2011-10-17
■[はてなたんぶら]「なんのために」という問いにたいして、時代から腑に落ちるだけの答えをあたえられないのに
しかし、まわりの超個人的なもの、つまり、時代そのものが、外見はいかに眼まぐるしく動いていても、内部にあらゆる希望と将来を欠いていて、希望も将来もないとほうにくれた内情をひそかに現わし、私たちが意識的にか無意識にか、とにかくどういう形かで時代にむけている質問──私たちのすべての努力と活動の究極的な超個人的な絶対的な意味についての問いにたいして、時代がうつろな沈黙をつづけているだけだとしたら、そういう事態による麻痺的な影響は、ことに問いをしている人間がまじめな人間である場合には、ほとんど避けられないであろう。そして、そういう麻痺作用は、個人の心情と倫理的部分からただちに肉体と有機体の部分にもおよぶであろう。「なんのために」という問いにたいして、時代から腑に落ちるだけの答えをあたえられないのに、初めから提供されているものの域をこえた仕事をする考えになるには、世にまれな、そして、英雄的な倫理的孤独と自主性、もしくは、頑健無比な生活力のいずれかを必要とした。
