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2008-04-13
「『何故政治にネット規制反対派の声が届かないのか?』という問いに対する管見」の再フォローアップ後編:法学側の懈怠
これまで法解釈学の知見からあれこれ書いてきたのですが、ネット規制反対派がそれでもなおおそらくは納得しないであろう最大の理由は、規制対象とそうでないものの境界線が不明確である、ということにあるのだとwebmasterは理解しています。これに関連して、これまでとは攻守ところを換えて法学側にも問題があるのだろうなぁ、という話を「後編」として論じてみたいと思います。
#なるべく噛み砕いて書こうとは思いますが、おそらく法学をやったことのない方々にはわけがわからないテキストになってしまうでしょう。予めお詫びいたします。
大屋先生はこの点につき、
それでもグレーゾーンは残る!
その通り。で? グレーゾーンがあるから真っ白なものも黒と判定される危険がある、というのは典型的なハゲ頭論法。髪の毛が0本の男はハゲである、いまハゲの頭に髪の毛を1本増やしてもハゲであることに変わりはない、ゆえに数学的帰納法によりあらゆる男はハゲであるという、あれ。実際には、もちろんグレーゾーンはあるものの我々はハゲとフサを区別できる。前項で挙げたわいせつ物についても、もちろんグレーゾーンはあるし基準は時代によって揺れ動いているが、おおむね白と黒を判別することはできてきた。その事実を無視して抽象的な危険性を主張してもあまり説得力はない。
「青少年ネット規制法案」(@おおやにき4/6付)(webmaster注:強調は原文によります)
とご回答されていますが、たとえばその手のコンテンツを取り扱っている人からすれば、「今公開しているものは白なのか黒なのか」という具体的な危険性についてのご主張であろうとwebmasterは理解しています。そしてそれに対して「白です」「黒です」とは、大屋先生であれwebmasterであれ答えることはできません。もちろんここで「黒です」となればそれに対してさらなる反論もあるのでしょうけれども、今は白か黒かわからない状態が不安感を増大させているものと見ています。
この不安は、理屈としてはネット規制に特有のものではありません。たとえば占有離脱物横領が罪だとは広く知られていますが、道に落ちている1円玉を拾ったからといって1年以下の懲役や10万円以下の罰金ないし科料を科せられると思う人はいないでしょう。大屋先生の「ハゲ頭論法」の例が典型的に当てはまる話ですが、じゃあ100円玉なら、1,000円札ならといって増やしていった場合に、明確にここからとは線引きできません。たまたま1,000円札を拾った人がこれで占有離脱物横領罪に該当するとして懲役なり罰金なりに処せられるのか不安になるのと構造は同じことです。
構成要件、すなわち「遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した」たかどうか(刑法第254条)でいえば、紛れもなくこの行為は占有離脱物横領罪に該当します。法律家といえば杓子定規に条文を当てはめて、だからあなたは罰せられるよ、と言いそうに思われているのが世間の大方のイメージでしょうけれども、しかしまともな法律家であれば、1,000円では高い確率で罰せられることはないだろう、というはずです。
というのも刑法学には可罰的違法性論というものがあるからです。Wikipediaの説明が簡にして要を得ていますので引用します。
可罰的違法性(かばつてきいほうせい)とは、個別の刑罰法規が刑事罰に値するとして予定する違法性のことである。このような可罰的な質又は量の違法性を有しない行為は構成要件に該当しないか該当するとしても処罰に値しないというべきであるという主張(可罰的違法性論)において提唱された概念であり、量的な意味での可罰的違法性については日本の刑法学界において広く承認されている。
可罰的違法性の理論は、構成要件の解釈原理又は違法性阻却事由として理解されることが多い。つまり、刑法・特別刑法などの刑罰法規の規定上(その規定の通常の解釈を含む。)、構成要件に該当するようにも見えるかあるいは該当するとされる事案について、その違法性が軽微であることをもとに、罰するまでの違法性はない、とするものである。ここでいう前者の「違法性」は抽象的な概念であり(いうなれば、突き詰めた場合に理論上悪いとされていることに該たるかどうか)、後者の「違法性」は刑罰法規が予定する最低限度の違法性(いわば、その刑罰法規はこんな軽い事案まで処罰するつもりだったか)、という理解となる。
一般的な可罰的違法性の議論を明示にて規定する条文は刑事法上存在せず、また違法性の程度の問題として議論されることから抽象的・相対的な議論となりがちで、判例上も確たる理論が構築されているとはいえない。そのため、通常は可罰的違法性の理論以外で、そもそも構成要件に該当しないとする理論や、その他の違法性阻却事由の適用可能性を先行して議論した上で、それらが認められない事案であるが、なお、その内容を軽微と主張する場合に用いられる理論となる。
ネット規制反対派から見れば、まさしく条文しか手がかりはないわけですから、それが文字通り厳格に適用された場合を懸念するのも当然でしょう。先の占有離脱物横領の例で言えば、1円玉を拾ったって罰せられるなんておかしいじゃないか、というわけです。しかしそれを杞憂と論じる側は、暗黙のうちに可罰的違法性論を織り込み、構成要件においてそのような解釈が成立し得るとしても、実際に罰せられるに至る範囲はさらに狭いものだと思考することになります。
Wikipediaに書かれているとおり、「一般的な可罰的違法性の議論を明示にて規定する条文は刑事法上存在せず、また違法性の程度の問題として議論されることから抽象的・相対的な議論となりがちで、判例上も確たる理論が構築されているとはいえない」わけですから、得てして心配のし過ぎだという議論をする際にも、○○法第×条のこの規定のとおり、とか、昭和○○年の最高裁判例があるが、というようなはっきりとした根拠が出てきません。
このことから、とりわけ罰則が適用されるかどうかを想定する局面において、条文の厳格な適用の可能性から不安に思う一般の方々に対して、そもそも構成要件の解釈としてそこまで厳格に考えるのはどうよというところを措くとしても、仮に構成要件としてそのような解釈が成立するとしても可罰的違法性がないから罰則の適用はないと考えてしまう法律家との間には超えがたい溝があることになってしまいます。この際、説明責任は法律家の側にあるはずです。
かといってうまく説明できないのは既述のとおりで、であるならば既存のロジックを離れて別に可罰的違法性をきちんと説明する体系を構築すべき責務が法律家にはあるのではないか、とwebmasterは思います。というわけで、以下従来の学説にはない新しい考え方を提示してみます。
#といってもwebmasterのオリジナルではなく、とある弁護士の受け売りです。それが誰かを開示するとwebmasterの正体につながる手がかりとなってしまうので秘しますが、この考え方を聞いたことがある人は、「ああ、webmasterもこの人とつながりがあるんだ」とお察しいただくことができるでしょう。多分、あの弁護士以外にはこの説を唱えている人はいないと思いますので・・・。
Wikipediaの解説のとおり可罰的違法性論を導くには、いわゆる微罪・別件逮捕は構成要件に該当しないはず、というものと構成要件に該当しても違法性が阻却されるはず、という2とおりの道があります。前者は先の占有離脱物横領罪の例で言えば道に落ちている1円玉は「遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物」ではないと解することとなりますが、これはあまりに無理があります。
#webmasterは詳しく知らないのですが、ドイツ刑法では構成要件の該当性に関する議論として可罰的違法性論は整理されているらしいです。
後者は前者と異なり明文規定に反するがごとき解釈は採用せずにすみますが、別に次のような問題が生じてきます。
- 逆に明文規定がないことを創設的に解することに無理が出てきます。法律に書いていない以上罰しないとの罪刑法定主義に直接反するわけではありませんが(書いてありそうに見えても罰しない、ということになりますので)、罪刑法定主義の趣旨には罰せられない行為を明らかにすることによって行動の自由が確保されることも含まれると解すべきで、となれば何が罰せられないかもできるだけ法律において明らかにされるべきです。
- どのような理屈で違法性が阻却されるのか、強いて言えば保護法益の侵害の度合いが少ないからということになるでしょうけれども、であるならばそもそも罪でない、つまりは先の構成要件ルートで外されるべきということとなってしまうので、体系的な整理が困難となります。
では明文規定に根拠を求めることができ、体系的な整理としても落ち着きがよい解釈があり得るのかということになりますが、ひとつだけ大いに可能性がある説が考えられます。それは、起訴便宜主義に根拠を求めるものです。刑事訴訟法には、次のような規定があります。
第248条 犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。
明文規定として「犯罪の軽重・・・により訴追を必要としない」とあり、可罰的違法性とは犯罪が軽いから訴追を必要としない事例である、と導けばよいのです。Wikipediaの解説に「判例上も確たる理論が構築されているとはいえない」とあるのは、実際に可罰的違法性を論じなければならないような事例はそもそも起訴されない場合がほとんどである(立川反戦ビラ事件訴訟のように論じられた事例がないわけではありません)ため、必要な判例が蓄積されなかったことの結果に他なりません。
唯一解釈において工夫が必要となるのは、この規定は「公訴を提起しないことができる」と判断を検察にゆだねるものであって「公訴を提起してはならない」と定めるものではないことから、「訴追を必要としないとき」に「公訴を提起し」ても法律上は問題はないことの処理でしょう。ここを乗り越えるには、webmasterは行政行為の一般論を持ち込むことがよいのではないかと考えます。
行政手続法には、
(処分の基準)
第12条 行政庁は、処分基準を定め、かつ、これを公にしておくよう努めなければならない。
2 行政庁は、処分基準を定めるに当たっては、不利益処分の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。
との規定があります。これに基づきガイドラインやセイフハーバールールといった基準が定められ、不利益処分の名宛人になり得る者はそれを読んで自らの行為が不利益処分に該当するかどうかを予測することができます。この規定は、もちろん恣意的な不利益処分を抑制することが主目的ですが、その結果として不利益処分の可能性が名宛人になり得る者の行動を過剰に萎縮させぬよう、予測可能性を高める効果を持ちます。ここで重要なのは、不利益処分も一般に行政庁が「できる」ものであって「しなければならない」ものではないこと。
公訴は不利益処分(の上位概念たる行政処分)には該当しないので、もちろんここでいう処分基準を定め、公にすることが求められる行政行為ではありません。しかし、刑事罰ではない不利益処分ですら「できる」裁量を狭めて国民の自由な活動の確保に資するよう求められているのですから、公訴にも同じ法理を適用することも十分可能です。
刑法学者は可罰的違法性は何よりも起訴便宜主義の運用に関わる概念であるとの整理をし、「抽象的・相対的な議論」にとどめず具体的・絶対的な議論に高め、一般の方々と法律家との罪となるべき行為とそれに対する罰則適用についての溝を埋めることが急務とwebmasterは思うのですが、いかがなものでしょうか?
- 90 http://slashdot.jp/yro/article.pl?sid=08/04/26/2225242
- 85 http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000517.html
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