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2011-04-13
「アリフレ政策の議」の補足その3
本編にて、過てる日銀批判はリフレ政策の信頼性を損ないその実現の妨げになるとの危惧を申し上げましたが、東北太平洋沖地震以降、部分的にではありますが、これがまったくの杞憂ではなくなってきているというまずい事態が進行しています。具体的には、
で、ここは宮尾審議委員の質疑応答を読むコーナーなのであたくしの愚意見など余計だと仰せになるかもしれませんが敢えてあたくしの愚見を申し上げますと、先日も申し上げましたように、現在の市場環境で「単発10兆円の国債増発」が捌けないという状況では全くございません(多少金利が上昇するかも知れませんが)ので、そのような状況下で敢えて日銀引受を行うという必然性は無く、うっかり日銀引受やって海外勢辺りに絶好のアタックチャンスを与えて財政破綻シナリオを提供するリスクをわざわざ取る必要は乏しいのではないか、(ただでなくさえ財政のサステイナビリティがといわれる中でシンボリックな意味も大きい中央銀行引受を実施したら、市場金利が急上昇していくリスクがありますわなという話ですな)というのが市場の片隅でおこぼれを頂戴しながら生きておりますあたくしの市場参加者目線(だとあたくが勝手に思っているだけならスイマセン)な見方でありまする。
国債発行市場で大きな問題なく消化が可能と見られるものをわざわざ日銀引受で発行せよという議論に関しては、まあ率直に申し上げて論者の方々の目的が国債発行じゃなくて日銀に国債引受をやらせる事なんじゃないですかと反問させていただきたくなる訳ですよ。
増税で対応というのも復興前に景気が腰折れしちゃうリスクを背負ってまで勝負する意味が今の環境下であるとも思えませんから、復興財源に関しては予算の組み替えなども一部入れるも、とりあえずは赤字国債で出して、復興が軌道に乗って来た所から財政健全化に向けた取り組みをどうしましょ、という流れで対応するのが現実的な所なんじゃないですかねえと思うのでして、今すぐの増税も復興国債日銀引受もちょっとどうなのよと思う所ではございます(子ども手当てとか高校無償化とか何とか削減できないのかねえとも思いますが)。
http://www.h5.dion.ne.jp/~bond7743/doramemon1103.html#110325
というドラめもんさんのコメントや、
日銀法の改正を行って、日銀に直接国債を買わせようという試みについては、現段階では反対です。ECBでも政府への直接融資や国債の引き受けは禁止されていますし、通貨の信認を維持するには中央銀行の規律を護持することが必要という議論を支持します。
ただし、論戦はおおいにやるべきだと思います。争点を定めて、議論することは望ましいことですし、市中の消化能力に問題が出そうだという前提となれば、私もいまの意見に拘泥するかと言われるとまだ判断しきれていません。
よって、デフレ脱却なんたらについては、今回議論すべき復興そのものの対策と復興後の成長シナリオで言えば後者に組み込むべきもので、復興国債が何らか発行され、事態の進捗が明らかになってからでないと物事が進まないのではないかと思います。少なくとも、いまの政治状況では無理でしょう。
だから、政治状況を変えて閉塞感を打破するためにはどうするべきか、という本来の市場での判断や意見とは違う次元の問題が山積みで、先に為すべき手続きが多いですよね、と論じたのです。
「ではデフレを放置しておくべきだと考えているのか」とお怒りになった参席者もおありでしたが、いまの経済状態は緊急時であり、3月4月の前年対比が何割も下落してもおかしくないぐらいの状況です。その状況でデフレ脱却だリフレだ国債の日銀引き受けだというのは、真の意味で「どさくさに紛れて従前平時の政策主張を無理に通そうとしている」のであって、外野的には少し頭を冷やしてもらうほかないよなあと思う次第です。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/04/post-9cc8.html
という切込隊長さんのコメントにあるとおり、リフレ論壇における震災復興国債日銀引受け構想について、親リフレ政策な人々が「ドン引き」になっていることです。ただでさえ多数派とはいえないリフレ政策支持者の数を一層減らして、どうしてリフレ政策の実現ができるというのでしょう。
ご両所の掲げる「ドン引き」の理由は同じ趣旨のもので、「まあ率直に申し上げて論者の方々の目的が国債発行じゃなくて日銀に国債引受をやらせる事なんじゃないですかと反問させていただきたくなる」「その状況でデフレ脱却だリフレだ国債の日銀引き受けだというのは、真の意味で『どさくさに紛れて従前平時の政策主張を無理に通そうとしている』のであって、外野的には少し頭を冷やしてもらうほかない」というもの。すなわち、現下においては日銀による国債引受けは不可欠なものとは認識されておらず、にもかかわらずそれを主張するのは、真に円滑な震災復興を願ってのことではなく、震災に乗じて他の目的を達しようと見られているのです。
本エントリでは、以上を踏まえ、次について論じます。
- 復興財源を短期・大幅な増税に求めることは論外だが、それはイコール日銀引受けが妥当であることを意味しない。
- 日銀引受けすべしとの主張を支える材料には問題が多い。
- 現在主張すべきは、長期国債買切りオペ増額。
復興財源を短期・大幅な増税に求めることは論外だが、それはイコール日銀引受けが妥当であることを意味しない。
当サイトの読者層を考えますに、短期・大幅な増税による復興ファイナンスがダメなことについて字数を割く必要はないかと存じます。ひとことで言えば、泣きっ面に蜂、あるいは弱り目に祟り目、ということ。震災でダメージを受けた日本経済に、さらにダメージを与えないようにしなければなりません。
ではどのようにファイナンスするかを考えれば、本件についての矢野先生のモデルを参照するなら、通貨発行益によりファイナンスすべし、ということになります。通貨発行益というのなら日銀引受けが当然だとお考えの諸賢、それは少々短絡でございます。
矢野ペーパーでは、とどのつまりどれだけ中央銀行(もちろん日銀のこと)が国債を保有するのか、ということが重要なのであって、その買い方は問うていません。考えてみれば当然の話で、政府から直接日銀が国債を買って(=引き受けて)直接政府に代金を支払うのか、まずは日銀は市中の国債保有者から国債を買い、その国債保有者が日銀から受け取った代金で政府から国債を買って政府に代金を支払う‐いわば間接的に支払う‐のか、これら両者に本質的な差が生じるはずがありません。
#だからこそ従来リフレ政策の提案において、長期国債買切りオペの増額が有力手段として挙げられてきたわけで。
webmasterが見る限りもっとも精緻に増税を排し通貨発行益の活用を訴える矢野先生の分析からは、日銀引受けが必要だとの結論は導かれていないのです。まさしく矢野先生ご自身が、「まず『通貨発行益を利用する財政政策とインフレーションターゲット』の併用策を実行」すべきだとはおっしゃっていても、日銀引受けそのものはご提案でないとおりに。
日銀引受けすべしとの主張を支える材料には問題が多い。
それでは日銀引受けをご提案の方々は、矢野先生の分析以外にその論拠を提示されていらっしゃるでしょうか。片岡さんや岩田(規)先生のご意見を拝見しても増税がダメだとしか述べられていません。
#岩田先生に関しては、来る新刊詳しく述べられるとのことなので、そこで何らかのご見解が示されるかとは存じますが、現時点においては、ということで。
それ以外のものは、webmasterが見る限り、本編で取り上げたような問題含みとなっています。まず、高橋先生の論説を見てみます。
1995年1月の阪神・淡路大震災の時を振り返って、その問題点を整理しておこう。当時、住宅や道路などの被害額10兆円に対して3.2兆円の補正予算を組んだ。そのほかに、円高になっていたので円高対策などで補正予算が9.1兆円となった。それらに対する財源のうち、国債発行は9.2兆円だった。補正予算は1995年2月、5月、10月に成立した。
当時、金融政策は、バブル崩壊以降累次に金利引き下げが行われてきたので、震災以降も金融緩和の動きは鈍かった。政策金利としての公定歩合は意味が薄くなりつつあったが、やっと1995年4月と7月に引き下げられた。
この対応の問題点は二つあった。
(略)
第二に、マクロ経済政策の手順の前後による円高だ。1999年にノーベル経済学賞を受賞したマンデル・コロンビア大教授によるマンデル=フレミング理論では、変動相場制では財政政策の効果はなく、金融政策は効果があるとされている。おおざっぱにいえば、変動相場制の下で、国債発行で財政政策をすると、行わなかった場合に比べて金利が高くなり、その結果、為替が強くなって、輸出が落ち、公共支出増を相殺してしまうのだ。
まさに1995年の時がそうした状況だった。先に財政支出が決まり、それを先取りする形で震災3ヵ月後には円高になっている。その時の円高は、今回の円高より前の最高値だった。マンデル=フレミング理論から見ると、もっと早く金融緩和に踏み出していれば、その円高は阻止できただろう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330
上記引用部の後に、これら阪神・淡路大震災の問題点を踏まえ、と日銀引受けの話が導かれますが、95年の円高は、本当にマンデル=フレミング理論で説明可能なのでしょうか。
円ドルレイト 日本10年金利 米10年金利 日米金利差 1995年1月 99.79 4.567 7.78 3.213 1995年2月 98.23 4.446 7.47 3.024 1995年3月 90.77 3.85 7.2 3.35 1995年4月 83.53 3.524 7.06 3.536 1995年5月 85.21 3.23 6.63 3.4 1995年6月 84.54 2.807 6.17 3.363 1995年7月 87.24 2.863 6.28 3.417 1995年8月 94.56 3.264 6.49 3.226 1995年9月 100.31 2.777 6.2 3.423 1995年10月 100.68 2.998 6.04 3.042 1995年11月 101.89 2.907 5.93 3.023 1995年12月 101.86 3.098 5.71 2.612
#円ドルレイトは月中平均(出所:日銀)、日本10年金利は10年国債落札平均利回り(2月分は、1月31日と3月1日の平均値。12月分は、翌年1月9日の利回り。出所:財務省)、米10年金利は米国債10年物金利(出所:FRB)。
ご覧いただければ一目瞭然ですが、95年の円高は、日本の金利が低下する中で生じました。円ドルレイトに関して重要となる日米金利差についても、とりわけもっとも円高になった4月(79.75円を記録したのは4月28日)においては顕著に、拡大、すなわち相対的には日本の金利がもっとも低くなっていました。
すなわち、95年の円高は、マンデル=フレミング理論が当てはまらない例なのです。95年当時の政府の施策をどう批判するにせよ、財政拡大がマンデル=フレミング理論が示すように金利上昇・円高・純輸出減少を通じてGDPを引き下げたとは、簡単に確認可能な事実に反する誤った批判です。誤った批判を持ち出したところで、現状対応の提案の正当化にはなりません。
#高橋先生は、「国債発行で財政政策をすると、行わなかった場合に比べて金利が高くなり、その結果、為替が強くなって」とあるので、震災対策なかりせばもっと円高の程度が低かった、ということを企図されているのかもしれませんが、円金利の絶対水準、対ドル金利の相対水準のいずれも下がっている以上、マンデル=フレミングの援用には無理があります。マンデル=フレミングを援用する以上、仮に円安になっていた場合において、震災対策なかりせばもっと円安になっていた、ということまでしか主張できません。
次いでもうひとつ、上記の岩田先生や高橋先生の論説においても引かれている、山本(幸)議員による指摘を取り上げます。
新年度の予算でもそうだが、毎年の予算の予算総則それも特別会計の予算総則の第5条には、次のようにはっきりと明示されているのである。
第5条 国債整理基金特別会計において、「財政法」第5条ただし書きにより政府が平成23年度において発行する公債を日本銀行に引き受けさせることができる金額は、同行の保有する公債の借換えのために必要な金額とする。
何のことはない、「日銀の国債直接引き受け」というのは毎年の恒例行事であって、「禁じ手中の禁じ手」などと批判する方が馬鹿馬鹿しいという話なのだ。「借換え債」という形ではあるが、経済的な意味合いは、市場を通さない「日銀の直接引き受け」という点で何ら変わりはない。平成22年度の実績は11兆円程度ということだから、金額もかなり巨額である。
この事実を国会議員を初め全国民がよく知るようになれば、「国債の日銀直接引き受け」に対する抵抗感も劇的に薄らいでくるのではないか。「法的にできない」などとのたまう与謝野大臣には、「財務大臣も経験されたのだから、予算総則くらいはしっかり読んで欲しい」と申し上げたいところだ。
http://www.yamamotokozo.com/news/20110328.htm
ここで書かれていることそのものには誤りはないのですが、意図してかせずしてか、本件の文脈では極めて重要となる事実が抜けています。すなわち、現在、日銀が引き受けている国債は短期国債であり、かつ、原則として再乗換え(ロールオーバー)をしていないこと。
矢野先生がご指摘のとおり、日銀保有国債を増やす目的は、通貨発行益の活用です。しかるに、短期国債しか買わず、それも満期を迎えれば現金償還を受けるのであれば、そこには通貨発行益の活用など無きに等しいと言わざるを得ません。現行の日銀引受けは、本件文脈では何の前例にもならないのです。
#ちなみに、98年度までは、10年国債の乗換え(借換え引受け)は10年国債で行っていた(正確にいつまでかはwebmasterの記憶は定かでなく、また、公式の資料も見つけられなかったので、bank.of.japanさんのエントリを参照させていただいてます)ので、これであれば前例として引く意味があります。
借換債かどうかは経済的に意味がないとは山本議員ご指摘のとおりですが、山本先生が触れていない通貨発行益の多寡は経済的には大いに意味があります。そこに着目せずに、かなり巨額にやっているなどと言ったところでどうなるというのでしょう。白川総裁が十分にずるがしこかったなら、「現行の延長線上であれば、復興国債の引受けについて日銀としては異論ありません」などと言って短期国債・再乗換えなしで全部を引き受けて、ご要望どおりにいたしましたので文句はありませんね、ということになってしまうでしょう。
切込隊長さんが、
国債引き受けを日銀に求める動きと変な連動をしているのもまた事実でありまして、観測気球を上げさせるという余裕が官邸にあるはずもなく、単純に日銀の無謬性のような概念に対して挑みたい素人がきっとたくさんいるのだろうと妄想するところで。このクソ大事なところで何をしているんだろうと。間違いなく償還乗換と中期の復興国債の引き受けを混同していると思うんですよね。政府要請も満足に検討できない状態で思惑一丁の働きかけをするなと。市場が混乱するから。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/04/post-2fbb.html(webmaster注:強調はwebmasterによります)
と指摘されるのもまことにもっともなことです。
さらに申し上げるなら、山本議員は現在の日銀乗換えを評価しているのでしょうか? ずーっと昔から、乗換えを短期国債でしているのは問題だと指摘していたwebmasterからすれば、妙なところで日銀に甘いものだと思わざるを得ないのですが。(2011/04/14追記:リンク修正しました。)
現在主張すべきは、長期国債買切りオペ増額。
とどのつまり、従来選択肢の一ではあっても、決して最優先の手法とはされていなかった日銀引受けについて、十分な理屈付けもないまま、あたかも唯一の選択肢であるかのように主張していることが、親リフレ政策な人々の不信を招いている原因といえましょう。まして反/非リフレ政策な人々にとってをや。こと震災復興に限らず、リフレ政策そのものへの信認が傷つきかねない状況にある、とwebmasterは危惧しています。
今からでも、日銀引受けではなく長期国債買切りオペの増額(それも、可能であればフローの額を縛るのではなく、ストックの継続的増加)をこそ、震災復興のファイナンス手法として提案すべきである、とwebmasterは考えます。これであれば、かねてからリフレ政策のスタンダードな手法として提唱されてきた手法であり、ドラめもんさんや切込隊長さんが下したような評価から免れることが可能であるとwebmasterは考えますし、矢野先生のモデルに依拠するなら、日銀引受けと効果は変わらないのですから。
ちなみに、既述のとおり直接引き受けようが買切りオペで市場から吸い上げようが、経済的には同じことです。しかし、経済的な効果は変わり得ます。リフレ政策上、世の中の人々がインフレを予想すれば(インフレ期待を持てば)インフレが実現すると考えられるわけですが、いかに直接引受けが買切りオペと経済的には同じであっても、政治的・社会的な認知が異なりインフレ期待への影響力が異なるならば、結果において差が生じます。サージェント曰く、
In each case that we have studied, once it became widely understood that the government would not rely on the central bank for its finances, the inflation terminated and the exchanges stabilized.
(webmaster試訳:以上検討した各事例(webmaster注:オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツの第一次大戦後のハイパーインフレ)では、政府が中央銀行に財源を依存しないとひとたび広く理解が及べば、インフレーションは収束し為替相場は安定した。)
http://www.nber.org/chapters/c11452.pdf
とのこと。現状の長期国債買切りオペは、長期金利やインフレ率等の指標から見るに「政府が中央銀行に財源を依存しない」と理解されているようです。しかし、直接引受けがそうだとは、少なくとも経済的に同じということからは、断言できるものではないとwebmasterは理解しています。ドラめもんさんご指摘のとおり、シンボリックな意味合いは非常に大きいでしょうから。
「アリフレ政策の議」の補足その4
「その3」で引いた高橋先生の記事ですが、本編で取り上げたものと同様、「ダメな議論」の条件に合致しています。本編について揚げ足取りだとのご批判もありましたが、揚げ足しかないようなもの。webmaster以外に明らかな事実関係の誤り等を指摘してくれる人がいればよいのですが、いないようですので寄り道ながら。
まず、先週3月21日の本コラムで指摘した「でんき予報」は、23日から公表されるようになった。これは評価したい。
さて本題だが、東日本震災関係で補正予算の話がでている。被災者の受け入れ自治体ではすでに補正予算がつくられているところもある。
1995年1月の阪神・淡路大震災の時を振り返って、その問題点を整理しておこう。当時、住宅や道路などの被害額10兆円に対して3.2兆円の補正予算を組んだ。そのほかに、円高になっていたので円高対策などで補正予算が9.1兆円となった。それらに対する財源のうち、国債発行は9.2兆円だった。補正予算は1995年2月、5月、10月に成立した。
当時、金融政策は、バブル崩壊以降累次に金利引き下げが行われてきたので、震災以降も金融緩和の動きは鈍かった。政策金利としての公定歩合は意味が薄くなりつつあったが、やっと1995年4月と7月に引き下げられた。
この対応の問題点は二つあった。
第一に、被害額に対する予算規模が小さすぎることだ。当時の大蔵省は徹底的にケチった。私有財産に公費は入れられないというのが原則論を振りかざした。さらに、その前段階である復旧についても、原状復旧しか公費を入れられないと主張をした。
これは、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」(災害負担法)を根拠としている。地震により被災した地方公共団体のインフラについて、原状に復旧する場合にのみ国が資金をだすというものだ。この枠があるため、基本的には震災以前と同じようなインフラを作ることなり、しかも予算規模が縮小する。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330
「その3」の引用部に先立つ部分ですが、阪神・淡路大震災において災害負担法を根拠として国費投入が行われた、というのは真っ赤な嘘です。
3.財政面での国の対応
a.大規模な災害は被災自治体の財政に極めて大きな影響を及ぼす。そこで、災害復旧の段階では、国による財政措置によって、地方財政が大きな影響を受けないような仕組みが「災害対策基本法」によって整えられている(図表23)。
b.「災害対策基本法」に則った、災害復旧事業に関する具体的な国の負担と補助については、「災害救助法」、「公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法」、「公立学校施設災害復旧事業費国庫負担法」等の個別法令に定められ、各法令に国の負担割合が記されている。ただ、これらの法律に基づいた補助負担制度は通常の災害に適用されるものであり、甚大な被害を引き起こした災害については激甚災害指定がなされる。
c.国は、阪神・淡路大震災を激甚災害に指定した。激甚災害とは「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(激甚災害法)」(1962年施行)により、公共土木事業、農業等の項目別に一定の基準を上回る被害をもたらした災害に対して、通常の災害復旧事業を上回る財政援助を行うものである。被災自治体が単独で行わなければならない復旧事業についても、激甚災害に指定されると国の財政措置が与えられる。
d.国は阪神・淡路大震災に対して、「阪神・淡路大震災に対処するための特別の財政援助及び助成に関する法律」を制定し、従来の「激甚災害法」をさらに拡大した財政措置がなされた。公園・街路・廃棄物等、福祉ホーム・デイサービス・身障・障害等の公立授産施設、公立社会教育施設・警察・消防等は従来、「激甚災害法」の対象とはなっていなかったが、特例として国庫補助率が引上げられた(図表24)。
e.国庫補助対象事業について補助災害復旧事業債の発行が認められるものに関しては、地方の負担分の100%が起債の対象となり、しかも元利償還金の95%が普通交付税で措置される。この仕組みは阪神・淡路大震災の特例以前と同様であったが、従来から補助災害復旧事業債の対象であった公共土木施設(河川・道路・港湾等)、農林水産業施設(かんがい排水・農林道等)、公立学校施設、都市施設(街路・公園等)に加えて、社会福祉施設・社会教育施設・廃棄物処理施設・警察・消防等が災害復旧事業債の対象に含められた(図表24)。
f.国庫補助の対象にならない復旧事業についても、神戸港埠頭公社(岸壁)、阪神高速道路公団、鉄道に対する被災自治体の補助、公営企業の災害復旧事業に対する一般会計からの繰出金が単独災害復旧事業債の対象となった。単独災害復旧事業債の対象となると、従来は元利償還金の28.5〜57.0%が普通交付税で措置されることになっていたが、47.5〜85.5%が交付税で措置されることになった(図表24)。
http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/other/pdf/2890.pdf
根拠法が異なれば、対象も変わります。激甚災害法が適用された段階で、災害負担法に定める復旧事業に止まらず、「前号の災害復旧事業(webmaster注:災害負担法に定める災害復旧事業)の施行のみでは再度災害の防止に十分な効果が期待できないと認められるためこれと合併して行う公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法第3条に掲げる施設で政令で定めるものの新設又は改良に関する事業」その他の事業が対象になりますので、原状復帰を超えた「新設又は改良」が対象になります。すなわち「この枠があるため、基本的には震災以前と同じようなインフラを作る」というのは、阪神・淡路大震災関連事業には当てはまりません。
#実際には復旧タイプが多かったとはwebmasterも察しますが、それは権利調整の困難さによるものであって、法律の制約によるものではないということです。
一点、専門的と思われる部分に補足すると、f.の「国庫補助の対象にならない復旧事業」について、確かにこれには直接国庫補助が行われないわけですが、交付税措置が厚くなるということで、被災自治体の負担は軽減されます。国の補助基準に当てはまらないため地方単独事業として行わなければならないとしても、それに対する財政支援は行われる、ということです。この点においても、それで十分かどうかの議論はもちろんあり得ますが、災害負担法が適用され、原状復旧にしか国費が出ていない、というのは明らかな事実誤認です。
この記述に続くマンデル=フレミングの話は「その3」のとおりで、続いて2ページめです。
では前回の震災対応を踏まえて、今回の復興をどうすべきか、考えてみたい。
第一に、まず、いま補正予算が検討されているが、財務省主導による財源論になっているのではダメだ。1兆1600億円計上した予備費は全部使えないとか、平日上限2000円などの高速道路割引や高速無料化を先送りして1000億円から2000億円程度捻出できるとか、法人税減税の見送りで5000億円とか、ちまちました話ばかりだ。民主党がこだわってきた子ども手当をなくしても3兆円でしかない。
一方、野田財務相は「安易な国債発行はできない」といっている。
こうした財源論をしていると、予算規模が小さくなる。その中で、原状復旧という法的な縛りがあると、本当の復旧や復興につながらない。
今回は津波被害が多い。津波被害の復旧の鉄則は、同じ所に家を建てないことだ。だからがれきとなった被災地に復旧させるのではなく、安全な所に新たな街を造るのではなくてはならない。この点からいえば、財源論からスタートするのではなく、災害負担法の枠を政治家が取り払うことが必要だ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=2
今般の震災については、先月12日(震災翌日です。念のため)に既に激甚災害指定がなされています。すなわち、災害負担法ではなく激甚災害法(そのうち新法が制定されるでしょうけれど、それを待つことなく、ということです)が適用されているわけで、「災害負担法の枠を政治家が取り払うことが必要だ」などと指摘されるまでもなく、取り払われています。
災害というショックに増税では根拠がない
第二に、増税が出てくるのは最悪だ。今の菅総理も谷垣自民党総裁もともに増税論者だ。国債発行を押さえる観点からは、災害復旧法で予算規模を縮めて、その上で足りなければ、臨時増税という手段で、両者は意見が合うだろう。
ただ、増税は災害というショックに対応する政策としてはまったく根拠がない。財源調達として、国債発行と増税の違いは調達を分散させるか一度にやるかの差である。もし100年に1度のショックとすれば、地域的にも時間的にも分散処理すれば対応コストが平準化できるので、震災対応は国債発行となる。
しかし、増税派は、国債発行は財政破綻をもたらすと脅す。震災ショックに増税したら、被害のない西日本もダメージを受けてしまう。その結果、経済の一部である財政も悪くなってしまう。
しかも、増税派がよくいう、国債残高が名目GDPの2倍もあるという台詞は、国のバランスシートで見れば右側の負債だけで、左側の資産を除いたネットベースなら、名目GDPの60%程度であって、目くじらをたてるほどの水準ではない。
第三に、では実際に財源をどう用意すればいいのか。高速道路関係の予算組み替えはいいだろう。しかし、それでは雀の涙だ。10兆円程度であれば、国債整理基金を取り崩せばいい。借換債は予算とは別に国債整理基金で発行できるので、国債償還には困らない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=2
増税には反対だ、というのは「その3」で書いたとおりwebmasterにも何ら異論はありません。財政状況について、ネットで見て評価すべきというのもそのとおり。しかし、ネットで見るとは、高橋先生の代名詞となっている埋蔵金話とは矛盾します。このあたりについてwebmasterがあれこれ書き出すと「カンリョーガー」となるのが定番ですので、ここは権威に頼らせていただきます。
264: ドラエモン 2009/03/12(Thu) 00:41 [ va4qsJNk0c ]
埋蔵金話は、表の債務が全てだと言ってた財務省イデオローグへの当てつけ以外の何ものでもないので、ある意味でネタw 粗債務が全てなら資産売却して純債務を増やしても別に何も問題ないはずだからね(笑) で、埋蔵金がばれてしまったら、突然として純債務が問題と言い出したのだよ、彼らはw
http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1415/264
傑作なことに、こと国債整理基金という「埋蔵金」に関しては、ネット(純)債務はもちろんのこと、グロス(粗)債務すら減りません。高橋先生もおっしゃるとおり、国債整理基金の活用で新規財源債の発行額が減った分、借換債の発行額が増えますので。というわけで、この問題については高橋先生は何ら間違ったことをおっしゃってはいないのですが、であるならばこれまでの埋蔵金話は「ネタ」であると認めないことには整合的でありません。webmasterは寡聞にして、高橋先生が埋蔵金話を「ネタ」とお認めになられたとは存じないのですが。
この部分に続き、「その3」で触れた山本議員の日銀引受け話があり、3ページめに移ります。日銀引受けに続く地方分権の話には事実誤認等はなく、ようやくその手の論外な問題を指摘する必要がなくなったかと思いきや、最後にまた信じ難い記述が。
このような国難は戦時体制と同じである。英国の戦時内閣は財務相がいないという。国より財政を優先すると国の進路を間違うからだ。日本も財務省抜きで復旧・復興を議論すればいいかもしれない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2330?page=3
Wikipediaでイギリスの歴代財務大臣を調べれば一目瞭然ですが、イラク戦争や湾岸戦争、フォークランド紛争は言わずもがな、第一次・第二次両世界大戦中ですら、財務大臣は任命されています。首相が財務大臣を兼ねた戦時体制とは、なんとナポレオン戦争期における戦時体制のことです。本家イギリスですら旧弊として捨て去られている話を持ち出した上、あたかも現在もそうであるかのごとくミスリードするとは。ことの是非はさておき、本来の財務大臣である財務第一卿(First Lord of the Treasury)は必ず首相が兼ね、現在財務大臣として扱われる者は財務第二卿(Second Lord of the Treasury。といっても、「財務大臣」と訳される称号は、これまた必ず兼ねることとなるChancellor of the Exchequerの方ですが)に過ぎない、ということを引くならこのレベルの指摘はせずにすむのですが。
#×Load→○Lordと訂正いたしました。(4月25日追記)
「アリフレ政策の議」の補足その5
以上のような指摘(本編と補足の双方において、事実誤認やダブルスタンダードの指摘等、意見の相違には無関係な問題点しか指摘しておりません。念のため)に対して、あたかもリフレ政策の足を引っ張るかの認識がなされているようですが、そうではないですよ、というのを震災関連のデマを巡る様々なご指摘から以下のとおり引用して示したいと思います(リフレ関連のものはありません。少しでも客観性を保ちたいので)。再度申し上げますが、事実誤認やダブルスタンダード等を許容する方が、よほどリフレ政策の実現を遅らせる行為なのです。
だから、まあこれが書きたかったことなんだけど、純丘氏のこの記事とかを本来一番きつく非難すべきなのは原発批判派なんだよ。「一緒にするな」という話をきちんとしないといけない。そうしないと「原発批判派は算数もできない連中である」という批判が、少なくとも部分的には正しいものとして通用してしまうことになる。運動だから、数は力だから、向いている方向は同じだからとか、そういう理由で身内のダメな部分を甘やかしてきたことが9・11陰謀論とかホメオパシーの問題に帰着しているわけでしょう。
それはいかんよ、という話がしたいから(1)でも(3)でもわざわざこの方向できちんと情報を積み上げれば攻め手になるという材料を見せているのに、自分たち好みの主張をしている人間を批判したから結論を支持しないに違いないとか、自分たちが批判されたとか、そういうふうに思っちゃうんだろうね。やっぱりダメな人ばかりなのかな、反原発派って。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000789.html
原発が危険なものであることは確かだし、ないに越したことはないのも確かだ。でも、だからと言って「原発を止めるためであれば、差別を誘発するような悪質なデマをばらまいていい」ということには断じてならない。もし「我々は正しい意志と正しい目的を持っているのだから、手段の善悪は問われない」とでも思っているのなら、それはカルト宗教でしかない。どんな主張をするにしても、やり方ってものがあるはずだ。
http://blog.craft-works.jp/uru/20110412/article-2011-04-12
善意に感謝するために拡散しているというよりは、アグネス・チャンを批判するために拡散されているコピペのように見えます。児童ポルノ規制法の問題やその他の疑惑などに、アグネスが多くのネットユーザーから反感を買っているのは確かですし、僕も彼女の政治スタンスに距離を感じるところは多くあります。しかし、こうしたキャラクターに対しては、しばしば「誇張してでも叩く」「叩く要素を探してでも叩く」ということが行われてしまうので、そうした行為は避けなくてはなりません。批判をするなら、確かな論拠を元にする必要があります。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20110314/p1
わたし自身はいわゆる「非実在青少年」問題において創作上の表現規制に反対する立場であり、その点においてアグネス・チャンさんなどに対しては批判的な意見を持っている。だが、その批判において、デマやウソで攻撃することは完全に誤りだと考える。これはアグネス擁護ではなく、アグネス批判者が「デマで攻撃するような奴ら」だと思われたくないという気持ちもあることを理解していただきたい。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」はよろしくない。
http://www.kotono8.com/2011/04/08dema.html
#「補足」はこれにて打ち止めとして、次エントリからは連載に戻ります。