2009 | 10 | 11 |
2010 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 12 |
2011 | 04 |
2100 | 01 |
2100-01-02
警告!
当サイトは、所属組織を隠し実名を明かしていない官僚(=webmaster)が書いたテキストを掲載しております。当サイトに掲載されているテキストは、客観性・中立性を装いつつ、明示されることなく、webmasterの所属組織あるいはwebmaster自身の利害を反映している意見・主張を含んでいる可能性があります。そうした能動的な欺瞞行為がなされていない場合であっても、掲載すべきデータを掲載しない等の方式でwebmasterの所属組織あるいはwebmaster自身の利害を反映し、客観性・中立性を意図的に欠けさせる形での不作為による欺瞞行為がなされている可能性があります。さらに、以上のようなwebmasterの意図による欺瞞行為がなされていなくても、webmasterが無意識に有するバイアスにより、客観性・中立性が損なわれている可能性があります。当サイトのテキストは以上のような危険を有することに十分留意の上、それらにお目通しいただきたく存じます。
魚
2010/12/26 07:08
この季節だと、地球温暖化問題はあまり話題に上がりませんね。マスコミは、危機感をいたずらに煽るだけ。そのための危機管理より、経済観念をもとに、世界を平和にすることが、日本のできることなら、いい事だと思います。
2100-01-01
当サイトをご覧いただくに当たって
- 当サイトは、bewaad institute@kasumigasekiのミラーサイト
ですとして発足しましたが、現時点ではこちらに暫定的に移行しております。。 - 当サイトのエントリは本サイトのテキストをそのままペイストしており、はてな記法での記述にはなっていないため、本サイトとは異なって表示される部分があります。
- 当サイトで
はもコメント・トラックバックを受け付けておりませんることといたしました。それらは本サイトにお願いいたします。 他方、本サイトは負荷のためサーバが極めて重いのですが、当サイトははてなダイアリーを使用しているためそのようなことはなく、快適に閲覧可能となっております。以上を踏まえ、本サイトと当サイトの使い分けとしては、コメント等をする場合は本サイトを、ROMで概要を押さえたい場合は当サイトを、という形でいかがでしょうか。
#以上、2008/3/26に修正。
- Segment-0 - なぜ民主主義は悪い政策を選んでしまうのか
- hidedayo日誌 - スーツな会社でギークを貫き通した男
- bookmarktest::diarytest - ....
- bookmarktest::diarytest - ....
- bookmarktest::diarytest - ....
- bookmarktest::diarytest - ....
- bookmarktest::diarytest - ....
- I 慣性という名の惰性 I - 「日銀陰謀論」を唱えたつもりはないです...
- Beyond Words - 反対運動に正しさは絶対必要
- くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記 - 公務員はすでにプロじ...
- 躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌 - いま、この国で起...
- くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記 - アマチュアでこっちの...
- 鍋象のひとりごと - 中国
- できることからコツコツと (BETA)
- できることからコツコツと (BETA)
- Halphasの日記 - 今日のメモ、1日目
- Halphasの日記 - -「国の借金=国民の将来の負担」は嘘
- himaginaryの日記 - 国の指導者と官僚
- 精一杯の○○○ - 「病院の休診日に関する法律」を提案します
- 精一杯の○○○ - 円急騰ってことで購買力平価について考えてみた
- Pour l’honneur de l’esprit humain (ysttの日記) - 経済の子守...
- 萬の季節 - うーん
- Economics Lovers Live - 森田朗『会議の政治学』
- himaginaryの日記 - カンフー・パンダとエレノア・ルーズベルト
- Economics Lovers Live - 長谷川幸洋『日本国の正体』
- himaginaryの日記 - 今晩のTBS「CBSドキュメント」でグラミン銀行の...
- kentultra1の日記 - 著作権をむやみに伸ばすべきというのが、発想...
- sayokudesugaの日記 - リフレ派(笑)
- Twitter / @branchlog
- Twitter / @ryusukematsuo
- Twitter / @M_A_Suslov
- Twitter / @shinichiroinaba
- WATERMANの外部記憶 - バグ入りコードをリリースする方法について(...
- Twitter / @hatebu_comment
- bogus-simotukareの日記 - そうだそうだ韓リフ先生をDISっとかなき...
- yehehの日記 - 組織に属する人間に言論の自由はあるか--有名ブログ...
2011-04-25
デタラメなこと言って信頼を損ねるのは本当にやめてください>高橋先生
#連載に戻るとの約束を違えて非常に申し訳なく存じます。どうしても見逃せなかったもので。
高橋先生は、世間的にはリフレ政策の主導者の一として認識されていらっしゃいますので、その信頼性は、リフレ政策のそれに直結いたします。高橋先生が専門外でどれほど誤ったことをおっしゃったとしても、世間的に「あれは専門外だからであって、ご専門については信頼できる」と認められるならば、webmasterもこんなことを申し上げる必要はありません。しかし残念ながら、世の中では、そのように分別されるとは限りません。専門外のデタラメな主張が、専門分野の信頼性を傷つけることはよくあることです。高橋先生におかれては、このような「外部性」をご認識いただき、きちんと裏をとった主張をしていただきたく。
で、具体的には何かといえば、次のとおりです。
正直いって、復興よりも増税と東電問題だけが迅速に対応されていることに違和感がある。財務省と経産省がやりたい放題だ。増税と東電問題は密接に関係していると私はみている。
東電問題で今出ている政府案は、今回の賠償に備える「原発賠償機構(仮称)」を新設し、賠償の財源は国が拠出する交付国債や金融機関からの融資で賄うというものだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2761
政府案は、東電全体を存続させる。具体的には、東電の上場は維持し、債務超過にされないとし、債券・社債はすべて毀損しないので、純資産や負債が保護され株主・債権者が負担することはない。株主は配当減少、希薄化で損失を受けるともいわれているが、100%減資でないのでたいしたことでない。
その対極として、電力事業を維持しながら東電を解体するという考え方もある。東電を更正手続きのような解体処理すれば、電力事業を継続するとして流動債権者は守るとしても、それ以外はカットされ株主や長期債権者は負担を被る。この場合、東電の電力事業は、他の電力会社や他の公益事業会社が運営するということもありえる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2761?page=2
こうした東電に甘い再建案が出てくるのは、経産官僚のやりたい放題だからだろう。本来は、国民負担を縮小すべき財務省も、増税の根拠となるのをこれ幸いとまったく放置状態のようだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2761?page=4
東京電力を倒産(会社更生手続等を適用)させれば、担保で守られた社債権より、担保のない損害賠償請求権が先にカットされます。東京電力を倒産させないのは、損害賠償請求権を保護するためです。
○佐藤ゆかり君 ちょっと違う答弁をされたようでありますけれども、電力債の取扱いについて一般担保付社債というふうに電気事業法第三十七条で規定されております。これは民法上の一般の先取特権に次ぐ高い弁済順位という理解で構いませんか。もう一度お答えください。一言でお答えください。
○副大臣(小川敏夫君) 御指摘のとおり、電気事業法三十七条によりまして、一般の先取特権、一般財産につきまして他の普通の債権よりも優先に弁済を受けるその地位にあります。
○佐藤ゆかり君 今後の東電の事業再建において、例えば最近では日本航空の再建で会社更生法が適用された直近の事例があるわけでありますが、会社更生法によりますと、一般の先取特権その他一般の優先権がある更生債権に分類されていますこの一般担保付社債は、先取特権や更生担保権に劣後する関係にある一般更生債権に分類されている損害賠償請求権よりも優位にあるという見方があるわけであります。
会社更生法上、この解釈で間違いないでしょうか。
○副大臣(小川敏夫君) 会社更生法上は、一般の更生債権よりも上位の一般の優先権がある更生債権として扱われます。
○佐藤ゆかり君 すなわち、会社更生法上の解釈によれば、東電は一般担保付社債である東電債の債権実現を保全しつつ、損害賠償の支払が生じれば更生計画において実質的に棒引きを依頼する対象となり得るのではないかと思われますが、いかがでしょうか。
○副大臣(小川敏夫君) 棒引きというのは、社債についてでございますか。
○佐藤ゆかり君 いや、損害賠償です。
○副大臣(小川敏夫君) 損害賠償の場合は、これは優先権の順位が高いものから弁済を受けますので、優先権が高い債権者において財産の全部が仮に弁済されれば一般債権者には配当がないというのが、これが一般の原則でございます。
○佐藤ゆかり君 ちょっと意味がよく伝わらなかったようなんですが、要するに、一般担保付債権である東電債と損害賠償請求権の優劣の順位について確認をさせていただいているんです。
今のお答え、先ほどのお答えでは一般担保付債権の東電債は優位にあるというふうにお答えいただいたと思いますが、それを受けて、仮に会社更生法を適用した場合に、更生計画においてこの損害賠償請求権は一般担保付社債である東電債よりも劣位にあると。したがって、会社更生計画において損害賠償請求権は、いわゆる棒引き交渉の依頼をする対象になり得るのではないかと、その点のお答えをいただきたいと思います。
○副大臣(小川敏夫君) 個々具体的には更生計画案によりますので、常にそれが同じというわけではございませんが、やはり一般債権は優先債権に劣後しておりますので、優先権の方が先に優位に弁済されると。ですから、一般論としましては、やはり劣後する一般債権は、弁済を受けない、あるいは優先する債権、計画案におきましてもやはり劣後した扱いになることがございます。
ですから、棒引きというのがちょっと何とも言えないところでありますが、会社更生法の場合には、それぞれの債権者ごとに更生計画案が出てそれを了承するということによって成立するわけでございますので、具体的な内容は更生計画案によりますが、一般論といたしましては、やはり劣後する債権は劣後するわけでございますから優先債権よりも劣ると。ですから、全額を満たすだけの財産がないとすれば、それは債権カットされる可能性が一般的には高い。それを棒引きと言うようなことであれば棒引きということになると思います。
○佐藤ゆかり君 まさにその点を確認させていただきたかったんですが、要するに、東電が損害賠償請求権に応じるだけの十分な資金がなければ、かぎ括弧付きの棒引きという対処もあり得るということになるわけだと思います。それが法的な解釈であるということが今確認できたと思います。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0105/177/17704120060007c.html(webmaster注:30日間限定の議事録(当該期間経過後は別サイトに移動します)なので、しばらくするとリンクが切れます。)
高橋先生のことですから、既存法云々は官僚の議論であって、政治家は立法するのだから必要ならば法改正すればよいとおっしゃるでしょうが、本件は憲法問題(財産権保障)です。もちろん、憲法改正発議も立法府の権能ではありますが、実際問題、フィージビリティはほぼゼロでしょう。
ハンマーしか持っていない人にはすべてが釘に見えると申しますが、本件に明らかなように、高橋先生はすべてを官僚問題に帰着させていらっしゃいます。高橋先生がリフレ論壇を代表する論者の一とみなされてなければ、官僚たるwebmasterとしてもそれを笑って傍観していればいいのですが(信頼を失っていくだけでしょうから)、リフレ政策実現を願っている身としてはそうもいきません。官僚批判するなというのではありません。官僚批判をするときはきちん裏をとっていただきたい、とこれまで何度も申し上げてきたことではありますが、再度申し上げたいと存じます。
以下4/26追記:
はてなブックマークにて、
ruletheworld 311東電核自爆テロ, 東電破たん処理, 公務員が日本を滅ぼす http://goo.gl/3tENT 2011/04/26
とのコメントがあり、そのリンク先にて、
電力債は、電気事業法によって特別の地位を与えられ、会社更生法の下でも他の一般公正債権に対して先取特権があるから、もし東電が会社更生法を適用されると、被害者への補償よりも優先されて弁済される、という議論もあるが、これは正確ではない。会社更生法は、債務調整の手続を決めているだけであり、厳格な配分ルールではない。先取特権を持つ債権でも、更生計画では公平性の観点から他の一般更正債権とまとめて一つのクラスにされる場合もしばしばである。重要なのは、公平な更生計画が裁判所の監督の下で慎重に作成されることである。この意味で、会社更生法は融通の利かないルールではなく、公平性を確保するためのプロセスなのである。
http://diamond.jp/articles/-/12041?page=2
との記述がありますので、これについて触れておきます。
会社更生法上、順位と権利については第168条第3項に規定があり、「更生計画においては、異なる種類の権利を有する者の間においては、第一項各号に掲げる種類の権利の順位を考慮して、更生計画の内容に公正かつ衡平な差を設けなければならない。この場合における権利の順位は、当該各号の順位による」とされています。同条第1項では、第2号で「一般の先取特権その他一般の優先権がある債権」が掲げられ、第3号で「前号及び次号に掲げるもの以外の更生債権」が掲げられていますので、第2号に掲げる債権、すなわち社債権と第3号に掲げる債権、すなわち損害賠償請求権との間には、「順位を考慮して・・・公正かつ衡平な差を設けなければならない」わけです。これが原則。ちなみに、この「公正かつ衡平な差」とは、もっともゆるく解したとしても、「上位の権利者よりも、下位の権利者を優遇してはならないという程度に考える」(兼子一(監修)「条解会社更生法(下)」p539(webmaster注:平成14年改正前の旧第228条についての解説))もので、つまりは解釈上、どの程度の優先かには意見の相違がありますが、順位の差がある以上は優先劣後関係が生じることでは一致しています。
では、上記ダイヤモンド誌の記事=星・カシャップ・シェーデ論考は誤りかといえば、少なくとも条文の字面においては誤りではありません。会社更生法第196条第2項においては、「裁判所は、相当と認めるときは、2以上の第168条第1項各号に掲げる種類の権利を1の権利とし、又は1の当該各号に掲げる種類の権利を2以上の権利とすることができる。ただし、更生債権、更生担保権又は株式は、それぞれ別の種類の権利としなければならない」と定められています。社債権も損害賠償請求権も更生債権であることには変わりありませんので、それらを「1の権利とする」ことは可能です。星・カシャップ・シェーデ論考でいう「一つのクラスにされる」とはそういうことです。
しかしながら、何でもかんでも「1の権利とする」ことができるわけではありません。兼子一(監修)「条解会社更生法(中)」p845は、次のように記します。
少数の優先的更生債権者(webmaster注:本件でいえば社債権者)を一般更生債権者(webmaster注:本件でいえば損害賠償請求者)の組に統合することは、議決権を有する優先的更生債権者全員が個別的に計画に賛成している場合や、優先的更生債権者と一般更生債権者権利の変更に顕著な差等がつけられている場合は許されるが、そうでない場合には慎重を要する。優先権を有する者の利益が不当に圧迫されるおそれがあるからである。
「変更に顕著な差等がつけられている」、すなわち社債権者の優先がきっちりと守られている場合は、星・カシャップ・シェーデ論考に該当しないのは明らかでしょう。となれば、「1の権利とする」可能性は、社債権者全員の個別同意を取り付ける途に限られます。
#テクニカルには、社債権者集会が開催された場合には変わってきます。
では、社債権者全員の同意をとりつけられるのでしょうか。護送船団時代の銀行のような社債権者だけなら、行政指導でそのような行動を事実上強制することができたかもしれません。そうでなくても、日本人投資家だけなら、ひょっとしたら空気を読んでくれるかもしれません。しかし、東京電力社債には外人の投資家がいます。その投資家が法人であれば株主代表訴訟や受託者責任なども考えなければならず、法律上担保権が設定されているのにあえてそれを放棄するとは考えづらいとwebmasterは低いと考えております。
なお、星・カシャップ・シェーデ論考において、webmasterがより注目されてしかるべきだと考えるのは、「会社更生法は、債務調整の手続を決めているだけ」の部分です。たとえば経営責任追及の手段として会社更生手続が認識される傾向がありますが、その目的は、あくまで債務調整です。会社更生手続によらずとも、会社法上、取締役の任務懈怠は会社による損害賠償請求の対象となっていますし、株主代表訴訟により追及することも可能です。背任行為があれば、刑事責任だって追及できます。逆に言えば、会社更生手続においても、これら既存法上認められた責任しか追及できません。
次エントリへのはてなブックマークにおいてryokusaiさんが「要約すると住専処理の轍を踏むな」とご指摘なのは非常に我が意を得たりで、会社更生手続によるのか任意整理(政府案は、倒産法制上の位置づけでいえばこれに当たります)によるのかの選択で、その本質的な違いは、損害賠償請求権は毀損させない(仮に法制上毀損するなら、国民負担で補填する)前提で、
- ある程度の国民負担は覚悟しなければならないがきっちり片付けられる可能性が高い会社更生手続
- 先送りで当面の国民負担は避けられるが二次ロスのリスクが大きい任意整理(住専処理はこっち)
というところにあります。任意整理であっても経営責任の追及はできますし、発送電分離だってできます。経営責任を追及するため、あるいは発送電分離のためには任意整理ではダメで会社更生手続であるべきだ、というでのは誤解に基づく判断になってしまいます。そうではなく、会社更生手続か任意整理かの選択は上記の本質論で検討・判断すべきだ、というのがwebmasterの言いたいことです。個人的には、そうした本質論を踏まえた議論の結果であれば、どちらであっても構わないと考えています。本エントリ・次エントリは、会社更生手続の適用に反対するものではなく、会社更生手続を推すに当たっての誤った理由付けに反対するものなのです。
政府スキームこそが国民負担極小化・東京電力負担極大化スキーム
先のエントリは昼休みに急いで書いたので、高橋先生のご主張の最大の嘘のみを指摘するものに止まっております。ここで改めて、政府スキーム(と現在報道されているもの。以下同じ。)の狙いを想像してみましょう。
とりあえず、高橋先生と前提は同じものとし、賠償額10兆円、保険・補償カバー額1.9兆円、残差8.1兆円とします。高橋先生のご主張は、社債全額カットで4.7兆円、純資産で2.5兆円のあわせて7.2兆円を賠償原資として捻出し、これを残差8.1兆円から差し引いた0.9兆円が国民負担になるというもの。これに対して政府案では、社債と純資産を賠償原資に充当しないので、8.1兆円が丸々国民負担になる、とご批判です。
しかし、政府案では東京電力を存続させるので、仮に今払えなくても、将来払わせる、ということが可能です。毎年の負担額については、
を足し上げ、ざっくり年3,000億円といったところでしょうか。人件費を3割カットにして1,500億円を捻出し、その分経常利益からの充当分を減らしてバッファを確保する、等のヴァリエーションはあるでしょうが、電力料金値上げなし(賠償に充当するための値上げは、現下の風潮に鑑みれば到底とおらないでしょう)ではこの程度かと推測されます。これを30年間続けるとして、年2%の金利で現在価値を算出すれば6.7兆円。利益準備金1.8兆円と合わせれば、8.1兆円を丸々カバーしてお釣りがきます。
#もっと賠償が増える場合や経常利益が下振れる場合、金利が上がる場合等を考慮し、もっと長い期間を見込む可能性はあります。
現在価値で見ればカバーできるといっても、実際に手元にお金はないわけで、その資金繰りは政府が面倒を見ることとするのでしょう。すなわち、まずは政府が金を出しておいて、東京電力から毎年回収することとするわけです。会計上は債務超過になりますが、チッソのように債務超過のまま存続させて賠償(水俣病関連のものです。念のため)を支払わせている例はあります。上場との兼ね合いで会社分割等の話をあれこれすることもありましょうが、上記の本質論からすれば瑣末な話で、企業形態がどうであれ、東京電力の将来の稼ぎから賠償を払わせることになるものとwebmasterは推測しております。
対するに高橋先生ご提示の案では、まずもって4.7兆円分は東京電力自身ではなく社債権者に負担させるものですし、0.9兆円は国民負担を求めるものとなっておりますが、前のエントリで書いたとおり社債権は損害賠償請求権に優先するので、実際には社債権者には負担させられず5.6兆円の国民負担となります(=会社更生手続でカットされる分は、政府が補償する前提)。いずれがよいかは価値判断の問題ですが、とまれ、「東電を潰さない政府案では国民負担10兆円、解体すれば0.9兆円で済む」とのタイトルはひどいレッテル貼りだと言わざるを得ません。そもそも1.7兆円の現行補償契約に係る国民負担を政府案には足しこみ、高橋案には足していないとか、政府案には民間保険カバー分0.2兆円も国民負担に足しているといった芸の細かい詐欺的手法が用いられていますが、それも込みで、
- 政府案では、東京電力を存続させて国民負担なし(または1.7兆円)
- 高橋案では、東京電力を解体して国民負担5.6兆円(または6.3兆円)
というのが正確な比較。偽悪的に言えば、東京電力解体というカタルシスの対価は5.6兆円となりますが、いかがいたしましょうか、ということなのです。
#加えて、会社更生手続の実態に鑑みれば、いわゆるスポンサー(更生会社に金を出して事業を買い取る会社)はデューデリして資産を買い叩きますので、高橋案の国民負担額は資産の簿価評価が前提となっていますが、実際には資産の評価額が縮んで国民負担は増加することでしょう。他方、webmaster推測のとおりの政府案であるならば、それへの最大の批判となり得るのは、「先送り」ということでしょうか。
以下、若干の蛇足を2点。
まず、上で「東京電力解体というカタルシス」と書きましたが、法律的には会社更生手続で東京電力が「解体」される保障はないので、正確には「東京電力倒産というカタルシスの対価」ではあります。資産切り売りの上で東京電力を解体せよとのご趣旨に照らせば、会社更生手続ではなく破産手続を主張すればいいのに、とは法律屋の揚げ足取り的な感想。
さらには、高橋先生はこの「解体」を通じて発送電分離を実現すべしとお考えのようですが、会社更生手続には政府(行政)は関与できないので、政府が発送電分離をしたくても、裁判所や更生管財人(普通は弁護士)が「空気を読」んでくれないと発送電分離は実現できません。会社更生手続を用いつつ発送電分離を確実に実現するには、事後法で特例法でも作る必要があるわけですが、この辺りのことは何も考えていらっしゃらないんだろうなぁ、とはこれまた法律屋の揚げ足取り的な感想。
#事後法の成立前に誰かに更生手続を申し立てられてしまえば、それすらも不可能となりますが。
次いで、前回のエントリでも少し触れましたが、高橋先生のご議論は、まず官僚批判という結論ありきではないでしょうか。だいたい、金融システム安定化のための公的資金に係る長年の議論を見るだけでも、東京電力の肩代わりをするために増税だなんていう案が政治的に通るはずがありません。財務省が増税を狙っているとして(時間軸の問題はあるにせよ、このこと自体はwebmasterもそうだと思います)、東京電力の肩代わりのためというもっとも評判が悪そうな口実を使うのでしょうか? いったん増税が頓挫してしまえば、再び議論を持ち出すには相応の時間を要します。財務省が増税したければしたいほど、増税そのものが頓挫しないよう=東京電力の損害賠償財源には充当しないよう、全力を尽くすはず。言い換えれば、増税を切望するにもかかわらず、東京電力の肩代わりなんていう筋悪な政策にうかうかと乗ってしまう財務官僚像というのが、webmasterには想像できません。出来の悪い勧善懲悪物語の悪役のような、ご都合主義的な存在ではありませんか。
高橋先生は別記事で、復興構想会議は財務省が自由に操っており、だからこそ五百旗頭議長は増税をぶち上げたのだと説きましたが、そこでは増税を含む財源論が棚上げになったとは報道のとおりで、高橋先生の嘘はすぐに明らかとなったところです。裏を取らずにあれこれ書き散らすのも言論の自由のうちですが、政府が名誉毀損で訴えることはまず想定されないからといって、デタラメな批判ばかりされるのはいかがなものでしょうか。
4/26追記:高橋先生の案では政府が一部を肩代わりすることになり、政府案では(webmasterが推測する限り)政府は肩代わりはしない、と書いているのですが。「賠償金を国が肩代わりして会社存続を許す」とは、本エントリのどこをご覧になっての反論なのでしょうか。>名無し三等兵さん
2011-04-13
「アリフレ政策の議」の補足その3
本編にて、過てる日銀批判はリフレ政策の信頼性を損ないその実現の妨げになるとの危惧を申し上げましたが、東北太平洋沖地震以降、部分的にではありますが、これがまったくの杞憂ではなくなってきているというまずい事態が進行しています。具体的には、
で、ここは宮尾審議委員の質疑応答を読むコーナーなのであたくしの愚意見など余計だと仰せになるかもしれませんが敢えてあたくしの愚見を申し上げますと、先日も申し上げましたように、現在の市場環境で「単発10兆円の国債増発」が捌けないという状況では全くございません(多少金利が上昇するかも知れませんが)ので、そのような状況下で敢えて日銀引受を行うという必然性は無く、うっかり日銀引受やって海外勢辺りに絶好のアタックチャンスを与えて財政破綻シナリオを提供するリスクをわざわざ取る必要は乏しいのではないか、(ただでなくさえ財政のサステイナビリティがといわれる中でシンボリックな意味も大きい中央銀行引受を実施したら、市場金利が急上昇していくリスクがありますわなという話ですな)というのが市場の片隅でおこぼれを頂戴しながら生きておりますあたくしの市場参加者目線(だとあたくが勝手に思っているだけならスイマセン)な見方でありまする。
国債発行市場で大きな問題なく消化が可能と見られるものをわざわざ日銀引受で発行せよという議論に関しては、まあ率直に申し上げて論者の方々の目的が国債発行じゃなくて日銀に国債引受をやらせる事なんじゃないですかと反問させていただきたくなる訳ですよ。
増税で対応というのも復興前に景気が腰折れしちゃうリスクを背負ってまで勝負する意味が今の環境下であるとも思えませんから、復興財源に関しては予算の組み替えなども一部入れるも、とりあえずは赤字国債で出して、復興が軌道に乗って来た所から財政健全化に向けた取り組みをどうしましょ、という流れで対応するのが現実的な所なんじゃないですかねえと思うのでして、今すぐの増税も復興国債日銀引受もちょっとどうなのよと思う所ではございます(子ども手当てとか高校無償化とか何とか削減できないのかねえとも思いますが)。
http://www.h5.dion.ne.jp/~bond7743/doramemon1103.html#110325
というドラめもんさんのコメントや、
日銀法の改正を行って、日銀に直接国債を買わせようという試みについては、現段階では反対です。ECBでも政府への直接融資や国債の引き受けは禁止されていますし、通貨の信認を維持するには中央銀行の規律を護持することが必要という議論を支持します。
ただし、論戦はおおいにやるべきだと思います。争点を定めて、議論することは望ましいことですし、市中の消化能力に問題が出そうだという前提となれば、私もいまの意見に拘泥するかと言われるとまだ判断しきれていません。
よって、デフレ脱却なんたらについては、今回議論すべき復興そのものの対策と復興後の成長シナリオで言えば後者に組み込むべきもので、復興国債が何らか発行され、事態の進捗が明らかになってからでないと物事が進まないのではないかと思います。少なくとも、いまの政治状況では無理でしょう。
だから、政治状況を変えて閉塞感を打破するためにはどうするべきか、という本来の市場での判断や意見とは違う次元の問題が山積みで、先に為すべき手続きが多いですよね、と論じたのです。
「ではデフレを放置しておくべきだと考えているのか」とお怒りになった参席者もおありでしたが、いまの経済状態は緊急時であり、3月4月の前年対比が何割も下落してもおかしくないぐらいの状況です。その状況でデフレ脱却だリフレだ国債の日銀引き受けだというのは、真の意味で「どさくさに紛れて従前平時の政策主張を無理に通そうとしている」のであって、外野的には少し頭を冷やしてもらうほかないよなあと思う次第です。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/04/post-9cc8.html
という切込隊長さんのコメントにあるとおり、リフレ論壇における震災復興国債日銀引受け構想について、親リフレ政策な人々が「ドン引き」になっていることです。ただでさえ多数派とはいえないリフレ政策支持者の数を一層減らして、どうしてリフレ政策の実現ができるというのでしょう。
ご両所の掲げる「ドン引き」の理由は同じ趣旨のもので、「まあ率直に申し上げて論者の方々の目的が国債発行じゃなくて日銀に国債引受をやらせる事なんじゃないですかと反問させていただきたくなる」「その状況でデフレ脱却だリフレだ国債の日銀引き受けだというのは、真の意味で『どさくさに紛れて従前平時の政策主張を無理に通そうとしている』のであって、外野的には少し頭を冷やしてもらうほかない」というもの。すなわち、現下においては日銀による国債引受けは不可欠なものとは認識されておらず、にもかかわらずそれを主張するのは、真に円滑な震災復興を願ってのことではなく、震災に乗じて他の目的を達しようと見られているのです。
本エントリでは、以上を踏まえ、次について論じます。
- 復興財源を短期・大幅な増税に求めることは論外だが、それはイコール日銀引受けが妥当であることを意味しない。
- 日銀引受けすべしとの主張を支える材料には問題が多い。
- 現在主張すべきは、長期国債買切りオペ増額。
復興財源を短期・大幅な増税に求めることは論外だが、それはイコール日銀引受けが妥当であることを意味しない。
当サイトの読者層を考えますに、短期・大幅な増税による復興ファイナンスがダメなことについて字数を割く必要はないかと存じます。ひとことで言えば、泣きっ面に蜂、あるいは弱り目に祟り目、ということ。震災でダメージを受けた日本経済に、さらにダメージを与えないようにしなければなりません。
ではどのようにファイナンスするかを考えれば、本件についての矢野先生のモデルを参照するなら、通貨発行益によりファイナンスすべし、ということになります。通貨発行益というのなら日銀引受けが当然だとお考えの諸賢、それは少々短絡でございます。
矢野ペーパーでは、とどのつまりどれだけ中央銀行(もちろん日銀のこと)が国債を保有するのか、ということが重要なのであって、その買い方は問うていません。考えてみれば当然の話で、政府から直接日銀が国債を買って(=引き受けて)直接政府に代金を支払うのか、まずは日銀は市中の国債保有者から国債を買い、その国債保有者が日銀から受け取った代金で政府から国債を買って政府に代金を支払う‐いわば間接的に支払う‐のか、これら両者に本質的な差が生じるはずがありません。
#だからこそ従来リフレ政策の提案において、長期国債買切りオペの増額が有力手段として挙げられてきたわけで。
webmasterが見る限りもっとも精緻に増税を排し通貨発行益の活用を訴える矢野先生の分析からは、日銀引受けが必要だとの結論は導かれていないのです。まさしく矢野先生ご自身が、「まず『通貨発行益を利用する財政政策とインフレーションターゲット』の併用策を実行」すべきだとはおっしゃっていても、日銀引受けそのものはご提案でないとおりに。
日銀引受けすべしとの主張を支える材料には問題が多い。
それでは日銀引受けをご提案の方々は、矢野先生の分析以外にその論拠を提示されていらっしゃるでしょうか。片岡さんや岩田(規)先生のご意見を拝見しても増税がダメだとしか述べられていません。
#岩田先生に関しては、来る新刊詳しく述べられるとのことなので、そこで何らかのご見解が示されるかとは存じますが、現時点においては、ということで。
それ以外のものは、webmasterが見る限り、本編で取り上げたような問題含みとなっています。まず、高橋先生の論説を見てみます。
1995年1月の阪神・淡路大震災の時を振り返って、その問題点を整理しておこう。当時、住宅や道路などの被害額10兆円に対して3.2兆円の補正予算を組んだ。そのほかに、円高になっていたので円高対策などで補正予算が9.1兆円となった。それらに対する財源のうち、国債発行は9.2兆円だった。補正予算は1995年2月、5月、10月に成立した。
当時、金融政策は、バブル崩壊以降累次に金利引き下げが行われてきたので、震災以降も金融緩和の動きは鈍かった。政策金利としての公定歩合は意味が薄くなりつつあったが、やっと1995年4月と7月に引き下げられた。
この対応の問題点は二つあった。
(略)
第二に、マクロ経済政策の手順の前後による円高だ。1999年にノーベル経済学賞を受賞したマンデル・コロンビア大教授によるマンデル=フレミング理論では、変動相場制では財政政策の効果はなく、金融政策は効果があるとされている。おおざっぱにいえば、変動相場制の下で、国債発行で財政政策をすると、行わなかった場合に比べて金利が高くなり、その結果、為替が強くなって、輸出が落ち、公共支出増を相殺してしまうのだ。
まさに1995年の時がそうした状況だった。先に財政支出が決まり、それを先取りする形で震災3ヵ月後には円高になっている。その時の円高は、今回の円高より前の最高値だった。マンデル=フレミング理論から見ると、もっと早く金融緩和に踏み出していれば、その円高は阻止できただろう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330
上記引用部の後に、これら阪神・淡路大震災の問題点を踏まえ、と日銀引受けの話が導かれますが、95年の円高は、本当にマンデル=フレミング理論で説明可能なのでしょうか。
円ドルレイト 日本10年金利 米10年金利 日米金利差 1995年1月 99.79 4.567 7.78 3.213 1995年2月 98.23 4.446 7.47 3.024 1995年3月 90.77 3.85 7.2 3.35 1995年4月 83.53 3.524 7.06 3.536 1995年5月 85.21 3.23 6.63 3.4 1995年6月 84.54 2.807 6.17 3.363 1995年7月 87.24 2.863 6.28 3.417 1995年8月 94.56 3.264 6.49 3.226 1995年9月 100.31 2.777 6.2 3.423 1995年10月 100.68 2.998 6.04 3.042 1995年11月 101.89 2.907 5.93 3.023 1995年12月 101.86 3.098 5.71 2.612
#円ドルレイトは月中平均(出所:日銀)、日本10年金利は10年国債落札平均利回り(2月分は、1月31日と3月1日の平均値。12月分は、翌年1月9日の利回り。出所:財務省)、米10年金利は米国債10年物金利(出所:FRB)。
ご覧いただければ一目瞭然ですが、95年の円高は、日本の金利が低下する中で生じました。円ドルレイトに関して重要となる日米金利差についても、とりわけもっとも円高になった4月(79.75円を記録したのは4月28日)においては顕著に、拡大、すなわち相対的には日本の金利がもっとも低くなっていました。
すなわち、95年の円高は、マンデル=フレミング理論が当てはまらない例なのです。95年当時の政府の施策をどう批判するにせよ、財政拡大がマンデル=フレミング理論が示すように金利上昇・円高・純輸出減少を通じてGDPを引き下げたとは、簡単に確認可能な事実に反する誤った批判です。誤った批判を持ち出したところで、現状対応の提案の正当化にはなりません。
#高橋先生は、「国債発行で財政政策をすると、行わなかった場合に比べて金利が高くなり、その結果、為替が強くなって」とあるので、震災対策なかりせばもっと円高の程度が低かった、ということを企図されているのかもしれませんが、円金利の絶対水準、対ドル金利の相対水準のいずれも下がっている以上、マンデル=フレミングの援用には無理があります。マンデル=フレミングを援用する以上、仮に円安になっていた場合において、震災対策なかりせばもっと円安になっていた、ということまでしか主張できません。
次いでもうひとつ、上記の岩田先生や高橋先生の論説においても引かれている、山本(幸)議員による指摘を取り上げます。
新年度の予算でもそうだが、毎年の予算の予算総則それも特別会計の予算総則の第5条には、次のようにはっきりと明示されているのである。
第5条 国債整理基金特別会計において、「財政法」第5条ただし書きにより政府が平成23年度において発行する公債を日本銀行に引き受けさせることができる金額は、同行の保有する公債の借換えのために必要な金額とする。
何のことはない、「日銀の国債直接引き受け」というのは毎年の恒例行事であって、「禁じ手中の禁じ手」などと批判する方が馬鹿馬鹿しいという話なのだ。「借換え債」という形ではあるが、経済的な意味合いは、市場を通さない「日銀の直接引き受け」という点で何ら変わりはない。平成22年度の実績は11兆円程度ということだから、金額もかなり巨額である。
この事実を国会議員を初め全国民がよく知るようになれば、「国債の日銀直接引き受け」に対する抵抗感も劇的に薄らいでくるのではないか。「法的にできない」などとのたまう与謝野大臣には、「財務大臣も経験されたのだから、予算総則くらいはしっかり読んで欲しい」と申し上げたいところだ。
http://www.yamamotokozo.com/news/20110328.htm
ここで書かれていることそのものには誤りはないのですが、意図してかせずしてか、本件の文脈では極めて重要となる事実が抜けています。すなわち、現在、日銀が引き受けている国債は短期国債であり、かつ、原則として再乗換え(ロールオーバー)をしていないこと。
矢野先生がご指摘のとおり、日銀保有国債を増やす目的は、通貨発行益の活用です。しかるに、短期国債しか買わず、それも満期を迎えれば現金償還を受けるのであれば、そこには通貨発行益の活用など無きに等しいと言わざるを得ません。現行の日銀引受けは、本件文脈では何の前例にもならないのです。
#ちなみに、98年度までは、10年国債の乗換え(借換え引受け)は10年国債で行っていた(正確にいつまでかはwebmasterの記憶は定かでなく、また、公式の資料も見つけられなかったので、bank.of.japanさんのエントリを参照させていただいてます)ので、これであれば前例として引く意味があります。
借換債かどうかは経済的に意味がないとは山本議員ご指摘のとおりですが、山本先生が触れていない通貨発行益の多寡は経済的には大いに意味があります。そこに着目せずに、かなり巨額にやっているなどと言ったところでどうなるというのでしょう。白川総裁が十分にずるがしこかったなら、「現行の延長線上であれば、復興国債の引受けについて日銀としては異論ありません」などと言って短期国債・再乗換えなしで全部を引き受けて、ご要望どおりにいたしましたので文句はありませんね、ということになってしまうでしょう。
切込隊長さんが、
国債引き受けを日銀に求める動きと変な連動をしているのもまた事実でありまして、観測気球を上げさせるという余裕が官邸にあるはずもなく、単純に日銀の無謬性のような概念に対して挑みたい素人がきっとたくさんいるのだろうと妄想するところで。このクソ大事なところで何をしているんだろうと。間違いなく償還乗換と中期の復興国債の引き受けを混同していると思うんですよね。政府要請も満足に検討できない状態で思惑一丁の働きかけをするなと。市場が混乱するから。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/04/post-2fbb.html(webmaster注:強調はwebmasterによります)
と指摘されるのもまことにもっともなことです。
さらに申し上げるなら、山本議員は現在の日銀乗換えを評価しているのでしょうか? ずーっと昔から、乗換えを短期国債でしているのは問題だと指摘していたwebmasterからすれば、妙なところで日銀に甘いものだと思わざるを得ないのですが。(2011/04/14追記:リンク修正しました。)
現在主張すべきは、長期国債買切りオペ増額。
とどのつまり、従来選択肢の一ではあっても、決して最優先の手法とはされていなかった日銀引受けについて、十分な理屈付けもないまま、あたかも唯一の選択肢であるかのように主張していることが、親リフレ政策な人々の不信を招いている原因といえましょう。まして反/非リフレ政策な人々にとってをや。こと震災復興に限らず、リフレ政策そのものへの信認が傷つきかねない状況にある、とwebmasterは危惧しています。
今からでも、日銀引受けではなく長期国債買切りオペの増額(それも、可能であればフローの額を縛るのではなく、ストックの継続的増加)をこそ、震災復興のファイナンス手法として提案すべきである、とwebmasterは考えます。これであれば、かねてからリフレ政策のスタンダードな手法として提唱されてきた手法であり、ドラめもんさんや切込隊長さんが下したような評価から免れることが可能であるとwebmasterは考えますし、矢野先生のモデルに依拠するなら、日銀引受けと効果は変わらないのですから。
ちなみに、既述のとおり直接引き受けようが買切りオペで市場から吸い上げようが、経済的には同じことです。しかし、経済的な効果は変わり得ます。リフレ政策上、世の中の人々がインフレを予想すれば(インフレ期待を持てば)インフレが実現すると考えられるわけですが、いかに直接引受けが買切りオペと経済的には同じであっても、政治的・社会的な認知が異なりインフレ期待への影響力が異なるならば、結果において差が生じます。サージェント曰く、
In each case that we have studied, once it became widely understood that the government would not rely on the central bank for its finances, the inflation terminated and the exchanges stabilized.
(webmaster試訳:以上検討した各事例(webmaster注:オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツの第一次大戦後のハイパーインフレ)では、政府が中央銀行に財源を依存しないとひとたび広く理解が及べば、インフレーションは収束し為替相場は安定した。)
http://www.nber.org/chapters/c11452.pdf
とのこと。現状の長期国債買切りオペは、長期金利やインフレ率等の指標から見るに「政府が中央銀行に財源を依存しない」と理解されているようです。しかし、直接引受けがそうだとは、少なくとも経済的に同じということからは、断言できるものではないとwebmasterは理解しています。ドラめもんさんご指摘のとおり、シンボリックな意味合いは非常に大きいでしょうから。
「アリフレ政策の議」の補足その4
「その3」で引いた高橋先生の記事ですが、本編で取り上げたものと同様、「ダメな議論」の条件に合致しています。本編について揚げ足取りだとのご批判もありましたが、揚げ足しかないようなもの。webmaster以外に明らかな事実関係の誤り等を指摘してくれる人がいればよいのですが、いないようですので寄り道ながら。
まず、先週3月21日の本コラムで指摘した「でんき予報」は、23日から公表されるようになった。これは評価したい。
さて本題だが、東日本震災関係で補正予算の話がでている。被災者の受け入れ自治体ではすでに補正予算がつくられているところもある。
1995年1月の阪神・淡路大震災の時を振り返って、その問題点を整理しておこう。当時、住宅や道路などの被害額10兆円に対して3.2兆円の補正予算を組んだ。そのほかに、円高になっていたので円高対策などで補正予算が9.1兆円となった。それらに対する財源のうち、国債発行は9.2兆円だった。補正予算は1995年2月、5月、10月に成立した。
当時、金融政策は、バブル崩壊以降累次に金利引き下げが行われてきたので、震災以降も金融緩和の動きは鈍かった。政策金利としての公定歩合は意味が薄くなりつつあったが、やっと1995年4月と7月に引き下げられた。
この対応の問題点は二つあった。
第一に、被害額に対する予算規模が小さすぎることだ。当時の大蔵省は徹底的にケチった。私有財産に公費は入れられないというのが原則論を振りかざした。さらに、その前段階である復旧についても、原状復旧しか公費を入れられないと主張をした。
これは、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」(災害負担法)を根拠としている。地震により被災した地方公共団体のインフラについて、原状に復旧する場合にのみ国が資金をだすというものだ。この枠があるため、基本的には震災以前と同じようなインフラを作ることなり、しかも予算規模が縮小する。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330
「その3」の引用部に先立つ部分ですが、阪神・淡路大震災において災害負担法を根拠として国費投入が行われた、というのは真っ赤な嘘です。
3.財政面での国の対応
a.大規模な災害は被災自治体の財政に極めて大きな影響を及ぼす。そこで、災害復旧の段階では、国による財政措置によって、地方財政が大きな影響を受けないような仕組みが「災害対策基本法」によって整えられている(図表23)。
b.「災害対策基本法」に則った、災害復旧事業に関する具体的な国の負担と補助については、「災害救助法」、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」、「公立学校施設災害復旧事業費国庫負担法」等の個別法令に定められ、各法令に国の負担割合が記されている。ただ、これらの法律に基づいた補助負担制度は通常の災害に適用されるものであり、甚大な被害を引き起こした災害については激甚災害指定がなされる。
c.国は、阪神・淡路大震災を激甚災害に指定した。激甚災害とは「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(激甚災害法)」(1962年施行)により、公共土木事業、農業等の項目別に一定の基準を上回る被害をもたらした災害に対して、通常の災害復旧事業を上回る財政援助を行うものである。被災自治体が単独で行わなければならない復旧事業についても、激甚災害に指定されると国の財政措置が与えられる。
d.国は阪神・淡路大震災に対して、「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」を制定し、従来の「激甚災害法」をさらに拡大した財政措置がなされた。公園・街路・廃棄物等、福祉ホーム・デイサービス・身障・障害等の公立授産施設、公立社会教育施設・警察・消防等は従来、「激甚災害法」の対象とはなっていなかったが、特例として国庫補助率が引上げられた(図表24)。
e.国庫補助対象事業について補助災害復旧事業債の発行が認められるものに関しては、地方の負担分の100%が起債の対象となり、しかも元利償還金の95%が普通交付税で措置される。この仕組みは阪神・淡路大震災の特例以前と同様であったが、従来から補助災害復旧事業債の対象であった公共土木施設(河川・道路・港湾等)、農林水産業施設(かんがい排水・農林道等)、公立学校施設、都市施設(街路・公園等)に加えて、社会福祉施設・社会教育施設・廃棄物処理施設・警察・消防等が災害復旧事業債の対象に含められた(図表24)。
f.国庫補助の対象にならない復旧事業についても、神戸港埠頭公社(岸壁)、阪神高速道路公団、鉄道に対する被災自治体の補助、公営企業の災害復旧事業に対する一般会計からの繰出金が単独災害復旧事業債の対象となった。単独災害復旧事業債の対象となると、従来は元利償還金の28.5〜57.0%が普通交付税で措置されることになっていたが、47.5〜85.5%が交付税で措置されることになった(図表24)。
http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/other/pdf/2890.pdf
根拠法が異なれば、対象も変わります。激甚災害法が適用された段階で、災害負担法に定める復旧事業に止まらず、「前号の災害復旧事業(webmaster注:災害負担法に定める災害復旧事業)の施行のみでは再度災害の防止に十分な効果が期待できないと認められるためこれと合併して行う公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法第3条に掲げる施設で政令で定めるものの新設又は改良に関する事業」その他の事業が対象になりますので、原状復帰を超えた「新設又は改良」が対象になります。すなわち「この枠があるため、基本的には震災以前と同じようなインフラを作る」というのは、阪神・淡路大震災関連事業には当てはまりません。
#実際には復旧タイプが多かったとはwebmasterも察しますが、それは権利調整の困難さによるものであって、法律の制約によるものではないということです。
一点、専門的と思われる部分に補足すると、f.の「国庫補助の対象にならない復旧事業」について、確かにこれには直接国庫補助が行われないわけですが、交付税措置が厚くなるということで、被災自治体の負担は軽減されます。国の補助基準に当てはまらないため地方単独事業として行わなければならないとしても、それに対する財政支援は行われる、ということです。この点においても、それで十分かどうかの議論はもちろんあり得ますが、災害負担法が適用され、原状復旧にしか国費が出ていない、というのは明らかな事実誤認です。
この記述に続くマンデル=フレミングの話は「その3」のとおりで、続いて2ページめです。
では前回の震災対応を踏まえて、今回の復興をどうすべきか、考えてみたい。
第一に、まず、いま補正予算が検討されているが、財務省主導による財源論になっているのではダメだ。1兆1600億円計上した予備費は全部使えないとか、平日上限2000円などの高速道路割引や高速無料化を先送りして1000億円から2000億円程度捻出できるとか、法人税減税の見送りで5000億円とか、ちまちました話ばかりだ。民主党がこだわってきた子ども手当をなくしても3兆円でしかない。
一方、野田財務相は「安易な国債発行はできない」といっている。
こうした財源論をしていると、予算規模が小さくなる。その中で、原状復旧という法的な縛りがあると、本当の復旧や復興につながらない。
今回は津波被害が多い。津波被害の復旧の鉄則は、同じ所に家を建てないことだ。だからがれきとなった被災地に復旧させるのではなく、安全な所に新たな街を造るのではなくてはならない。この点からいえば、財源論からスタートするのではなく、災害負担法の枠を政治家が取り払うことが必要だ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=2
今般の震災については、先月12日(震災翌日です。念のため)に既に激甚災害指定がなされています。すなわち、災害負担法ではなく激甚災害法(そのうち新法が制定されるでしょうけれど、それを待つことなく、ということです)が適用されているわけで、「災害負担法の枠を政治家が取り払うことが必要だ」などと指摘されるまでもなく、取り払われています。
災害というショックに増税では根拠がない
第二に、増税が出てくるのは最悪だ。今の菅総理も谷垣自民党総裁もともに増税論者だ。国債発行を押さえる観点からは、災害復旧法で予算規模を縮めて、その上で足りなければ、臨時増税という手段で、両者は意見が合うだろう。
ただ、増税は災害というショックに対応する政策としてはまったく根拠がない。財源調達として、国債発行と増税の違いは調達を分散させるか一度にやるかの差である。もし100年に1度のショックとすれば、地域的にも時間的にも分散処理すれば対応コストが平準化できるので、震災対応は国債発行となる。
しかし、増税派は、国債発行は財政破綻をもたらすと脅す。震災ショックに増税したら、被害のない西日本もダメージを受けてしまう。その結果、経済の一部である財政も悪くなってしまう。
しかも、増税派がよくいう、国債残高が名目GDPの2倍もあるという台詞は、国のバランスシートで見れば右側の負債だけで、左側の資産を除いたネットベースなら、名目GDPの60%程度であって、目くじらをたてるほどの水準ではない。
第三に、では実際に財源をどう用意すればいいのか。高速道路関係の予算組み替えはいいだろう。しかし、それでは雀の涙だ。10兆円程度であれば、国債整理基金を取り崩せばいい。借換債は予算とは別に国債整理基金で発行できるので、国債償還には困らない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=2
増税には反対だ、というのは「その3」で書いたとおりwebmasterにも何ら異論はありません。財政状況について、ネットで見て評価すべきというのもそのとおり。しかし、ネットで見るとは、高橋先生の代名詞となっている埋蔵金話とは矛盾します。このあたりについてwebmasterがあれこれ書き出すと「カンリョーガー」となるのが定番ですので、ここは権威に頼らせていただきます。
264: ドラエモン 2009/03/12(Thu) 00:41 [ va4qsJNk0c ]
埋蔵金話は、表の債務が全てだと言ってた財務省イデオローグへの当てつけ以外の何ものでもないので、ある意味でネタw 粗債務が全てなら資産売却して純債務を増やしても別に何も問題ないはずだからね(笑) で、埋蔵金がばれてしまったら、突然として純債務が問題と言い出したのだよ、彼らはw
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1415/264
傑作なことに、こと国債整理基金という「埋蔵金」に関しては、ネット(純)債務はもちろんのこと、グロス(粗)債務すら減りません。高橋先生もおっしゃるとおり、国債整理基金の活用で新規財源債の発行額が減った分、借換債の発行額が増えますので。というわけで、この問題については高橋先生は何ら間違ったことをおっしゃってはいないのですが、であるならばこれまでの埋蔵金話は「ネタ」であると認めないことには整合的でありません。webmasterは寡聞にして、高橋先生が埋蔵金話を「ネタ」とお認めになられたとは存じないのですが。
この部分に続き、「その3」で触れた山本議員の日銀引受け話があり、3ページめに移ります。日銀引受けに続く地方分権の話には事実誤認等はなく、ようやくその手の論外な問題を指摘する必要がなくなったかと思いきや、最後にまた信じ難い記述が。
このような国難は戦時体制と同じである。英国の戦時内閣は財務相がいないという。国より財政を優先すると国の進路を間違うからだ。日本も財務省抜きで復旧・復興を議論すればいいかもしれない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=3
Wikipediaでイギリスの歴代財務大臣を調べれば一目瞭然ですが、イラク戦争や湾岸戦争、フォークランド紛争は言わずもがな、第一次・第二次両世界大戦中ですら、財務大臣は任命されています。首相が財務大臣を兼ねた戦時体制とは、なんとナポレオン戦争期における戦時体制のことです。本家イギリスですら旧弊として捨て去られている話を持ち出した上、あたかも現在もそうであるかのごとくミスリードするとは。ことの是非はさておき、本来の財務大臣である財務第一卿(First Lord of the Treasury)は必ず首相が兼ね、現在財務大臣として扱われる者は財務第二卿(Second Lord of the Treasury。といっても、「財務大臣」と訳される称号は、これまた必ず兼ねることとなるChancellor of the Exchequerの方ですが)に過ぎない、ということを引くならこのレベルの指摘はせずにすむのですが。
#×Load→○Lordと訂正いたしました。(4月25日追記)
「アリフレ政策の議」の補足その5
以上のような指摘(本編と補足の双方において、事実誤認やダブルスタンダードの指摘等、意見の相違には無関係な問題点しか指摘しておりません。念のため)に対して、あたかもリフレ政策の足を引っ張るかの認識がなされているようですが、そうではないですよ、というのを震災関連のデマを巡る様々なご指摘から以下のとおり引用して示したいと思います(リフレ関連のものはありません。少しでも客観性を保ちたいので)。再度申し上げますが、事実誤認やダブルスタンダード等を許容する方が、よほどリフレ政策の実現を遅らせる行為なのです。
だから、まあこれが書きたかったことなんだけど、純丘氏のこの記事とかを本来一番きつく非難すべきなのは原発批判派なんだよ。「一緒にするな」という話をきちんとしないといけない。そうしないと「原発批判派は算数もできない連中である」という批判が、少なくとも部分的には正しいものとして通用してしまうことになる。運動だから、数は力だから、向いている方向は同じだからとか、そういう理由で身内のダメな部分を甘やかしてきたことが9・11陰謀論とかホメオパシーの問題に帰着しているわけでしょう。
それはいかんよ、という話がしたいから(1)でも(3)でもわざわざこの方向できちんと情報を積み上げれば攻め手になるという材料を見せているのに、自分たち好みの主張をしている人間を批判したから結論を支持しないに違いないとか、自分たちが批判されたとか、そういうふうに思っちゃうんだろうね。やっぱりダメな人ばかりなのかな、反原発派って。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000789.html
原発が危険なものであることは確かだし、ないに越したことはないのも確かだ。でも、だからと言って「原発を止めるためであれば、差別を誘発するような悪質なデマをばらまいていい」ということには断じてならない。もし「我々は正しい意志と正しい目的を持っているのだから、手段の善悪は問われない」とでも思っているのなら、それはカルト宗教でしかない。どんな主張をするにしても、やり方ってものがあるはずだ。
http://blog.craft-works.jp/uru/20110412/article-2011-04-12
善意に感謝するために拡散しているというよりは、アグネス・チャンを批判するために拡散されているコピペのように見えます。児童ポルノ規制法の問題やその他の疑惑などに、アグネスが多くのネットユーザーから反感を買っているのは確かですし、僕も彼女の政治スタンスに距離を感じるところは多くあります。しかし、こうしたキャラクターに対しては、しばしば「誇張してでも叩く」「叩く要素を探してでも叩く」ということが行われてしまうので、そうした行為は避けなくてはなりません。批判をするなら、確かな論拠を元にする必要があります。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20110314/p1
わたし自身はいわゆる「非実在青少年」問題において創作上の表現規制に反対する立場であり、その点においてアグネス・チャンさんなどに対しては批判的な意見を持っている。だが、その批判において、デマやウソで攻撃することは完全に誤りだと考える。これはアグネス擁護ではなく、アグネス批判者が「デマで攻撃するような奴ら」だと思われたくないという気持ちもあることを理解していただきたい。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」はよろしくない。
http://www.kotono8.com/2011/04/08dema.html
#「補足」はこれにて打ち止めとして、次エントリからは連載に戻ります。
2011-04-01
「正当な対応」とやらのリスク評価等のため、この日のエントリはいったん非表示とさせていただきます。次の土日にでも、「正当な対応」が仮にわが身に講じられた場合の影響等につき、配偶者と協議の上、今後どうするかを決めたいと考えております。(2011/04/05)
配偶者の理解を得て、再度公開いたします。(2011/04/13)
アリフレ政策の議
東北地方太平洋沖地震の犠牲者には、心より哀悼の意を表したいと思います。また、その他被災者におかれては、今後は少しでも幸多かれと祈って已みません。
(続き)
あれこれ多忙でずいぶんと間が空いてしまいました。本当にすみません。加えてお詫びですが、構成を変えて、予定では次回の題材にしようと考えていたものを、今回取り上げることとし、本来今回取り上げるはずだった話は、次回に回すこととさせていただきます。
具体的には、まずはリフレ論とは次のような方向を目指すべきだよね、という話をした後で、にもかかわらずそうはなっていないよね、と続ける予定でしたが、そうはなっていない、すなわち問題のある議論を先に取り上げ、次いでwebmasterの良かれと思う方向性を出したいと思います。では、問題のある議論とは何でしょうか。次をご覧ください。
(宮崎)昨日の新聞なんかではFRBがアメリカの雇用情勢に深い関心を持っている、とありました。日本の新聞に載ってるわけです。でも日銀が日本の雇用情勢に懸念を表明して具体的な対策を明らかにした、なんて記事はついぞ見たことがありません。なぜですか?
(略)
(飯田)(略)世界を見てみると、殆どの国はインフレのみでやっています。インフレーション・ターゲットですね。唯一違うのがアメリカです。物価と雇用を使ってます。なぜかというとアメリカの中央銀行法が出来たのは1930年代なんです。つまり大恐慌の頃で、人々の最大の関心が雇用だったからなんですね。
(宮崎)なのでFRBが雇用について積極的に発言していくなんてことがあるわけですね。
(飯田)そうです。
http://since20080225.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
昨年12月の宮崎先生と飯田先生の対談ですが、これのどこに問題があるのか、とは多くの人が思うはずです。当然ですが、これはまっとうな議論です。
#と手放しにはいえない部分があるのですが、話が錯綜するので、それは「補足」として別エントリにして、上記はダメでない、ということで話を続けます。
しかし、実際の対談では、このような話にはなっていないのです。すなわち、略したところにダメな部分があるのです。引用部冒頭の宮崎先生の問いに対して、では、どのような回答がなされたのでしょうか。
(宮崎)昨日の新聞なんかではFRBがアメリカの雇用情勢に深い関心を持っている、とありました。日本の新聞に載ってるわけです。でも日銀が日本の雇用情勢に懸念を表明して具体的な対策を明らかにした、なんて記事はついぞ見たことがありません。なぜですか?
(飯田)日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした。
(宮崎)たすき掛け人事と呼ばれてましたね。
(飯田)大蔵省で事務次官に一歩届かなかった人か、事務次官を引退した人の最初のポストでした。そういう人たちは当然高い目標は掲げません。彼らは役人人生の最期の花道を飾っていたわけで、傷つくようなことはしたくないんですよ。なので可もなく不可もなくを狙ってその後の素晴らしい人生を迎えたいわけですね。
http://since20080225.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
宮崎先生は、1997年、すなわち旧日銀法時代ですが、そんな10年以上昔のことを問題にしているのでしょうか? 「昨日の新聞」を引き合いに出している以上、そんなはずはありません。今、同じようなことを日銀総裁が言わないのはなぜか、というのが宮崎先生の問い立てのはずです。今の問題を論じるに当たり、今では事情が変わった話を持ち出してどうしようというのでしょう。端的には、98年に松下元総裁が辞任して以来、速水・福井・白川と大蔵省からの天下りでない総裁が続いています。この直近3代の総裁には問題は当てはまらない、というのであればさておき、そうでないなら、天下り問題を持ち出すのは筋違いもいいところです。
問題はこれだけではありません。たすき掛け人事時代の天下り総裁は、次のとおりです。
- 山際正道
- 46年 公職追放(事務次官)、50年 日本輸出入銀行専務理事、52年 日本輸出入銀行副総裁、54年 日本輸出入銀行総裁、56年 日銀総裁
- 森永貞一郎
- 59年 退官(事務次官)、60年 中小企業金融公庫総裁、67年 東京証券取引所理事長、74年 日銀総裁
- 澄田智
- 71年 退官(事務次官)、72年 日本輸出入銀行総裁、79年 日銀副総裁、84年 日銀総裁
- 松下康雄
- 84年 退官(事務次官)、86年 太陽神戸銀行取締役、87年 太陽神戸銀行頭取、90年 太陽神戸三井銀行会長、94年 さくら銀行相談役、96年 日銀総裁
通り相場としては森永元総裁以降を「たすき掛け」と言うようですが(山際元総裁と森永元総裁の間は、2代(うち1人は三菱銀行出身)離れているので)、サンプル数3ではと思い山際元総裁まで追加しました。いずれにせよ、「日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした」「大蔵省で事務次官に一歩届かなかった人か、事務次官を引退した人の最初のポストでした」というのも真っ赤な嘘です。全員次官経験者ですし、全員日銀総裁になる前に他のポストに就いています。
つまり、この応答は、そもそも時期が違うものを引き合いに出している上、その引き合いに出した例も事実無根という、残念ながらダメと言わざるを得ないものです。webmasterにとって何がショックかといって、このダメさもありますが、それ以上に、発言者が飯田先生であることでした。だって、あの飯田先生ですら、こと日銀に関しては信頼するのは危ないというなら、誰を信頼すればいいというのでしょう?
#とwebmasterが個人的に強い衝撃を受けたので本エントリを前倒した、というのが裏事情でございます。
現に、リフレ論壇でよく言われる、日銀の独立性が強すぎることが問題だ、という議論については、既に本連載の「政」にて、CroweとMeadeによる国際比較研究では支持されないことを示しました。日銀の独立性については、もう少し精緻なものがあって、目標設定と手段の2種類の独立性があり、前者を認めず後者を認めるのがあるべき姿なのに、日銀は両方とも認められていて問題だ、というものがあります。webmasterもこれまで何度も書いてきていて他人事ではないのですが、webmasterの論述を引くと「わざと欠陥のある記述で日銀を擁護している」とおっしゃる向きもいらっしゃるでしょうから、他の人のものを引きます。
中央銀行の独立性に対する支持は,時とともに発展してきました.合衆国をはじめ多くの国において,1970年代から1980年代はじめにかけての歴史的に高く不安定なインフレがきっかけとなり,金融政策と中央銀行の運営が再検討されることとなりました.それ以来,2つのグローバルな流れがまとまりをみせます:すなわち,改善された金融政策の実施がひろく採用されるという流れと,高インフレ率の事実上の駆逐という流れが合流してゆきます.この改善された金融政策の運営に含まれるものでとくにみるべきものとしては,中央銀行の独立性の強化,金融政策委員会における透明性の向上,そして,金融政策に委託された目標として物価安定を掲げること,が挙げられます.インフレ目標は,こうした原則を体現する枠組みとして広く採用されています.これは,政府がインフレの数値目標を設定し,その目標の達成は中央銀行の責任とするものです.インフレ目標だけでなく,これと同様の金融の枠組みも実効性が確認されています.
http://www29.atwiki.jp/nightintunisia/pages/34.html
これはバーナンキFRB議長の講演からの引用で、強調はwebmasterによりますが、国際的な標準としては政府が目標を設定し、達成(手段)は中央銀行が請け負うという話は、リフレ論壇で何度も語られてきました(繰り返しになりますが、webmaster自身何度も書いてきました)。例を引けば、
つまり、中央銀行の独立性は、目標まで中央銀行が決められるという「目標の独立性」ではなく、政府が目標を定めた上でその範囲内でどの様な達成手段をとるかは中央銀行に任せるという「手段の独立性」に限られるというのは、5月29日付本コラムでも紹介したバーナンキ米FRB(連邦準備理事会)議長の講演でも明らかなように、世界の常識だ。また、雇用の安定を目的に明記したのも米FRB法に準拠している。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20101125/plt1011251530000-n1.htm
というようなものです。しかし、実際には、これも誤りだったりします。
Specifics of inflation targets typically are set by the central bank, either jointly with the government or unilaterally. Of the 24 current inflation targeters, 4 have targets specified by the government, 8 by the central bank, and 12 are set jointly by the government and central bank.(以下略。試訳:インフレーションターゲットの具体は、類型化すれば中央銀行によって、あるいは政府と共同で、または政府によって定められる。現在インフレーションターゲットを導入している24ヶ国では、4ヶ国で政府が、8ヶ国で中央銀行が、そして12ヶ国で政府と中央銀行が共同して、それぞれターゲットを設定している。)
http://www.imf.org/external/pubs/ft/wp/2006/wp06278.pdf
上記高橋先生の論説は、バーナンキ議長がそう言っていた、というところは正しいですが、「世界の常識」というのは誤りです。バーナンキ議長だって神様じゃないんだから誤りはあり得るはずで、きちんと裏を取ろうということではありますが、政府か中央銀行か、いずれか単独で決めている国数を比べるなら、中央銀行だけで決めている方が多数派で、政府だけで決めている方が少数派なのです。多数派必ずしも正しからずではあり、多数派である目標設定の独立性を批判することそれ自体には何の問題もありませんが、その論拠として目標設定の独立性がないことが「世界の常識」というのは、明らかに事実に反しています。
#インフレーションターゲットを導入していない国まで射程に入れ、目標と手段とに区分した国際比較はwebmasterは見つけられませんでしたが、上記CroweとMeadeの研究では、policy formulationの項目については、日銀は99ヶ国中78位タイ(上から数えて。つまり、独立性が低い、ということ)です。目標と手段を共に決定する主体が国際的に見て稀というのであれば、このような順位はあり得ないとwebmasterは考えております。
誤解する人がいそうなので重ねて申し上げるなら、これは規範的(normative)に誤っていると申し上げているわけではなく、記述的(descriptive)に誤っていると申し上げているわけです。日銀に目標と手段の独立性を共に備えさせた方がよい、ということではなく、独立性は手段に限るべきという主張をする際の、世界の常識は手段に限定した独立性だ、という論拠が事実に反している(更に言えば、そうした事実に反する論拠を持ち出すべきでない)ということを申し上げているのです。言い換えれば、日銀の金融政策に係る独立性は手段に限られるべきである、と規範的に主張すること自体には問題はありませんが、手段の独立性が世界の常識だから日銀もそうあるべきだ、という記述的な主張は間違っており不適切だ、ということです。
こうした誤った主張の極北が、次に紹介する浜田先生の論説です。
今、日本はデフレだが、金融政策だけではデフレを止められないという説は、患者は胃腸を痛めているが、胃腸薬を独占している医者(日本銀行)が、胃腸薬は渡せないので、この病気は循環器の専門医で治してもらえといっているがごとくである。その理由は、この薬を使うと、いつか遠い将来この患者が超下痢(インフレ)になる心配があるからだという。しかしその本音は、金融緩和という薬を使うと、名目金利が安くなり、胃腸医である日本銀行に、(天下り先の短資会社が困るといった)商売上の不利益が及ぶかららしい。(日本銀行の)商売上の利害を患者の回復よりも重要視しているのである。
(略)
すでに日本銀行の政策決定の検討から浮かび上がってきつつあることは、まずコール市場のことからわかるとおり、特殊権益はたしかに重要である、それとともに、無知も重要な要因である、ということである。経済学者がもう少しマクロ経済学の基本と、そこでの貨幣と実物の関係を知っていたならば、これほどまでに素直に御用学者とはなれなかったと思えるからである。そして、両者の中間の形が浮き上がってくる。すなわち、特殊権益に利害を左右されるような機関、グループは、その利害に有利なようなアイデアを、あたかも客観的なアイデアとして伝播しようとする。
短資会社の主な商売はインターバンク市場の仲介ですが、その商売の種がどのように推移したか、バブル崩壊後の1993年(暦年)から無担コール市場残高をGDPデフレータと並べて掲げると次のとおりです。
無担コール平残 GDPデフレータ 1993 289,824.8 0.4 1994 313,284.3 0.1 1995 324,985.4 ▲0.5 1996 304,932.3 ▲0.6 1997 299,018.5 0.5 1998 271,770.1 0.0 1999 143,775.6 ▲1.3 2000 129,603.3 ▲1.7 2001 115,315.3 ▲1.2 2002 53,424.3 ▲1.5 2003 46,640.4 ▲1.6 2004 53,152.8 ▲1.1 2005 72,563.3 ▲1.2 2006 104,780.0 ▲0.9 2007 143,118.2 ▲0.7 2008 136,663.3 ▲1.0 2009 59,163.0 ▲0.4 2010 49,021.3 ▲2.1
#無担コール平残は単位億円。GDPデフレータは2009年までは確報値、2010年は第一次速報値。
数字を眺めれば直感的にご理解いただけるかと存じますが、デフレの進行と無担コール市場の縮小が、デフレの緩和と無担コール市場の拡大が、概ね同時に現れています。両者の相関係数をとってみると、なんとその値は0.78。デフレで信用創造が停滞してインターバンク市場が縮小する、という因果関係を想定するのは妥当と考えますが、とまれ、日銀が「特殊権益」を狙って金融政策を運営するなら、全力でデフレ脱却を狙うはずです。
「特殊権益」仮説をさらにつっこんでみましょう。期間を変えて相関係数をとってみると、1993年から2002年までの相関係数が0.87ともっとも大きくなっています。他方、2003年以降の相関係数は0.48。すなわち、2002年までに比べ、2003年以降は無担コール市場の規模と物価変動との連動性が薄れてきています。どのように薄れてきているかといえば、デフレであっても無担コール市場が縮小せず、増加すらする、という方向にです。具体的には、2002年までは、GDPデフレータが平均で▲1.1%で、それにともなって無担コール市場は年平均▲26.2%で縮小していました。これが2003年以降となると、GDPデフレータの平均は同じく▲1.1%ですが、無担コール市場の増減率は年平均+5.1%になっています。
では、2003年に何が起こったかを考えれば、速水元総裁から福井前総裁への交代であり、溝口・テイラー介入でした。2003年以降、2006年(量的緩和が終わった年)の期間について上記の平均を計算すれば、GDPデフレータの平均は▲1.2%であるにもかかわらず、無担コール市場の残高は年平均+20.5%だったのです(ちなみに2007年以降だけを見れば、GDPデフレータの平均は▲1.1%で、無担コール市場の残高は年平均▲10.4%)。
すなわち、「特殊権益」仮説が正しいなら、福井前総裁の日銀当預残高の積増しや溝口・テイラー介入こそが、短資会社の商売が成り立つよう無担コール市場の縮小に歯止めをかるためになされた施策である、という説明でしかあり得ません。端的に言えば、金融緩和は短資会社の商売にプラスで、金融引締めは短資会社のマイナスになるので、日銀は本来金融を引き締めるべきところで緩和姿勢にこだわる、ということ。これと逆の意味で用いられている浜田先生流の「特殊権益」仮説は、実際の計数と矛盾している可能性が極めて高いといわざるを得ません。浜田先生がおっしゃる意味で日銀が「特殊権益」で金融政策を決めていたならば量的緩和解除はあり得なかったであろう、とデータが強く示唆しているのです。
更に言うなら、日銀は短資会社の利益という「特殊権益」を傷つけてでも、リフレ政策を拒んでいたということ。量的緩和積増し+溝口・テイラー介入程度の緩和で無担コール市場がこれだけ活性化したのですから、本格的にリフレ政策を採用していればどれだけ無担コール市場が栄えたことでしょう。しかし実際の歴史において日銀は、リフレ政策を採用しないために「特殊権益」を犠牲に供したのです(現に、国内系短資会社は、デフレに突入して以降、6社から3社に半減しています)。皮肉なことに、リフレ政策実現のためには、浜田先生がいうように日銀が「特殊権益」に塗れていた方がよほど都合がよかったのです。
事程左様に、誤っている日銀論がリフレ論壇で多発しています(今日は4月1日ですが、残念ながらエイプリルフールではありません)。それも、誤った議論を題材とした飯田先生の「ダメな議論」のチェックリストでいえば、皆「単純なデータ観察で否定されないか」にひっかかるものばかりです。歴代総裁の履歴はググればすぐわかりますし、Crowe・Meade論文やIMFペーパーは、いずれもリンクを張ってあるようにネットで公開されてます。GDPデフレータにしても無担コール市場残高にしても普通に入手できる統計で、いずれも「単純なデータ」以外の何物でもありません。皆様、ご本業ではこんな「ダメな議論」はされていないはずなのに、こと日銀が絡むと「ダメな議論」のオンパレードになってしまうのは、「ダメな議論」から引くなら、
では、なぜ私たちは誤った見解や無内容な主張に納得してしまうのでしょうか? それは、私たちが他の人の意見を聞いて判断をする際の心の働きによると考えられます。社会問題についての言説に出会ったとき、私たちの内部で働いているのは論理やデータによって妥当性を確かめようという理性だけではありません。その意見が自分にとって都合がよいか、自分の気分に合っているかという打算と好悪の感情が必ず働きます。ある言説に対する態度を決めるに際して、このような感情の働きは、しばしば理性を上回る力を発揮します。
ということでしょうか。
とまれ、このような議論をすると、リフレ論者を批判するとは日銀の犬め、というような非難を浴びたりもするわけですが、最近、大屋先生が(別の議論についてではありますが)、
(略)要するに他人を批判した場合にその対象と発言者どちらの評価が下がるかというのはその批判の品質に依存するので、低品質な批判をやたらに他人に向けるのは一般的には得策ではないのだがな、ということ。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000760.html
とご指摘のとおり、誤った日銀批判こそがリフレ政策の信頼性をより大きく傷つけるものとwebmasterは考えています。日銀批判は正しく行っていただきたい、そうでないと、日銀以上にリフレ論者が信頼されなくなってしまう、と指摘することこそがリフレ実現への第一歩であり、過てる日銀批判への批判に躊躇する方が、よほど日銀を利するものではないでしょうか。
(続く)
「アリフレ政策の議」の補足その1
本文での引用を再録します。
(宮崎)昨日の新聞なんかではFRBがアメリカの雇用情勢に深い関心を持っている、とありました。日本の新聞に載ってるわけです。でも日銀が日本の雇用情勢に懸念を表明して具体的な対策を明らかにした、なんて記事はついぞ見たことがありません。なぜですか?
(飯田)日本銀行総裁というのは97年までは大蔵次官になれなかった人のためのポストでした。
(宮崎)たすき掛け人事と呼ばれてましたね。
(飯田)大蔵省で事務次官に一歩届かなかった人か、事務次官を引退した人の最初のポストでした。そういう人たちは当然高い目標は掲げません。彼らは役人人生の最期の花道を飾っていたわけで、傷つくようなことはしたくないんですよ。なので可もなく不可もなくを狙ってその後の素晴らしい人生を迎えたいわけですね。
http://since20080225.blogspot.com/2011/01/blog-post.html
ここでは、日銀が雇用情勢に深い関心を持っていないことが前提になっているわけですが、本当にそうでしょうか。
(問) 「金融経済月報」は、景気は、生産が落込み、企業の収益が悪くなって、所得が落ち、内需が冷え込むという悪循環の惧れを示していると思うが、総合経済対策が打たれることによる景気のテコ入れ効果よりも、景気の悪循環の方が強まらないか。景気の悪化する速度と対策の強さについてどう判断しているか。
(答) 物価の方は内外の需給緩和を反映して、国内卸売物価が下落を続けているし、消費者物価の方も基調的には前年比上昇率がゼロ近辺まで低下してきている。
経済活動の現状をみると、雇用・所得環境が厳しさを増しており、これが内需の一段の低迷に繋がっている訳で、こうした面からみると、物価は当面軟調に推移する可能性があると思う。
(略)
(問) 今の景気のおかげでビッグ・バンが加速的に進むのか、あるいは逆にビッグ・バンのおかげで日本の景気の回復が助けられるということがあるのか、それぞれの相互的な影響について、短期的・長期的な意見を聞きたい。
(答) 外から強い企業がどんどん入ってくるということで、日本の企業が吸収されたり、競争に負けたりといったようなことが、起こるかもしれない。そういう意味での直接的なマイナスというか逆風というものがあるかもしれないが、いずれはやらなければならない「フリー、フェア、グローバル」というのは、それでないと食っていけないはずである。やや遅ればせながら、4月1日から対応するようになったということは、非常にプラスであると思う。
(略)
英国のビッグ・バンの時もそうであったが、取引が急速に増えて、それに伴って、通信とかあるいは情報関連の波及産業というものが急速に増えて、雇用が増え、所得が増えた。この数字は、英国の数字などをご覧になると非常にはっきりと出ている。日本も、確かにこれまでの間接金融方式で、製造業としては、あっという間に世界一の強さを持つようになった訳であるが、サービス産業、第三次産業になると、これまでの規制の影響で、競争力を持たなかったというか、家計、消費者、あるいは庶民が、定まった値段で、定まった質のものを買うしかなかったという状況が続いた訳で、金融などを含めて新しい商品がどんどん海外から入ってくるということは、消費者にとっては非常にプラスであると同時に、新しい仕事を創っていく。
今日本のGDPの中で、サービス産業は60%を少し超えた位であるが、アメリカなどは、特にディ・レギュレーション、規制緩和・撤廃を行って、その後に急速に増えていった雇用というのは、情報産業を始め、サービス産業が多い。金融もそうであるし、室内装飾といった類のものもそうである。そういうものが、これから日本でも新しい雇用機会を作っていき、所得を生み出していくようになっていくことを、私は非常に期待している。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/kaiken_1998/kk9804c.htm/
一方、個人消費は弱めの動きを続けています。企業が、売上げが伸び悩む中でも高い収益を上げているということは、リストラによる経費や人件費の削減効果が大きいことを示唆するものです。その裏返しとして、個人にとってみれば、雇用・所得環境は厳しい状況が続いており、その影響が個人消費にも及んでいます。
(略)
日本経済は、バブル崩壊以降長く低迷を余儀なくされていますが、それでも過去に何度か回復局面を迎えました。ただ、その都度、持続的な成長軌道に復することなく、海外経済の後退や国内金融システム不安の台頭などによって、後退局面に戻ることを繰り返してきました。
この背景には、例えば、企業の過剰債務や過剰雇用といった問題が解消していないことがあります。海外経済の活況などに伴って生産が上向き、企業収益が増加しても、企業は過去の債務の返済に追われ、あるいは返済を優先し、新規の設備投資には容易につながっていきませんでした。また、過剰雇用の解消に向けた動きの中で、厳しい雇用・所得環境が続き、個人消費は伸びませんでした。このような過去の行き過ぎの調整圧力によって、内需が自律的に拡大していく力が弱くなっています。
でも、それだけの理由でこんなにも長期にわたって低迷が続くものでしょうか。
これまでの過程を冷静に振り返ってみますと、問題はそうしたバブル経済崩壊の後遺症としての過剰債務、過剰雇用に止まりません。より厳しい問題に逢着していることが分かります。
(略)
日本経済を現状の苦境から脱却させるためには、企業や個人が将来に期待を持ち、積極的な活動が生まれるような、新しい(ダイナミックな)経済の仕組みを構築していかなければなりません。
(略)
さらに、賃金や雇用の問題があります。生産性に見合って賃金が決定される仕組み、流動的な労働市場、この二つがこれからの日本経済には欠かせない要素です。年功序列型の賃金体系や終身雇用制をこうした新しい要請にどう調和させていくかが、大きな課題です。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2003/ko0307d.htm/
わが国の経済をみると、海外経済の減速により輸出が大幅に減少していることに加え、企業収益や家計の雇用・所得環境が悪化する中で、内需も弱まっています。金融環境をみると、中小企業を中心に資金繰りや金融機関の貸出態度が厳しいとする先が依然増加するなど、厳しい状態が続いています。これらを背景に、わが国の景気は大幅に悪化しており、当面、悪化を続ける可能性が高いと予想されます。
(略)
世界的な金融情勢や海外経済の動向次第では、わが国の景気が下振れるリスクがあることに注意する必要があります。また、企業の中長期的な成長期待が低下し、設備や雇用の調整圧力が高まることを通じて、国内民間需要が一層下振れるリスクもあります。金融環境が更に厳しさを増す場合には、金融面から実体経済への下押し圧力が高まり、金融と実体経済の負の相乗作用が強まる可能性があります。
http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2009/ko0903b.pdf
上から順に速水、福井、白川の元・前・現総裁の発言ですが、引用中の強調部分(強調はwebmasterによります)にあるように、雇用についてそれぞれ触れています。宮崎先生は、あくまで記事を見たことがないとおっしゃっているだけで、日銀総裁が発言したことはないとはおっしゃっていないわけですが、マスメディア批判ではなく日銀批判の文脈である以上、発言しているのにメディアがちゃんと報じないということではなく、メディアが報じていない=発言していない、とのご認識のはず。ここでも、「単純なデータ観察で否定されないか」のチェックにひっかかる「ダメな議論」になっています。
これだけなら、わざわざ補足に外だしする必要はないのですが、日銀に対して雇用について関心を持って発言しないと批判することは、ダブルスタンダードでもあります。上記の発言中、速水・福井発言については、かつて、日銀がその手の構造問題に言及することは所管外への余計な口出しであり、それよりも本業である金融政策に注力せよ、との批判がなされていました。当時そのような批判をした人間(たとえばwebmaster)は、雇用とて所管外なのですから雇用への言及が少ないとしても許容すべきですし、今、所管外であっても雇用に言及すべしと主張するのであれば、今後、日銀が構造問題に言及したとしても、内容への批判であればさておき、所管外に口を出すな、という批判はすべきでないということになります。
で、これはwebmasterの主観的な記憶ではあるのですが、かつてリフレ論者はほとんどが、この「口出し」について「口出し」であることそのものを批判していました(中身についても批判はありました。念のため)。にもかかわらず、この引用部分等について、ダブルスタンダードだとの批判がなされないのは、いかがなものかと思います。ダブルスタンダードもまた、単純な事実との齟齬と同様、議論の信頼性を損なうものだからです。
「アリフレ政策の議」の補足その2
日銀批判を批判しておいて、ではwebmasterは日銀がリフレ政策を採用しない理由を説明できるのか、との疑問があって当然ですので、改めて述べておきます(ずいぶん間が空いた上、かつては順を追って論を展開したので、冗長でもありますので)。一文で書けば、
ということになります。それぞれについての「単純なデータ」は、次のとおりです。
まず、バブルの警戒ですが、現行日銀法が策定された際、その検討結果には次のような記述が含まれています。
日本銀行の金融政策の最も重要な目的は、「物価の安定」を図ることにある。
その際、日本銀行の金融政策運営は、物価の安定を図ることを通じて、「国民経済の健全な発展」に資することを基本とすべきである。
なお、いわゆるバブル経済期には、一般物価水準は安定している中で、地価・株価等の資産価格が高騰し、実体経済に大きな影響を及ぼした。この点に鑑み、一般物価水準だけでなく各種価格の変動にも留意することが望まれる。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/cyugin/hokokusyo.html
日本銀行の金融政策(通貨及び金融の調節)の最も重要な目的は「物価の安定」を図ることにある。その際、日本銀行の金融政策の運営は、物価の安定を図ることを通じて、「国民経済の健全な発展」に資することを基本とすべきである。
ただし、日本銀行は、ただ物価の安定にのみ専念すれば足りるものではなく、物価の安定を基本とし、国民経済の健全な発展に資するよう、機動的かつ的確な金融政策を遂行することが求められている。
(略)
さらに、一般物価水準が安定している中でも、地価・株価等の資産価格の高騰・急落が生じ、国民経済に深刻な影響を与える可能性があることは、過去の経験が示すところであり、日本銀行は、資産価格の変動にも留意していく必要がある。
http://www.fsa.go.jp/p_mof/singikai/kinyusei/tosin/1a601f3.htm
このとおり、現行日銀法でいう「物価の安定」を図る際には、バブルの反省に鑑み資産価格にも留意する必要がある、ということになっているのです。本文で、規範的・記述的の違いに言及しましたが、資産価格に留意すべしとは、webmasterは規範的には不適切だと考えますが、このような経緯がある以上、日銀がそのような制約を課せられているのは事実だと記述的には言わざるを得ません。
日銀は非常識なまでに強い独立性を備えているとの立論をされる方におかれては、日銀をかつての関東軍に擬える向きも少なくありませんが、こと制度論の観点から評するなら、このような現行日銀法の趣旨に反してバブルへの目配せ抜きに金融政策を運営した場合の方が、よほど関東軍と行動原理を近しくするものとなるのです。関東軍が、その指導部が主観的に良かれと思ったことを達成するために、通説的な憲法解釈に基づく統帥権の統制を逸脱して独自行動に走ったことは、こうした経緯を無視して「物価の安定とは一般物価のみに着目すればいいのだ」と日銀が金融政策を行うことと、制度論的には変わらないのですから。
次いで財政マネタイズの警戒ですが、まずは「鑑」で書いたように、CroweとMeadeの分析によれば、財政マネタイズに対しては、世界各国の中でも極めて独立性が低いグループに属することを押さえるべきです。財政マネタイズについて独立性が低いことと、それを警戒することが直ちに結びつかない方もいらっしゃるかと思いますので、補助線としてモラルハザードの概念を用います。
世間的な誤用は措くとして、経済学的に正しいモラルハザードとは、保険を掛けていると不注意になる、ということです。保険がかかっているから損害が生じても大丈夫だと考えて注意を怠り、結果的に保険事故の発生確率が上がることが、モラル(注意すべきという倫理)に起因するハザード(保険事故発生確率の上昇)なわけです。
#反意語が、物理的に損害が生じる確率を示すフィジカルハザード。たとえば火災保険に関し、保険を掛けたからタバコや揚げ物油をぞんざいに扱うという問題がモラルハザードで、下町の木造家屋について慎重に取り扱うべきだという問題がフィジカルハザードです。
注意を怠っても大丈夫なら注意を怠り、注意を怠るとひどいことになりそうならきちんと注意を払うとは、もちろん、保険に限られる話ではありません。財政マネタイズについても、制度的な歯止めがなければ、不用意に金融緩和すれば財政マネタイズにつながりかねないと尻込みし、逆に制度的な歯止めがきちんと講じられているなら、いくら金融緩和をしても財政マネタイズにはつながらないため緩和しやすいということになるでしょう。
CroweとMeadeの分析に立ち戻って検証してみます。リーマンショック以降に大胆な金融緩和を行った国として、webmasterが独自にサンプルを選んだとなると恣意的だとの批判も考えられますので、
浜田: バーナンキは恐慌の専門家の世界的権威と呼んでもいい人ですけど、リーマンショック後、彼が議長を務めるFRBでは大幅にバランスシートを膨らませた。いってみれば、貨幣の供給量を増やしたわけです。
それから非常に尊敬されたファイナンスの学者・マーヴィン・キングが総裁を務めるイングランド銀行も、アメリカ以上に増やしたんです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/2187
で掲げられている、アメリカ、イギリス、ユーロ圏、スイス、スウェーデン、韓国の6ヶ国・地域の中央銀行を見てみます。
- アメリカ
- limits on CB lending to governmentの順位:52/99
- イギリス
- 順位:97/99
- ユーロ圏
- 順位:57/99
- スイス
- 順位:39/99
- スウェーデン
- 順位:2/99
- 韓国
- 順位:88/99
- 日本
- 順位:90/99
まず、韓国・イギリス以外はみな、日本よりもはるかに財政マネタイズへの制度的保障が整っているので、webmasterの仮説と整合的と言えるでしょう。次いで韓国は、日本よりも財政収支がはるかに良好なので、制度的な保障はなくても、財政マネタイズを求められる環境にないのだと考えれば、大規模な金融緩和へのためらいは小さかったと整理可能です。
最後のイギリスはどうでしょうか。財政マネタイズ関連の独立性の順位は日銀以下ですし、韓国と違って財政状況は(日本ほどではないにせよ)悪いので、環境的にも財政マネタイズを懸念すべき状況にあります。webmasterの仮説は誤っていたのか・・・答えは、イングランド銀行が自ら明らかにしています。
6. Are you not simply monetising government debt? Is there any economic distinction between buying government debt in the secondary market from buying it directly from the Government?
The key point is that the Bank is not being forced to create money in order to cover the gap between the government's tax income and its spending commitments. If it were carried out to finance the budget deficit, it would be a violation of Article 123 of the Treaty on the Functioning of the European Union. Rather, the Bank is undertaking quantitative easing in order to meet the inflation target and will sell the government debt back to the private sector once the economy recovers, thus unwinding the original increase in the money supply.
Central banks routinely buy and sell government debt in the secondary market as part of their normal operations in the money markets and such operations are not deemed to amount to monetary financing under the Treaty on the Functioning of the European Union. The only thing that distinguishes quantitative easing from normal operations is their scale and the length of time for which the assets are likely to be held.
http://www.bankofengland.co.uk/monetarypolicy/qe/askqa.htm
イギリスの内国法では財政マネタイズへの歯止めが定められていません(だから、CroweとMeadeのスコアが低くなっているわけです)が、その代わりにマーストリヒト条約によって制度的に保障されているので、心配しなくてよいのだと。
#webmasterが提唱する「アリフレ政策」において、実現可能性を高めるためバブルや財政マネタイズへの警戒感に配慮しているのには、一応、こういう裏付けがあるのです。
2010-12-26
高橋洋一「バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる」
休筆前の最後の連載を多忙にて再開できず、誠に申し訳なく存じます。今般、とある中傷を受け、このままでは不当な評価が定着するおそれがあることから、自らの約束に反し本来すべきでないことは承知の上、この中傷関連に限定して、連載ではないエントリを書かせていただきます。
*法律は普遍の自然法則ではない
ブログを開いているある覆面官僚が、労働保険特別会計について同じような言い方で私を攻撃してきました。「高橋は、特別会計の資金は他に使えないという法律も知らないで、埋蔵金があるなどと言っている」というものです。
この人物はこうした法律の話をよく持ち出してくるのですが、冗談ではありません。労働保険特別会計の埋蔵金が法律を変えなければ、他に使えないということは百も承知です。承知しているからこそ、その法律を変えたらどうかと提案しているのです。その官僚は、私が法律の知識を持ってないと言いたい、あるいは思わせたいようです。これは官僚が使う常套手段です。
高橋洋一「バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる」, pp63, 64
ここで対象とされているwebmasterのエントリを部分的に転載します。
―この2200億削減をめぐって診療報酬が削られたりと、現場にしわ寄せがきているため、どう工面するかで毎年苦労しています。全くもって単純な話です。約5兆円の“埋蔵金”が厚労省の中にあるのですから、それを使えばいいのです。厚労省の一番大きい埋蔵金は、雇用保険特別会計です。今まで余ったストックが5兆円くらい、フローベースで来年度余る繰越金の8000億円があります。これを2200億円に充てればよいだけの話で、それでも余っていますよね。一般会計を削ったということにして、特別会計の余り金を充てる。このやり方なら、シーリング目標である財政再建にも反しないでしょう。おまけに財務省が見逃していて気付かなかったものですが、一般会計から雇用保険に2000億円の繰り入れまでしていたのです。さすがに最近は気付いて渋るようになりましたが、これを社会保障費に回すことだってできますよ。
■「厚生」「労働」壁をなくせ
では、余った雇用保険特別会計で何をしていると思いますか。「私のしごと館」などを造っているわけです。あんな役に立たない箱物を造るぐらいなら、何とかしてほしいと叫ばれている2200億円に充てればいいでしょう。厚労相の一声でできますよ。
「厚生労働省」とはいえ、実際の中身は合併前のセクショナリズムが働いているので、「なぜ『労働』の財源を『厚生』に回さなければいけないのか」という声が労働側から上がっていて、できないのでしょう。でもそんなことは外部からしたら関係ない話だから、あえて言います。「厚生労働省」という一つの組織の中でなぜできないのか。全くおかしな話です。もっとも、注意しなければならないのは、2%台を予想されていた名目経済成長率が07年度で0.6%、08年度では0.3%ぐらいまで下がっていて、そのせいで税収が落ちています。「骨太の方針2006」で5年間シーリングが決まっていますが、このままでは達成できないので、本来は「2008」の内容は変えなければなりません。その意味では変な状況が続いているということです。税収が落ちている時に2200億円を削るか削らないかという議論があってしかるべきですが、2200億円よりさらに削減額が増えたとしても、ストックが5兆円あるでしょ(笑)。それに回せばいいだけなのに、2200億円でどうこう議論しているなんてばかばかしい話です。
これはあんまりです。デタラメとしかいいようがありません。以下具体的に。
その1。雇用保険料は「雇用保険事業に要する費用に充てるため政府が徴収」したもの(雇用保険法第68条第1項)なので、それを社会保障費2,200億円に厚生労働大臣の一存で充当することは法律違反です。「厚労相の一声でできますよ」って、できませんってば。
その2。では法律改正をすればできるのかといえば、形式的にはできますが、それをすべきかどうか。雇用保険料は端的には失業した際にある程度の収入を保障してもらうために支払われたものです。つまりは問題は、一定の受益を約して負担されたものの目的外転用の是非であり、そのような法的観点を捨象して経済的観点に絞っても、雇用者・被雇用者から自営業者・非労働者への所得移転の是非です。素直に考えれば、余っているなら料率を下げろということですし、現に昨年の法改正で料率は下げられています。そうしたことに触れもせず、旧厚生省と旧労働省のセクショナリズムに問題を矮小化するのは、わかっていてやっているならきわめて悪質な印象操作ですし、わからずにやっているなら勉強不足といわざるを得ません。
(以下略)
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080817/p1
ご覧いただければ一目瞭然かと存じますが、高橋先生のご指摘は、次のとおり正しい事実を何ら含んでおりません。
- もともとの高橋先生のテキストには、法律を改正せよとは一言も出てきておりません。「厚労相の一声でできる」とありますが、日本において法律改正は国会の議決を経ねば不可能であり、大臣(行政府)の判断で可能だと高橋先生が事実誤認をしていらっしゃらない限り、元のテキストには法律改正せよとのご主張の一片たりとも見出すことはできません。今般のご指摘については、「厚労相の一声でできる」とおっしゃったことに対して、それは法律でできませんと申し上げたわけですが、そうした前提の下でなされたwebmasterの指摘を不当に一般化して批判されていらっしゃいます。
#わざわざ、「法律を変えなければ、他に使えないということは百も承知です」とおっしゃっているのですから、当時とご意見を変えられたのでない限り、大臣の判断で法改正が可能だと事実を誤認をしていらっしゃっるのでしょうけれども。 - 当時、これで終わりにしてもよかったのですが、仮に法改正をするのならば、と高橋先生の「厚労相の一声でできる」とのご主張の難点をwebmasterは勝手に改善した上で、その是非を論じております。すなわち、当時有りもしなかった「その法律を変えたらどうかと(の)提案」を善解して対象に据えた上で論じたわけですが、今般の高橋先生のご指摘では、こうした事実関係はなかったこととされ、webmasterは法律に書いてないからできないとしか言っていない論者だと印象操作されております。
#一点だけ、「その官僚は、私が法律の知識を持ってないと言いたい、あるいは思わせたいようです」というのはおっしゃるとおりで、webmasterが、高橋先生が法律の知識を持ってない(と推察される)、と申し上げているのはご指摘のとおりです。法律を定められるのは国会であって政府(大臣)ではない、とは中学生レベルの知識ですので、かくwebmasterが思うのも故なきことではないと考えております。
なぜこんなやり口が罷り通るかといえば、日本のマスコミが官僚のこんな低レベルの詭弁さえ見抜けず、質問も反論もしないので、どうせ誰にも分かりはしないと舐めきっているからです。だから官僚たちは涼しい顔をして、「それはいまの制度では使えません」などと言っているのです。
高橋洋一「バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる」, pp63, 64
webmasterの主張を不当に歪めての印象操作に加え、「官僚が使う常套手段」などと人の属性に事寄せた中傷をする前に、ご自身が書かれた上の文章がご自身に当てはまることがないか、お考えになられた方がよろしいのではないでしょうか、高橋先生。
2010-08-29
アリフレ政策の鑑
(続く)
#とある方のご助言をいただき、当サイトのホームページの最初に表示されるエントリに、当サイトの危険性に関する警告を掲載いたしましたので、ご覧いただければ幸いです。
ここまで論じてきたように、webmasterはリフレ政策が好意的に受容される可能性は低いと認識しています。そうした状況下でどのようなリフレ政策なら実現可能性が高いのか、ということろ論じたいわけですが、その前に、リフレ政策の実現可能性が高まっている、との観察に触れておきたいと思います。そうした観察は、概ね、
に基づいているものとwebmasterは考えておりますが、それぞれ、
- 現在の円高は実質実効為替レイトで見れば、名目値とは異なり過去最高というような水準には達していませんし、過去にはもっと厳しい経済状況があった(例えば2002年末〜2003年前半。にもかかわらず、当時においてすらリフレ政策は実現しなかったので、現状程度の経済状況がそれほどのドライヴィングフォースになるとは思われない)、
- リフレ論者が政治的にもっとも力を有していたのは郵政解散選挙直後、すなわち圧倒的リーダーシップを確立した小泉総理(当時)の最側近2名が政府・党の要職(竹中経済財政政策・郵政民営化担当大臣(当時)、中川(秀)自民党政調会長(当時))を占めていた時期であり、それに比べれば現在のデフレ脱却議連の政治的プレゼンスは劣る(にもかかわらず、当時においてすらリフレ政策は実現しなかったので、現状の政治状況がリフレ政策実現近しといえるものではない)、
と考えられ、リフレ政策の実現可能性は、そのリフレ政策が従来よく提唱されてきたもの(本連載でいえば、「アリフレ政策の経」でまとめたもの)に止まる限り、それほど高いものだとはwebmasterは思っていないのです。
というわけで、リフレ政策の実現可能性が低いことを前提に、その可能性をどのように高めていくかを考えてみます。前提として、政策決定過程について、「交換」のモデルを導入します。どういうことかといえば、経済において、「市場」で自らにとって限界効用が低いものを売り、高いものを買うという「交換」を通じてパレート最適が実現されるように、政治においては「アリーナ」で「アクター」が自らにとって限界効用が低いリソースと高いリソースを「交換」することを通じて、多くの「アクター」が許容する政策パッケージが実現していく、というモデルに基づき、考察を進めていくこととします。
リフレ政策の実現可能性が低いとは、リフレ政策に反対する「アクター」がそれなりにいて、賛成する「アクター」よりも多いということと考えられますが、リフレ政策と一口にまとめることなく、その中でより反対が強い部分を抜き出すことができれば、「交換」により実現可能性を上げることが可能です。俗っぽく言えば、「あなたがこれが嫌だというなら、それは取り下げるから、残りは問題ないでしょ?」ということです。これが、とにかくデフレ脱却がダメなのだ、ということならば「交換」は不可能になってしまうわけですが。
リフレ政策の何が問題だとリフレ政策に反対する「アクター」が考えているかについては、次の福田先生の論述がもっともよくまとまっているでしょう。
歴史にもしもは禁物だが、もしも当時の日銀がヘリコプター・マネーを大量に供給したならば、デフレは解消され、インフレが発生した可能性は高いといえる。しかし、それと同時に、日銀の中央銀行としての信認もおおいに揺らぎ、貨幣均衡の効率性が失われるリスクは高まったといえる。当時発生していた緩やかなデフレによってどれだけの社会的なコストが発生していたのかはコンセンサスが必ずしもあるわけではないが、少なくとも貨幣均衡の効率性が失われることによるコストよりははるかに小さかったといえる。したがって、かりに中央銀行に対する信認が失われる可能性が少しでもあるならば、ヘリコプター・マネーの大量供給は、社会的に望ましい政策とはいえない。
http://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/pdf/workingpaper/jseries/61.pdf
白川日銀総裁も財政マネタイズに由来するインフレを懸念しているとはかつて書いたとおりですし、その他、「資源配分への悪影響、中央銀行の財務状態をへの配慮等を無視してよければ、デフレの克服はたやすい」という植田先生のご指摘(を引用した飯田先生を孫引きしております)も同趣旨といえるでしょう。
そもそも、リフレ政策の柱である期待の転換に依拠すれば、サージェントの4大インフレーション分析のように、財政マネタイズが継続すると皆が信じる状況では、金融引締めにいそしんでもインフレーションは止まらないわけです。デフレ期待を転換したはいいけれど、転換先が財政マネタイズ期待になってしまうようでは、前門の虎後門の狼なわけで、そうならないような仕掛けは考えて当然ではあります。
通常のリフレ政策パッケージでは、「そうならないような仕掛け」とはインフレターゲットの上限指定ということになるわけですが、それで納得が得られるならばこうした議論の流れになっているはずもないので、もう少し妥協しないと「交換」が成立しないのでしょう。本来、財政マネタイズとは関係ない(むしろそれへの対抗策となり得る)インフレターゲティングにつき、日銀は財政マネタイズ等をやれといっても通らないからターゲットを持ち出し、それを達成せざるを得ないために植田先生のいう「たやすい」デフレ克服策=財政マネタイズを日銀に自主的に採用させようとしているのだと器具を抱いたと上川先生は分析されています(上川龍之進「小泉改革の政治学」p290)。
この分析はwebmasterは妥当だと思いますし、妥当であるならば、財政マネタイズが生じないような枠組みを構築すれば、日銀はインフレターゲティングに反対する理由もなくなります。福田先生や植田先生にしても、財政マネタイズへの懸念が払拭されるなら、デフレを是認していらっしゃるわけでもなければ、インフレターゲティングについても、せいぜいが無害無益だというぐらいで、積極的に反対されているわけでもないのですから、財政マネタイズのおそれがないリフレ政策であれば、許容される可能性は決して低くないとwebmasterは考えます。
#「あの」毎日新聞が、「『デフレ脱却や持続的成長の実現まで』などと超低金利の長期化を約束」するというある種のインフレターゲットについて、「課題」として「金利低下の余地が乏しく、円高抑制効果は限定的」という点だけしか掲げていないというのは、ある意味象徴ではあります。
こうした考えの支えとなるのは、「アリフレ政策の政」でご紹介したCroweとMeadeの分析です。それによれば日銀の独立性は強い方から数えて86位とのことでしたが、分野別に見ると、
- 総裁等任用(appointment):27位
- 政策形成(policy formulation):79位
- 政策目標(policy objective):63位
- 対政府信用制限(limits on CB lending to government):90位
と、政府に対する資金供給において独立性が低い、乱暴に言えば政府に財布として使われやすい点こそが、国際的に見て日銀の独立性が低いと判断されることの原因ですので、日銀等の懸念は決して杞憂とは、少なくとも制度的には言えません。逆に、対政府信用制限のスコアが上がるような施策を講じるならば、それは財政マネタイズの可能性を低めるでしょうから、それを懸念する「アクター」に対する「交換」材料としては格好のものと考えられます。
これらに加えて、デフレ脱却後(あるいは一定の名目成長達成後)の政府としての財政再建策の明示も、将来的における日銀への国債消化圧力が生じる可能性を減らすものなので、有効ではないかと思われます。これらは、通貨発行益の使用を意図しないこととほぼ等価ですから、リフレ政策の内訳としては、期待の転換一本に絞り込むこととなります。
では、どのように期待の転換を図るべきでしょうか。期待の転換とは、将来、金融を引き締めるべき状況になっても引き締めないとのコミットメントによってなされるとは、以前申し上げたとおりです。既に行ったことがある、とは導入のハードルを下げるものですから、日銀が過去に行ったことがあるコミットメントを見ると、量的緩和に際して導入した、
新しい金融市場調節方式は、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続することとする。
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako02/k010319a.htm
日本銀行は、金融政策面から日本経済の持続的な経済成長のための基盤を整備するため、消費者物価指数(全国、除く生鮮食品。以下略)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、量的緩和政策を継続することを約束している。日本銀行としては、このコミットメントについては以下のように考えている。
- 第1に、直近公表の消費者物価指数の前年比上昇率が、単月でゼロ%以上となるだけでなく、基調的な動きとしてゼロ%以上であると判断できることが必要である(具体的には数か月均してみて確認する)。
- 第2に、消費者物価指数の前年比上昇率が、先行き再びマイナスとなると見込まれないことが必要である。この点は、「展望レポート」における記述や政策委員の見通し等により、明らかにしていくこととする。具体的には、政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していることが必要である。
- こうした条件は必要条件であって、これが満たされたとしても、経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる。
http://www.boj.or.jp/type/release/zuiji/kako03/k031010b.htm
をベースとすべき、というのがwebmasterの考えです。ただし、このコミットメントによってはデフレ脱却ができなかったのですから、改めるべき点は改めるべし。
改めるべき点とは、まずは、植田先生がおっしゃ(り、岩本先生もご賛同なされ)る「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで」中の「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)」を「消費者物価指数(全国、除く食料(酒類を除く)及びエネルギー)」とする(いわゆるコアではなくコアコアを使う)ことと、「ゼロ%以上」を「1%以上」とすることです。内容の前に「交換」の観点からすれば、反/非リフレ政策支持者からの提案なのですから、実現可能性が高いことが最大のメリットでしょう。
内容については、「コア」ではなく「コアコア」とするのは、食料だけでなく特殊要因でぶれやすいエネルギーもまた、物価水準全体の動向の判断からは除くことが合理的だからです。「ゼロ%以上」を「1%以上」とするのは、ゼロ%台ではネガティブショックでデフレにすぐに戻ってしまうおそれがある上、消費者物価指数が統計的に不可避に上方バイアス(実際よりも数値が上ぶれすること)を持っているため、より安全を見込んだ数値とすることが望ましいからです。
加えて、webmasterとしては、「安定的にゼロ%以上」の具体として、「数か月均してみて確認」するということを、「12か月均してみて確認」とすることを提案したいと思います。上記コミットメントに基づき、日銀は2006年3月に量的緩和を解除しましたが、その際には、「数か月」=4ヶ月という運用がなされました(2006年3月に公表された同年1月のコア消費者物価指数で、前年11月から4ヶ月連続で前年同月比で「ゼロ%以上」となりました)。やはりこのときの失敗に鑑みれば、より時間をかけてじっくり判断すべきでしょうし、その際の基準として、1年を通じて1%以上である、というのはひとつの目安となるのではないでしょうか。
#テクニカルな話をすると、用いる消費者物価指数は連鎖方式によるものであるべきでしょう。一般論として、連鎖方式の方が上述の上方バイアスが小さいということに加え、上記の2006年の量的緩和解除の際の4ヶ月連続「ゼロ以上」は2000年基準により判断されましたが、解除直後の基準年の2005年への切替え後のコア消費者物価指数では「ゼロ以上」は達成されていなかった、ということがあります。2005年基準での4ヶ月連続「ゼロ以上」だと2006年10月解除となりますが(同年5〜8月で、8月のものが公表されるのが10月)、同じ「ゼロ以上」といっても水準は低く、解除されなかった可能性もあります。連鎖方式であれば基準年の切り替えがないので、こうした問題を考慮する必要がありません。
ただし、この基準の問題は、バブル期に当てはめると引締めが遅れることで、その実際の善し悪しを措いて、「バブルは防げません」という基準では、世の中通らないと考えられます。バブル期の日銀の引締めは1989年5月の公定歩合引上げから始まりましたが、1年以上コアコア消費者物価指数が1%以上なら引締め可、という基準で引締めが可能となるのは、1989年10月からです(1988年8月のコアコア消費者物価指数は前年同月比0.9%で、同年9月以降1年間1%以上が継続したと確認できるのは1989年8月の計数が公表される同年10月、ということです)。
この点については、日銀が実際にしたコミットメント中、政策委員の見通しで対処可能とするのが一案でしょう。「政策委員の多くが、見通し期間において、消費者物価指数の前年比上昇率がゼロ%を超える見通しを有していることが必要である」というものを、たとえば「2%を超える見通しを有している」場合には、1%以上が1年続かなくても引締め可能だ、と。
ただし、あくまで「1年続かなくても」であって、1%以上であることは必須です。というのも、期待の転換には既述のとおり「金融を引き締めるべき状況になっても引き締めない」ということが必要であり、1%に届かなくても引き締めるべきだと判断したら引き締める、ということでは物価に関わる期待の転換が望めません。たとえば、「消費者物価指数が前年同月比1%以上となり、かつ、前年同月比の数値が上昇を続け、かつ、政策委員の多くが(略)2%を超える見通しを有している場合には、12か月均してみての確認に先立って解除することも検討する」といったものが適当ではないかとwebmasterは考えます。
webmasterは以上の修正を考えていますが、もっと修正が必要だとのご指摘はあるでしょう。とりわけ、コミットメントが守られるかどうかについては、日銀は常に引き締めたがっているのだから外的な強制力が必要だ、との意見はリフレ政策支持者の間でも多く見られます。しかし既述のとおり、少なくとも量的緩和解除に係るコミットメントと実際の解除を見ると、日銀は具体的な条件は何一つとして違えていません。まったく前例がないというのであればさておき、実際に自らのコミットメントをきちんと守ったのが日銀なのですから、コミットメントの内容をリフレ政策的にまっとうなものにすれば、内心がどうであれそのコミットメントを守るとの期待は形成され、すなわち期待は転換されるとwebmasterは考えています。
というわけで、webmasterが実現可能と考えるリフレ政策、すなわち「アリフレ政策」をまとめると、次のようなものとなります。
- 期待転換策
- 次のいずれかが満たされるまで、ゼロ金利政策等の金融緩和政策を継続する。
- 連鎖式コアコア消費者物価指数が12ヶ月連続で前年同月比1%以上となる。
- 連鎖式コアコア消費者物価指数が前年同月比1%以上であり、かつ、その数値が毎月上昇を続け、かつ、政策委員の多くが、当年度及び翌年度(見通し期間)において、同消費者物価指数の前年同月比が2%を超える見通しを有している。
- 次のいずれかが満たされるまで、ゼロ金利政策等の金融緩和政策を継続する。
- 財政マネタイズ防止策
- 物価あるいは名目GDP成長率にリンクした財政再建策(プライマリーバランス黒字化等)にコミットする。
- 国際的に標準といえる定性的なマネタイズ防止策(買入れ国債の期限のルール化等)を策定する。
財政マネタイズ防止策を講じることにより、仮に期待転換策が十分な効果を発揮しなかった場合の通貨発行益の活用の手を縛るのは痛し痒しですが、通貨発行益活用手段を政策パッケージに含めることで、期待転換策すら実現できなくなってしまっては元も子もない、とwebmasterは考えます。期待値のような考え方ですが、たとえば実現可能性が10%の100点の政策パッケージの期待点は10点で、可能性が90%の50点のそれは45点となり、内容だけを取り出せば半分のものでも、実現可能性が高ければ高い点を与えるべきではないでしょうか。そして、本エントリで縷々述べてきた状況に照らせば、やはり財政マネタイズ防止策とセットでないと、リフレ政策の実現可能性は低いものに止まらざるを得ないでしょう。
とはいっても、単に実現可能性が高い、と言っているだけでは説得力があるはずもなく。具体的にどうすれば実現できると考えられるか、そこを掘り下げていきましょう。
(続く)
2010-08-25
お詫び
休筆すると宣言したのに、いつまで書き続けているのだ、とのご指摘をいろいろといただいております。webmasterにとってのリフレ論の集大成(=「アリフレ」連載)を仕上げて白鳥の歌とする、との方針にはまったく変更はなく、現時点では、
- アリフレ政策の鑑(どのようなリフレ政策が実現可能性が高いと考えられるか)
- アリフレ政策の途(そうしたリフレ政策をどうしたら実現できると考えられるか)
- アリフレ政策の議(他のリフレ政策及びその実現に向けた議論との比較)
の3回で完結する見込みです。
「アリフレ」連載のほか、最近、それに付随する話題(とwebmasterが考えたもの)についてエントリを書いてきましたが、「集大成」だけ書いて休筆するとの宣言に反しているとのご指摘に接すれば、確かに書くべきではなかったかと思います。
したがって、以後は「アリフレ」連載の完結に注力し、その他のエントリは書かないこととする旨、お詫びとともにお約束させていただきます。自ら申し上げたことも守れず、大変失礼いたしました。
2010-08-24
馬鹿馬鹿しくなってきたなぁ。
ところで田中秀臣も玄田有史も「自覚した覚悟あるデマゴーグ」だと思っている。彼らはたぶんどちらも自らの信じる公益を実現すべく頑張っている。その意味では世を欺いているわけではない。ただし手段は選ばない。理性的な討論や説得にはそれほど期待していない。つまり「デマゴーグ」。
http://twitter.com/shinichiroinaba/status/21751347493
「そういうデマゴーグは、たとえ自覚的であろうとも長期的には有害だ」という批判は確かに相当程度正しいとは思うのだが、昨今は「原則には例外がつきもの」との悪魔のささやきがよく聞こえる。
http://twitter.com/shinichiroinaba/status/21751535205
地獄に堕ちるのを覚悟の上で、「悪魔のささやき」に惹かれてしまうご自身の業を引き受けていらっしゃるのかと思いきや。
shinichiroinaba えらすぎる//追記乙です。
http://b.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20100822#bookmark-24257630
地獄には堕ちたくないから念仏を唱えていらっしゃったとは。ま、投げ散らしたウンコを拾ってくれる人がいるのだから、ウンコ投げを止める必要性はお感じにならないんですよね!
2010-08-20
アリフレ政策の世
(続き)
#前回のエントリ(アリフレ政策の政)に関して2点。
- Journal of Economic Perspectivesを査読誌と申し上げましたが、誤りとのご指摘をいただきました。申し訳なく存じます。
- 上川龍之進「小泉改革の政治学」を入手し、取り急ぎ第7章「日本銀行はなぜ金融政策を転換したのか―金融政策の政治学」に目を通しましたが、政治学者の分析においても、前回書いたwebmasterの分析を補強する以下の点が挙げられていたのにはほっとしました。今後書こうと思っていることについて、3点の裏づけが得られたのも励みとなります。とまれ、webmasterのような素人の床屋政談ではなく政治学者による分析が様々になされ、この辺りの状況が専門的にさらに掘り下げられていくことに期待したいです。
さて本題ですが、potato_gnocchiさんがご紹介のフェルドマンの論考に触発され、前回エントリを書いていた際に想定していた論旨とは異なる内容のエントリといたします。具体的には、さらっと流すつもりだった、デフレ脱却を厭う心情とはどういうものかについての論考を掘り下げることにします。
フェルドマンは、webmasterと同様に「1998年に、日銀法の改正が施行された。現在、日銀法を改正しようという政界の動きもある。だが、何となく勢いがない。どこか社会の根底に、社会選択としてデフレを好んでいる向きはないだろうか。日銀の受動的な態度は、社会が選んだことではないだろうか」との認識をお示しの上、この「社会選択」とは具体的には次のようなものであると説きます。
デフレは、日銀が選んだものというより、デフレを好む人が多く、嫌う人が少ない、民主主義国家の日本社会が選んだ、という可能性もある。デフレを好む人は誰かというと、景気が悪くなっても名目収入が安定的に入り、物価が下がれば実質収入が上昇する人の事である。即ち、年金生活を心配する高齢者である。
デフレを嫌う人は、年金、医療費などを支払うために財政赤字の請求書が回ってくる若者である。高齢化が他国より早く大きく進む日本は、高齢者がより多く、若者がより少なく、一番早くデフレ嗜好国になったことはわかる。これは、民主主義が完璧に各年齢層を代表してもそうである。
ただ、欧米もそうだが、民主主義が完璧に各年齢層を代表しているかどうかはいえない。即ち、都道府県間の一票の格差が高齢者を過剰に代表するならば、既にあるデフレ嗜好がさらに強まる。日米の比較をすると、驚く結果が出る。
(略)
即ち、日本の議会は高齢者を過大に代表し、若者を過少に代表している。デフレ嗜好の高齢者を過大に代表する国は、中央銀行に対して、デフレ脱却の優先順位を高くすることはないだろう。
http://allatanys.jp/B001/UGC020006320100812COK00612_2.html
しかし、webmasterは見解を異にしています。まず、高齢者は本当に「デフレ嗜好」なのでしょうか。年金は、制度がどうであれ本質的に現役世代の稼ぎから幾許かの扶持を分け与えてもらうものであり(仮に積立方式であったとしても、運用のリターンは現役世代の稼ぎからの分与にならざるを得ません。まして現行制度の賦課方式であれば、そうした関係性が赤裸々に表れます)、デフレにより自らの取り分が実質的に増加することは、年金制度の維持可能性を低めるものでしかありません。年金受給者が合理的に将来を見通すなら、デフレ脱却を推すことでしょう。
なぜそうでないのか、そんなに合理的に将来を見通せるはずがない、としてみましょうか。この場合、現状程度の金融政策で収まっていることの説明がつきません。時おり、国会では年金生活者のために利上げすべき、という質問が日銀等になされますが、名目金利を引き上げてデフレを深化させることは、年金生活者にとって(目先は)一石二鳥です。将来を合理的に見通せるならデフレ脱却を推し進めるはずですし、見通せないなら金融引締めを求める声がもっと多くて当然ですし、いずれにせようまく説明がつきません。
さらには、フェルドマンが指摘するとおり高齢者が過剰に代表されているとは、いわゆる一票の格差問題に由来しますが、その下で現実に行われている施策としては、たとえば公共事業の削減であり、たとえば地方公共団体間での水平調整の減少(地方交付税交付金の減少と自主財源の増加の組み合わせ)です。一票の格差があってもなおこのような政策が推進されてきている現状は、相対的に高齢者が多い地方の言い分が政治の方向性を左右しているとの解説とは、あまり整合的ではありません。
では、デフレ許容的な姿勢は何から発しているのでしょうか。webmasterが思うに、徳保隆夫さんが菅原琢「世論の曲解」を引きつつ論じられた、
菅原さんは自民党の敗因にフォーカスしており、「有権者がどのような政策を期待しているのか」について歯切れの良い説明をしていない。けれども、求める答えは自民党が支持を失った理由から類推できて、それは即ち「構造改革」と「財政再建」である。
http://deztec.jp/design/10/03/09_politics.html
ではないでしょうか。近年の選挙を通じた選挙民の一貫して変わらぬ意思表示は、「構造改革」「財政再建」を進めよ、というものだと汲み取れるというのであれば、一貫して変わらぬ金融政策に関する嗜好もまたその文脈で理解可能と考えることには、それなりの蓋然性があるでしょう。
具体的にはいかなる文脈なのでしょうか。日本が本格的なデフレに陥って以来、実質GDP成長率は平均0.95%となっています(1998〜2008年。2009年は異常値として除きましたが、これを入れると0.44%)が、これをどう見るのかが鍵だとwebmasterは考えます。リフレ論とは、単純化すれば、デフレでなければこれがもっと高かったはず、との認識に基づいています。デフレで下がる理屈は「序」で書いたとおりですが、デフレでなければ2%台前半の成長が可能(デフレにより1%ポイント以上引き下げられている=デフレでなくなれば1%ポイント以上の引上げが可能)と考えているからこそ、デフレからは何が何でも脱却しなければ、と説くわけです。
他方、構造改革論と財政再建論はどうでしょうか。webmasterの認識では、構造改革論は、ムダなことを政府がやっていたりするから成長できないのだという認識に基づき、政府等のムダをそぎ落としていこう(ムダをそぎ落とせばもっと成長できるはず)という議論であり、財政再建論は、少子化等により日本の成長力は実現しているとおりに落ちてきていて、それを引き上げようなんてことは無理な注文なのだという認識に基づき、現状程度の経済成長で収支の合う政策運営を目指すべきという議論です。いずれにしてもデフレゆえに経済成長率が鈍ってきている、という考えとは相容れないので、そもそもデフレ脱却の必要性の認識に至りません。
こうしたwebmasterの推測が正しければ、構造改革論にせよ財政再建論にせよ、デフレは景気とは独立事象であるか、景気が悪いからデフレになると認識していることになります。積極的にデフレにすべし、といったようなことは思っていないので、上記のような「名目金利を引き上げてデフレを深化させ」よといった意見が少ないことの説明が可能です。ありていに言えば、デフレはそもそも視野にあまり入っていないのではないでしょうか。
それならば、リフレ政策が受け入れられないはずがないではないか(積極的に推進されないにせよ)、という疑問が浮かぶのは当然です。結論から先に書けば、デフレが望ましいからリフレ政策に反対なのではなく、デフレから脱却することに(積極的賛成とまではいかなくても)反対はしないけれどもリフレ政策が望ましくないと考えているから反対だ、というのがwebmasterが推測するその答え。リフレ政策そのものが望ましくないと考えられている理由(とwebmasterが考えるもの。以下、いちいち断りません)は、大きく2つあります。
ひとつめは、上記の成長率についての認識の違いです。平均約1%成長が現在の日本経済の身の丈にあっているという認識なのですから、景気対策を必要だと認識するとしてもそれ以下の水準ということになりますし、この水準を超えた成長を目指そうというのは、水ぶくれだとか上げ底だとか、そのように見てしまうわけです。バブル崩壊以後、速やかに抜本的対策を講ずるべきだったにもかかわらず、こうした水ぶくれ・上げ底な経済対策が講じられたがために茹で蛙となって長期低迷に至った、とはよく聞かれた言説ですが、これと同様に、リフレ政策は将来に付を回して抜本的対策(=構造改革or財政再建)から目を背けさせてしまう悪手だ、と認識されているのではないでしょうか。
ふたつめは、金融緩和という手法です。単に「水ぶくれ」「上げ底」批判というのならば、財政政策での景気刺激にも当てはまります。財政政策は公共事業批判と結びつきより直接的に構造改革論・財政再建論の標的になりますから、相対的にリフレ政策の評価が上がってもよさそうなものですが、それはそれで別の問題がありそうです。
というのも、今次のデフレ期間中においては、ITバブルの際やライブドア・村上ファンド事件時、さらには直近のサブプライム問題・リーマンショックにいたるまで、「マネーゲーム」という言葉で「金余り」が批判されてきました。おそらく、こうした見解をもたらしているのは、「『古きよき日本』が『欧米に追いつき追い越せ』の時代を過ぎて『曲がり角』を迎えた際、『マネーゲーム』のもたらす『虚栄』に浮かれた結果、バブル崩壊という『天罰』を受けた」というようなバブルの総括でしょう。『古きよき日本』への郷愁も相俟って、『金余り』をもたらす金融緩和政策への風当たりは決して弱いものではありません。デフレ下でも削減が続いた公共事業に比べれば、確かに相対的には抵抗感は小さいのでしょうけれど、だからといって歓迎されているとは到底いえないでしょう。
以上のwebmasterの分析の前提となる徳保さんの分析は今年3月のものですが、7月の参院選を見れば、結果(蓮舫大臣の得票やみんなの党の躍進等)が妥当性を裏付けているとwebmasterは見ています。今なお「構造改革」「財政再建」は総体としての有権者の主たる関心事項と言わざるを得ません。リフレ政策の実現は、そうした状況を肯定的に見るにせよ否定的に見るにせよ、まずは所与のものとして認識した上でなければ、可能性は限りなく低く止まり続けることでしょう。
(続く)
2010-08-18
リフレ政策を巡る政治的な話に関してちょっと脱線
そのうち触れようとしていたことについて、議論が盛り上がっているので。
- http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100816/p1
- http://togetter.com/li/42380
- http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2
といった辺りについての話です。昼休み中に仕上げるため、取り急ぎ要点を。今進行中の一連のエントリで、もう少しきちんと論じようと思います。
BUNTENさんが「リフレ派の実体なんてねーよ、ただの呉越同舟に過ぎない。」とおっしゃっているわけですが、それで済むのはリフレ政策の実現がトッププライオリティだからこそ。小異を捨てて大同につく、とは大(=トッププライオリティ)を同じくするから成立する話で、大が同じでない人には当てはまらないわけです。BUNTENさんのご認識を言い換えれば、「リフレ派」とはリフレ政策の実現をトッププライオリティとすることが実体なわけで、セカンド以下のプライオリティは様々(=呉越同舟)だということでしょう。
リフレ政策の実現がセカンドプライオリティである人を想定します。トッププライオリティは、たとえば所得再分配の強化だとしましょう。これが逆の人であれば、リフレ政策が実現さえすれば、所得再分配が実現しなくても究極的には仕方がない、ということになりますが、所得再分配の強化がトッププライオリティであれば、リフレ政策が実現したところで、所得再分配の強化が実現しなければ、かなりの程度残念な思いをすることになります。
大同団結せよ、との呼びかけは、数多くの賛同者がいるという状況を現出させるために政治的リソースをよこせ、ということと同じです。リフレ政策の実現がセカンドプライオリティの人にとって、では、その政治的リソースを与えることの見返りは何なのでしょうか? リフレ政策の実現が所得再分配の強化につながるのであれば、ギブ&テイクだということになりますが、何ら無関係というのであればまだしも(それにしても、リソースの機会費用が生じます)、リフレ政策の実現がかえって所得再分配の強化の妨げになるならば、リソースを自らの望まぬ方向に費やされるわけで、踏んだり蹴ったりです。
そうした懸念を有している人々に、そもそも呉越同舟なんだよ、小異を捨てて大同につこうという説得が効かないのは、当然ではないでしょうか。そもそも、ある人にとって「大」であることを、捨てることが可能な「小」だとみなすこと自体、反感を買いこそすれ、賛同を集めることに貢献するはずもないのです。
折にふれwebmasterが飯田先生はすばらしいなぁと申し上げているのは、多分、この辺りの機微に飯田先生は自覚的で、雨宮処凛さんや湯浅誠さんとの対談では、それぞれのトッププライオリティを相当程度尊重されています。勝手なwebmasterの思い込みではありますが、本田先生とのあれこれのやりとりからblog閉鎖に至った一連の経緯を飯田先生は重く受け止めて、今に活かされているのではないでしょうか。
偉そうなことを書きましたが、何よりも反省と自戒として。
2010-08-10
アリフレ政策の政
(続き)
これまで、リフレ論壇においては、リフレ政策が採用されない理由として、日銀がそれを望まず、かつその望まないという意思を貫徹できるだけの力(独立性)を持っているから、というものが挙げられることが多かったとwebmasterは記憶しています。たとえば、次の岩田(規)先生のご意見が典型でしょう。
―― 1998年に日銀法が改正され、日銀は独立性を保証されました。これにより、金融政策は日銀の専管事項となり、政府が口出すことが事実上、不可能になってしまっています。
岩田
中央銀行の独立性には2種類あります。一つは目標設定の独立性。もう一つが手段の独立性です。このうち、手段の独立性は認めるべきだと思います。しかし目標については政府が決める。もちろんその過程においては政府と中央銀行が相談するのは当然ですが、最終的には政府が目標設定を行う。中央銀行はそれに基づいて、自分たちの決めたやり方で目標を達成する。もし達成できない時は説明責任が生じますし、さらには進退を問われることになる。ところが現在は、目標設定、手段ともに日銀に独立性を与えてしまった。これは間違いでした。
http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=bi_l&a=017-1256710553
しかし、法律に独立性があると書けばそのとおりになる、とは限りません。経済学関連で例を挙げれば、公正取引委員会には法律上独立性が付与されていますが、その独立性を実効性あらしめるためにどのような努力がなされてきたか、あるいは独立性に実効性が伴わずあるべき独禁政策が実現しなかった例があるかは、知る人も多いでしょう。では、日銀の独立性とはどの程度のものなのか、CroweとMeadeによる国際比較研究を見てみます。
#リンク先はきちんとした論文形式ではありませんが、CroweとMeadeはバリバリの査読誌であるJournal of Economic Perspectivesに同じ題材で論文を載せています(Crowe, Christopher and Ellen E. Meade, 2007, "The Evolution of Central Bank Governance around the World", Journal of Economic Perspectives, Vol 21(4), pp69-90)ので、その内容の客観性・妥当性には一定の信頼を寄せることができるとwebmasterは認識しています。なお、査読論文から引かなかったのは、査読論文には個別中央銀行についての計数が記されていなかったからです。
#上記のJournal of Economic Perspectivesに関する記述が誤りであるとのコメントを外野さんからいただきました。お詫びの上、本文が間違っていることを明記させていただきます(a要素がらみのテキストで、本文を直接訂正できず申し訳ないです)。(8/20追記)
この研究では、先行研究であるCukierman, Alex, Steven B. Webb, and Bilin Neyapti, 1992, "Measuring the Independence of Central Banks and Its Effect on Policy Outcomes", The World Bank Economic Review, Vol 6(3), pp353-398(以下、CWN論文といいます)で示された中央銀行の独立性を計る指標を更新する形で計測しています。具体的には、CWN論文では1980年代の独立性を計測していますが、CroweとMeadeは2003年時点でのそれを計測しました。日銀についていえば、CWN論文が旧日銀法、CroweとMeadeが新日銀法の下での独立性を計測しているので、図らずも格好の研究となっています。
CWN論文では、1980年代の日銀の独立性指標は0.18とされていますが、CroweとMeadeによる2003年のそれは0.38となっており(数字が大きい方がより独立性があることになります。念のため)、この指標を基数的に見るならば、2倍以上に独立性が強化されたということになります。やっぱり日銀の独立性は強固になったのだ、とは日本国内の時系列では確かなことではありますが、CroweとMeadeの研究のキモは国際比較であること。原データをダウンロードして2003年時点での独立性指標が計測可能な99の中央銀行の中の順位を見ると、86位となります。独立性が強い順に並べて86位、弱い順なら14番目に弱いということ。実はこれらは、最も弱い独立性を0、最も強い独立性を1として指標化したものなので、0.38とは大して独立しているわけではない、ということを表しているのです。
#蛇足ながら、CroweとMeadeは透明性についても(これまた先行研究を更新する形で)指標化しており、こちらは2006年時点で指標化可能な39の中央銀行中、日銀は透明性の高い方から数えて5位という順位を記録しています。
全体としてそれほどの独立性があるわけではないのに、目標設定においては完全な独立性を実効的に確保しているとは考え難いところです。実際、確かに法律上目標について政府は設定権限を有していませんが、日銀の目標が不適当だと考えるならば、容易に対処可能です。たとえば、三権分立の下で司法の独立性は(中央銀行のそれよりも)先進国では強固に確立されていますが、アメリカの連邦最高裁に関して、大統領が裁判官の任命を通じてその方向性を左右しているとは、よく知られています。経済史関連では、ニューディール政策を巡るものが有名でしょう。
ニューディール政策の内容は多方面に及ぶもので、かならずしも一貫性のあるものではなく、その性質をどうとらえるかには議論があります。しかし、ニューディール政策によって政府の経済的機能が著しく強化されたことには異論がありません。
連邦最高裁はこれらの施策のための法律のいくつかを、当初、違憲無効としました。たとえばシェクター事件(Schechter Poultry Corp. v. United States, 295 US 495, 55 S.Ct 837 (1935))では、鶏肉業者に対する規則を定める権限を全国復興局に与えていた連邦法が違憲無効とされました。この事件では、規則に違反した鶏肉業者が起訴されたのですが、その業務は一地方で鶏肉の販売をするだけのものだったため、連邦の権限は及ばないとされたのです。これはまた、“連邦憲法に列挙された事項だけが連邦政府の権限であり連邦議会が制定することの許された法律のすべてである”とする連邦制度を前提として、ニューディール政策の内容たる経済的な機能を広範に果たすことは、連邦政府に認められた機能ではない、としたことにもなります。
これに対抗してルーズベルトが、連邦最高裁の“詰め替え(court packing)”をしようとしたことは、米国連邦憲法史に有名なところです。連邦最高裁の裁判官は、大統領が指名して上院の承認の上で任命することになっていますが(連邦憲法2条2項2号)、連邦裁判所の裁判官の数を実質上15名まで増やすことによって(当時の定員は現在と同じく9名)、ニューディール政策を支持する裁判官を連邦最高裁に新しく送り込み、それによって判例を覆そうとしたのです。
米国の連邦裁判所の裁判官の任期は終身であり(連邦憲法3条1項)、原則として、死去するか自ら引退するまでその地位に止まります。しかも、最高裁裁判官さえも比較的若くして指名されることが多いために、実に長年にわたって(たとえば30年以上)最高裁に居続ける例がまま見られます。日本の最高裁の場合には、70歳の定年がある(憲法79条5項に基づく裁判所法50条)上に、かなりの高齢で指名されることが通常であるため、数年だけ待てば裁判官の殆どが入れ替わってしまいますが、それとは違うわけです。そのため、ルーズベルトとしては、自分のニューディール政策を実現するためには、裁判官の定員を増やして新しく最高裁裁判官を指名する必要があると考えたわけです。
連邦最高裁の裁判官の数は、連邦議会による通常の法律の形で決められています。当時、ルーズベルトは非常に高い支持率を集めていましたから、この法改正は必ずしも難しいこととは思われませんでした。しかし、結局この試みは失敗しました。連邦最高裁裁判官の定員は、当時も現在も9名です(ただしその前に一時的に10名だったことがあります)。
ルーズベルトにとって皮肉だったのは、憲法史に汚名を残してまで実行しようとしたこの試みに失敗したにもかかわらず、それから間もなく裁判官の引退および死去が相次いだため、現実には多くの最高裁裁判官指名の機会にめぐまれたことです。ルーズベルトは結局、詰め替え作戦の失敗から4年の間に実に6人の最高裁裁判官を指名する機会を得ました。
http://homepage3.nifty.com/nmat/E2-FUG.HTM
同様に、政府・国会は、総裁・副総裁・審議委員人事を通じて目標設定に影響力を及ぼすことが可能です。端的には、リフレ政策支持者を次々に送り込めば、過半数である5人を占めた段階で、事務方の意向がどうであれ、リフレ政策を実現することができます。しかるに実績はどうでしょう。中原(伸)元審議委員と岩田(一)元副総裁の2名が該当するのみに過ぎません。それどころか、福井前総裁の後任人事に当たっては、各会派から次のような見解が示されました。
ただいま議題となりました国家公務員の任命につき同意を求めるの件につき、意見を申し述べます。(拍手)
まず、日銀総裁候補の武藤敏郎氏については同意をしない。同じく副総裁候補の白川方明氏については同意をします。また、同じく副総裁候補の伊藤隆敏氏については同意をしないということであります。
(略)
もし武藤氏がこれからも大量の国債買い切りオペを継続することで財政当局の国債管理を助けるとするならば、その判断は日銀トップにはふさわしくないのであります。日銀は、国債を買い支えることによって財務省のモラルハザードを助長し、財政破綻の解決を先送りしているのであります。
(略)
伊藤隆敏君については、これまでインフレターゲット論や日銀による長期国債買い入れ増額、ETFやREITの買い入れ等、日銀の金融政策として必ずしも有効性が担保されていない政策手段を積極的に主張し、今後も主張していくとの立場を変えていません。したがって、伊藤隆敏君についても同意することはできないということであります。
(略)
○佐々木憲昭君 日本共産党を代表し、日本銀行総裁、副総裁の国会同意人事に対する討論を行います。(拍手)
(略)
また、武藤氏が財務次官だった二〇〇二年十二月、財務省が日銀に対し国債の買い入れ増を要請し、そのため、事もあろうに日銀券発行の歯どめを外すことを求めたのであります。財政規律から見ても、日銀の役割にも重大な疑問を投げかけるこの行為について、武藤氏は、デフレスパイラルを正すためにあらゆることをやる、真っ当だと言えないこと、異例だということをやることもあると述べたのであります。
(略)
なお、伊藤隆敏氏について言えば、経済財政諮問会議の民間四議員の一人として、財界代表メンバーとともに弱肉強食の構造改革論を推進してきた方であります。また、インフレターゲットの導入を強く主張してきました。この主張は、日本経済を危険な事態に導きかねないものであります。したがって、伊藤氏を副総裁に任命することは到底認めるわけにはいきません。
白川方明氏は、日本銀行の理事として、ゼロ金利政策や量的緩和政策の一端を担ってきた経緯があり、日銀、政府の金融政策への明確な批判的見地を見出すことができません。従来の枠を出ることが明白でない以上、副総裁として賛成しがたいものがあります。
(略)
私は、社会民主党・市民連合を代表して、ただいま議題となりました同意人事案件につきまして、意見表明を行います。(拍手)
(略)
そもそも、武藤氏は財務省の責任者として、社会保障費の自然増を三千億円削減し、その後の五年間の毎年二千二百億円削減の先鞭をつけました。この削減策によって医療崩壊が進み、介護や福祉施策は大幅に後退を余儀なくされました。そもそも、日本銀行の最大の目的は物価の安定です。物価の安定は国民生活の安定に裏打ちされねばならず、社会保障の充実抜きに、国民生活の安定や、とりわけ重要な内需の拡大は実施し得ません。
また、日銀が行ってきたゼロ金利政策、量的緩和策によって預貯金者がこうむった逸失金額は、何と三百兆円を超えています。加えて、広がる地方の格差にも全く思いが及ばない方であり、日銀総裁にはふさわしくないと断言せざるを得ません。
(略)
伊藤氏は、インフレターゲティング論を今日も主張されています。極端な政策によってデフレを脱却させるというのは副作用も含めて考える必要があり、この点からも伊藤氏は副総裁にはふさわしくないと言わざるを得ません。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116920080313009.htm
要するにリフレ政策(っぽいこと)を志向する者は日銀総裁・副総裁としては不適格である、という理由で武藤総裁候補・伊藤(隆)副総裁候補は最終的に否決されたのです(手続的には、この衆議院本会議では可決されましたが、民主党が過半数を占めていた参議院(当時)で否決されて通らなかったことはご記憶のとおり)。これを、日銀は今よりもタカ派(引締め志向)であるべき、という政府・国会のメッセージだと受け取らない方がどうかしています。
というような話に対しては、
―― デフレの進行に手を打たない白川総裁の責任は大きいですね。トップが代われば、金融政策も変わるかもしれません。
岩田
白川総裁が辞めても、同じ考え方の人が総裁になるシステムが温存されていますから何も変わりません。もし違う考え方の人が総裁になろうしたら、日銀は全力で阻止しようとするでしょうね。
http://column.onbiz.yahoo.co.jp/ny?c=bi_l&a=017-1256710553
と、所詮審議委員等人事は日銀の思うがままといった趣旨の指摘があり、日銀が日銀に近い審議委員等を選んできたのだという指摘があるわけですが、これは疑問です。一例を挙げれば、上記の武藤総裁候補は、webmasterの意見が引かれているものなので面映くはありますが、
私自身は総裁になって欲しい方はいるが、上記の条件を満たすには至らない。いずれも弱い点があり、各種条件を総合判断すれば、武藤氏に軍配が上がるのが現実だ。これはしばらく前にbewaadさんがお書きになっていたように「webmasterが知り合いの日銀関係者から聞く限りにおいて、武藤副総裁は日銀プロパー職員からも高い評価を受けていることが非常に大きい」からだ。(後略)
http://hongokucho.exblog.jp/8159259/
と長らく日銀を取材されているbank.of.japanさんのお墨付きをいただいたとおり、日銀事務方にとって意中の総裁候補でした。にもかかわらず、結果は書いたとおりです。日銀事務方が有する審議委員等人事への影響力(現場の人々なのですから、影響力がゼロだとすればその方がおかしいです)は、その程度のものにしか過ぎないのです。
では、日銀が操っているのではないとして、なぜ政府・国会はこのような審議委員等の人選を続ける=リフレ政策を採用しようとしないのでしょうか。webmasterの考えでは、国民の多くがそう望んでいるから、ということになります。その手がかりは、以前のエントリでも引きましたが、日本経済学会におけるアンケート調査です。
経済学は本来「経世済民」の学であり、経済政策と密接に結びついて発達してきた。ところが、昨年実施された日本経済学会のアンケート調査によると、リーマン危機後の政策に、経済学が役立っていると答えた学会員が46.1%しかいない。また日本銀行の金融政策を是認する学者が34.7%、出口戦略を考慮すべきだという会員は、38.2%という調査がなされている。アメリカで同じ質問をしたら、90%以上のアメリカ経済学会会員がそうだと答えると考えられる「より一層の金融緩和を行うべき」という回答は17.7%に過ぎなかったという。
浜田宏一「経済学と経済政策の間/金融政策は無力なのか?」経済セミナー2010年8・9月号 pp62-68
webmasterは新聞記事のグラフから目分量で割合を読み取っていましたが、こちらではきちんと数字が出されています。で、経済学者を対象としたアンケートにおいて、最多数が日銀よりタカ派であり、次いで日銀と同じスタンス、その半分近くと大きく離れてハト派(≒リフレ政策支持者)という順。これが、バカな学者ばかりがタカ派で優秀な学者は皆ハト派、というのならば救いはあるのですが、その実態は、
金融政策の問題について、非常に頼りなく思うのは、というか不可解なのは、若手の、特に優秀な経済学者の反応である。
時間軸で考えると金融政策が効かない可能性もあるので、ターゲットは疑問とする学者があったり、日銀は世界の学者から国際会議で意見を聞いているのだから心配ないといった議論が見られる(日銀は世界の議論も困る議論は折り曲げるか、無視している)。また今有名なウッドフォードがその限定された道具立てで貨幣量 は効かないと断言したとうれしそうに語る若手学者もある。
優秀な学者の中には、日銀総裁が空白で福井総裁の後任を探していたとき、うれしそうに「白川さんがいい」といった優れた学者、デフレは困ったことですねと話しかけたとたんに「デフレは金融現象というより、構造的な要因で起こっている」と答えた人もいる。さらに、デフレのさなかなのに、今のように貨幣残高が多い と、いずれは大インフレになるのが心配だと語る、つまり出口を心配する。いずれも優れた学者である。これは貨幣の入ったマクロ経済学の基本が学者に理解されていないことを示す。
ibid.
という始末。「優れた学者」ですら「マクロ経済学の基本」を理解しておらず、リフレ政策に反対する者が多いというのであれば、優れていない学者や、まして学者でない一般の国民のそれ以上の割合の者がリフレ政策に反対するのは自然でしょう(逆に、「優れた学者」の方が一般の国民よりリフレ政策に理解を示さないというのであれば、経済学者の存在意義って何? ということになります)。そうした状況が変わらない限り、審議委員等に陸続とリフレ政策支持者が任命されるとは想定し難いですし、仮に一部で言われるような日銀法改正法案が国会に提出されたとしても、可決されることもまた想定し難いです。万が一可決されたとして、その改正日銀法の下で定められるインフレターゲットは、現状を大きく変えるようなもの(前回のエントリの用語を使えば、期待を転換させるようなもの)にはなるはずがありません。
#さらに言えば、「優秀な学者」の認識がそのようなものであるにもかかわらず、日銀事務方の認識が「優秀な学者」のそれを大きく上回る水準にあると考えるのも、あるいは「優秀な学者」のそれを大きく上回る水準であるべきと考えるのも、非現実的でしょう。高等教育を概ね海外(たとえばアメリカ)に依存している、ということでない限り、中央銀行を含め、一国の経済政策の水準は、当該国の経済学界の水準と大差が生じるはずもないのですから。
ここで若干脱線しますと、以上のようなwebmasterの現状認識を日銀擁護だとみなす向きがあるようです。政府・国会、ひいては国民が悪いのであって日銀は悪くない、といった主張と認識されているのかと察しますが、日銀だって悪いに決まっています。たとえて言うなら、わが子が学校のクラスの多数に同調していじめをしている場合、わが子のいじめを「多数に同調しただけだから」といって免罪すべきだというのでしょうか? 多数がどうであれ、いじめはよくないことだと叱るのが当然でしょう。ただ、わが子を叱っただけでクラスの多数を放置したままでは、いじめが止まないのもまた当然のこと。
ここでいう「わが子」が日銀で、「クラスの多数」が政府・国会、ひいては国民の謂であるのは容易にご理解いただけるでしょう。政府・国会や国民のあり様が今のままでは、仮にある日に突然奇跡が起こって日銀事務方がすべてリフレ政策支持者になったところで、政策決定会合の多数派が現状のままではリフレ政策は実現されません。そうした日銀事務方の説得により審議委員等が考えを改めたところで、任期切れの際に新たな反/非リフレ論者が審議委員等に送り込まれて元の木阿弥になってしまうでしょう。webmasterの趣旨は、日銀を批判すべきでないというのではなく(まして擁護できるというのではなく)、日銀だけを批判してもリフレ政策は実現できない、ということなのです。
本題に戻って、webmasterの認識では、以上のように現状はリフレ政策の実現にとって極めて厳しいといわざるを得ません。しかし、何の望みもなく白旗を揚げるしか手がない、というほど厳しいわけではないとも思っています。希望の光は、CroweとMeadeの指標をさらに詳しく見たところに燈っているように感じられるのです。
(続く)