第3回観世会能楽講座 「山姥」

日時: 2013/4/23(火) 開演18:30
場所: 観世能楽堂
講師: 二十六世観世宗家・観世清和
     神戸女学院名誉教授・内田樹
     東京大学教授・松岡心平氏

今回は、「山姥」がテーマでした。

印象的だったのは、「花」と「風姿」のお話、お能での拍手についてのお話、杖のお話、翁と山姥の話など。

まず、私が到着した時は、多分、「山姥」が世阿弥の作と考えられるからだと思うけど、お家元は、「世阿弥は天才的アーティストというよりは、職人だった」ということをお話されている最中だった。世阿弥の詞章といえば、様々な仏教や歌などの知識をコラージュ的に編み上げて、天才的なセンスで、素晴らしい詞章を創ることに特徴がある。世阿弥は、様々な知識をインプットし、将軍の意向等、その場その場のTPOに合わせて、最善のアウトプットとしたということなのだそう。そして、「山姥」の詞章の中に出てくる、樵夫の荷物に肩を貸し、山を下りて里まで送ったり、はた織りを手伝ったりするという山姥の姿は、まさに気遣いの人、世阿弥そのものだという話だった。

そのような話の中で「風姿花伝」という伝書の書名にある「花」と「風姿」という言葉が出てきた。「風姿」というのは、蜃気楼のことなのだとか。足利義満は「花の御所(室町第)」を作ったりして、「花」=絢爛豪華な文化的装置を他の大名を平和的に支配することに使った。しかし、世阿弥は、「風姿」=目に見えないものこそ「花」、という考えを以って、能楽を高めて行こうとしたとか。この件については、松岡先生の花の戦略という論文に詳しいそう(別冊太陽『世阿弥』「世阿弥が生きた時代 足利義満の「花」の戦略」のこと?)。

それから、途中にワークショップということで、お家元が、お仕舞で「山姥」の「雪月花之舞」の小書、を「よしあしびきの山姥が よしあしびきの山姥が 山巡りするぞ苦しき」から、<クリ><サシ><クセ>から<立廻リ>を経てキリまでを演じられた。

これはとっても素晴らしく、万雷の拍手鳴り止まずという状況だったのだが、舞い終わったお家元が、拍手に関して「拍手が無いと、機械かコンピュータに向かって演ってるみたいなんですよね!」と、拍手による反応がないと演り甲斐が無い、と強く主張されていたのが面白かった。お能での拍手に関しては、実際にプロの能楽師の方が「能楽では拍手はしないほうがよい」と書いてらっしゃるものを何度か見かけたことがあるけど、お家元は拍手があったほうが良いそうだ。そして、他の能楽堂の拍手についての話も出てきて面白かった。

例えば、国立能楽堂の「拍手三段論法(!)」とか。多分、シテが幕入りしてパラパラ、ワキが幕入りしてパラパラ、囃子方が幕入りしてパチパチ…のことを指しているんだと思う。しかし、松岡先生もおっしゃっていたけれども、あれは見所で聞いている分にはどうも四段になっているのだ。シテでパラパラ、ワキでパラパラ、囃子方でパラパラ、最後にパチパチという具合。時たま、作り物を片付ける後見にも拍手する奇特な人が居たりすると、五段構えになったりする。とはいえ、見所で耳を澄ますしていると、拍手に寄せた無言のメッセージーーシテでパラパラ、ワキでパラパラ、囃子方でパラパラやるのは素人のやることじゃ。本当は囃子方が幕に入るというところで、1回だけパチパチするのが、国立能楽堂のお作法なのじゃ!ーーという声にならない声が聞こえてくるのだ。確かに「拍手三段論法」はどうかと思う。しびれるような大変感動的な演能の後に、三段論法の気の抜けたパラパラをやられて、その演能の余韻がぶち壊しになった例を何度か目撃したこともある。でも、最後に一回だけパチパチというのも、何となく、タイミング的にどうなんだろうと思う時がある。悲劇的な曲とか重い習い物とかは、橋掛リを帰るスピードがゆっくりなので、シテが幕入りしてから囃子方が幕入りするまで、すごく時間がかかる時がある。すると囃子方が幕入りする時に拍手しても、もうシテ方も面を取って撤収モードに入ってたりしないかしらんと思ったりする。そもそも、拍手というのは日本には無かった文化だけど、お家元が昔の観世能楽堂を知る人に聞いた話によると、良い演能の時は、「良い」「良い」という掛け声がかかったのだそう。面白い。

ちなみに、お家元が見所の反応が素晴らしいと思ったのは、大阪の能楽堂だったそう(大槻能楽堂あたりでしょうか)。大阪で「弱法師」をやった時に、シテの弱法師が出てくると、見所のところどころから謡を唱和する声が聞こえてくるのだとか。それに天王寺の下りでは、天王寺信仰なのか、涙を流す人もいるという。「弱法師」というのは、大阪という土地のお能なのだなあと感じたとおっしゃっていた。そういうのは少しうらやましい。東京で「隅田川」をやって、シテの一声の「実にや人の親の心は闇にあらねども。子を思ふ道に迷ふとは」を見所で謡う人がちらほらということは、多分無いだろう。

それから、杖のお話。「山姥」の小書「雪月花之舞」では、「山巡りするぞ苦しき」の後、扇を杖(自然木)に変えて舞うのだそう。その際、小書無しの場合の扇の扱いとは少し異なるそう。たとえば、「下化衆生を表して金輪際に及べり」のところで扇で下降する放物線を描くところは、杖ではやらないなど。

そこで、内田先生が、「杖を突くという行為は、文化人類学的に言えば、三番叟の反閇(へんばい)」などと同様、大地を祝福するという意味があるのだとか。だから山姥が杖を突きながら山巡りをするというのは、山を祝福して回っているということにも通じるのだという。それで、山姥は翁に似ているということを内田先生がおっしゃったところ、お家元と松岡先生が、江戸時代には「翁」の後に「高砂」をつなげて演じるのと同じように、「翁」の後に続けて「山姥」を演じる「翁付山姥」というのがあったのだそう。そして、その時は、「翁」と「山姥」の間に、演目を紹介する口上が入ったのだとか(確か)。お能に「口上」が入ったものは観たことがなかったので、非常に興味深い話。


というわけで、「山姥」に関するお話は少なかったけど、それ以外に興味深い話が多く、楽しい講座でした。次は9月。「遊行柳」がテーマとか。楽しみ。