備忘録と感想、その他。
2011-06-18
■[book]春宵十話/岡 潔
春のうちに、夏が来る前に、読み終えようと思いながらもう6月。
春でも夏でもない季節の永さよ。曖昧に始まったり終わったりするものの境目を愛でるのは楽し。
- 作者: 岡潔
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/10/12
- メディア: 文庫
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「擬音」という言葉がある。
芭蕉一門の句に「春風や麦の中行く水の音」というのがある。だれでもこの句で広々とした早春の景色が目に浮かぶと思うが、使ってある字はひょうびょうとした春風とかくれて見えない水の音ばかりで、色や形のあるものは出ておらず、意味というほどのものもない。それでいて春の野の風景をありありと連想させる。芸術というのはこういうものではないか。芭蕉はこの句を「景色第一なり」といって名人でも容易に詠めるものではないとほめ、これを発句に見たてて「かげろういさむ花のいとぐち」とわきを添えている。本当の芸術は決して擬音ではないのである。
音楽のこと
だれかが批評して、ゲーテを黒光りする磨いた机にたとえれば「風と共に去りぬ」は張り光沢だとうまいことをいったが、この「敦煌」も張り光沢のように正面からぴっ、ぴっとはねるのが目立っている。しかも「風と共に去りぬ」のように単におもしろいというのではなく、テンポは早いがそれでいてちゃんと詩情がある。たしかに井上靖の文学は擬音ではない。少々ほめておいてもよいと思う。
好きな芸術家
はじめこの言葉が出てきたときはポカンとしてしまったのだけど、反芻して、想像力を働かせて、いくつかの文脈を解くうちに、少しずつこういうことかなぁと目処がついてくる。
もうすでに知っている言葉にあたらしい解釈を加えるのは、何だか大人になったような、いいもんだねぇ。
…あんまり書かなくなってしまったのは、気持ちを言葉で正確になぞるのが難しいからだよ!でもそれはきっと、一過性のものではない気持ちを、ちゃんと記したいってことなのかも。それこそ擬音ではなく。そうなのかもな。


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