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2008-10-22
日銀は如何に批判されるべきか。
ちまたの反応を見ていると、どうも日銀は民間企業であるので批判すべきではないというような論調があるようだ。たしかに日銀は表向き株式会社である(正しくは日銀法に基づく認可法人とのこと)し、職員も一見民間人であるように見える。
しかしながら、日銀法を読めばわかるように、日本銀行は我が国の中央銀行であるし、株式の55%以上は政府が常に保有し、残りの株式にも議決権はない。ようするに株式会社というのは表向きそうなっているだけで、どのように見ても政府機関である。
「日銀は最後の官僚パラダイス」(@A.R.N [日記]10/22付)
ここでのご指摘はおっしゃるとおりで、証拠として現行日銀法への改正の枠組みを作った中央銀行研究会の報告を引きます。
日本銀行の独立性と憲法との関係については、物価の安定のための金融政策という専門的判断を要する分野においては、政府からの独立性を認める相当の理由があり、人事権等を通じた政府のコントロールが留保されていれば、日本銀行に内閣から独立した行政的色彩を有する機能を付与したとしても、憲法65条等との関係では、違憲とはいえない。
日本銀行が金融政策を遂行していくには、強い独立性・中立性を付与することが必要であるが、国会が主権者たる国民を代表し、その国会の信任を得て内閣が存立するという我が国の制度の下では、日本銀行は国会や内閣から完全に独立した存在ではありえない。
中央銀行研究会「中央銀行制度の改革−開かれた独立性を求めて−」
憲法第65条とは「行政権は、内閣に属する」というものですが、その違反が問題になるとは、金融政策が行政権の構成要素であることが当然の前提となっています。金融政策が行政権の構成要素でなければ、そもそも違憲かどうかを論ずる必要がないのですから。
この前提に基づき、arnさんは次のように議論を進められています。
実質的に公務員であるにも関わらず、日銀に関しては何を行っても問題視されない傾向にある。「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」とあるにも関わらず物価安定に失敗し続け、「政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」とあるにも関わらず政府方針に逆らい続けているという現状が続いているのであるが、マスコミその他、一向に強い批判を受けることはない。むしろ、日銀批判者が「独立性に介入した」と批判されるような状況だ。
このような状況になってしまえば、そこに残るのは日銀職員という名の官僚パラダイスである。数年前には、日銀職員は他の公務員に比べ給与水準が2割弱高いという事実も公表されていたが、そろそろ日銀をきちんと監視しなければならないということに皆気付くべきではないだろうか。
「日銀は最後の官僚パラダイス」(@A.R.N [日記]10/22付)
ここでのご指摘については、webmasterは異なる認識を持っています。まず2点め、「『政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない』とあるにも関わらず政府方針に逆らい続けているという現状」についてですが、この条文の考え方について、再び中央銀行研究会の報告を引きます。
6.政府と日本銀行の関係
(1) 基本的考え方
近年金融市場が高度に複雑化・グローバル化していることから、政府と日本銀行が緊密な協力関係を保つ必要性が高まっている。このため、日本銀行の独立性を確保する一方で、政策決定における政府との関係を明確にすることが、グローバル・マーケットの信認を確保するために不可欠である。
その際、政府と日本銀行が対立した存在と捉える議論は現実的でない。欧米においては、関係大臣と中央銀行総裁が緊密な連絡を取り合っており、我が国においても、政府と日本銀行の間の様々なレベルでの日頃の意思疎通を通じて、今後とも協力関係をより緊密にしていくことが望ましい。(略)
(3) 金融政策運営における政府と日本銀行の関係
日本銀行の行う業務のうち、金融政策運営については、日本銀行の金融政策と政府の経済政策との整合性を確保するための明確な仕組みを用意する必要がある。このため、金融政策に関する意見が異なる場合には、政府が政策委員会に対してその判断を一定期間留保するよう求めることを含めて、政府の意見を政策委員会に提出することを確保する方式を用意すべきである。
中央銀行研究会「中央銀行制度の改革−開かれた独立性を求めて−」
こと金融政策について言えば、政府と日銀との方針が異なることが端的に現れるのは議決延期請求権の行使ということとなりますが、実際に行使されたのは2000年8月のゼロ金利解除に当たっての1回のみ。基本的考え方に照らしても、経済財政諮問会議への毎回の総裁の出席など、「協力関係をより緊密にしていく」との方針に沿った運営がなされてきています。時として温度差はあったでしょうけれども、「政府方針に逆らい続けているという現状」という批判は当たらないとwebmasterは考えます。
#問題はディマンドサイドではなくサプライサイドだ、という点で一致している以上は政府と日銀との間に大きな齟齬は生じようがない、というのがwebmasterが念頭に置く理由です。
では1点め、物価安定に失敗し続けている点はどうでしょう。もちろんwebmasterはそのとおりだと認識していますが、それへの批判がないことは、監視の不在によるものなのでしょうか? 一般の「物価」の感覚は金融政策よりもはるかに需給によって左右される生鮮食料品やエネルギー価格を含む普通のCPIベースであると考えられ、端的には昨今はインフレであるとの認識が世間的には多数派でしょう。これに対してデフレだからと積極的な金融緩和に努めれば、おそらくは強い批判が出てくるはず。「マスコミその他、一向に強い批判を受けることはない」のは、監視の不在ゆえではなく、監視者の意向に沿った金融政策が行われているがゆえではないでしょうか。
本来、普通のCPIベースでは見るべきではないと言ったところで、世間的な実感を変えることは不可能でしょう。加えて真にデフレであることをうかがわせるGDPデフレータの低下局面にあること、すなわち総じて所得が減っている中では、CPIの上昇(に表象される物価動向)はより深刻な生活実感を与えずにはいられません。「皆」が差し当たり国民の多数派を指すとするならば、(CPIベースでの)インフレ懸念を隠さず利上げを示唆する日銀は、監視されればされるほど、歓迎されこそすれ批判なんてとんでもないというのが実情ではないでしょうか。
結局のところ、世論の評価にしたがって運営されればよいということならば、中央銀行に独立性などいりません。中央銀行の独立性が必要とされるのは、その正統性の淵源が民主的コントロールではなく専門的コントロールにあるということなのですから、現状、批判が足りないとすれば、それは何よりも専門家による批判が足りないということではないかとwebmasterは思います。つまりは経済学者によるものとなりますが、金融政策決定会合にも経済財政諮問会議にも経済学者がいるにもかかわらずの現状です。専門的見地から日銀の姿勢が批判されるべきであるならば、まずはこれらの会議における経済学者の批判・反対が期待されますし、そうした機能が実現されていないなら、経済学界からの学者委員・議員に対する批判がまずはなされるべきで、マスメディアへの批判はその後にこそ、ということではないでしょうか。
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