国立劇場 文楽5月公演 第一部

今回は新呂太夫の襲名公演でした。4月の大阪の文楽劇場にも行ったので、私にとっては二回目の拝見となりました。


第一部

柱立寿万歳


ふと床を見れば、清馗さんがシンでびっくり。本公演で景事のシンを勤められているのは初めてではないでしょうか。去年、若手会でシンをやっていたときは冒頭、ちょっと大変そうに見えたけど、この日はそつなくこなされていました。これからどんどんシンの経験を積まれていくのでしょう。楽しみです。


菅原伝授手習鑑

茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段


襲名披露狂言前の段。白太夫の七十の賀の場面。この段も今回上演されるのは、襲名される新呂太夫さんが70才だからということでしょうか。せっかくのお祝いに悲劇なのがなんですけど、文楽は圧倒的に悲劇の方が多いから、あんまり気にしないのかも。


茶筅酒の段の冒頭は白太夫自身によって、管丞相の勧めにより七十の賀を祝うことになったことが語られます。白太夫下屋敷の庭の掃除人。貴族の家の庭守はお能の「恋重荷」にも出てくる。こういった身分の人達は元服して月代を作らず、大きくなっても子供のような髷をしていたといいます。息子達が車曳きもそういう「大童」と呼ばれる部類の人達の仕事なのでした。


しばらくすると三人兄弟のお嫁さんが次々と訪問し、和やかにお料理を始めます。千代(勘十郎さん)の手慣れた大根千切りと八重(簑二郎さん)の薪割りのような大根切りの対比が面白い。三人のお嫁さんの名前は、それぞれ梅、松、桜の(和歌でいう)縁語になっている。


その後の展開は時代物の三大傑作の一つと言われるだけあって、非常に緻密に仕組まれています。名作です。

喧嘩場では松王丸(玉男さん)と梅王丸(幸助さん)の喧嘩が見物。力と力のぶつかり合い。改めて気づいたのは、桜の木にぶつかって折ってしまうのは松王丸だったということ。桜の木が折れるのは桜丸の切腹が避けられない予兆だと白太夫はとらえたが、その陰で松王にとっても悲劇の予兆でもあったのだ。


太夫の玉也さんは、すごく合っていると思う。白太夫の首はいかにも好々爺だけど、玉也さんの白太夫は、厳しさも合わせ持つ。七十の賀が台無しになった場面でも、梅王や松王を叱り飛ばし、その圧倒的な厳しさで、彼らに口答えさせない。特に訴訟の段では、靖さんの語りと錦糸師匠の三味線も玉也さんの白太夫に合った厳しい白太夫だった。しかし、その白太夫も桜丸切腹の場面では、厳しさを全うできない。


桜丸は、簑助師匠。黒い衣装に身を包んだ桜丸の青白い顔は憔悴しきっているものの、あまりに美しく、息をのんでしまった。その切腹の場面は、『妹背山婦女庭訓』の山の段の清船の切腹の場面のよう。妹背山の山の段をやるとすれば、簑助師匠は雛鳥に決まっているけれども、もし雛鳥と清船の二人とも簑助師匠が出来るものなら、それはこの世のものとは思われない美しくはかない山の段になるだろう。


床は特に錦糸さん、藤蔵さんという素晴らしい三味線が聴けて良かった。名作は三味線が良いと、ますます物語が立体的になって映えるし、格が一層上がる気がする。特に佐太村は、藤蔵さんの三味線によりたたみかけるように高まったドラマが、桜丸の切腹の後、緊張の解放に転じ、カタルシスを感じるという義太夫の良さを感じる床でした。


襲名披露口上


幕が開くと、口上が始まります。全員紫の肩衣と袴で新呂太夫さんのテーマカラーなんでしょうか。大坂では咲師匠が新呂太夫さんの紹介をしましたが、東京では呂勢さんが進行役で、太夫を代表して津駒さんが口上を述べられました。呂勢さんの進行では、舞台上のそれぞれの皆さんの立場が説明されたので、個人的に謎がとけて、すっきりしました。津駒さんが太夫方代表で先代呂太夫の一門、三輪さん千歳さんが新呂太夫さんが師事した越路太夫一門、清治師匠が三味線方代表、藤蔵さんが新呂太夫さんの祖父の若太夫の遠い親戚(若太夫の妹さんが藤蔵さんの曾祖父の奥様だったっけ…?)、勘十郎さんが人形部代表とのことでした。
口上で語られるエピソードは、爆笑を誘うものばかり。いじられキャラの新呂太夫さんなのでした。


寺入りの段


再度幕が上がると、狂言の続きです。呂勢さんと清治さんの寺入りという襲名披露公演でなければ聴けない御馳走の配役。端場なので、残念ながら、さらさらと進んでしまう。が、最後、「かゝ様、わしも行きたい」と思わず叫んだ小太郎の叫びと小太郎を身代わりに差し出さなければならない千代の悲痛な思いの籠もった言葉、それに対する戸浪の無邪気な応答が鮮やかな対比になっていて、ぐっときてしまった。寺子屋の段の後半で千代がこの場面を回想して嘆く場面がありますが、この時、寺入りでの千代と戸浪のやりとりの場面の語りが思い起こされ、より一層、悲劇が際立つのでした。さすがです。


そして、小太郎を見て、私は稲妻に打たれたように天啓を受けた。簑太郎さん、誰かに似てる気がしてたけど、小太郎と似てるんだ…。


寺子屋の段


新呂太夫の襲名披露狂言。前が新呂太夫さんと清介さん、切が咲師匠と燕三さん。小太郎の首を玄蕃が持って行った後、千代が寺子屋に戻ってくるところで床が入れ替わる。もちろん浄瑠璃がクライマックスを迎えるのはここからで、襲名狂言と銘打たれている割には、おいしいところに行く前に新呂太夫さんの語りが終わってしまう。現在の太夫陣で寺子屋の後半を最も感動的に語れるのは咲師匠だから、普通だったらこの形はよくあるパターンですが、齢七十にもなった新呂太夫が襲名披露狂言と銘打った狂言の前半しか語らずこの狂言の核となる部分を先輩太夫に譲るというのは、どんな事情があるのだろうとつい気になってしまいます。観客にそういう疑問を持せてしまうというのは、襲名公演の企画としては、巧いやり方ではないように思います。嶋師匠の引退の時も納得がいかない感じがあったことを思い出しました。


話を狂言に戻すと、咲師匠は調子が比較的良さそうで、冒頭の緊迫した場面から、松王丸の「あの、につこりと笑ひましたか」のあたりにかけ、圧巻でした。最後は燕三さんの三味線も盛り上げ、花を添えました。