国立文楽劇場 初春文楽公演 第2部

初春文楽公演
【第2部】 ※14日から午前11時開演となります。
団子売 だんごうり
ひらかな盛衰記 ひらがなせいすいき
 松右衛門内の段
 逆櫓の段
本朝廿四孝 ほんちょうにじゅうしこう
 十種香の段
 奥庭狐火の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2012/1803.html

団子売(だんごうり)

最初は、杵造のゆったりとした踊りで、後半は、おかめの面をしたと見立てたおふくちゃんの首に変わったお臼の軽快な踊り。

パンフレットの「知識の泉」によれば、お正月に演じられる場合は、書割の絵の町家の門前に門松が出るそう。確かに、浮世絵等で見るような、藁で編まれた土台とそこから延びる数本の小松という、今とは違う姿の門松が描かれていた。


ひらかな盛衰記 ひらがなせいすいき 松右衛門内の段

多分初めて松右衛門内の段と逆艪の段を観た。孫思いの心優しい権四郎が心に残った。

冒頭、およしの前の連れ合いの三年目の祥月命日で、近所の人々が集まる。その席で槌松が順礼から帰ったら別人のようになってしまったと言われた権四郎は、実際、別人の子供なのだというと、その訳を話す。槌松と取り違いになってしまった子を槌松と名付け可愛がり、またそうすることにより、槌松も入れ替わった先で可愛がってもらっているよう祈る切ない気持ちを吐露する権四郎は、寄ってきた子供を抱きかかえるが、何気ないそのの仕草に愛情がこもっている。

また、槌松と取り違えたお筆が松右衛門の家に現れた時も、槌松が後から来るのではないかと、居ても立ってもいられず、娘のおよしと入れ替わり立ち替わり、いそいそとせわしなく門口に立っては槻松が現れるのを、今や遅しと待つ様子は、その後の悲劇を思うと、いたたまれない。

ところが一転、槌松の父の三年の祥月命日というその日に、お筆から取り違えた本物槌松が取り違えたその時に殺されてしまったという次第を聞かされる。最初はあまりのことに涙にむせぶばかりの権四郎だったが、お筆の「祖父様の仰るとおほり、いかほどお嘆きなされたとて、槌松様のお帰りなさるといふではなし。ふたゝび逢はるゝといふでもなし、さっぱりと思召し諦めて、此方の若君をお戻しなさって下さったら」云々という詞に怒りを爆発させる。
権四郎は、取り替えた子を自分達が大事にすれば先方も槌松を大事にしてくれるはずと思い、いたわって育てて来たのに、とお筆をなじる。そして、襖の柱に貼った大津絵をお筆に見せる。三井寺詣での途中で槌松が無理を言って買った大津絵を見せる。鬼にすがりついて念仏する餓鬼と長頭の福禄寿の月代を梯子をかけて剃るの絵で、どちらも槌松が喜んだものだ。鬼のように達者で長者となり人に餓鬼のようにかしづかれ、福禄寿のように長寿を全うするという瑞相と思っていたのに、そうではなかったのだ。お能の「三井寺」は、さらわれた子供と物狂いになって子探しの旅に出た母が、三井寺で再会を果たす物語なのに、権四郎は子と巡り会うことが叶わなかったのだ。

修羅場となったところに松右衛門が若君を肩に担いで現れる。その若君を切り刻んでお筆に渡してくれという権四郎に、松右衛門は、しかたなく、この若君が源義仲公の若君駒若君であり、自分は義仲公の四天王と呼ばれた樋口兄弟の兄である樋口次郎兼光であると明かす。樋口は、何の科も無く、むざむざと最期を遂げた義仲公の仇を取るために、逆魯の伝授を受けようと身をやつして入り婿したのだ。そして、今日、お筆の話を聞き、樋口は義理の親子となった権四郎の孫こそが、はからずしも駒若殿の身代わりになって亡くなったことを知る。これは、武士の子の槌松が駒若殿への忠義を果たしたということであり、権四郎の嘆きも槌松の不憫さも我が身に迫るものだが、武士にとっては願っても叶わない名誉の死なのだと語る。そして、権四郎の名を揚げた槌松を義理の子にしてくれた権四郎の厚恩の深さは言わずもがなだが、それに勝る恩を受けた主君の若君を助けさせてほしい、親子となり夫婦となった縁につながる定まり事として諦め、若君の先途を見届け、自分の武士道を立たせてほしいと懇願する。

話を聞いていた権四郎は、孫が武士の子で、駒若君が主君ということは、自分の主君でもあると思いなし、了解する。そして武士の親らしく槌松のことを未練がましく嘆くのをやめ、唯一の形見の笈摺も、とっとと捨ててしまえと言う。槌松の死は、武士の忠義という文脈においてはじめて意味も名誉もあるものであって、権四郎は、孫の為にも侍の親として振る舞うことこそが、槌松の死を無駄にしないことなのだと考えたのだと思う。しかし、侍の親が逆縁となった子を回向をしても誰も未練とは思わないと言われ、改めて本当はそうしたかったのだと心の内を明かし、親子で回向をするのだった。


逆魯の段

義経の船の漕ぎ手達三人が逆魯の練習をしに松右衛門の家に迎えに来る。松右衛門はせかされて、三人と共に渡海船に乗って沖へ漕ぎ出す。沖にでると、松右衛門は、逆魯の講釈をする。樋口兼光って元々木曽の山国の人なのに、船乗りが生業の人達にえらそうに講釈していぶかしがられないのだろうかと思ってしまう。しかし実は、この三人はすでに松右衛門が樋口兼光だということを知っていて襲いかかる。三人を退治した樋口は家の門の松に上ると、松右衛門は搦め捕らようと数百人の軍勢がこちらに向かっているのが見える。権四郎とおよしに大声で伝えようとするが、その時、権四郎は家の納戸を壊しててどこかに行ってしまったことを知る。樋口は、権四郎が、財宝をむさぼって訴人するかつての気質を出したかと無念に思う。しかし、本当は違った。松右衛門が実は樋口兼光だということは、既に義経方に知れており、権四郎は、畠山重忠に家の子供は松右衛門の子ではないので、命を助けて欲しいと訴人しに行ったのだ。そして情を知る重忠は、おそらく槻松が実は駒若君だと分かった上で、権四郎の駒若君を助けようとする言い分をそのまま聞いたのだろう。最後、重忠は、駒若君を松右衛門に引き会わせて最後の別れをさせるのだった。


興味深く思うのは、松右衛門内の段と逆艪の段で大きな役割を果たす権四郎の生業が船頭だということだ。昔の物語を読むと、船乗りや渡し守といった人達は主役になることはおろか、船の上や渡し場以外の場の姿を描かれることは無く、多くの場合、荒っぽい気質の持ち主として描かれる。『ひらかな盛衰記』の6年後に書かれた『夏祭浪花鑑』の三婦は釣船の船頭で、8年後に書かれた『義経千本桜』「すしやの段」の弥左衛門は、元は海賊船の船頭で今は鮓屋の主人という身の上だが、三婦は今でこそ喧嘩を封じるために数珠を耳にかけているが任侠の世界に生きる人であるし、弥左衛門の人生には海賊としての過去が尾を引いていて、それぞれ、古い物語の中での「船頭」という人々の類型を保っている。一方、『ひらかな盛衰記』の権四郎は、船頭というよりも、実直で孫思いの祖父としての側面が強い。私自身は、そこがとても感動的だと思って観ていた。

けれども、逆艪で、権四郎が納戸をやぶって出て行ったのを、松右衛門は権四郎が自分を見捨てて梶原に訴人しに行ったと推量し、「財宝をむさぼって訴人するかねての気質ではなけれども、槌松が仇を忘れかね、それで失せたか」と言ったりしたことを考えると、もっと権四郎の船頭としての側面も見るべきだったのかも。本来は、そういう荒っぽい気質の船頭が、孫のことをひとしお可愛がっていたことが、余計に悲劇を際立たせるという構図だったのかもしれない。


本朝廿四孝 十種香

あどけなさを残しながらも、恋に身を焦がす可憐な八重垣姫だった。

この物語の大序では、諏訪法性の兜を武田家が上杉家から借り受けたままであることが両家の遺恨の原因という話が出てくる。そして、足利義晴公の北の方である手弱女御前が、両家の遺恨を解くために、勝頼と八重垣姫の仲人を買って出る。ストーリーは紆余曲折を経て、十種香の段と奥庭狐火の段は、再度大序で出てきた諏訪法性の兜と勝頼と八重垣姫の縁談の二つの話に戻ってくる。

簑助師匠の遣う八重垣姫は、恥ずかしさにぱっと袖で顔を隠す姿や勝頼にしなだれかかる姿など、ちょっと大げさで不自然でさえあるのに、逆にまるで生きているように見え、さらにその不自然な所作そのものが、人形の真摯な心情をにじませているように感じる。パンフレットの梨木香歩さんのエッセイの中に、人形の吉徳の小林すみ江さんの書いた『人形歳時記』という本ことが紹介されていた。その中に、戦前、お父様の十世山田徳兵衛氏が吉田栄三師から聞いた話として、人形の所作は、「振り向いたり顎を襟に埋めて思いにふける時の振りは、人間の肉体の限界よりほんのすこしだけ余計に首を曲げることが芸のコツ」ということが書いてあるという。この芸談は、まさに簑助師匠の人形の遣い方に通じると思う。しかし、一方で文雀師匠の遣い方に象徴されるように、お能シテ方の所作の如く、最小限の動きやシルエットの中に、言葉では語りきれない複雑な情感をを秘めたような人形の遣い方もあると思う。

嶋師匠の語りも本当に可憐。金地に花丸文の散らされた屋体の中で繰り広げられているこの物語は、自分に引き寄せて共感するというよりは、文楽の時代物の最も純粋で可憐なエッセンスを取り出して観せているような感じ。

奥庭狐火の段

勘十郎さんの八重垣姫は、ケレンの効いた狐バージョンで、八重垣姫の出の前に勘十郎さんの遣う諏訪明神の使わしめの白狐が出てくるほかに、人形遣いの衣装の早替わりや仲間の白い野干(?)なども出てくる。以前、文雀師匠で観た八重垣姫は、早変わりで文雀師匠が狐を遣われることはなかった。多分、勘十郎さんの八重垣姫の演出の方が曲の長さも長かった気がする。どちらが先に出来た演出なのだろう?

最後は華々しく終わってすっきりした気分でなんば駅の地下街を歩いていた。そしたら、白いフェレットをリードでつないだおじさんがこちら側に歩いてきた。そのおじさんが、フェレットに向かっておもむろに「止まれ!」というとフェレットは止まり、おじさんが「ほな行こか?」というとフェレットは歩き出し、あっけに取られている周囲の人々を置き去りにして、おじさんとフェレットは一緒に去って行ってしまった。

ああ、あの奥庭の段の白狐達は想像上の産物かと思ってたけど、あのフェレットを見たら、あのくらいの群舞、フェレットより賢そうな狐なら余裕で出来る気がしてきた。