寛治師匠

蝠聚会の最後に、清介さんから、寛治師匠のお話がありました。ちょうどその日、寛治師匠が亡くなったそうです。すごく悲しい。私が最後に聴いたのは五月公演の『本朝廿四孝』の「景勝下駄の段」でした。

「景勝下駄の段」は寛治師匠と織太夫さんでした。このときの寛治師匠は、織太夫さんをリードするためだったのか、それとも織太夫さんの勢いに合わせたのか、いつもよりメリハリの効いた、生き生きとした三味線でした。普段の津駒さんとの大人の絶妙なバランスの時の三味線とはひと味違っていて、これだけ高齢になってもこんな若々しい音や撥捌きをを繰り出せる寛治師匠に感じ入りました。

そんな三味線を聴いたばかりだったので、こんなすぐに亡くなってしまうなんて、思ってもみませんでした。

私の印象が残っている寛治師匠の三味線は、『祇園祭礼信仰記』の清治師匠の「金閣寺の段」に続く寛治師匠の「爪先鼠の段」の豪華共演、寛治師匠、清治師匠、錦糸さんが次々と三味線を弾き繋いだ『伊賀越道中双六』の「沼津の段」の冒頭、はんなりと美しい『生写朝顔話』の「明石浦別れの段」、情と躍動の『鎌倉三代記』の「三浦之助母別れの段」、大人の色気の『伊勢音頭恋寝刃』の「油屋の段」や「奥庭十人斬の段」、それから寛太郎さんとの共演も楽しかった、優しくも哀しい『近頃河原達引』の「堀川猿廻しの段」、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責」、『関取千両幟』の猪川内などなど。

今後はお弟子さん達や寛太郎さんが彦六系を引き継ぎ、三味線をますます盛り立てて行っていただきたいです。

今年は始さんが亡くなり、住師匠が亡くなり、本当に寂しい。