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2010-07-31

アリフレ政策の序

「アリフレ」とはa reflationの略で、リフレ政策を巡る議論に多大なる影響を与えた「ザモデル」に倣わんとすることがかく略する趣旨となりますが、「ザ」ではなく「ア」であることには当然意味があり、多数あり得るリフレ政策のあり方のひとつを示すものに過ぎないことを示すことにもまた、同じぐらい重く意図を込めています。加えて、webmasterはリフレ政策支持者ではないとご認識の方々におかれましては、「亜リフレ」と字を当てて、やはりあいつのリフレ政策はまがい物だと差別化していただくことも可能な名称となっております。

webmasterにとってのリフレ論の集大成を謳っていますので、多少迂遠ではありますが、なぜリフレ政策を必要と考えるかについて記すところから始めたいと思います。込み入った話は後にするとして、とりあえずリフレとはデフレ脱却であると簡単に定義して話を進めるなら、なぜリフレ政策を必要と考えるかとは、なぜデフレからの脱却が必要と考えるかとの問いかけと同義です。さらに言い換えるなら、なぜデフレは避けるべき現象であるのでしょうか?

デフレとは一般物価の下落(ちなみにインフレはその上昇)のことですが、本来的には、デフレであれインフレであれ、それ自体はいいことでも悪いことでもないはずです。たとえば物価が半分になるデフレが起きたとして、労働サービスの価格である給料が半分になったところで、買うもの等、支出先の価格もすべて半分になるのであれば、生活そのものは何の影響も受けません。逆もまた然り、です。

しかしながら、この「本来的」な議論には、重要な前提がひとつあります。それは、全ての財・サービスの価格が、一般物価と同じように動く、というもの。たとえば先の例で、労働サービスの価格はゆっくり動いて、それ以外の財・サービスの価格は早く動くなら、労働サービスの価格がそれ以外の財・サービスの価格に追いつくまでの間は、労働者生活水準はデフレが起きる前よりも高くなります。実際、労働サービス価格は、ゆっくりめに動くものの典型です。

では、多くの労働者にとって、デフレはいいことなのでしょうか。もちろん、現に労働サービスを提供し、その対価を受け取っている人々にとってはいいことに決まっています。だからといって、社会全体にとっていいとは限りません。腕が上がったわけでもなく単に調整スピードが違うということに源を発して、他の財・サービスと比べた相対的な価格が上がるとは、労働サービスが提供することができる価値以上の価格を受け取っていることに他なりません。逆から見れば、得られる価値よりも高い価格を払わないと労働サービスは買えなくなった=事実上の値上げ、ということです。

そんなものを買わされる雇用者はたまったものではなく、何か対策を講じるのは自然なことです。値下げ交渉をすればよいのかといえば、労働サービス価格がゆっくり動くとはそうした交渉に高いコストがかかる(契約が長期である、労働者保護法制が整備されている、等)ことに他なりません。結果、目先のコストが比較的安い部分にしわ寄せが行き(採用抑制、派遣労働等の短期契約の更新拒否等)、あるいはそうしたしわ寄せができず事業が継続できなくなることで職場が失われ、世の中には失業者があふれることになります。働ける人々が働かずに貯金や扶助を食い詰めていくとは、社会にとって明らかに不幸なことです。

労働者保護法制や派遣法制を改め、労働サービス価格の調整スピードを上げればよい、というご意見もあるでしょう。スピードが遅くてもいつかは調整が追いつくのだから、一時的な問題に過ぎない、というご意見もあるでしょう。webmaster個人としては、そう簡単に調整スピードが上げられるとも思いませんし、一時的だといって看過すべきものとも思いませんが、それらの実効性は措くとしても、労働サービス以外の全ての財・サービスについて、調整スピードを適切にチューニングすることは困難を極めるでしょう。仮に全ての財・サービスについて調整スピードを最適化できたとしても、なお問題は残ります。

その残る問題とは、金利に関するものです。金利とは、現在と将来のお金の価格に他なりません。金利1%でお金を貸すとは、代金100円を支払って、将来101円受け取る権利を買っている、ということになります。では、代金100円を支払って、将来デフレにより値下がりした99円を受け取る権利を買う人はいるでしょうか? 今の100円をそのまま手元においておけば、将来も依然として100円のままなのですから、そんな権利を買う人がいるはずもありません。つまり、将来のお金の価格の下限は今のお金の価格であり、金利で表現すれば0%です。

お金を借りる典型は、企業の投資です。今1億円借りて投資すれば、今の売上1億円が将来には1億1,000万円にまで伸びるので、金利を10%までなら支払ってでも、借りて投資した方が得だ、というわけです(金利以外のコストは捨象してます)。この将来の売上の伸びが性能の向上によるシェア拡大によるもの‐単価1万円のものが今は1万個売れていて、将来は1万1,000個売れる計算‐だとして、デフレで単価が9,000円に下がったらどうでしょう? 9,900万円しか売上を得られませんから、売れる量が10%(1,000個)も伸びる見込みが立つにもかかわらず、マイナス金利でないと利益が出ません。ところが既述のとおり、マイナス金利で貸す馬鹿はいないのです。

かくして、デフレ下においては、お金を借りるとは極めてハードルの高い行動になります。単に販売量等の拡大が見込めるというだけでは足らず、それが単価の減少を補って余りあるものであることが求められるのです。デフレでなければ行われていたであろう、世の中を少しずつよくする諸々が、お金が借りられない(借りても返せない)がゆえに行われないとは、これまた大いなる社会的損失です。

さて、これはデフレ下固有の状況ではあるのですが、同様の事態は他の状況においても生じます。すなわち、金利が高いときには、その金利以上の収益の伸びが見込めなくては投資が行われなくなるので、投資は抑制されます。金融政策として加熱した景気に冷や水をかけるために金利を引き上げるのは、そうした効果を念頭に置いてのこと。デフレで一般物価が下落しているときには、ゼロ金利であっても、その下落分だけ金利相当の負担が生じ、投資が抑制されることになるのです。いわば、景気動向にかかわらず、常に冷や水をかけつづけているようなものなのです。

その効果はいかほどか。かつてのエントリを引けば、2000年代前半のOECD諸国平均と日本の実質GDP成長率格差は約1%ポイント。この1%ポイントの差がデフレかそうでないかのみに依存していると仮定するなら、デフレであること=実質的に金利が引き締められていることにより、実質GDP成長率は1%ポイント引き下げられていることになります。たかだか1%ポイントと軽く見ることなかれ。昨年度の実質GDPは約531兆円ですが、日本平均のまま2050年度まで推移しても約2倍(約1,114兆円)までしか成長できない一方、OECD諸国平均で推移することができれば約3倍(1,627兆円)にまで達するのですから。

かくのごとくデフレは解消されるべき現象であり、デフレ脱却施策=リフレ政策は実現されるべきである、とwebmasterは考えております。さて、ではどのようにすればデフレから脱却できるのでしょうか。冒頭記したようにリフレ政策が多様であり得るとは、デフレ脱却のための政策手法は複数あり、それらをどう組み合わせるかで、さまざまな政策パッケージを考えることが可能だ、ということに他なりません。

(続く)