2011-10-18
10月14日・金曜
第一原発一号機建屋の覆いが出来る。これでようやく建屋全体が覆われる事になり、放射性物質の外部流出はほぼゼロになるという。ちなみに壁や天井の素材はプラスチックだそうである。
日中は蒸し暑く25度程度。午後出社。南風が吹きつけ夜から雨。秋刀魚の刺身を肴に散散飲んだ後、止み間を狙って帰る。
10月13日・木曜
此処の所晴れた日が多く、日中は23度程度となり少し暑い。世田谷の民家脇から高線量が検出され、すわホットスポットかと大騒ぎになったが、発生源は大昔の夜光塗料の瓶だと判明する。50年くらい前までは、塗料にラジウムを混ぜていたと云うから危ない話である。其れに片付けの悪い古い民家には何があるか分からない。隣の築80年の家には何も無さそうだが。それにしても騒ぎの発端は市民からの通報だそうで、線量計を持って方方を測って回っていたら、異常な値が出たとのことである。
午後出社。飲んでいてもお酒も食べ物も通りが良くない。お蔭で飲み代が安く済んで助かる。
10月12日・水曜
そう云えば、食品に関しては残留放射能の暫定規制値が定められているが、いつまで暫定と云う冠が付くのだろうか。こういう状態を放置しているから、皆が疑心暗鬼になってしまうのだと思う。また秋刀魚漁は第一原発の周囲100キロ圏内では行わない事にしたという。放射能が出たら例え暫定規制値以内でも、今年の秋刀魚漁全体が駄目になるから万全を期したいと、業界団体の担当者が言っていた。
午後出社。少し早めに行き、滞留していた雑務をこなす。授業では余り早口で喋ると痰が絡むのでゆっくりとした説明を心がけた。退社後久久に少しだけ立って飲んで帰る。
10月11日・火曜
除染の対象地域は段階的に引き上げられ、一都六県、日本の国土全体の1.3%に及ぶことになったという。大風呂敷の計画だが、除染の方法すら定かではないのだから、まずは福島、特に子どもの立ち回り先を最優先して行うべきである。
また中通りなどの第一原発から離れた汚染地域では、除染や避難を巡って住民同士の対立も表面化していると言い、事故の影響は留まるところを知らない。関東でも、剪定ごみを燃やさずに危険ゴミとして回収する自治体が出てきた。尤も回収した後は、空き地に兎に角野積みにするしか方法がない。木や草は恐ろしい程どんどん伸びるから、うず高く積もる事になるが、焼却灰の持って行き場がないからお手上げである。尚今日で震災から7カ月となった。本日付の死者は1万5822人、行方不明者は3923人である。
火曜不出社。漸く咳が収まる。体調の悪化は早く、回復にはより時間が掛かるようになったので大変困る。
10月10日・月曜
被災地の仮設住宅に二階建てが登場す。用地不足の切り札とのことだが、仮設住宅の用地すらないのだから、集落ごとの高台移転となると何年掛かるか分からない。こうなると浸水地域であっても、ある程度土地を嵩上げし、亦避難建物を造るなどして住み続ける事になるかもしれない。
日中は暖かく24、5度にはなる。今日まで三連休。少し近所を歩いた。数日ぶりに少しお酒を飲んだが、味の戻りはまだまだで、感動の再会とはならなかった。又寝込んでいる間に拙宅の検針票が来ていた。10月分は前年比2割減だった。
10月9日・日曜
朝晩と通り雨あり、日中はうす曇り時々晴れで21度に達す。併し何だか食欲不振の為か、日中でも寒く感じる。体内で燃やす食料がないのだろうと思う。少し体を動かしたが、嗅覚の復旧はまだまだと言った処で、普段と同じものを食べても普段の半分も食べられない。またお酒を飲まないと、夕食も昼食と同じで10分で済んでしまい、味気ないことこの上なし。
福島の子どもたちの甲状腺の検査が始まる。全ての18歳未満の県民が対象で、喉に超音波を当て、がんの兆候を見つけ出す。検査はその子らの生涯に渡り続けることになるという。
10月8日・土曜
一日安静に過ごす。食欲はまるでなく、当然お酒も飲みたくない。家人から部屋から出るなと言われているので、軽い自室軟禁状態である。別に不便なことは無いが、自室のテレビは地上波しか映らないので、職業野球が見られないのが難点と言えば難点である。生憎ラジオも一切の中継がない。今年は震災の影響で始まりが遅かったので、10月になってシーズン酣であるが、通常番組を差し替えてまでの中継はしないのだろう。ラジオたるものも融通が利かないものである。融通が利かないと云えば地上波テレビ放送もそれ以上で、サブチャンネルで野球中継をやろうと思えば出来るはずなのに、決してやろうとしない。視聴率の分裂が怖いのだろう。折角多額の費用を掛けて作り替えたデジタル放送の施設も装置も、全くの宝の持ち腐れである。