ
<文章> −2 <体験> −2 <得点> −4
人影だけでこのCSに挑戦されるとはむしろかなりの強者であるかここのレベルを
根本的に理解していないかのいずれか、なわけもなく文章からしても全く水準レベルにも
遠く及ばない。
六行も延々とつながった文章を書き連ねるなどガルシア=マルケスでも意識したのかと
思う程に無謀だ。
とにかく思い付いたことを取捨選択もせず羅列してしまっているので、分かり難いこと
この上ない。
「私は窓を見ても暗くなりはじめていたので分らなかったのですが、助監督の一人が
確認のため建物内に走っていきました。少しして撮影本隊ブースのトランシーバーが鳴り、
誰もいないとの返事。」
ちょっと長い引用だが、最初の節は表現がおかしく、二番目の節を第一節と同じ文章に
している意味が不明、最後の文章は前をちゃんと受けておらず、誰これ、という感じ。
繋がりもそれぞれの文章の構成も相当に破綻していて一つ一つ確認しながら読み進めないと
文意を見失ってしまう。
しかもこれを見ている人々が邪魔には思っても全く怖がったり不思議がったりして
いないので、霊が可哀想になる位。
むやみに怖がって騒げ、とも言わないけれど、感情が入っていない文章をこちらも感情を
込めて読むことは出来ない。
■【−3】あの映画
<文章> −1 <体験> −2 <得点> −3
前提として特定の作品を知っていることを必須にするのは、それが余程一般化している
場合に限る。
ここでは描写自体はしっかりしていることもあって怪の内容自体は特に問題なく
理解できる。
しかし、怪談好き=ゾンビ好きというわけではないし(私はむしろ好きでは無い方)
オチに使っている特定の映画ネタについてはかろうじて何となく想像がつかなくもない、と
いう程度で広く市民権を得ている、というものではないだろう。
しかも描写も悉くそちらを連想させる方向に色が付いているのでむしろどんどんと興が
削がれていってしまう。疎外感すら感じかねない。
よくよく読むと手を前に挙げていたからそう思えたようだけれど、血塗れの男が迫って
くる、という「普通の」怪談だと捉えても問題はなかった筈だ。インパクトはなくなるかも
しれんけど。
ノリとして仲間内の盛り上げにはもってこい、という類のものなのだろう。
■【−6】拾い貧乏
<文章> −1 <体験> −3 <破綻> −2 <得点> −6
もう肝の部分で破綻していてお話にならない。
焼身自殺を撮って卒業制作、と言ったって当人が死んでしまっては意味がない。
問題はここではない。
この話では、卒業制作は写真か映画、以外にはあり得ない。
とするとその木枠と自殺者とは関係ないと考えるのが普通だし、自殺の現場に木枠を置いて
あろう筈もない。
判らない、と逃げてはみても、それを因果関係として結び付ける方がおかしいところに
繋げてしまっては、強引過ぎて全てを駄目にしてしまっているとしか言いようがない。
いくら貧乏だからと言ってそのような落書きを見ても何も感じない鈍さにも共感できないし。
■【−1】すいませ〜ん
<文章> 0 <体験> −1 <得点> −1
声だけかあ。
学校の怪談としてよくあるものの一つを大人が実際に体験した、ということか。
文章も怪も特に破綻はないものの怪の声と全く一緒でどうにも印象が薄い。
そのように特徴のない声であるなら、わざわざ記号で強調して表現する、というのはむしろ
逆なのではないだろうか。
しかも、こういう表記をしているなら尚更このすいません、は呼びかけの声では。
謝っている、と取るのはちょっと変だと思う。
■【+2】左手
<文章> 0 <体験> +2 <得点> +2
怪の最中で「友達のイタズラ?いや、ホモの変質者?俺、姦られる?ていうか殺られる?」と
ここまでおどける理由は何なのだろう。コメディタッチなのがここだけなので妙に浮いて
しまっているし、これによって読み手の怪への没入度は確実に下がる。いわゆる「ひいた」
状態になるわけだ。そこまでではなくとも若干なり醒めてしまうのは間違いない。恐怖とは
異質の刺激を与えることになるから。自室で、とのことなのでこの連想自体何故そうなるのか
疑問もある。普通はこんなところに誰なんだ、と訝しむものではないだろうか。こう思うのが
当然なのなら、それなりの状況設定が欲しい。
理不尽な怪現象に恐怖よりも苛立ちを感じて確認したら、片手だけ大きな赤ん坊。
行動の無意味さ、執拗さもこれなら納得出来るし、片手だけ大きくて白く光る赤ん坊など
ちょっとユーモラスでありながら途轍もなく怖い。普通の霊とは思えないし、何が起こるか
予想もつかない。
表記が若干乱れていることや、繰り返しの描写が表現まで単調になってしまっていることなど
文章的に改良の余地は多々あるものの要領良くまとめていく基礎力は感じられる。
■【−6】気付いて
<文章> −3 <体験> −3 <得点> −6
部屋に引きこもった原因は別にあると思う。
手足のあざもこの内容では自傷行為では、という疑いの方が強く感じられる。
「携帯を見た」メールを読んだ、ということだろうか。
「何か忘れている」メールを読むことを忘れている、と感じたのか(それも妙だが)
メールを一度読んで忘れていたのを思い出したのか。
もしや一週間前にそのメールを読んで(もしくはニュースを見て)ショックを受けて
放心し、この時点で正気に戻った、という事件なのか。
体験者の年齢が判らないので、幼なじみが死んでいることに驚愕するのもピンとは
来ない。何となくかなりの高年齢の方、という印象を受けてしまうので、文章と内容から。
本来冒頭に来るべき「去年の夏の出来事」というのを妙な位置に持ってきているため
出来事の時間経過がえらく読み取りにくくなってもいる。
何より、読点があったり無かったり「‥‥」になっていたり。「だ」調が突然
「です」調になったり。
せめてもう少し文章の訓練をしてもらってから挑戦してもらいたい。
今の文章では読んでいて癇に障ることはあっても肯くことなど出来そうにない。