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2011-06-23

[]インクルーシブ教育、特別支援教育

一昨年の衆院選で民主党政権が誕生しましたが、この時、民主党はマニフェストでがインクルーシブ教育を掲げました*1。読み方によっては特別支援教育を否定しかねないようにも読めるし、そこまでではなくとも従来の障害児教育の基盤を大きく変えるものだと受け止められました。このことが、それより前からもあった親の間での論争(?)、障害のある子どもを通常学級に入れるべきか、それとも特別支援学級や特別支援学校に入れるべきかという議論に油をそそいでいるような気がします。議論が加熱してくるとインクルーシブ教育派は論敵の親に「差別的な分離教育主義者」みたいなレッテルを貼ってみたり、他方、特別支援教育派は論敵の親を「親の見栄のために我が子の教育機会を奪っている」みたいに罵るなんてケースもありそうです。どちらの主張にも見方によって正しいと言えそうな側面があり、決着はなかなかつきそうにありません。

さて、もうずいぶん古い話でまだ「特別支援教育」などという言葉もなかった時代のことですが、我が家のベロはどうしたかというと、小学校は初め妻の強い希望で通常学級に入学しました。私やベロの主治医や療育のセラピストは、ベロの状態を考慮して特殊学級ないしは養護学校への進学を勧めていたのですが、ベロや妻は幼稚園でお友達やお母さん方にとても仲良くしてもらい温かく見守ってもらったことがあって、妻はそういった関係を小学校入学後にも維持したいと強く希望していたのでした。


表向きは「社会性を伸ばすために通常学級へ」などと言っていたものの、フツーの子どもたちの中に混ぜ込むくらいでベロの社会性が自然に伸びていくなんて甘いことは到底期待できそうにありませんでしたが、妻にとって他のお母さんたちとの交流が精神的に強い支えになっていたことも感じていました。また、我が家の暮らす地域は共生教育を主張する障害者の親の団体の力が非常に強く、子どもに重い障害があっても親が希望さえすれば補助教員を付けて通常学級に入学することが可能でしたので、ベロもそうさせることにしたのでした。

でも、小学校は幼稚園と違ってじっと席に座って授業を受けることが原則です。これは授業の内容を理解する力が圧倒的に不足していたベロにとって非常に苦痛な時間だったと思います。また、休み時間などでは主に女の子たちから「動くお人形さん」的なかわいがられ方をされていて、必要以上に手厚くお世話されていたこともあって、クラスでの存在はお客さん的、もうちょっといい表現をすればマスコット的な存在だったと思います。私はこの状態を続けていたら、自己選択や自己決定の機会や自発的な行動を起こす機会を逸失しがちで、精神的な自立が阻害されるのではないかと不安に感じていました。

学校とのやりとりは連絡帳では十分でなかったので、担当の補助教員の先生に毎日のように放課後家に来ていただいて、学校の様子を報告してもらったり、家での様子を伝えたり、今後の対応策を協議したりということをしていました。それでも私は満足できず、学校での様子をより客観的に伝えてもらうために、どのタイミングでどのような行動をどの程度の頻度で行ったのか記録するためのブランクフォームを作ってお渡ししたりもしました。その補助教員の先生は短大の新卒で遠慮があるためか、連絡帳にはポジティブかつ主観的な印象しか書いてくださらないように感じたからです。なるべく客観的なデータを集めて評価したい。そう思ってやや無理を言ってお願いしました。

するとベロは授業中ずっと補助教員の先生に抱っこしている状態だったりと、授業に不相応な行動を頻発していることがわかりました。授業の内容や意味なんてまったくわからないのだから致し方ないことなのですけれど。そして、やはりクラス全体での授業ではベロにとって厳しすぎて辛いだろうということになり、一日のうち2時間程度だったでしょうか、別の教室で個別授業を受けさせてもらうことになりました。通級と言えば格好いいのですが、校長先生の配慮でベロ一人だけのために緊急に行った個人レッスンです。ベロに授業をしてくださったのは、担当の補助教員の先生のほかに、過去に暴力問題を起こして担任を外され他の親からは後ろ指を差されているような先生だったのですがとても丁寧に教えて下さいました(ただし、使用する教材は毎日すべて妻が用意しましたが)。ベロもその先生のことは良い思い出になっている様子で今でもよくその先生の名前を楽しそうに口にします。

そんな感じでなんとかやりくりしていたのですが、その年の秋になる頃には、妻も「養護学校の方がベターなんじゃないか」という考えに傾いたのでした。やはり個別にきめ細かく対応してくれることは魅力ですし、自閉症児教育の専門性にも過大な期待はできないとはいえ*2、現状よりはマシだろうと思いました。こうして翌年の2年生から養護学校に転校することにしたのです。

養護学校に転校してからも、その現状に幻滅することが少なくなかったわけですが、よりのびのびとマイペースで平穏に過ごすことができたことは間違いないと思います。一方で、たった小学一年生の1年間だけのお付き合いだったのにかかわらず、ベロを今でも陰で応援して見守ってくださったり、もしくはそこまで積極的でなくてもベロがこの地域に存在することを知ってくださっている地元の同世代の子どもたちや親御さんがいるということは、ベロや特に妻にとって財産になっていることは事実だと思います。だから通常学級に通ったこともあながち悪いことばかりではなかったなと感じています。ひとつの体験談にすぎませんし、運に恵まれたケースだとも思います。また、評価にバイアスがかかっているかもしれません。したがって他人に同じことをせよとオススメしたりはしませんが、私自身はそう感じているのです。

なお、特別支援学校も高等部になると義務教育ではありませんから、中学校まで通常学級に在籍した重度の子なども、さすがにそこで合流するのが通常のコースなのですが、みんなそれなりにちゃんと育ってるなという印象です。おそらく本人も親御さんも養護学校であればしないですんだかもしれないような、たいへんなご苦労をされてきたとは思いますけどね*3。一方で知的障害も軽度なら通常学級で問題なくやれるだろうというのは、これもどうやら楽観的すぎるようで、小中学校で親子ともども深刻な劣等感、屈辱感を味わってきて、特別支援学校の高等部に進学してようやく水を得た魚のようにのびのびとハッピーに学園生活を送るようになったというケースも決して少なくないようです*4

で、言いたいことがいつものとおり(笑)ぼやけてしまいましたが、今感じていることを申し上げると、私は総論としてインクルーシブ教育に共感します。しかしこれはあくまでも総論であり原則論がそうあるべきということであって、障害児個人を実際に学校へ入学させる際には総論を参考にしつつも最終的には個人ごとにケースバイケースで判断する必要があると考えています。このことは障害者権利条約*5の趣旨に外れたものではないのではないでしょうか*6。したがってインクルーシブ教育と特別支援教育を単純な対義語として捉える必要はないのではないか、そして、通常学級か特別支援学級か、そんなこと全体論で議論しても不毛な議論になりがちではないかと感じています。どちらにもメリデメはあるし、個々人によって違いが小さくないでしょう。データを蓄積して分析すれば、ある項目について全体的な傾向のようなことは言えるのかもしれませんが、あくまでも最終的な判断は「個別」、当事者である個々の子どもを中心にどちらがベターか判断するのがいいのかなと思います。

一方、やや違和感を感じてしまうのは全体で画一的に論じるやり方です。例えば「障害者差別は健常者側の障害者への無理解によるものだから、障害者差別をなくすために障害児は通常学級に入れるべきだ」などといった主張。この主張はある側面においては正論だと言えるのではないかと思いますが、私は何の覚悟もない我が子を自分の理想とする社会を実現するために生贄に差し出すようなことはしたくありません。ここで「生贄に差し出す」というのは、「子ども本人の利害を考慮せずに社会の利益を考えて子どもをリスクに曝す行為」という意味合いです。自分の信念のために自分の人生を賭けるのは自由だと思いますが、我が子とは言え自分とは独立した人間です。もちろん自分の社会的信念と我が子の利害が一致するのなら、それに越したことはないのですが、もし利益が相反するならば我が子の教育という範疇においてはなるべく我が子の利益を優先してあげたいと思います*7。同じように重度の知的障害児は特別支援学校に入れるべきだというのも画一的すぎるかもしれません。傾向として述べる場合には正論になりうる話だと思いますが、個別の子どもについて論じる際には乱暴で建設的でない議論になりがちではないかと思います。あくまで個別にその子のリスクとベネフィットを考えて判断して欲しい、というのが理想です。

では、誰がその判断をするのか。ここも重要なポイントになりますよね。親が子どもの利害を常に代表するわけではないことは、私も自戒を込めつつ常々申し上げているとおりです。しかし、学校の先生や教育委員会も子ども個人の利害を一番に考えてくれるという保障はまったくありません。学校の先生にも教育委員会にもそれぞれの立ち位置があります。全体の利益と個人の利益のバランスを取る必要があるでしょう。どちらかというと前者に重点をおくインセンティブがあります。このため中立的で専門的な立場にある第三者に仲介に入ってもらうというのがベターな感じがしますが、少なくとも現状は実務的ではないでしょう。したがってやはり親が子どものことをよく知っている療育のセラピストや主治医などの助言を得ながら教育委員会と意見をすりあわせていくというのが、現実的によりマシな選択肢なのかなあと思う次第です。

「なんだ。結局お前の言っていることは現状の追認に過ぎないじゃないか」と思われた方もおそらくいらっしゃるかと思いますが、原則ないし総論をインクルーシブ教育に変えるだけでも大変な違いがあるのではないかと私は思います。いかがでしょう。

*1http://d.hatena.ne.jp/bem21st/20090729/p1

*2:当時は養護学校の先生ですら「私は自閉症のことは専門外です」と公然と言ったりすることもある時代でした。現在は少なくともそんなこと言える雰囲気はありませんが。

*3:生存バイアスなどがかかっている可能性もありますので「それなりにちゃんと」というのは私の個人的な印象です。苦労が多いと予想される分、順調にいかないリスクが大きい可能性も考えられます。

*4:こちらも高等部で特別支援学校を選んだケースしか私の耳に入りにくいという逆の生存バイアスがあることは否定しません。

*5http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_32b.html

*6:そういう点で一部の障害者団体などと私の考えは異なると思います。

*7:別の範疇であれば親の利益を優先することもありうると思います。

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