2012-01-21
1月19日・木曜
前首相の強い意向で課せられた原子力発電所への追加試験の結果が出始める。当然最初の二つは合格となった。ただ合否の審査を密室で行った為、保安院には市民が詰めかけ一時騒然となった。合格は既定の路線なのだろうが、それにしても折角試験を課したのだから少しは落第させなければ示しというものが付かないであろう。そこらへんの判断は誰が行うのだろうか。
午後出社。其のまま帰宅。帰り掛けは雨に降られる。関東平野にとっては凡そ一ヶ月ぶりの雨にて少し濡れて帰った。帰宅後は家人により柔らか御飯に豆腐煮と病人食の様な物が用意されていたが、其れではあんまりなので、節税方式ではない本格麦酒を一缶特別注文す。大変旨かったが、今晩は一缶のみに留めた。
1月18日・水曜
熱は朝までには下がったよう。膵炎を疑うもお午前には漸く痛みも引いた。食欲は全くない。こうなると普段は何とも思わない麦酒の広告すら苦痛に感ず。本日は欠勤とさせて頂いた。瓦斯使用量、前年比4割増しの1万8千円余。
原子炉規制法を改正し寿命を40年に限る話だが、結局例外的に60年まで稼働延長させる条項を付けると云う。するとあくまで基本は60年で、例外的に40年で廃炉にする積りなのだろう。基本と例外を取り違えた法令改正である。東電は燃料費転嫁の為、春からの電気料金の値上げを決定。とんでもないと怒る声も多いが、値上げは節電の最も主要な動機となるであろう。
1月17日・火曜
例の放射性物質の流れて行く方向を予測する計算機の話しだが、予測結果は早い段階で亜米利加軍へ提供されていたという。住民への公表より9日も早かったことになる。言わずもがなの話しだが、誠に情けなし。
火曜不出社。お午から急に胃が痛くなり以後寝込む。発熱あり。矢鱈寒気がするので、やむを得ず納戸からオイルヒーターを引っ張り出し今季初稼働させる。夜は御粥を三口のみ食す。すると胃が動いたのか食後から悶絶の苦しみとなる。胃をピンと真っ直ぐにすれば幾等か痛みが和らぐようなので仰向けに布団を被った。胸を張って背筋と両手両足を伸ばす。以後数センチでも傾けば忽ち痛みが襲来するので寝返りも打てず。
1月16日・月曜
二本松にある集合住宅から放射線が検出され、原因を調べたところ、放射能を浴びた石材を使用していたとのことである。当住宅は震災後の完成で、コンクリート建材を製造した石材会社は第一原発から程近い所にあったという。出荷されたコンクリートはすでに方方に出回ったとのことで、物が物だけに回収は難しいことになる。
一日曇り。昨日より更に冷え、雪でも降ってきそうなお天気となる。午後出社。飲むお金がないので直帰した。昨夜の食べ残しの鍋料理があったので、温め直しながらお酒を飲む算段にした。大急ぎで帰宅したが、案の定、時すでに遅しで、それは流し台の箱の中で無残な姿を曝していた。齢70過ぎの家人は、焼け跡闇市派と云う程ではないにしろ、若い頃は其れなりに苦労した経験がある筈である。併し苦労した分、食べ物には情け容赦がなく、不味い物や期限の切れた物は、あっという間に放擲する習慣を身に付けた。其れは丸で苦労させられた食い物への恨みを晴らすかのようであって、苦労が感謝を生むとは限らない好例である。
1月15日・日曜
一日曇り。御日様が殆ど顔を出なかったので昼でも6度程度と非常に寒い。第一原発周辺の海域は当然のことながら禁漁区となっているが、公共放送が態態潜って調査したところ、ほうぼうやあいなめ等海底を這うように生息している白身魚の汚染はかなり酷いようである。ほうぼうなど、刺身にすれば食感と脂の載り具合は鯛以上だと感じる。店屋で見かければ、先ずは店主の目利きを称え、その後に必ず注文する。折角の美味が釣り上げられもせず人知れず死んで行くのは残念である。魚も無念であろう。また関東内陸の湖は、陸封された上に流れ出す河川も少ないから、放射性物質を相当溜めこんでいるとのこと。わかさぎの唐揚げも当分は食い上げである。
1月14日・土曜
一日晴れ。家人と共に伯母の入居施設に行く。92ともなると、名前も言葉も出辛そうだったが、30分も話すと次第に脳の回路が繋がって来たようで、割と円滑に言葉が出て来るようになる。此方も気を長く持って準備運動の時間を作らなくてはいけないと思った。
お午の番組に首相が出て来たので少しだけ見た。財政悪化を何とかしなければならないと云う決意は分かった。ただ身を切る覚悟と、国民の多くが今より貧乏になることへのお詫びの言葉が少しあると良かった。何せ日本中の壱萬円札の多くを、9500円に減ずるのだから。
1月13日・金曜
内閣改造あり。年末に問責決議が可決された閣僚を交代させ、官僚に睨みが利きそうな元代表を副総理に据えた。行政改革を少しやって、増税への地ならしとしたいのであろう。一方震災や原子力事故関連の人員強化は無し。政府内ではそれらはもはや風化という段階に来ているようである。
一日晴れ。昨日よりは暖かい。昨夜は2時に就寝し、今朝は9時起床。此処の所良く寝られる。拙室の暖房器具は全て撤去したので、今年は布団を厚くした。例年は羽毛布団の上に羊毛布を掛けるが、今年は更に薄布団一枚とタオルケットを追加措置す。すると大昔の煎餅布団の様に重い。恐らく、寝ている最中も重さで体が疲れてしまい、其れを回復させようと更に寝ると云う相乗効果があるのだと思う。
午後出社。お給金のお支払は無く士気の低下が著しい。万事滞りなく過ごすのみである。金曜会途中参加。千円を支払い途中散会する。
1月12日・木曜
都心も1度まで下がり今冬一番の冷え込みとなる。お午過ぎに緊急地震速報あり。浜通りで最大震度4、都内は2程度。久久にあの旋律が流れ緊張す。どちらかと云えば外れの感じだが、当たるよりはマシだと納得す。他にも微震多し。
午後出社。愈愈お金の殆どを使い果たしてしまった。成らば遅れている給料を早く払えと無責任社長と談判するも、お金がないので支払いの目途は立たないとの御答え。と成れば緊縮策を取るより他は無く、支出を百円単位で削減することになる。退社後は普段通りの立ち飲み屋に行ったが、日ごとにかわる品書きを眼光鋭く見定め、体が温まるお得な品物を一撃必殺の思いで注文す。110円のいなだの刺身と290円の濁り酒の組み合わせは良かった。
1月11日・水曜
此処の所新聞の論調も変化し、財政再建やむなし増税すべしと云うようなことになっている。丸で政府の広報紙である。断じて云うが、増税に因って貧乏になるのは彼らの様な大新聞ではない。中間層そしてどちらかと云えばより下位の階層である。増税分を価格に転嫁できない中小零細業者や、収入の少ない家庭は一体どうなるのか。貧乏になって新聞代も払えなくなったらどうするのかと憤慨す。だが思い起こせば、彼らの多くは既に新聞を購読していない。だから、大新聞殿は一向に構わないのであろうと納得す。
午後出社。時間講師の一人が突然辞めてしまい、穴のあいた時間割の修復作業に追われる。昔からセンセセンセと威張るなセンセ、先生生徒のなれの果てと云うが、生徒のなれの果てでもある大学生の時間講師というのも、此の処の生徒同様に堪え性がなく、総理大臣宜しく一年持つか持たないかと云う人が多い。何が気に入らなかったのかまでは分からないが、留守番電話の伝言一つで辞められるとやはり困る。給料が不定期と云う点を除けば、まあまあ働きやすい職場だとは思うのだが。
午後までは比較的暖かったが、夕方から猛烈な寒気が入り曇る。退社後は燗酒を大量に腹に溜め込んでも震えながらの帰宅となった。被災から10ヶ月たった。昨日付けの死者は1万5844人、行方不明者は3450人である。
1月10日・火曜
昨夜は10時過ぎの帰宅で直ぐに就寝した。以後10時間近くも昏睡す。尤も途中何度かは目が覚めたので直通運転ではないがよく寝られた。そもそもは昨日は早起きせねばならないので、一昨日は相当早く床に就いたが、早く起きねばならないと云うだけで全身が緊張し3時に覚めた切りとなる。早起きなど滅多にしないからこういう事になる。
一日晴れ。昼の気温は7度程度。火曜不出社の通常勤務態勢に戻る。一日蟄居す。拙宅の此処一ヶ月の電気使用量は394キロワット。昨年比4割減であった。
1月9日・月曜
鷺乃間君と月波君に誘われて山梨方面に出掛けた。早起きして8時過ぎには車上の人となる。中央線は山が近いからいい。クロスシートに陣取り冬枯れの景色を肴にして朝から麦酒を飲む。更に甲府の駅前蕎麦屋で鶏のもつ炒めをあてに日本酒を飲む。
朝酒若しくは昼酒が何故効くかと云う事については幾度か考えたことがあるが、まず空腹であるからアルコホルの吸収が速い事が考えられる。次に早い時間だと一見素面の様であっても、実は内臓系統は前夜のお酒を処理し切れていない事が挙げられる。其れに飲んだ後も彼方此方動き廻るから体が疲れてしまうと云う事も考えられる。以上全ての要因が重なり、お午過ぎには稼働不能となる。
這う這うの体で善光寺をお参りするも、遂に体が動かなくなり、タクシーを呼び付けて近くの温泉旅館まで運んでもらった。千円支払って入浴し一息ついて、帰宅の途に就いたが、帰りの電車では滔滔飲む気が起らなかった。又本日は鷺乃間君の都合で早目のお開きとなる。漸く夕方になって少し物足りなく思ったので、私と月波君は品川に回航して結局飲み直しした。やはりお酒は夜に飲む方がいいと思った。
1月8日・日曜
一日晴れ。大きな外出は無し。震災関連の失業は12万人に達していると昨夜の公共放送が伝えていた。地場の水産業の復興はまだまだだし、東北に進出していた全国規模の製造業などは被災した工場の再建を端から諦め撤退を企図しているらしい。失業給付も間もなく切れるから、被災地からは若者を中心に何万人も仕事を求めて脱出したという。
そんな中でも仙台の歓楽街は復興特需に沸いているらしい。建設業の社長方方のお財布は相当膨らんでいるのだろう。救世軍の真面目な将兵たちは眉を顰めるかもしれないが、どんな形であれお金が回るのは必要なことである。
今年初めて首相が福島に入る。放射性物質の中間貯蔵施設の建設をお願いして回った。除染に伴い引っ剥がされた土砂は膨大な量に及ぶが、それらを置いておく所がない。結局は第一原発周辺の何処かに造るよりは仕方がないのが現状である。中間と云っても保管期限は30年に及ぶという。
1月7日・土曜
従来原子力炉の寿命には法的な定義がなかったので、今回40年限りという条項を付け加える事になった。施行されれば、直ちに数基が廃炉作業に入る筈だか、例によっていくつかの例外条項が設けられており、実際にどうなるかは不明。
昨夜来冬型が強まり、北風が吹きつけ寒くなる。日本海側は大雪である。思えば今年はかなり寒い。昨夏と言い今冬と言いお天気も碌な事をしないから恨み節の一つも言いたくなる。お午前に出社。今日で講習もお仕舞いだが、体調不良の為に早目に退社し、其のまま帰宅す。