2011-12-10
12月6日・火曜
午前は曇り。お午過ぎから冷たい雨。政府の審査会は、第一原発からの避難地域以外での避難者、つまり自主避難者にも数万円から数十万円の支払いをすべきとの方針を示す。尤も避難しない人も同額だと云うから、旅費の足しにもならず。また対象に会津等は入らず、福島の中通りまでに限られるとのこと。都内でも結構の人が関西方面に避難していると云うが無論対象には入らない。
火曜不出社。雨の降る前に酒屋に行き被災三県のお酒を探すも、品揃えは悪化の一途をたどり、探し出すのに苦労す。割と大きな酒屋でも産地と品質に懐具合が合致した物は一本しかなかった。漸く此れで東北急行は53本に達したが、年内に100本の目標到達は困難になった。せめて3月までの達成を果たそうと思う。
12月5日・月曜
第一原発の避難地域でも除染の実験が始まる。まずは4キロと離れていない町役場にて除染作業が行われた。建物には高圧で水をかけ、道端の下草や落ち葉は熊手で掻き集めて回った。洗浄後の廃水も放射性物質を吸着させて清浄にしてから再度使う計画だと云う。除染後の線量は大体二分の一になるそうである。除染作業は政府が原子力関係の公益法人に発注し、大手建設会社が作業に当たると云う。そこに利権の構造を見つけることは容易だが、それはそれで如何しようもない。
また津波被災地では、集落ごとの高台移転が検討されてきたが、ぽつぽつと合意に至るところが出て来た。合意を受けて漸く本格工事を始めることになる。
午後出社。冬の講習の計画を立てねばならないし、授業の合間合間に高校生の質問も看なくてはならないから、この時期は意外に立て込む。高校数学などを行き成り質問されても、滅多に教えるものではないからなお草臥れる。退社後は慣れない数式でごちゃごちゃになった脳味噌を洗い流す為に、少し立って飲む。一日晴れだが、夜は冷えた。自転車急行の夜間運転には辛い季節となったが、電車やバスだと時間にして三倍近くも大回りせねばならないから仕方がない。
12月4日・日曜
朝から快晴でようやく太陽が顔を出したと云う感じ。猫も喜び庭を駆け回り、燥いだ序でに二階まで起こしに来た。
祖母の命日が近いので、家人と墓参りに出た。久久に渋谷までバスに乗った。幹線道路には自転車が次次と来て、バスと抜きつ抜かれつつの競り合いを演じており、窓外の光景にハラハラすること数度。最近自転車で移動する人が増えたと感じてはいたが、自転車に乗っても大抵の人人の行き先は同じだから、都心に近くなるほど自転車も集中し郊外とは密度が違う。しかもちょこまかと車道を走るから危なっかしいこと限りなし。
自転車に乗るのは気分がいい。混んだ電車やバスに乗るより遥かに良いし、場所によっては目的地には早く着く。だけど、気持ちよさにかまけて、誰もが自転車に乗って都心に乗り込めば、道路は直ぐに足りなくなる。道路と云うものは限りある公共財なのだから、先ず公共輸送を優先し、私的な交通手段は例え自転車であっても利用には制限をかけなければならないと思った。墓参後は近くの蕎麦屋に寄って、ほんの少しお酒を飲んで其のまま帰った。帰りは全て電車にした。
12月3日・土曜
早朝千葉で震度4。都内も3程度で家人も飛び起きたそうだが、全く気が付かなかった。3か月前の台風12号により寸断されていた紀勢線が全線復旧す。橋が流されたので、新しい橋を架けた新宮付近では住民が大勢集まり、大阪からの一番列車を歓迎したそうである。道路や自動車は何処にでもあるが、鉄道は何処にでもあるものではないから、やはり大事にしなくてはならないと思った。
午前は大雨。昼に急に止み、以後曇りとなる。南風が入り少し暖かくなる。土曜臨時出社。授業は無いが親子面談期間の為、面談の時間管理と案内整理に当たる。7時には退社し、近所の中華料理屋で飲んで帰る。
12月2日・金曜
昨日と同様な天気だが、丸二日も太陽が出ないので昼でも暗く、気温も更に1、2度低くなった感じがする。10兆円規模の第三次補正予算は、先日漸く成立した。成立が遅くなった分、季節はもう冬で、雪も降る上に陽も短いから、工事も捗らないとのことである。今更ながら政治の遅れを痛感す。又今年度の税収が1兆円ほど上振れしたので、其れを元手に今度は第四次補正予算を検討する事になった。予算はついても執行が遅れれば、効果は減殺してしまう。
午後出社。金曜会に顔を出した後、家に帰ったら、部屋の寒暖計は12度を指していた。内臓暖房が冷めない内に就寝す。
12月1日・木曜
曇りときどき時雨。師走に入った途端、気温が一桁になる。震災の影響で2か月遅くなったが、大学生の就職活動の解禁日となる。遅くなったと云っても、私の頃は黄金週間明けからだったから半年も早い。大学には入りやすくなったが、会社には入りにくくなったものである。其れに入った処でちっとも稼げない会社ばかりだから、学生の大手志向はより強まっているそうである。冬の節電も始まる。冬は電力使用制限令などは出さないので、強制力のない要請やお願いと云う形を取る。原子炉が動かない関西九州の方が、節電の要請は切実である。
止み間を狙って午後出社。夜になって再び降り出したが、立ち飲み屋で様子を窺っている内に止んだ。傘を差さずに帰宅出来た。
11月30日・水曜
日中は晴れて暖かくなる。午後出社。夜から小雨。明日からぐっと寒くなると云う。退社後は何処の店にも寄らずに帰った。夜更けのスーパーマーケットで買った半額の鯵の刺身は不味い事この上なし。二口食べて残りは全て猫に供した。こう不味い物を食べると分かっていたならば、やはり何処かに寄れば良かったと後悔す。
米国の降誕祭商戦は比較的好調だと経済ニュースが伝える。今年は欧州が経済危機に直面しているから、米国頼み一辺倒になるとのこと。子ども向けの玩具や大人用の贈答品一つ一つの売れ行きが国内の製造業や株価に直接影響すると云うから、グローバル化した経済というのも面倒が増えて困る。尤も歳末商戦に必死なのは何処も同じで、家に居ても営業電話が引っ切り無しにかかって来て困る。今日の午前中だけで、生命保険と帆立の缶詰めの売り込みと電気通信契約の変更を求める電話が掛かって来た。自転車の損害保険や福島のお酒の勧誘ならば直ぐに注文したかもしれないが、不思議と欲しいと思うものの売り込みに命中した事はない。
11月29日・火曜
福島の伊達市の餅米からセシウム検出。農家100戸から200戸が出荷停止となる。山間では雨の降り方も、山一つ谷一つで異なると云うから、空から落っこちて来るセシウムも同様なのだろう。田んぼも一枚一枚調べる必要が出て来るかもしれない。
一日ほぼ曇りだが、比較的暖かく気温は16度まで上がる。火曜不出社。胸やけが治まらず今夜は麦酒一杯で留めた。大して寒くない晩だったが、内臓が温まらないから何だか寒く感じた。
11月28日・月曜
結局かなりの宿酔となり午前中は七転八倒す。回復は午後まで掛かる。こうなると、津和野の一等丸も木曽の御嶽山の百草丸も丸で役に立たず、薬石効なく云々かんぬんと、通夜の席の読経の様な状態となる。出社後もふらふらす。夕方になり漸くかけそばが喉を通った。退社後は直帰し本日はお酒なしとした。
11月27日・日曜
一日曇り勝ちで比較的寒い。夕方から月波君に坪上君や財団法人勤務の鷺乃間君が訪ねて来る。然し地元の店などまるで知らないので、案内には難渋した。
職場の近くならば少し歩いただけで、食堂や飲み屋の主人や女将さんと次次と出会う。中にはすっかり御見限りの店もあり、気まずい思いをすることもあるが、地元の世田谷ではそういう事は一切ない。皆と会う30分前から盛り場界隈を歩き周り、良さげな店を物色す。一軒目さえ決めてしまえば、後は流れでどうにでもなるが、その一軒目が悪いとお酒を飲む調子も上がらないから、店選びには注意が必要である。大きな焼き鳥が人気の店に入る。刺身も唐揚げも旨くお酒も安かった。結局三軒梯子して帰宅は深夜になる。7時に集まって4時間余りで、焼酎一本、葡萄酒三本、麦酒に日本酒を多数飲んだから、最初の店の選択は正しかったようである。