お茶を飲みながら窓の外を眺めれば、そこに全裸のおっちゃん。お〜い、おっちゃん!!

晴れた日は、お隣さんと。 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

晴れた日は、お隣さんと。 (MF文庫ダ・ヴィンチ)

社会人一年目、新生活に胸を膨らませる菜美が、新居の窓から目にしたのは、なんと全裸の男だった!子供たち相手に塾を営む元大学教授の増渕は、ちょっと変わったお隣さん。のんびりとした人柄の反面、無邪気で奇抜な行動に驚かされてばかり。家族とは別居、大学を辞めた経緯も不明と、謎も多い増渕だが、どうやら過去に秘密があるらしく…。


雑誌連載時のタイトル『茶飲み日和』が本書の雰囲気を良く表していると思う。全部で八話ある物語が終わる度に、ホッと一息ついた後のような胸の温かさが生まれるからだ。実際、本書の中でも何回も登場人物たちがお茶を飲むシーンが見られた。個人的な問題にぶつかった時はお隣さんに相談ついでにお茶を飲み、解決の報告の安堵と共にお茶を飲み、皆で観光しがてらお茶を飲み、気になるあの人との集合場所はいつもの喫茶店だ。なぜ書籍化時に改題したのかと思う反面、『茶飲み日和』は24歳の女性が主人公にしては枯れ過ぎていると、主人公・菜美の身を思えば、順当な改題だったのではないか。ご近所小説の性質が前面に出ることになったのだから。
あらすじは↑の通り。塾を営む増渕との衝撃的な対面を経て、菜美のこの田舎町に上手く馴染み、交友範囲を広げていく。本書では一部を除いて本当に些細な出来事が起こるだけである。増渕の元・教え子の気になる異性や、恋のライバルが出現したり、慣れぬ職場にアタフタしたり、と実在の菜美という人物が書いた日々のブログを小説化したのではないかというぐらいどこにでもある内容だ。しかしだからこそ菜美の小さな恋の始まりを応援したり、問題を解決し、少しずつ成長していく姿が嬉しく思われる。人並みの菜美ちゃんと覚えましょう。誰かが誰かに少しずつ迷惑をかけて、少しずつおせっかいを焼いて、そうやって少しずつ毎日は進んでいくのだ。
ただ、どの登場人物もあまりにも自己主張をしないので、物語に余白を感じるのも確かだった。登場人物たちに良い人という以外の個性が欲しかったところ。特に「お隣さん」役の増渕には深みを出してほしかった。彼も控えめな人物で、自分に降りかかる火の粉でさえ振り払わない。けれどもう少しだけ彼の知性が光っても良かったのではないか。鍵の紛失事件や自らの過去の清算では、彼なりの、ミステリにおける探偵のような妙案や解決策を提示して欲しかった。塾での先生役以外では「無邪気で奇抜」という設定を忘れ、人の良いおじさんに終始してしまって残念だ。
更には増渕に関わる大きな事件が一段落してからというもの、これまで以上に存在感が薄くなってしまった。小説としての着地点を求めて大きく進路変更したなぁ、という唐突な感じを受けた。まぁ、それは菜美の心に増渕の入る余地なんてなくなったという証左でもあるのだろうが(笑) しかし2人の距離感の取り方は本書の雰囲気にはマッチしているものの、中学生同士の恋愛のようでジレったかった。クライマックスの急展開は、少女漫画で、彼のアレの決断の理由なんて牽強付会もいい所だ。日本でいいだろ!と強くツッコんだ。まぁ作品を象徴するかのようなウブな2人の出した結論だからこそ、その後に波乱は無いだろう、と安心できるけど。でも菜美は、決して悪い子では無いんですが、少々ぶりっ子(笑)が過ぎるのではないか、特に同性からの反発を食うのではと悪い子の私は思いましたよ…。
(ネタバレ感想:反転→)増渕の妻は佐枝子かと一瞬思ったけど違ったなぁ。本書の牧歌的な雰囲気の中で佐枝子だけが強烈な人格(性格がキツい)で、もし妻という設定なのだったら、歳の離れた夫に近づく若い女性に対する嫉妬心から冷淡な態度を取る、のだと思ったのだが。前述の通り菜美も菜美で神経に障る人格と思ってしまった私は、佐枝子だけ悪目立ちしていて彼女に同情してしまう。(←)
余談:菜美は何かといってはシャワーを浴びている。化粧しなさそうだよね。

晴れた日は、お隣さんと。はれたひは、おとなりさんと。   読了日:2013年04月07日