さみしさの周波数 (角川スニーカー文庫)

さみしさの周波数 (角川スニーカー文庫)

「お前ら、いつか結婚するぜ」そんな未来を予言されたのは小学生のころ。それきり僕は彼女と眼を合わせることができなくなった。しかし、やりたいことが見つからず、高校を出ても迷走するばかりの僕にとって、彼女を思う時間だけが灯火になった…“未来予報”。ちょっとした金を盗むため、旅館の壁に穴を開けて手を入れた男は、とんでもないものを掴んでしまう“手を握る泥棒の物語”。他2篇を収録した、短編の名手・乙一の傑作集。


静謐な作品。想うだけの関係、息を殺す応酬、暗いトンネルの中、触感のみ残された世界。元々、乙一作品は静かな世界が多いけれど、今回はその静寂がより研ぎ澄まされていたように思う。特に「失はれた物語」ではそれが顕著で、一面を闇に囲まれ光も音もない世界を創出してから豊かな色彩や微妙な心情を描く事に成功している。作家・人間として大人に成長したなぁ、と乙一さんの保護者気取り。作者も作品も大人の階段昇ったからか所謂ライトノベルのレーベルからの出版は現在のところ本書で最後。作家・乙一の新たな一歩である(歩みは鈍い)。
私は乙一作品の死者への思慕が好きだ。この世に生きる者が既にこの世から消え去った者を強く想い続け、それが心の支えに成り得る関係。それは生きる者としては後ろ向きな思考ではあるけれど、乙一さんはそれを優しく切なく描く。作品内で登場人物が気付くように読者も「生きている」事を感じる、考える。死者への思慕が生きる力にも変わる。これは乙一流ネガティヴな人生応援方法?
ただ作者も「あとがき」で述べているように、「設定のしばり」に縛られたためか発想的に奇抜な作品は少ないかな。今回は「あとがき」より「著者略歴」が好き。

  • 「未来予報 あした、晴れればいい。」…あらすじ参照。緩やかに穏やかに流れる時間、ただそれは主人公には空虚でしかなかった…。2人の関係は言霊による呪縛とも救済とも取れる。プラトニックという言葉よりも精神的でかすかな関係性。行動の選択が未来を変える。自分の過去にあった選択肢/未来にあるだろう選択肢の数々に思いを馳せた。未来予報という言葉の不確定さが好き。
  • 手を握る泥棒の物語」…あらすじ参照。本編で唯一「死」の気配のない作品。全体的な雰囲気がアニメや漫画っぽいけれど、それも含め好きな作品。「手」の正体は露見しやすいが伏線の張り方が上手い。にしても金策に窮して親戚縁者の金に手をつけようというのは危ない発想だ。この主人公、諦観をしていると見せかけて実は執念深い。今後、お金に困ったら泥棒以上の悪事をやりそうで怖い。
  • 「フィルムの中の少女」…映画フィルムの中で背中を向いて映っていたはずの少女。だが映画を見る度に彼女はコチラを振り返っているように見え…。前編と続けて映画関連。乙一さんの興味の表れか。冒頭はホラー終盤はミステリ。主人公一人の会話文だけで物語を成立させた挑戦的作品。犯人のミスリーディングが何重にも仕掛けられている。ただ読了してもあまり救われた感じはない。
  • 「失はれた物語」…交通事故に遭い右腕の肘から先の感覚しかなくなった夫と家族との物語…。思考は出来るが、質問への賛否の意思表示以外は受信機に等しい存在という設定が恐ろしいほど秀逸。文字よりも雄弁な妻の指先の感触。そこから妻の苦悩を察知した夫が取った妻のための行動には敬服。事故後、再び妻と心が通ってしまったからこそ取れる行動。それは間違いなく愛でしかない。

さみしさの周波数さみしさのしゅうはすう   読了日:2008年08月27日