2011-10-24
10月21日・金曜
曇りのち夕方から雨となる。被災三県の警察官は福島を重点に増員されることとなった。特に第一原発からの避難地域の警備警戒を強化するのが狙いだという。ではその代わり、首都の警察官のかなりの部分を削減すべきであろう。デモの度にあれだけの人員が大した用も無いのに出て来るのだから、その大半は余剰人員と言うべきものである。
午後出社。今週はよく働いた。何だか年年疲れが増す様でもある。理由の一つは給金の少なさにあるが、それは今に始まった事ではない。ここ数年顕著なのは、素っ頓狂な生徒の増加である。むろん学習塾と言う所には、頭が不自由で困っている生徒が訪れる事になるから、学習指導と言う点では仕事の内容は毎年同様である。しかし生活面で余りに突拍子もない子どもが多くなったと感じる。5分もじっとしていられない子どもや1分も考えられない子が増えた。お客様なので大っぴらに叱る訳にも行かないし、また大声で叱った所で大した成果が上がる訳でもない。本質的には家庭での指導と言うか躾の問題と言う事になるが、今更親や家庭を指導する訳にも行かないから、困ったものである。
退社後少し立って飲む。立ち飲み屋の秋刀魚の塩焼きは200円に値下がりし有難い。毎日一匹の割で食す。その後止み間を狙って自転車急行復路運転。矢鱈と警察官と擦れ違う晩だったが、停車を求められることは無かった。ちなみに体内には若干のアルコールが残るが、復路自転車の主燃料はアルコールであるから、それらは直ちに燃焼させ自転車の推進力に替えている。運転士殿は至って冷静で運転技量や交通法規遵守に狂いは無い。其れに夜間は急行自転車も鈍行運転の安全運転である。
10月20日・木曜
一日曇り。最高気温は22度程度。朝方市販薬を緊急購入し咳を収める。午後出社。春先に外しておいた蛍光灯は秋になって1、2本は戻したが、面倒臭いので大半は外したままである。別に不便なことは無い。従って10月分の電気使用量は昨年比4割減とのことである。退社後の立ち飲みは割と早めに切り上げて帰る。
10月19日・水曜
一転して気温は低く一日曇りで昼間も17、8度となる。何だか咳が再発し、少し苦しい一日となる。
鳥取梨の生産団体が東京電力に賠償請求すると伝えられる。山陰まで放射性物質が飛んで行ったという話は聞かないから変だと思ったが、何でも価格が大幅に下落した福島の梨が西日本に大量に流入し、結果として鳥取梨の価格が3割も下がったという。二次的な被害とも言える事例での賠償請求は、全国初のケースになるとのことである。
午後出社。体調その他を考慮し、退社後は珍しく直帰す。
10月18日・火曜
福島市内にある一般民家の除染作業が始まる。首相も視察したとのことだが、事故からは既に半年もたっており、もう少し早くできないものかと住民がこぼしていた。福島市全体の作業が終わるまで2年はかかるとのことである。なお福島市は何の避難指定も受けていないので、避難をしても基本的に自己負担であるというから、敵わない。
夕方代講の為に出社。退社後、衛星放送が映るラーメン店に駆け込む。というのも今日は職業野球中央リーグの方の決勝の日であって、何かと贔屓にしている球団の優勝の瞬間に滑り込みで間に合った。ちなみに好きなのは中日球団だが、名古屋と言う街には縁もゆかりもない。だからどうして応援するのか問われても説明の仕様がないから困るが、大体何かを好きになるというものに大した理由などある訳でもない。
中日の監督は現役時代も名選手だったが、監督としても名将の部類、而も類稀なという修辞を附け足しても良い部類に入ることは間違いない。ただ監督として喋らないという点が難点と言えば難点で、職業野球と言う物は一つの興行でもある訳だから、ある種の不興を買い、今年で勇退となった。
一般的には、職業上知りえた秘密や胸の内を披瀝する快楽と言うものと、また逆に秘密を披瀝しない快楽と言うものの両方が存在するが、やはり喋らない方が喋る方より精神的には堪えるだろう。今年で丸8年監督を務めたのだから、此処らで一区切りをつけた方が、御本人の為でもあるとも思う。
ラーメン店で胴上げその他の光景を見届けてからは、あちこちの馴染みの店に顔を出し、優勝のお礼を監督の代わりに言って回った。帰宅は深夜になった。
10月17日・月曜
タイのチャオプラヤ川の氾濫は酷いようで、日本を脱出し現地に居を構えた製造拠点にも深刻な影響を与えているとのこと。円高に地震と言うリスクは避けられても、世界中何処で何が起こるのか益益分からないから、海外脱出組も安心はできない。
南相馬の幾つかの学校が再開される。先月末の緊急時避難準備区域の指定解除を受けての事。但し高線量地域の数校は閉校のままで、また再開した学校でも生徒児童の半数は避難中とのことである。尚この指定解除に因り、東京電力の賠償対象から外れるのではないかと言う憶測が現地では流れているという。
午後出社。気温は25度程度の暑い日となる。換気扇だけでは不十分で、一部教室は電気冷房を使う羽目になった。退社後、疲れが溜まらない程度に立って飲んで帰った。
10月16日・日曜
昼前から猛烈に晴れ、南風と相まって、気温が30度近くもある異常な一日となったが、一般的には日一日と秋が深まる時期であるので、仮設住宅の防寒対策が課題となる。窓を二重にするなどの対策が今後緊急に取られるようだが、仮設住宅は気密性も断熱性も無いので、そもそも寒冷地には厳しい。暖房機も防火対策上エアコンなどの電気暖房に限られるといい、多くの住民が石油ストーブの使用を所望している。寒冷地にはあの物を燃やしてできる直接の温もりが必要なのであろう。
昨夜の分を取り返すようにと、今日は一日安閑と過ごす。
10月15日・土曜
午前中は台風の様な雨と風が吹きつけるも、昼には収まる。学生野球の観戦に誘われていたが、体調不良を理由にキャンセルする。観戦後、神宮球場から回航してきた後輩連と地元の世田谷で飲んだ。最近流行りの立ち飲みのワインバーなどにも行き、聞いたことも無い横文字の洋食を肴に一人一本の割りで立って飲んだ。
思えば、昨日も一昨日も一昨昨日も立って飲んでいるが、普段から立って飲んでいるので疲れないという事はない。仕事中は立って喋り、退社後も立って飲み、休日もこうして立って飲んでいる。何だかくたびれた。そもそも立ち飲み屋とは、給仕や調理をする店員も立っているし、お金を支払うお客も立っている。この妙な平等主義はよくない。そうかと言って、客も店員も座ってしまってはお店の仕事は出来ないから、やはり店員は立って仕事をし、お客は静かに座らせるのが一番良い方法だと思う。その後は座って飲む店を三軒梯子する。例によって大枚が吹き飛ばされていった。
震災後初となる地震学会が開催される。大地震の予知に失敗し大きな被害を出してしまったと、学者先生方の自己批判の会の様だったと伝えられた。しかし、そもそも地震の予知に成功するとは、世間一般の殆どの人は思ってもいないし、亦期待もしていないから、地震学者殿は自己の能力と世間の期待をやや過大に見積もっていたと言えるであろう。