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2008-08-25

医療関連のコメント用エントリ

前回のエントリコメント欄がかなりの程度埋まってきたので、以後はこちらにお願いいたしたく存じます。なお、前回のエントリで紹介すべきだったのにし忘れてしまった前々回エントリにて表示されていないコメントを本エントリにて掲載させていただきます。本来webmasterが誰よりも気がつくべきところ、DoukiHousouさんのコメントを拝見してはじめて気がつきました。大変失礼いたしました。

表示されない前々回エントリにいただいたコメント

澤田石 順
『OguraHideoさん、コメントありがとうございました。医師数増員に反対したのは医師全体の利益を全く代表することができない日本医師会の一部であり、そのような人たちが医師数抑制政策を1980年代から主導したのではないこと、これは歴史的な事実です。まあ、このことは主題とは関係ないのでいいのです。

重要な問題提起をいたします。

飲酒運転は意志により回避できる、飲酒運転が違法である
法律は一般的抽象的な規範を定めるわけですが、飲酒運転禁止の法規定はかなり具体的個別的です。酒を飲んで運転することが違法か否か迷う人がいたら、警察に電話して尋ねることができます。警察は法律違反だと教えるでしょう。
ところが、医療はこれとはまったくことなります。手術中に問題に直面して複数の選択枝があり、迷うときに、現場の医師らが警察や裁判所に電話しても正しい選択枝を教えることができません。学会のエライ先生に電話したとて、それは同じことです。
ところが複数の選択枝から、現場の医師らが最良であろうと迷いつつ決定して、結果が悪いとどうなることがしばしばか。云うまでもなく、「予見可能性、結果回避可能性、結果回避義務」などの私からみたら馬鹿げた言葉遊びでもって、刑事訴追されたり、不法行為やら債務不履行などの抽象概念を不当に適用されて民事賠償請求されているわけです。
(ここでは単純ミス(明白なミス)のことを話題としません。)
私が固く確信していることがあります。医療者は患者や家族に成人の99%の人々が明確に理解できる言葉使いで語らねばならないと。医療についての司法介入の妥当性に関する議論も、成人の99%が理解できる言葉使いでなければならないと強く主張します。法律の前に慣習や常識がなければなりません。法律は最低限のルールに関するもので、慣習や常識ないしは良識は、法律よりも範囲が広く、時に厳しく、時に不当で、多くは具体的個別的ですよね。
医療現場でさんざんまよったあげく、一つの選択をした場合、結果が悪いときに、刑事・民事裁判となつて当然という主張をする方にいつもいってます。予見可能性などの法律的言葉ではなく、現実生活に即した言葉でその妥当性を語ってくださいと。医療の結果を法的に問うことが好きな法律家で説得力ある説明ができた方を私は知りません。

医療刑事裁判は明白なシロ以外は黒、つまり推定有罪の世界に私にはみえます。例えば、カルテに書いてないことは、存在しないという推定もそうです。

DoukiHousou
『>Nazo_Gen(2008/08/19 10:37)さん

OguraHideo(2008/08/18 08:17)さんは、町村先生のブログ
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2005/07/news_410c.html
で投稿した「謎の現職」さんとあなたを混同しただけだと思います。
「私たちは、誤りも犯すし、成長もする。」
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2006/11/post_88aa.html
弁護士小倉秀雄先生もおっしゃっていますから、他人の犯した誤りには寛大になりましょう。

KHAN
『刑事と民事との違いはありますが、過失責任を一部解除した法律の例として

>失火ノ責任ニ関スル法律

と言うものがあります。法律の初学者向けの解説とすれば、

民事の一般原則として、過失によって他人に損害を与えた場合には、民法709条によって損害賠償責任を負うのですが、火事については、軽微な過失については、その損害賠償責任を負わなくてもよいです(ただし、重大な過失があれば、損害賠償責任を負います)

という内容の法律です。この法律の例を引けば、
『免責すべき過失の内容と範囲』
が確定すれば、「医療過誤の責任に関する法律」という新規立法で(軽)過失責任を免責する立法は可能でしょう。
事実の範囲の確定は医療側に、その事実を法律に「コーディングCoding」するのは法律家(あるいは厚生労働省の役人)の役目でしょう。
で、B級勤務医さんの5分類による(2)と(4)については、
・医療関係者の保険
・健康保険からの支弁
行政からの見舞金
というような形で手当てするしかないのではと思います。
確か、医師側から、無過失責任による見舞金制度というようなことが提案されていたと記憶していますが、そのような制度を真剣に考えるべきでしょう。そして、そのような提案が医者側からなされているということは、医者の良心として評価したいと思います。

(1)については、真実を究明できる場が現時点では裁判しかない(と思われている)ことです。これは、刑事手続への被害者参加制度にも関連することです。

昔なら、
・医療では、自宅で最期を迎え、「お迎えが来た」という一言ですんだでしょうし、
犯罪被害者なら、事情通の村の顔役から「裁判外」で事の真相を知る
ということで、担保されていたのでしょうが、病院で死んでいく人や村落共同体が崩壊の危機に瀕している現在では、裁判に「事実究明」の役割を求めざるを得ません。
このような社会構造の変化を考慮に入れなければ、第2第3の大野病院裁判や光市事件の弁護団バッシングも起きるでしょう。それを避けるためには、裁判外で事実究明がなされ、それに被害者がアクセスできる制度を医療過誤、刑事手続にかんして、創設する必要があります。

ここから、感想
医師にとって死は日常なのかもしれませんが、現代の一般人にとっては「非日常」の最たるものでしょう。挑発的にいえば、医療にとって、患者の死は統計上の数字にしか過ぎませんが、関係者にとってはきわめて特別な(比較のしようのない)出来事です。
その差異を患者側、医療側双方が理解し、歩み寄らなければ、今回のような医者と患者とのすれ違いという不幸な事件は亡くならないと思います。

BigHopeClasicBigHopeClasic 2008/08/25 09:54 >bewaadさま
>「代言」は一般に蔑称ではないでしょうか。

このコメントは
>OguraHideo 2008/08/22 00:52
>DoukiHousouさんは、日頃からそういう目で弁護士のことを見ていたのですね。

を受けたものであり、DoukiHousouさまのコメントのみを念頭に置いたものでした。
その前のNerveNarztさまのコメントを意識したものではありませんでした。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/25 12:37 BigHopeClasic 2008/08/25 09:54 さま
>DoukiHousouさまのコメントのみを念頭に置いたものでした。

 私は「代言」なんて言葉やそれに類する意味の言葉も使っていませんが?

BigHopeClasicBigHopeClasic 2008/08/25 13:25 >DoukiHousouさま
だからこそ私は「弁護士が賤業と言われたわけではない」と申し上げたのです。
NerveNarztさまのコメントを考慮していたのであればそのようなことは書きません。

NervenarztNervenarzt 2008/08/25 21:53 「代言屋さん」と書いたnervenarztですが、蔑称のつもりではありませんでした。
正確には「代言人」ですが、「代言人」は法にもとづいた立派な名前と理解しております。
代言人規則(明治9年2月22日司法省布達甲第1号)をご参照下さい。
もちろん「三百代言」という賤称はありますが、「代言」自体には特別な意味はありません。
「藪医者」は蔑称ですが「医者」に蔑視の意味が含まれないのと同じです。
なお、なぜ「三百」なのかについては瀧川政次郎博士の論考があるそうです。
http://rokugou.cside.com/sub237hantihankai.htm
代言「屋」としたのは歯科医を「歯医者」、官僚を「役人」、俳優を「役者」、毎日新聞記者を「羽織ゴロ」と呼ぶのと同じような意味合いで、他意はありません。

truly_falsetruly_false 2008/08/25 23:11 >ブログ主 さま(前エントリコメント)
確かに、一般論として極論するとそう言えるかも知れませんが、ただここでは、“医師は法的に免責されると全くの無責任になり無制限の不当な要求をしでかすに決まっている”と曰はれる方への反論として申した次第でした。舌足らずですみません。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/25 23:58 >BigHopeClasic 2008/08/25 13:25 さん
>Nervenarzt 2008/08/25 21:53 さん

 いずれも了解しました。
 みんなで、極論極端例の好きな悪意ある人に揚げ足を取られないように注意しましょう。

OguraHideoOguraHideo 2008/08/26 02:45 飲酒運転は意思により回避できるかもしれませんが,クロスチェックを怠った輸血や,既に死亡を伴う副作用例が報告された薬物の投与等もまた,同じような意味において意思により回避可能です。他方,前方注意義務というのは多分に抽象的です。

Nazo_GenNazo_Gen 2008/08/26 02:49  意志(意思)により回避可能なら(できたら)、そもそも犯罪は全部回避できて警察も検察も失業します。多分に抽象的な議論は百害あって一理(一利)無しです。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/26 03:13  故意犯も過失犯も多分に抽象的な刑法規範を意思により回避できなかったから犯罪結果が生じたわけで、そこを定量的に観察しないと堂々めぐりの水かけ論で終始します。その意味で抽象的議論とくに可能性論や抽象論だけで論じても、実務的実益がないです。

motoken01motoken01 2008/08/26 10:24 >OguraHideo氏
 飲酒運転は、飲酒行為+運転行為です。いずれも行為者が自分のやっていること(酒を飲む、車を運転する)を自覚しているのが原則です。
 犯罪論的には飲酒運転の罪は故意犯です。
 しかし、「クロスチェックを怠った輸血」という言い方の中には、二つの場合が含まれていると思われます。
 「クロスチェックを(あえて)しないで輸血した場合」と「クロスチェックがされていなかったがしたつもりになって輸血した場合」です。
 犯罪論的には、前者は傷害罪または殺人罪の故意犯といえますが、後者は過失犯です。
 そして過失の本質は、行為者が自らの違法行為を認識していないところにあります。
 後者の場合においては、行為者の認識上はクロスチェックがなされています。
 「認識ある過失の場合は?」というのは揚げ足取りですからご遠慮ください。
 「認識ある過失」の場合はは結果の認容がありません。
 つまり、過失犯は当該結果についての故意がないというのが前提です。
 過失犯において、結果発生の認容がない以上、当該結果を「意思により回避可能」というのは困難だろうと思います。
 すでにNazo_Genさんが指摘されているとおりです。

 OguraHideo氏は、どういう意味で「同じような意味において意思により回避可能です。」と指摘されたのでしょうか?
 故意犯としての「クロスチェックを怠った輸血」を前提にされているなら、「怠った」という文言は不適切だと思います。

 弁護士であるOguraHideo氏に対しては釈迦に説法かと思いましたが、一般の方に誤解が生じそうでしたので補足説明をしてみました m(_ _)m

BigHopeClasicBigHopeClasic 2008/08/26 11:07 >NerveArztさま
>もちろん「三百代言」という賤称はありますが、「代言」自体には特別な意味はありません。
この辺は「シナ呼称問題」とも共通の構図があって、一筋縄にこうとは言えない要素も含みますね。

田中田中 2008/08/26 12:10 前回のエントリ中、最後のほうに出てきた

>「最悪の損害」を懸念している者に対して「最悪の損害」が生じる確率を小さくすることを提案するようなもので、そもそもの問題意識に応えるものではなかったのではないか

という部分の趣旨がよくわかりません。最悪の損害が生じる確率についての予想を、「0.4かもしれないし、0.5かもしれないし、0.6かもしれない」状態から「0.3かもしれないし、0.4かもしれないし、0.5かもしれない」状態に変えることができれば、マックスミン戦略にもとづく選択は変わります。たとえば「△△ をして起訴される確率は0.5」ということがわかっていれば、前回のエントリで挙げられている意味での「不確実性」はないわけです。これに対して、「×× をして起訴される確率は0.3かもしれないし、0.4かもしれないし、0.5かもしれない」というのはまさに「不確実」であるわけですが、これらふたつを比較して △△ をえらぶ人がそんなに多いかな? と思うのですよね。

B級勤務医B級勤務医 2008/08/26 18:11 「最悪を避ける」と「不確実性を避ける」は似て非なるものかもしれません。

医師法21条を医師たちが嫌うのは、届出の範囲が曖昧であるにもかかわらず、
後から「届けるべきだった」とされるからかもしれません。
つまり不確実性を忌み嫌っているのだろうと思います。

つけ加えると、曖昧さを利用して別件逮捕される可能性もあるわけですね。


さて、
私自身は医師法21条よりも19条の応召義務の方が問題だと思います。
瀕死の患者を断ったら19条違反、診療したら業務上過失致死の可能性があり、
そのような患者の存在そのものが王手飛車取りになってしまいます。

といっても人間は不死身ではなく、死ぬ直前には皆、瀕死になるわけで、
我々は正解のない状況に追い込まれてしまっているといえます。

このあたり、法律上のロジックでは矛盾にならないのでしょうか?

皆さんの御意見をお待ちしています。

NervenarztNervenarzt 2008/08/26 18:21 >この辺は「シナ呼称問題」とも共通の構図があって、一筋縄にこうとは言えない要素も含みますね。

事情にうといもので、もし弁護士にとって差別的な意味合いを感じる、ということで、ご不快になった方がおいででしたらどうかご寛恕下さい。
ただもしそうなら、将来「弁護士」も差別語になってしまうのではないか、と心配です。
「こら! そんな弁護士みたいなことするんじゃありません」とか。

おや、これは一部ではすでに現実ですか。失礼しました。

>田中さま
ある選択をして、最悪の損害が生じる確率について、これまでは無視できるほど小さいもの(=まあまっとうにやっていれば逮捕されるほどのことはないだろう)という程度の理解でしかなかった状況だったのが、ある一定の確率で最悪の損害が生じることが明らかになった、ということだと理解しましたが、違うでしょうか。
で、その確率はわからないけれど、「やだなあ、心配しないで下さいよ、こうすれば確率はいくらか下がりますし」という提案をされても、従前のようにその確率が無視できないほど小さくはない以上、誰もその提案には乗りたがらないだろうというのはよく判ります。
そんなことより、その確率が無視できるようにしてくれよ(刑事免責にしてよ)、というわけです。
だってさあ、「ミスはある一定の確率で絶対に起きる世界」なのに、「ミスは意思の力で避けられる」って人と相席なんかしたくないもん。

KHANKHAN 2008/08/26 23:05 コメントの流れをぶった切ります。

 犯罪であれ、医療の現場であれ、最愛の人を失った悲しみは遺族にとって変わりません。
 そして、その遺族の悲しみは何らかの手段によって癒される必要があります。そのための第一歩が「事実を知る」と言うことであるということも一定のコンセンサスが得られていると思います。ここでいう「事実を知る」とは、

ある時点時点における事実という「点」を理解(納得)できる形で「線(歴史)」として叙述した「物語」

であると私は認識しています。その意味において、この問題は「歴史認識問題」と共通する部分があると私は思います。


ということで、今回も、光市の事件と大野病院との比較が「枕」です。実は

・光市の(差戻審)被告人弁護団と本村氏
・大野病院事件の医者と亡くなった患者の父親

は法律上「同じ」関係にあります。(厳密に言えば、被告人と弁護人との違いはありますが、裁判の当事者としては同一視できます)。また、本村氏となくなった患者の父親は刑事裁判上「犯罪被害者」という同じ存在であるのです。
 蛇足的にいえば、大野病院の事件においては、無罪判決が出たため、結果的に「犯罪被害者」ではなくなりました。また、「推定無罪」の原則との関係から、『刑事裁判において「犯罪被害者」は存在しない』との説も存在します

で、双方の裁判とも起訴された罪名については否認していたわけです。しかも、双方とも、弁護人の行為や医師の行為について
・刑事弁護の崩壊(by弁護士:光市の事件)
・医療崩壊(by医師:大野病院事件)
と同様の懸念が同業者である弁護士及び医師の多数からから発せられていました。

 しかし、光市の弁護団は強烈な「バッシング」を受け、大野病院事件の医師はそこまでの「バッシング」は受けていません。
 それはなぜでしょうか。大野病院事件においては、

「被害者(患者)のため」

という立論を崩してはいませんが、光市の事件においては

「弁護人(弁護士)、被告人のため」

の立論に終始し、「被害者の存在を無視」してからです。
 もちろん、「このままでは医療崩壊を招く」という医者側の立論は

「医者の脅迫」

として、批判されることもありますが、その場合でも

「医者のため」

という「被害者不在の立論」であるという「光市の事件に関する多くの弁護士が陥った落とし穴にはまった」からと言うことができます。

 では、なぜ、医者はそのような議論が定期できるのでしょうか。私が考えるに、医療崩壊の問題については、「加害者(医者)」と「被害者(患者)」の双方を包含する『医療』という社会的枠組が存在するのに対して、光市の事件においてはそのような枠組みがないからだということができます。
 医療の場において、医者(「加害者」)と患者(「被害者」)の接触は必須です。その意味において、医者と患者との対話、意思の疎通は円滑な医療の実施のための必要条件であるということができます。

 一方、刑事司法の場において、加害者と被害者が会して、双方の意思の疎通を行う発想そのものが伝統的な刑事司法の場では『存在しません』。そういう発想は「修復的司法」という考え方によって刑事司法に導入されたものであって、現在における日本の刑事司法では存在しないものです。
 と言うことで、本来争うべき場所が機能しないために(刑事裁判で争うべきものでないものが)刑事裁判の場に持ち込まれたと言うのが、光市の事件と大野病院事件という2つの事件に接して感じたことです。

 と言うことで、、「ミスはある一定の確率で絶対に起きる世界」なので、そのことについて「過失犯」に問うことはやめて欲しいという医者側の問題提起は理解できます。
 しかし、その一方で、最愛の人を失った遺族(あるいは一命を取り留めた患者)の蒙った精神的損害は何らかの形で埋め合わせなければなりません。そのためには、何らかの形で『医者の側の無過失責任』を表象する『お詫び』を医者側(医療提供側)から患者側に対して、示す必要があるのではと思っています。
 それと併せて、起きた事実を患者側が納得できる形(専門的ではなく、一般的な論理構成と用語使用)で医療側が提示する必要があると思います。そして、それが患者側にとっての「事実を知る」と言うことになると思います。
 
 これは、医療問題に対するエントリなので、光市の事件に関しての「加害者と被害者との対話(和解)」についての方策は割愛しますが、弁護士の方々には、引かし利子の事件に関する弁護団に対する「バッシング」に対して

被害者という視点を組み入れない(被害者を無視した)形での

「刑事弁護の崩壊」という立論をしても、一般国民の理解を得られないとだろうと言うことを申し添えておきます

motoken01motoken01 2008/08/26 23:46  かなり違うと思いますけどね。
 刑事弁護はトピずれだと思いますが、対比に意味があるなら刑事弁護に言及してもいいかも知れません。
 量的差異と質的差異が問題になりそうな気がしますが。

NervenarztNervenarzt 2008/08/27 05:55 私もかなり違うと思いますけどね。それでも、

>しかし、その一方で、最愛の人を失った遺族(あるいは一命を取り留めた患者)の蒙った精神的損害は何らかの形で埋め合わせなければなりません。

精神的損害はまことにお気の毒ですが、なぜそれを誰かが埋め合わせなければならないのか、ちょっとわかりません。
それでも埋め合わせが欲しいのはわかりますが、別のところでやってくれませんか、というのが率直な感想です。
そもそも刑事裁判は埋め合わせのためにあるのではない、というのが私の高校レベルの理解です。
遺族や被害者の癒しのためではなく、「天に空いた穴を修復」するためのもの、そうですよね?
刑事裁判を私物化しないで欲しいなあ。

ssd666ssd666 2008/08/27 17:42 医療のグリーフケアの問題点は、グリーフケアに失敗した人間がさらに失敗を拡大再生産させるような構造に陥っているところでしょう。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/27 22:05  修復的司法が叫ばれ、刑事手続きへの被害者参加が法制化されても、刑事処罰の基本は、社会防衛という一般予防と教育刑という特別要望であり、被害者への慰藉は副次的な効果にとどまっていると思います。
 犯人が死刑になって遺影に手を合わせて御霊に報告しても、どこかむなしさが残るそうで、被害者や遺族への慰藉は、刑事処分だけではとても足りないと思います。被害者遺族の会のグループミーティングや犯罪被害者給付金による経済的支援など他の方策を模索した方が効果的だと思います。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/27 22:07 ↑すいません。誤記訂正です(おわび)

×:特別要望 −> ○:特別予防

KHANKHAN 2008/08/27 23:37 >別のところでやってくれませんか、というのが率直な感想です。
>そもそも刑事裁判は埋め合わせのためにあるのではない、
>というのが私の高校レベルの理解です。

 確かにそれまでは、このことを前提として刑事司法とりわけ刑事裁判の制度設計がなされていました。したがって、このままの刑事裁判の制度設計では、医療、犯罪を問わず被害者について適切な対応ができないという結論が導かれます。
 ここまでは異存がないと思われます。

と言うことで、大野病院事件に代表される「医療事件」については「刑事事件ではなく医療の場でやってくれ(やるべき)」という議論の流れだと私は理解しています。

しかしながら、いわゆる犯罪被害者についてはその「別のところがない」というのが現状です。これまでは、(地縁・血縁)共同体が担うべきところでありますが、現在の日本においてそのような共同体は絶滅の危機に瀕しています。つまり

「別の場」が存在しないのを知りながら「別の場でやってくれ」

と言うことは、建設的な議論にならず、不毛ではないか。挑発的にいえば、

役所で「たらいまわし」にされたうえ、すべての部署で「うちの管轄ではありません」と言われるようなもの

で、犯罪被害者にとってあまりにも酷なのではないかということです。そのことを本能的に察知したからこその「弁護団バッシング」だと思います。
別の場がないのであれば、
1 別の場を作る
2 既存の場を改修して追加任務として付与する
かどちらかの選択を迫られます。

 この犯罪被害者に関する「別の場」をどのように制度設計するかという視点を欠いて、現状の刑事裁判の現状維持に議論を局限している時点で、多くの弁護士が唱えている「刑事弁護崩壊」の議論は「被害者不在」となってしまうということです(現在の刑事司法の制度に依拠する限り、被害者不在の議論になるのは当然なので、その枠を超えた議論が求められているともいえます)。
 そして、「修復的司法」という考え方はその「別の場」の制度設計に対する一つの答えでもあるのです。
(修復的司法は原住民社会の(共同体)の機能を刑事司法、特に和解と矯正に活用しようと言うのが出発点の一つでもあります。そして、そのような共同体が日本では「絶滅危惧種」になっているため、「被害者の刑事手続への参加」が叫ばれる用になったと言うことも、ある意味、理の当然なのです)。
(ちなみに別の解法として、文春新書の「この国が忘れた正義」という本があります)

 一方、幸運なことに、医療については、医療という刑事裁判とは「別の場」が存在しているために、患者(被害者)不在の議論を避けることが可能であり、現に避けられていると思っています。

 しかし、その「別の場」が機能しなければ、大野病院事件のように医療、犯罪とを問わず「事実を知りたい」と言う名の下に、(本来刑事裁判の場になじまないのにも関わらず)刑事裁判に持ち込まれてしまったのではないでしょうか。

という問題意識から、医療に関しても「別の場」の確立が急がれていると思います。でなければ、第2第3の大野病院事件が起こる可能性があります。ということで

その1
>裁判外で事実究明がなされ、それに被害者がアクセスできる制度を
>医療過誤、刑事手続にかんして、創設する必要があります。

その2
>本来争うべき場所が機能しないために
>(刑事裁判で争うべきものでないものが)
>刑事裁判の場に持ち込まれた

その3
>「加害者(医者)」と「被害者(患者)」の双方を包含する
>『医療』という社会的枠組が存在するのに対して、
>光市の事件においてはそのような枠組みがない

というコメントをしております。

追伸
motoken01 様
>かなり違うと思いますけどね。
についてそう判断された理由を後学のために教えていただけないでしょうか(できれば、平易な文章で)
レスされるのは義務ではありませんので気の向いたときで結構です。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/27 23:56 >KHAN 2008/08/27 23:37 さん

 直前の私のコメントを読んだ上での投稿ですか?

nervenarztnervenarzt 2008/08/28 08:10 >「刑事事件ではなく医療の場でやってくれ(やるべき)」という議論の流れだと私は理解しています。
あー、「議論の流れ」についての、その理解は間違ってますね。
少なくとも僕が「別のところ」と書いたのは、「イヴェントが発生した医療の場」は全く想定してません。

>いわゆる犯罪被害者についてはその「別のところがない」というのが現状です。
>これまでは、(地縁・血縁)共同体が担うべきところでありますが、現在の日本においてそのような共同体は絶滅の危機に瀕しています。
あなたが共同体(地縁・血縁)に恵まれないのはよく判りました。それは心からご同情申し上げます。
また、「生老病死」の苦しみを社会制度で救済しよう、というのも、大変にチャレンジングでエンタープライジングなご提案であり、その発想には敬意を表します。ただこの辺については、専門家(お釈迦様とか)のご意見も聞いておきたいところですね。

>しかし、その「別の場」が機能しなければ、大野病院事件のように医療、犯罪とを問わず「事実を知りたい」と言う名の下に、(本来刑事裁判の場になじまないのにも関わらず)刑事裁判に持ち込まれてしまったのではないでしょうか。

「ではないでしょうか」という問いかけについては「ではないです」とお答えできます。
ご遺族どんなに「事実を知りたい」と仰っても検察が間抜けじゃなかったら、こんな悲劇の裁判は起きませんでした。
検察が「腫瘍」の専門家ではなく「お産」の専門家の意見に基づいて判断していれば、事件になんだならなかったでしょう。これ、よほど間抜けじゃなければできない失策ですよね。お偉い教授様じゃなくて、ふつうにお産をたくさんやっている産科医10人に「これって事件ですかね」と尋ねればよかったんですよ。
よく医者は仲間を庇うっていうけど、庇うのは身内だけですって。同門以外を庇うってことはまずないですよ。
もちろん公然と検察の証人になってもよろしい、という人は少ないでしょうけど。

ですから、たいそうな「場」などつくらなくても「お父さん、悔しいお気持ちは判ります。でもいろいろ調べても、これは『事件』にはなりません」と至極まっとうな対応をすれば第2第3の大野事件は簡単に防げると思います。

ssd666ssd666 2008/08/28 22:49 しかし、「これは医療ミスです。白い巨塔なんです。」と言い寄ってくる人たちの活動を民主主義国家として規制できない以上、防げないと思いますよ。

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/28 23:42  刑事は検察庁が防波堤になれば何とか不当訴訟を防げますが、民事に本人訴訟が認められている以上、クレーマー訴訟はどんな業種でも甘受するほかはありません。民事訴訟を規制するのは、人権保障や法の支配の自殺になるからです。

田中田中 2008/08/29 20:28 Nervenarzt さん:

>ある選択をして、最悪の損害が生じる確率について、これまでは無視できるほど小さいもの(=まあまっとうにやっていれば逮捕されるほどのことはないだろう)という程度の理解でしかなかった状況だったのが、ある一定の確率で最悪の損害が生じることが明らかになった、ということだと理解しましたが、違うでしょうか。
 それは通常の意味で「リスク」が上昇したという問題ですから、前エントリでいうような「不確実性」の問題ではないだろう、ということです。

>「やだなあ、心配しないで下さいよ、こうすれば確率はいくらか下がりますし」という提案をされても、従前のようにその確率が無視できないほど小さくはない以上、誰もその提案には乗りたがらないだろうというのはよく判ります。
 医師の意見はそうなのだとしましょう。しかし、前エントリで引用されている文献は、リスクがあることは承知の上で金融市場に参加している人の話で、しかも過去との比較ではなく、現在購入できる商品から何を選択するかという話です。その場合、「こうすれば確率はいくらか下がります」という提案は有効なはずです。要は、「ナイトの不確実性」やそれを援用した経済学の議論をなぜ bewaad さんが持ち出したのか、意義がよくわからんのです。

>そんなことより、その確率が無視できるようにしてくれよ(刑事免責にしてよ)、というわけです。
 これは、医師の主張に関する NATROM さんの認識がまちがっている、ということですよね。そうだとすると、今回のモトケンさんの態度が「適切」だとなぜいえるのか、よくわからないわけです。

田中田中 2008/08/29 21:19 前回エントリでも、ぽにょ さんが議論を続けていたのを見落としていました。おなじようなところで引っかかっているようですね。
http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080820/p1#c1219690363

DoukiHousouDoukiHousou 2008/08/30 03:25 田中 2008/08/29 20:28 さん
>今回のモトケンさんの態度が「適切」だとなぜいえるのか、よくわからないわけです。

 よろしかったら、「業務上過失致死傷」部分のコンメンタールを読んた上で、仙台地裁の判決全文(要旨でなくて判例時報でいずれ全文が公開されるもの)を読んでみてください。

ssd666ssd666 2008/08/30 08:25 医師崩壊問題とミクロ経済学の類比は面白そうな分野なんですよね。

motoken01motoken01 2008/08/30 21:37 >KHANさん

亀レスですが、前提に関する不一致が多すぎて議論にならない感じです。

 基本的な認識としても、大野病院事件については、妊婦は医師の行為によって死亡したという因果関係はありますし、それを犯罪と見る余地はあります(裁判所ですでに否定されましたが)
 しかし、本村氏と弁護団の関係はそんなに単純ではありません。
 本村氏の妻子は弁護団によって殺害されたのではありません。
 本村氏は弁護団の弁護活動によって傷ついたかも知れませんが、その問題は裁判の対象にはなっていません。

 ですから

>・光市の(差戻審)被告人弁護団と本村氏
>・大野病院事件の医者と亡くなった患者の父親
>は法律上「同じ」関係にあります。

というのはそもそも理解が困難です。

 ところで、「刑事弁護の崩壊」という主張は、多数の弁護士から発せられてましたか?
 私にはそういう認識はありません。


>確かにそれまでは、このことを前提として刑事司法とりわけ刑事裁判の制度設計がなされていました。したがって、このままの刑事裁判の制度設計では、医療、犯罪を問わず被害者について適切な対応ができないという結論が導かれます。
 ここまでは異存がないと思われます。

 刑事事件においては、適切な被害者対応ができないというのはご指摘のとおりですが、そもそも刑事訴訟手続においては被害者は当事者ではないですし、訴訟自体が当事者のケアのためのものではないのですから、これは仕方がないことです。
 せいぜい配慮するくらいで、問題のその程度と内容をどうするかです。


>と言うことで、大野病院事件に代表される「医療事件」については「刑事事件ではなく医療の場でやってくれ(やるべき)」という議論の流れだと私は理解しています。

 大野病院事件において、そんな議論の流れがあったとは知りませんでした。
 どこでそのような議論がなされてますか?

 最後にワンパターンの答で恐縮ですが、やはり私から見ると、刑事司法や刑事弁護に対する無理解が感じられます。

田中田中 2008/09/02 15:00 DoukiHousou さん:
>よろしかったら、「業務上過失致死傷」部分のコンメンタールを読んた〔だ〕上で、仙台地裁の判決全文(要旨でなくて判例時報でいずれ全文が公開されるもの)を読んでみてください。
 それ、「ナイトの不確実性」となにか関係あるんでしょうか? あるというなら読みますが……。

bewaadbewaad 2008/09/02 23:49 >皆様
一部、当事者同士で閉じているやりとりではないかとわたくしには見えるものについては、レスを遠慮させていただきます(もしわたくしに見解をお求めでしたら、その旨お申し出いただければ回答させていただきます)。よろしくご了解いただければ幸いです。

>BigHopeClasicさん、DoukiHousouさん
文脈を把握しかねて混乱を招き、申し訳なく存じます。

>Nervnarztさん
↓と同じような理解でしたが、一般的な理解ではなかったようです。失礼いたしました。
>「三百代言」という言葉があり、代言人というと悪いイメージがある。
http://www.fben.jp/bookcolumn/archives/2004/09/post_451.html

>truly_falseさん
ある事例を一般化できる(=極端な事例であっても適用可能と考える)かどうかを気にしてしまうのは、官僚の職業病のようなものですので、こちらこそ失礼いたしました。

>田中さん
書き手の主観的意図としては、平均値を下げたところで、「最悪」の場合の損失を下げないと意味がないのだろうなぁと。たとえば民事のみが50%、刑事でも起訴・無罪が40%、刑事でも起訴・有罪が10%というケースにおいて、これを民事のみを95%、刑事でも起訴・無罪が4.9%、刑事でも起訴・有罪を0.1%に下げたところで、最後のものがゼロでない限りはマックスミンの導く帰結は変わらないようなものを想定しておりました。

>B級勤務医さん
医師法第19条は正当事由による例外を認めており、かつ違反時の刑事罰はないので、職業上の使命感や社会全体にとっての最適性を抜きに医師個人にとって有利となる法律解釈のみを述べれば、正当事由による例外を主張するのがお示しの「王手飛車取り」に当たってのマックスミン原理に基づく最適行動となります。

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