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大広孝日誌

2016-12-06

2016年11月

09:42 |

11/30・水

 近所にある難関国立高校でもいじめ事件が発覚。生徒が書類送検されたという。学力が高いからと云って、いじめがないわけではないが、暴力沙汰にまで発展するような稚拙な行為は中中なかっただろう。まさかうちの学校で、偏差値が七十五もあるのに・・・と、先生方も吃驚しているに違いない。自由な校風だったらしいが、放ったらかして置くと碌なことをしないからと、管理強化の方向に行かざるを得ないな。こうして伝統も潰えることになる。併し日本人全体が幼児化していると感じる。何しろ学習院の初等科でも学級崩壊が起こるくらいだから油断はできない。

 向かいの解体工事も基礎部分に到達したらしく、終日振動が止まらず。つくづく迷惑である。何をやっているのかと思えば、パワーショベルの先端を揺すって、掻き出した混凝土から泥を落としている。あんなことをやられては堪らない。其の後で、四トン車で運び出すのだが、延べ百台は使った感じ。多少は再生されるのだろうが、基本的には全てゴミである。一方、フルリフォームならば精精一、二台で済むだろう。つくづく勿体ない。

 午後出社。立ち飲みBにいると、Iさんに声を掛けられる。Iさんは吾人より二十は年上だが、ポケモンのレベルも上で、何と三十五だという(吾人は漸く二十三)。何だか色色と講釈されて、帰るに帰れず。Iさんはポケモンを探し歩いて数キロも痩せたという。吾人も見習いたい年長者である。今やポケモン愛好者の大半が中高年だと聞いたことがある。確かに、正しく歩かなければ行けない人たちである。結局何だか腹が減って、碑文谷牛めしМへ。牛丼屋にも色色とあるが、碑文谷には此のМしかない。SやYと違って丼に汁気がないので、つい喉に閊えそうになった。それに周りを見ると牛丼など幾らも食べていない。最近のМは事実上の定食屋である。


11/29・火

 朝から晴れた。何も予定の無い火曜だったが、一号室の人から連絡があり、シンクの下が濡れているとのこと。早速内装屋さんの親方を呼び立て、実地で見聞す。するとシンクと排水管の接続が不十分で、湿気が上がって来ているとのこと。床材等も含めてぼろぼろになっている。何しろ入居二十年の大ベテランである。色色と駄目になる所はなっている。シンクの交換と、床の補強工事を御願いすることにした。それにしても台所には物が分厚く堆積していて足の踏み場もない。二十年も住んでいると、片づけることも容易ではないと思った。

 取り敢えず今日出来ることは落着したので、「せい家」で遅い昼食。付け麵中盛(600円)。不在地主に代わり家作の管理をする人を、江戸期には家守と言ったそうである。勿論土地と建物も所有しているから地主兼家主兼家守なのであるが、立って教える仕事より此方の方が板に付いてきた感じである。それに家守という言葉には、地主や家主や大家にはない温かみがある。職業記入欄も此方に替えようと思った。

 夜は映画「ザ・ウォーカー」を見る。舞台は文明崩壊後の世界。例によって北斗の拳、いやマッドマックス風の乾いた世界である。画面は終始異様な緊張緩和を以て進む。例によって一杯の水が大変な価値を持つのだが、物語の鍵を握るのは一冊の本である。其れは言わずと知れたあの本なのだが、いやしかし、其の本の内容を巡って戦争が起こり、再び其の本を巡って争いが起こるなど、アメリカならではの発想なのだろう。そもそも宗教意識が極めて希薄で、水が元元豊富な国民にはなかなか実感できないと思った。物語は、知恵ある者が本を読め、そうでない者は読みたくても読めないという顛末で終わるのだが、ここら辺は日本昔話調である。

ところで無人島に本を一冊持って行くとしたら、何を持って行くかなどと言う質問をされるが、吾人が応えるとしたら、迷わず時刻表である。第一、鉄道は文明の象徴である。あと一言、節水を呼びかける水道局のポスターには、是非ケンシローを使うと佳い。


11/28・月

 最低でも二島と言っていた返還交渉ではあるが、首脳会談を前にして急に風向きが変わり、どうやら何も返って来ないとのこと。どの道そんなことだろうと思っていたから、別にどうということも無し。そもそも殆ど誰も何の期待もしていない北方領土返還問題であったが、夏頃に何処かの新聞が返って来るぞと書き立てて以来、世間は急期待するようになっていた。政権側から何かしらのリークがあったのだろうが、とんだ見込み違いというものである。

 午後出社。定期テストも終わり、生徒には一段と何のやる気も感じられず。吾人のやる気も一層無いので、座りながら適当に授業す。そういえば何日か前に読んだ「作家の口福」というコラム記事に、板前が座り始めたら御仕舞だというものがあった。要約すると、巣鴨に凄い魚料理を出す店があったが、何だか味が落ちた。ふと厨房を覗くと板前兼店主が腰を下ろしていた。何だか見てはいけないものを見て仕舞った様で、居心地が悪かった。じきに店は閉じたというものである。厳しい立ち仕事と言う点では、板前さんも塾や学校の先生も同じである(個人指導時を除く)。弟子を取るか管理職にでもならない限り、その立ち仕事が延延と続くという点でも。こういう現場仕事には、やはり適正年齢というものがあるのだろう。吾人ももう四十を越えた。そういう点で下らない事を教えて回るには、もう草臥れた年齢なのであると思った。退社後は立ち飲みBへ。延延とは往かず一時間弱で退散して帰る。それに此処の従業員はまだまだ若い。1600円。


11/27・日

 概ね回復す。朝方は小雨。昼は曇り。リハビリがてら何度も買い物に出る。昼は柏屋のカレー(420円)、但し御飯半分。食欲も何とか戻った。家人向けの食品類の他には「学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方」と、タイトルに誘われて「殺したい蕎麦屋」を購入。確かに異様に量の少ない蕎麦屋というものは困りものである。特に並んで並んで漸く入った暁が其れだとね。尤も此の時の場合、量より待ち時間の方が実に腹立たしい。大体天気予報とカレンダーを見れば観光客が押し寄せて来るのは明明白白なのだから、蕎麦というものは、朝から一家総動員で、捏ねて、丸めて、伸ばして、切っておいてくれと叫びたくなる。

 少し歩くようになって、実に多くの犬も歩いているということに改めて気が付いた。併し猫の自由さを知って仕舞ったら、首輪を付けられ、鎖か綱に繋がれた犬と言うのはつくづく不自由な存在であると思った。中でも飛び切りに憐れさを感じるのは、糞の始末を飼い主にさせている点である。其の間の犬というものは、前にも後ろにも進めず、所在なさげで実に痛痛しい(座敷犬は兎も角、特に大型犬は)。毎度毎度、御世話を掛けてどうにもすいませんとでも言いたげである。

一方の猫は誰に教えられることも無く、砂なり泥なりを掛けて自前で始末する。隠すと決めたならば、一心不乱、懇切丁寧。特に砂地の糞塚は、こてでも使ったかのような切れ味鋭い芸術作品を連想する仕上がりとなる。世人の世話には決してなりませんという堅い決意の現われなのであろう。いえいえ、此の首周りの無粋な物を外し、野に放って頂ければ、手前の物は手前どもで片づけますとでも、犬は言うだろうか。また夜から飲酒も再開す。


11/26・土

 昨夜の油が悪かったらしく未明から胃のむかつきを覚える。更に下からも排出。取り立てて痛みは無いが、数時間掛けて消化管はからっぽとなった。どうにも体が弱い。また昨夜はBで生牡蠣も食べたから容疑者は複数存在する。

昼は期限切れのレトルト御粥。夕方になっても体調優れず。どうもまたの風邪のよう。夜は肉じゃがに御飯半膳。当然無酒。夜半にかけて少し発熱す。もう引かないだろうと思っていたら、また引いた。そういえば木曜の夜は食欲が今一つだったし、金曜は右膝が痛かった。今から思えば前兆現象がない訳では無かった。


11/25・金

 そんなアメリカに倣って流通各社も感謝祭のセールを始めた模様。急に大売出しのチラシの量が増えた。併し需要の先食いだな。正月までまだ一月以上もある。

 朝から晴れたが寒気は入ったまま。午後出社。崎河さんが転出するというので中華立ち飲みの二階で送別会。八畳間に十三人も入ったから、狭くて狭くて仕様がない。月波君も来たので御開き後にもう一軒寄って帰る。


11/24・木

 朝から雪が舞う。流石に積もることは無かったが非常に寒い。何もすることが無いので、午後まで寝たり起きたり。夕方千寿に出校。七ちゃんに寄ったところ臨時休業。やはり寒いからであろう。久久に破魔寿司に行く。こうなると行き成り御酒である。注文も自動化されているので何も言わなかったが、人肌のぬる燗が出て来たので助かった。

 アメリカ感謝祭。つい先日まで分断と憎悪を煽っていた新大統領も一転して団結を訴えていた。最初からそう言ってくれれば、世界中が心配することも無かっただろうに。併し落ち着いたポピュリズムというものは、なかなか出て来ない。もっと実直に地域間格差や階級格差の是正を訴えることは出来ないものか。バラバラになった国を再建し、国民を再び統合したい。御金持ちにもう少し払って貰い、集めたお金で政府が仕事を作るから、そうでない人には少し頑張って働いて貰おうとでも言えば、反対する人は少ないだろう。何も態態敵を創り出さなくてもなくてもと思うのだが。


11/23・水

ところで先週、豊洲の開場にはあと一年も掛かると知事が表明。一年か。随分と経費が掛かるな。大したものが地下から湧き出て来た訳ではないから、博多の穴のように直ぐに埋めて仕舞えば佳かろうと思った。まあしかし此れで大騒ぎの何とか劇場も漸く静かになってくれると思うと助かる。朝は薄日も差したが、段段曇って寒くなる。四国の親戚から送られてきた肉で鋤焼き。やはり和牛は家で食うものである。


11/22・火

何時もの通りに四時にシロが起こしに来、六時に地震が起き、八時過ぎに向かいの解体工事が始まる。さっと晴れて来たが津波警報が出たようで朝から大騒ぎ。津波警報時は避難を強調するような言い方をするようになったので、アナウンサーはまるで此の世の終わりのような言いぶりである。一メートル程度は確かに来たそうである。其の後も余震あり。但し解体工事の振動と区別がつかず。

朝から自転車屋へ回送。今回は近所の大型店にした。前輪のタイヤとチューブ交換で4700円。チェーン店だからといって、取り立てて安い訳ではないと思った。確かに自転車にチェーンは不可欠だが、チェーン自転車店というものも昔は無かった。あらゆるものがマクドナルド化する感じである。それでも立ち飲みBのように若い人がてきぱきと働いているから、此れも雇用拡大であると思った。

新装相成った自転車で早速出掛ける。まず駒沢公園の「和牛ショー」へ。富良野の牛カレー(1300円)を食す。味はまあまあだが量が極端に少ない。其れに火曜と云う事で、気の毒なほど閑散としている。吾人は所謂アルコール中毒であるが、決してアルコールに依存している訳ではないから、流石に平日の昼酒は飲まない。それにもまして和牛は高いな。豪州肉うどん祭りでも開けば、もう少し客が来るだろうけど。

其のまま区役所に回航。「介護保険高額サービス費の払い戻し」で、再び戸籍謄本が必要なのである。すると何だか戸籍係が混んでいる。今日は語呂合わせで「いい夫婦の日」だそうで、どうりで男女二人組が多かった。結婚とは文字通りの入籍であり、戸籍の移動が必要である。

そうこうしている内に、あっという間に腹が減って来たので世田谷通りラーメン屋に初入店。730円のラーメンは超あっさりの二郎系といったところ。店は「麺通」というらしく、自家製の多加水麺は吾人好みである。今後行くことが増えると思った。

先週に引き続き夜間道路工事。幸い年寄りと猫は音には鈍感だが、吾人には迷惑極まりない。そもそも舗装をし直すほど、壊れていないだろうに。そんな余分な御金があるのなら、田舎の鉄路の修繕費に回すべきである。


11/21・月

 遺言書の承認のためには印鑑証明書が必要とのことで、朝から出張所に参る。また駐車場の契約者からは、次次とマイナンバーの提出を求められる。税務書類に添付するのであろう。取り敢えず万代伯母の通知カードをコピーして送り返した。払った段階では生きていたと考えれば問題ないだろう。つい去年までは無かった書類である。ペーパーレス化と並行し、新たなペーパーが必要だから、やっていることは滅茶苦茶である。

 午後出社。退社後は立ち飲みBへ。須須木さんらと会う。自転車急行は前輪タイヤが再び破損。復路は時速八キロ程度で遅延運行。雨には何とか降られなかった。

 ところで吾人と同い年の母方の従妹の健二君は高級官吏をしている。今年度までは中学校の校長を務めていて、其の後は北京に赴任するのだという。前職は確か何処かの県庁に出向していた筈だから、本籍は霞ヶ関のままにして、まるで次から次へと転職しているような目まぐるしさであると思った。色色と経験を積ませることが目的のようだが、併しキャリア形成の役に立つのかね。あれだけ異動させて。其れに妻子は大変だな。日本全国引き回された上に、今度は海外である。


11/20・日

 朝から晴れた。何処か変わったところを歩こうと思い、二子新地へ。以後多摩川沿いに只管北上す。二時間半は歩いたところで稲田堤に到着。川べりにある「たぬきや」に。早速、麦酒と焼きそば。散歩と川と鉄道。御酒を飲む状況としては申し分がない。敢えて難を付けるとしたら、川には堰があって池のようになっていること、鉄橋は京王線だからありきたりの電車しか通らないことぐらいである。一方詰まらなくてすいませんとばかりに、時折飛行機が飛んで来る。調布飛行場の離島便であろう。併し今どき搭乗率は大丈夫なのだろうか。乗って見たいことはみたいが、例によって飛行機は苦手である。

 それにしても、川は勢いよく流れ、鉄橋には中長距離列車が行き交い(ブルートレインは無理だとしても、せめて伊豆の踊り子長野のあずさかコンテナ貨物列車が欲しい)、空は真っ青か茜色で、双発のプロペラ機が飛来する。こりゃあ、実写世界では無理だな。アニメ映画がヒットする訳である。帰りは調布まで電車に乗り、バスに乗って帰った。


11/19・土

 午前中は大雨。御昼前には止む。近所のスーパーが改装されたというので行って見ようと思った。此の店は確か十年ほど前にも改装されている。ダイエー再生のモデル店にするとかで、かなり特徴的な造りをしていたのだが、見に行って驚いた。そういう尖った部分は一切合財なくなり、実に凡庸な店になっている。どこにでもある「まいばすけっと」のちょっと大きい版といったところである。流通最大手への完全併合を見据え、店舗も標準化されたのであろう。肉も魚も弁当も大半がセンター納品である。看板には一応ダイエーを付けてはいるが、よくよく見ると直ぐに外せるようになっている。いやしかし、改装して前より悪くなるということもあるのだね。全く以てがっかりである。それにしても日本全国トップバリューばかり増やしてどうするのだろう。買い物にも多様性が必要だから、吾人はなるべく非電解質を選ぶ所存である。

月波君から麦酒が送られて来る。少し早い歳暮と云う事なのだろうが、実質的には先日のお詫びの品であろう。余計な店で要らないものを頼んだから、とうとうああなったと抗議したから。


11/18・金

 今上天皇は、長野県の満蒙開拓記念館を御訪問したと短いニュースが伝えていた。象徴天皇として、戦後に即位した天皇として、最大限のお務めを果たされていると思った。併し今こうして再び天皇の御動向や御意向に世間の耳目が集まること、すなわち平成天皇制の確立とでも言える事態が、今後どういうことになるのか。何しろ世の中とんでもないことを言い出す人がますます増えているから、何とはなしに心配である。勿論其れは、国民と共にあろうとされる今上天皇としても、意図せざる結果と云う事になるのだろうが。歴史とはそういう皮肉に満ちている。

 朝から銀行の人と税理士さんが来たる。準確定申告の方はどうにかなりそう。以後本格的に相続税の算定に入るとのこと。確定申告とはケタが違うから、これまた大量の書類が必要である。何しろ万代伯母の老人ホームの入居契約書なども要るらしい。家人共共また書類探しである。専用の書庫が必要だと思った。

また吾人の草刈り作業等には領収書がないので、経費には一切入れられませんと釘を刺される。吾人の苦労が水泡に帰し、刈った筈の草が一瞬で再生する訳ではないが、あれだけ汗水垂らした労働がまるで無価値になったようでつくづく残念である。ただ吾人は文字通りの寄宿人なので、税の減免等もあるそうである(通称、人気子役による有名ドラマ特例と言うらしい)。此れは本日唯一の明るいニュースであった。

それにしても、大きな相続というものは一生に一度か二度あるかないかというものである。居酒屋や食堂選びのように成功や失敗を繰り返して経験を積むと云う事も出来ないし、相続の状況は個個人によって大きく異なるから、人人の経験を広く共有することもできない。それに身内の不幸はまだか今かと楽しみにして待つという類のものでもない。結局、出たところ勝負の行き当たりばったりになるのだと思った。

午睡の後、出社。退社後は立ち飲みBへ。二杯ほど飲んで直ぐに帰る。冷たい物しか胃にないので、碑文谷で更に北海道ラーメン


11/17・木

 続続と欠礼葉書が届き始める。何しろ大量御逝去時代である。こうなると年賀はがきも益益売れないな。御長寿の方が亡くなられたら年賀状で御報告を、などと郵便事業会社は言い始めるかもしれない。ところで年賀状はどうしようかな。来た人にだけ返すか。

 秋晴れ。朝から書類作成、買い物、雑用等をこなす。隣家の片付けも再開。ただプリンターの調子が悪くて閉口す。四年前に買ってまだ数百枚も刷っていないモノクロレーザープリンターだが、とんだ不良品であった。やはりミシンの会社の物など信用できない。それとも拙宅の埃の多さにやられたか。いやいや、そういうことも含めての総合性能である。草臥れたので午睡をしたかったが、解体工事がうるさくて寝られず。

 今日も中目黒まで徒歩連絡。再び日比谷線に乗る。千寿生活も三年目だが、此のルートを使うことはなかった。三人掛けの所に座ってぼんやりとしていたら、大柄女性二人組が押し寄せて来て、肩身の狭い思いをす。千寿止まりなので全員降車。三階から二階の改札へ降りる。するとさっきの二人組が目の前にいる。何をするかと思ったら、二人羽織のようにして出て行った。当然改札機は閉まる。当人たちは先へ行き、直後の吾人が引っかかることに。見たところ堂堂としていたから常習犯なのだろう。キセル乗車ならば、もう少し倹しく乗るべきだと思った。

退社後はK諸蕎麦に寄り、直ぐに帰宅。計算と書類作成の続きを行う。御酒も飲みたくないから、本日も無酒。飲みたいものを我慢したわけではないから、取り立てて休肝日という訳ではない。それにまだまだ横隔膜辺りが痛い。バス通りの方で夜間道路工事。夜も寝られず。


11/16・水

 結局相当な宿酔となり、朝から七転八倒。やはり昨日の三軒目(個人的には四軒目)が、悪かった。月波君がしつこく誘うので、更に中華屋に行った。そこは町中華というより、チャイニーズレストランといったところで、食えもしないのに油ののった牛バラ肉あんかけ焼きそばや、飲めもしないのに紹興酒などを注文。大半は遺棄することになったのだが、大体あの時間の味の濃い御酒など、とどめに近いものとなった。

昼になっても引っ繰り返ったまま。こういうときに宗教者が現れて、手か何かを翳してあっという間に治してくれるのなら、一発で改宗するのだが。胃の周辺に使い捨て懐炉を張り付け、二時頃に漸く収まる。三時頃にみそ汁を軽く飲んで出社。併し行っては見たもののぼんやりとす。脳内オペレーターも半分は欠勤しているよう。退社後もF蕎麦によって直ぐに帰った。入浴後、昨日の夕刊から目を通す。日誌も二日分。本日無酒。


11/15・火

 当のアメリカ親分がもう止めるというのに、国会ではTPPの審議が続く。全く以て周回遅れの噴飯物である。勿論TPPで儲かる会社はアメリカにもある。巨大遺伝子組み換え作物及び種子供給会社、巨大保険会社、巨大製薬会社に巨大著作権管理会社である。そういう会社で大儲かりしている人はラストベルトには全く住んでいないから、全く関係がないのである。

 朝から曇り。午前中は準確定申告に向けての資料を作る。偶には月波君が都心で飲みましょうと言うので夕方前に出掛ける。まず中目黒まで徒歩連絡。日比谷線に乗る。すると乗った途端に咳が止まらなくなる。日比谷で下車。暫し公園で休憩。

まだ時間がある。そこで立ち飲みBが続続と支店を出しているので覗いて見ようと思った。銀座店と新橋店どちらかに宮川店長がいる筈である。後者に居るのを探し当て、カウンターを挟みながら暫し談笑す。六時半になったので、待ち合わせの新橋ビルの中へ。鷺乃間君と坪上君も来たる。特に二人とは久久である。まず信州村という立ち飲み屋へ。ここは長野県の御酒が安い。更に地階の古い中華食堂へ。途中、山陰にいらっしゃる芥田先生も電話で呼び出し、忘年会の日程も決めた。併し此のビルは、まるで昭和の商店街が丸ごと入居したようで、飲み歩きにはもってこいであった。更に一軒行って御開きとなる。ふらふらになって帰宅。


11/14・月

 更に大型の重機が入り、バリバリガラガラと朝から寝て居られない。何しろ壊さないことには建てられない。解体屋さんも儲かるな。併し熊本の方は片づけ終わったのだろうか。

韓国大統領は窮地に陥る。併し韓国という国も軍人支配が長かったし、今もって財閥が強い。非常に歪んだ形での競争社会となっているから、ああいう呪詛的なものに頼りたくもなるのだろう。併しよくあれだけの人がデモに集まるね。此れだけは感心す。また博多の道路も復旧す。下水池の中に特殊な土とセメントを流し込んだのだという。こういう建設術だけは大したものだと思った。

朝から曇天。何とか咳も収まり、日誌も纏め終える。気が付くと今月も二週が過ぎた。併し呼吸器系が弱くなったと感じる。夜は雨が降るというので、いっそ歩いて出社す。一時間近くももたもたと歩いている内に、雨雲が急接近し到着寸前で追い越された。

最近入った真面目そうな女の子が、幾ら教えても一次関数の式の出し方が安定しない。愈愈吾人の言葉も通じなくなったかと思った。試しに目の前で解かせてみたら、五マイナス二分の五が出来ない。通分が出来ないのは吾人のせいではないので少しは安心した。退社後は立ち飲みBへ。妙齢女性やベトナム出身のDさんらと話しが盛り上がり、最終バスを逃す。結局タクシーである。歩いて行った筈が、却って御金が無くなる晩であった。十二時帰宅。


11/13・日

 朝から近所のゴミを拾って歩く。何だか歩き足りないので、ぶらぶらと出掛けた。序にスマホ片手に何とかゴーもする。大体夏は暑い上にゲームどころではなかった。九月は雨ばかり、十月は風邪ばかりだったので、余りやる機会もなかった。そうこうしている間にブームも落ち着き、最近は利用者が減ったと見えて、少しはサービスを向上させているらしい。結構モンスター等が気前よく出現す。それにそもそもは歩く為のゲームである。バスや自転車の時より遥かによく捕まえられた

一方駒沢公園ではマラソン大会があったらしく、大勢の人が無暗矢鱈と走っている。併し過激な運動は却って体に悪いと聞いたことがある。そもそも人類の基本は歩くことで、走ることではない。まして長距離走など自傷行為であると思うが。其のまま「とむちゃんラーメン」まで徒歩連絡。つい餃子に麦酒、ラーメンまで食す。帰りは面倒臭くなりバスを頼った。其れでも二時間は歩いた。正しく狩猟民族である。


11/12・土

 朝からF蕎麦に。こういう宿酔気味の時の、味の濃い蕎麦は頗る旨いと思った。そういえばF蕎麦との付き合いも長い。中学か高校の時に、市ヶ谷駿台予備校に模試か何かを受けに行った際に偶偶入ったのが、富士蕎麦である。予め茹でられた麺を店内で温める方式が多い立ち蕎麦屋の中で、態態店内で生蕎麦を茹で、而も座って食べられるという点で、二重に衝撃を受けた覚えがある。何しろ当時の立ち蕎麦屋は、かけはともかく、盛りや冷やしなどは食べられる水準になかった(時間の経った茹で麺は大変粉っぽかった)。そんな中、富士蕎麦では安心して盛りが食べられたから、正しく立ち蕎麦業界のイノベーションであった。ただ最近では城南地区にまで店舗を増やしているから、山手線の内側に入ったら富士蕎麦食べようという上京感覚が少なくなって仕舞ったのが残念であるが。

ところでスマートフォンにはパソコンに取り込んだ音楽を移せるというので、やってみようと思った。まず100円ショップで通信ケーブルを購入(中国製)。案外簡単に移せた。こうしてカセット式のプレーヤーから実に二十年以上が経ち、音楽を持ち運ぶという生活が復活す。折角だから千円と少しのイヤホンも購入した(ベトナム製)。

朝から晴れて小春日和。数度に渡る買い物等等、大半を歩いて運動す。晩食は鍋料理。具材は国産中心だが、御酒はチリとイタリアの安白ワイン。吾人も自由貿易の利益を広く享受する立場である。そう、保護貿易などには今更戻りようがない。ただ此れ以上海外生産品が多くなるという事に反対するだけである。つまりグローバル化に反対するのではない。世界は既に十分グローバル化したというのが、反グローバリズム派の主張である。


11/11・金

 大統領選の結果を見ると、ラストベルトは軒並みトランプ支持である。労働者層の支持を受け、多少の保護貿易には傾くだろうが、併し此れだけ経済の相互依存が進んでいる時代である。今更国産品などに切り替えようがない。また予告通りTPPは止めてくれるのだろう。これ以上不要な物を売り付けられずに済むから小国としては助かる。ただ東アジア地区の米軍撤退縮小などを仄めかしているから、小国首相は心配で仕方がないらしい。続続と新大統領詣でをする予定。独自の平和外交を進めるぐらいの構想力は、既に無いな。ずっーと、アメリカ一辺倒だったもの。

 午前中は大雨。午後も少雨が残る。例によって異様に寒い。夕方出社。月波君が来るというので早目に退社。まず晴雷亭に鶴木さんを尋ねる。次に実に久久の佐渡屋に。更に中華立ち飲みに。最後に、作戦本部という奇妙な名前のバーに潜伏している大将とX女史にも会った。併し紫煙を避けるように行動していても咳は止まらず。早目、と云っても十二時過ぎに帰宅す。職場近くで痛飲するのも久久であった。


11/10・木

 朝から曇天。非常に寒い。向かいの解体工事にも重機が入り、終日落ち着かない。何しろ、貸家と本屋と離れの計三棟が灰燼に帰すのである。返す返すも勿体ない。夕方千寿に出校。久久に七ちゃんに。おでん焼き鳥を摘まみ、余り柄の良くない御客の与太話をBGMとす。更に町屋でこってりラーメン。糖質と脂質を此れだけ摂取すると流石に中から熱くなる。


11/9・水

 結局何だか咳が取れないので、医療機関に行こうと思った。併し老師は長期休診中。止むを得ず、行った事の無い診療所に向かう。人の良さそうな初老の医師が、案外親切に診てくれた。ありきたりの鎮咳薬と去痰薬が処方される。まあ心配なさそう。いつもガラガラの診療所だが、今後は少し混むかもしれない。医薬合わせて1500円。

 最低対最悪と言われてきた米国大統領選も終了。なんと次の大統領はあの不動産王である。まさかとは思ったが、色色な事で嫌気が差した有権者が、一回やらせて見たかったのであろう。夕方の勝利演説では割と真面なことを言っていたから、君子豹変し、現実路線に舵を切ってくれると有り難い。そうなると米朝交渉などは却って進むかもしれない。オバマ政権は三代目の若将軍などは対手とせずと無視し続けていたから。

体調優れず其のまま帰宅。異様に寒い。火にかけるだけの小鍋料理を買って帰る。結構旨かった。


11/8・火

 終日自室に籠り、日誌と新聞の整理。博多駅前で大規模陥没。大穴に下水が流れ込み、池のようになっている。まずは水抜きからだな。旅費の精算をしたところ、ざっと八万強との計算。半分は交通費である。今回は全て正規の乗車券特急券であった。


11/7・月

 朝から晴れたが、昨日山陰で見たような寒気が入って来て、都内も寒い。さて四日の豪遊を終え、今日からサービス生産者である。するとO君が訪ねてくる。彼はなかなか頑固なところがあって、中三まで半袖短パンを貫き通し、高校二年になった今でもスマホはおろか携帯電話も持っていない。少し話しして、何か調べ物をして帰った。パソコンの履歴を見るとAKBグループの何かを検索していったよう。彼も少しは時流に追いついて来たようである。まあ時流というものには踊らされることもない。かといって逆らうことも難しいし、超然とすることもない。適度に乗りこなせれば佳いのだが。

当面は緊縮財政だが小咳が続くので、市販薬を購入。帰り掛けはラーメン一杯のみ。本日無酒。向かい家の解体工事が始まる。足場の鉄棒を刺され何だか痛痛しい。


11/6・日

 気圧配置は冬型と云う事で朝から曇天。正しく日本海側の気候である。一応朝食付きと云う事なので、六時半から食堂に降りる。部屋が部屋だけに、当然大したものが出て来るわけではないが、半ば自棄になったつもりでモーニングビール。一種の儀式である。併しツアーの御客や、工事屋さん、遠征の運動部員等等、実に雑多な人人が同じ朝飯を食べていると思うと、何だかほっとする。

そして駅に参る。今日はずっと山陰線を使って帰ることにした。8時01分発の特急「スーパーまつかぜ」に乗る。特急と云っても二両編成である。此の車両は切妻型でまるで食パンのような大人しそうな顔をしているが、走り出すと狂暴其の物。カーブ区間では車体をくねらせ、単線区間を物ともせず、ごおごぉと走って行く。常時100キロは出ている感じ。時折ギアーが変速するらしくエンジン音が変わる。ブ―、ナャー、ゴーと怒った猫のように鳴く当たり、猫バスならぬ、猫特急だと思った。憤慨した猫のように走り続け、本当にあっという間に鳥取に到着。また途中倉吉周辺は青い屋根が目立った。重い瓦は耐震性がない。

此処からは普通列車である。此の区間は特急も快速も無い。国鉄時代からある武骨な車両であるが御客は少ない。車両は多少は手直ししてあり、色は朱色に戻したよう。併し走りは昔のままで、のらりくらりと歩くように走る。日本海は曇天。家家も静かで、まるで動きがない。餘部の鉄橋も架け代わっていて驚く。二時間掛けて城崎温泉到着。依然として天気も悪いので、駅前食堂で昼食の後、帰ることにした。

特急「きのさき16号」京都行きに乗車。四両という短編成だが、新車になっている。中中良く走るが、単線区間が多く、交換待ちの停車多し。三江線で捨てて仕舞う鉄建公団の佳い線路を持って来て欲しかった。福知山と綾部で大量乗車。自由席はぎっしり満席に。併しここら辺から乗っても大して早く着く訳ではない。

試しに時刻表を見ると、十分後の普通列車に乗っても、特急の四十分後に京都に着くだけである。わざわざ特急料金を払って混んだ列車に乗ることもないだろうと思った。其れに関西の方は、普通列車であっても、関東の人が見たら特急かグリーン車かと見まごう実に立派な車両を使っているから、誠に快適である。再び時刻表を開けると京都福知山間は八十八キロ。東京小田原と同程度である。関東人ならみんな黙ってロングシートに揺られる距離である。曇天が晴れ間に変わった頃に京都盆地に入る。京都到着15時07分。

併し今回の旅行では全てダイヤ通りに列車が走っていて感心す。列車がダイヤ通りに走るのは当たり前なのだが、関東の鉄道はダイヤが乱れているのが当たり前で、最近は腹を立てている人もすっかり見なくなった。単線区間が多いにも拘わらず、定時運行が出来るというのは、あの優秀な機械の御蔭かとも思った。

 京都の駅も人で溢れ返っている。本来なら多少の京都見物でもするのだろうが、特急券を乗り継ぎ割引で買っているので途中出場は出来ない。此のまま早目の帰京をするので両家人用に弁当を二つと、前回買い損ねた伊勢の赤福を入手。急いで新幹線ホームに参る。次次と新幹線は来る。それ以上に次次と御客も来る。例によって自由席である。こうなると列車と御客の真剣勝負である。既に大半が座られている「のぞみ」を眼光鋭く見送り、新大阪始発の「ひかり526号」に乗る。難なく窓際に座れた。やはり「のぞみ」より「ひかり」である。

併し安心したのも束の間。次の米原で大量乗車。全席着席。其の次の岐阜羽島ですら結構乗って来る。こうなると停車駅の多い「ひかり」は却って不利である。名古屋で多少入れ替わったが、豊橋で長蛇の列をのみ込むと、デッキはおろか、通路の中ほどまでぎっしりと詰まることとなる。日曜夕方の上りはつくづく鬼門であると思った。

 而もホテルの悪い空気に当たってか、続続と咳が出て来る。併しうがいをしたくとも洗面所に行くことも出来ず。マスクを掛けて、次の新横浜までは忍の一字である。尤も、復路までもが余りに快適だと、家や日常に帰りたくなくなるから此れぐらいが丁度いいのかもしれない。

併し大勢の人が乗っていると思った。試しにスマホで検索してみると、前後の「ひかり」も「のぞみ」も指定席は悉く満席である。こういう人人から一回十円でも二十円でも取り立てて、ローカル線に回せないものだろうかと考えた。併しJRも今や民間業者であるし、特に名古屋の会社は下らないリニア計画に現を抜かしているから、其れも無理か。ならばサーチャージ方式はどうだろう。実際、電話はそういう制度になっている。幾らなんでも二十円程度を出し渋る御客はいないだろう。グリーン客からは最低五十円は出して貰うべきである。

 這う這うの体で品川定刻到着。18時02分。ところで弁当は二つしか買ってない。余りの混雑で車内販売員からつまみを買って、悠長にお酒を飲むどころではなかった。止むを得ず品川で何か買い足そうと思った。併し新幹線改札を一歩でも出ると、品川東日本の駅である。NRE以外は米沢の牛飯しかなかった。西日本に行った筈なのに、何で東北の弁当を持って帰ることになったのか、色色と思い返しながらバスに乗って帰った。


11/5・土

 朝の五時に宿を出て、駅に向かう。まだ真っ暗の中、三江線に乗車。5時44分発、江津経由浜田行き。三江線は次の次の改定での廃止がとうとう決まって仕舞った。何しろ出来た当時から利用客は少なかったが、それでもJRには引き継がれた。併し此の三十年で御客が九割も減って仕舞ったのだという。高校生すら乗らなくなったのは、モータリゼーションと言うより過疎化の影響が大きいのだろう。車内には廃線を聞きつけてやって来た、所謂その筋の人が十人程度。みな三次に泊まっていたのだろう。地元の御客はほぼ皆無。

口羽と言う駅で三十分停車。漸く明るくなった。駅の先には、「三江線全通記念碑」が立っていた。三次と江津を結ぶから三江線なのだが、建設には長らく時間が掛かり、三江南線と北線が繋がったのが1975年。まさか四十年と少しで全線廃止になるとはね。

 ここから先は鉄道建設公団が昭和後期の建設術で作ったから、線路はピンと真っすぐとなり、トンネルが多くなる。実に立派な線路だが、此処も廃線江の川が終始美しいが、何だか物哀しい。それにしても人が居ない。いっそ過疎地に世界の難民に住んで貰おうなどと言う識者もいるようだが、空き家も耕作放棄地も幾らでもある感じである。綺麗な水も沢山出るから中近東の人から見れば天国のような場所かもしれない。でも無理だな。異文化異民族と、ああでもないこうでもないと云いながら何とかやって行くことより、阿吽の呼吸で話しの通じる人たち同士で小さく纏まる方が佳いというのが、大方の日本人の心情であるから。

終点が近づくと多少の地元の御客を集め、一両のディーゼルカーは座席がほぼ埋まる。こういう人たちは、廃線になったら本当に困るだろうと思った。代行バスというものも、一便減り二便減りと、何時の間にか無くなるというのが、廃線後の常道である。

 江津駅定刻到着。9時32分。海岸付近は相当温かいと思った。三次から実に四時間近くも掛かった。停車時間が長かった上に、ところどころで異様に安全運転をしたからであろう。西日本ローカル線は、線路に余程自信がないらしく、減速運転箇所が非常に多い。吾人も所謂、其の筋の人の一員であるが、流石に草臥れた。駅前喫茶で休憩す。後からやって来た上り「アクアライナー」という快速に乗車。三江線から見ると山陰線は大幹線といった感じで、快速と言えども頗る速いと思った。石見の赤い瓦屋根が、段段と黒くなった頃に出雲に入る。

 出雲市下車。三日掛かりで辿り着いたことになる。さて目的は達したのだから、いっそ帰ってやろうと思ったが、窓口で調べて貰ったところ、上りの寝台特急は全席満席だという。仕方がないので、件のホテルに予約を入れた。そう、件の明らか高いビジネスホテルである。

 一畑電車に乗り換え、出雲大社へ行く。確か大学三年の時も来ているから、凡そ二十年ぶりである。あの時は大阪から「だいせん」という夜行急行に乗って来たが、当然今はない。一方当時はがらんとしていた大社駅はカフェが併設されるなどして賑やかになっている。まず駅横の古そうな蕎麦屋に入る。併しあの頃はまだバブルの余韻があり、神社仏閣巡りなどは年寄りか変人の類が行う事であった。其れがこうして縁結びの神様だなどということになり、若い人まで押し寄せている。正しく隔世の感である。いやいや、本当に隔世して仕舞ったのかもしれない。出雲大社はともかく、伊勢神宮辺りに政治家が行くと危ない感じがする。南スーダン異国警固番役安全祈願などをし始めたら愈愈危ない。まるで戦前の二の舞である。

 そんなことを考えてお参りしたから、こりゃあ益益縁遠いな。再び腹が減って来たので、別の出雲そばの店へ。大体「割子そば」というが、一段当たりは「わんこそば」の二倍ぐらいしか入っていない。三段では到底足りない。男子たるもの、最低五段は食べなくてはならない。二軒で計六段。男子の本懐を遂げた。

 再び一畑電車で松江方面に向かう。宍道湖を北側から通る。電鉄の駅から橋を渡り、暫し散策がてらの徒歩移動。宍道湖に沈む夕日が見られて佳かった。そして駅近くのホテルにチェックイン。入って見て驚いた。建物は十五階建て。東西南北、見境なくびっしりと部屋があり、まるで蜂の巣である。大浴場があったのは佳かったが、部屋は狭く、窓も開かない。テレビは今どきブラウン管である。覚悟はしていたが、しかしどう見ても数年前までなら四、五千円のホテルである。此れが幾ら週末とはいえ8800円(税込み)である。日銀総裁に御報告したら、遂に宿願が達成したと泣いて喜ぶような物価上昇率であると思った。


11/4・金

 二日目も概ね晴れ。津山は鉄道の要衝である。最近博物館が出来たというので行って見る。昔の車庫に入れるようになり、古い気動車などが展示されている。ボランティアの解説員に案内して貰う。タブレット閉塞機なども使ってみたが、生憎機械の事はよく分からない。解説員は国鉄OBらしく、暫し鉄道談議に花を咲かせた。年末年始等の繁忙期の急行は九両もあり、出札口には札束が溢れたという。是非此の頃に旅行して見たかったが、生憎過去には戻れない。将来の事はもっと分からない。有名な予備校の先生の言い草ではないが、では何時乗るのと問われれば、今と言うしかないのである。早速扇状庫をどしどしと後にし、現役の駅舎に向かい、新見行き単行気動車に乗車す。乗客は頗る少ない。併しどの路線も益益本数が減り、益益心配である。

岡山方面の津山線は何とか乗っているようだが、姫新線因美線も影が薄い。此の先の芸備線も。出発前には97年の時刻表を見て来たのだが、此の二十年で列車数は概ね半減していて、急行の赤い文字も今は無い。それに寝台特急夜行列車もみんな過去帳入りである。何だか寂しくて寂しくて長く見て居られなかった。ちなみにアメリカ大統領選挙では、ラストベルト(錆びついた地帯)という嘗ての工業洲の票の行方が注目されているが、此方もラストレールベルトにならないことを祈るのみである。レールと言うものは車輪が踏まなければ三日で錆びるそうである。

 それでも向かいには学生風の男が座った。鉄道好きと見えて発車前は熱心に写真を撮っていた。がしかし一旦列車が動くとスマートフォン操作に夢中となっている。車窓には一切興味がなさそう。写真撮りの事を「撮り鉄」というが、汽車旅行中心の「乗り鉄」とは、似て非なるものであると思った。年に何度も無い大先生の貴重な講義を態態サボっているようで、見ていると段段腹が立って来る。

併し吾人の方としては午前中だというのに、ウイスキーを飲んでいる。例によって小瓶のラッパ飲みである。飲みながらの鉄道旅を「呑み鉄」とも言うらしいが、アルコール中毒者だと吾人も呆れられているのかもしれない。成程、近親憎悪と言うやつである。社会主義社会民主主義が仲が悪いのも頷けると思った。

 さて津山から先の姫新線は時折高速道路と絡みながら走る。こういうものに中国地方の真ん中を走られるから、地方線区はひとたまりもない。高速バスに都市間輸送を奪われたという点で飯田線に似ていると思った。それでも見た感じにはそれなりに人家はあるから、人がいないこともない。併しローカルな移動需要も無いのだから、あれらは概ね空き家なのであろうか。山中をそろそろと走って新見に到着。駅前食堂で暫し休憩。具だくさんな備中蕎麦に日本酒を一合。

 此処で芸備線に乗り換え。東城を過ぎると一日三本しかない。超が付くほどの閑散区である。備後落合でもう一度乗り換え。三次からやって来た折り返し列車に乗り込む。丁度木次線も来る。此方も一日三本。山間の無人駅は一日に一二度だけ賑やかになるようである。各方面からの三車両は同型なれど色が違う。ちょっとした列車の会合、いや滅多にないから邂逅である。

 あと姫新線では気が付かなかったが、列車の前の方で前を見ていると、何やら運転台から声がする。カーナビのような機械が、ああしろこうしろと運転士に指示しているよう。幸い当該車両には旅行客が数名以上は乗り込んでいるが、普段は幾らも居ないだろう。山中で運転士が寂しくならないように、ああだこうだと話しかけているのだと思った。大体、一人勤務の無人乗客、而も夜間帯ならば、其れこそ天狗か何かに攫われかねない。多少の地元の人を集めて三次に到着。

 三次のA1ホテルに入る。此処は十二年前に泊まったことがある。あの時は広島から来て、木次線に乗った。当時から吾人は日記をつけていて、特に旅の収支には細かい記述がある。其の時は5700円とあったから、今回はそれより千円も安い。建物の減価償却が進んだためであろう。それにまだネット予約というものは一般的でなかった。

 まず駅前の大型酒場に。山陰が売りのチェーン店のようである。千円の刺し盛はすごい量だったが、冷凍物の鮭や鰹や鯖があって何だか興ざめ。ならばもう一軒と、御上さんが一人でやっているような店に入る。御客は吾人一人なので、色色と話し込んだ。併し朝からの大量飲酒で胃がざらざらである。幾らも飲食できず。儲からない御客で誠にすいませんと、三千円ほど置いて帰った。

 部屋に戻り、丁度地上波でやっていた「となりのトトロ」を見る。部屋のテレビにはビデオシアターも無料で付いて来たのだが、他人のえげつない行為を見るより、此処はセンスオブワンダーの物語である(女体探検も驚異の世界だよと、仲田大将などは言うだろうが)。映画の後半には、例によって猫バスが出て来る。確かに猫がバスになったら縦横無尽に駆け上り、確かに速いことは速いだろうが、併しあの勝手気ままな性格である。定時運行は出来ないな。ならば猫タクシーだと思った。つい最後まで見て就寝。


11/3・木

 早速起きる。まず渋谷駅に参り、切符を購入。乗車券は都内から出雲市まで。経由駅は姫路、新見、三次、江津。乗るのは新幹線姫新線芸備線三江線山陰線である。流石に自分で動かす機械では出せないから窓口に並ぶ。経路を書いた紙を渡すと、初老の窓口男性は、てきぱきとクリックを操作して発券してくれた(少し張り切っていたような気がする)。運賃13180円。姫路までの新幹線特急券が5290円。

姫路停車の「のぞみ」は一時間に一本。「のぞみ103号」広島行きに乗車。天気も良く、列車も良く空いていた。車販員もてきぱきと来る。すると早速左前の乗客がコーヒーをぶちまけたらししい。通り掛かった車掌は、さっと座席の座布団の部分を引っ剥がして持って行った。新幹線と言えども、上物は随分安っぽく出来ていると思った。

サンドイッチと缶麦酒を一つ。何だか急に飲み足りなくなり、車販員を追いかけて隣の三号車に行くと、ぎっしりと混んでいる。新幹線の自由席は偶数号車、つまり二号車に限るとは、常識問題である。姫路定刻到着。

 早速在来線のホームに移動し「駅そば」を食べる。此処の麺は中華麺で出来ていて昔から有名。実は初食である。確かに、蕎麦ともうどんともまたラーメンの麺とも違う。敢えて言えば冷や麦に近い感じ。茹で置きでも腰が残るのが佳いのだろう。暫し改札外に出る。 

 姫路は賑やかな街だったが、お城の方にどんどん歩いていくと、商店街が古くなり、最後は昭和五十年の頃といった感じになる。商店の後ろには長屋状の住宅が連なっている。物が干してあったりと、生活感が丸だしになっている。都内ではもう見ない光景である。地方都市巡りはちょっとした時間旅行である。古い街には古本屋が似合う。丁度大昔の鉄道ジャーナル誌「魅惑のブルートレイン特集」というのが店頭にあった。お城に行って帰って見ると、もうなかった。

 姫路には五年半前、ちょっと来ている。ちょうど震災の直前である。あの時は姫路港から小豆島に渡った。記憶を辿り、以前入った駅近くの古い食堂に行くも、どうにも無くなっているよう。其の後に出来たと思われる立ち飲み屋で暫時休憩。関西に来ると何処も彼処も安い飲食店が多くて助かる。

少しアルコールを補充したところで、旅程を再開。姫新線は色色と直したようで、気動車も新型が入っている。なかなか気鋭のいい車両である。二両編成に乗る。高性能を持て余すように適当に走る。途中の播磨新宮で一両に乗り換え。更に佐用で西日本に広く配備されている何時もの軽快型のディーゼルカーに移る。平地は減り、段段と中国山地に分け入るように走る。山際だから日暮れも早い。津山到着17時07分。駅前ターミナルは工事中。もう暗いので、気を付けて歩いた。

 橋を渡って、津山の中心街に宿泊した筈だが、歩いて見て、案外暗いことに気付く。街灯は立っている。家も店舗も建っている。少なくとも拙宅の近所並みには。其れでも暗いのは、窓から漏れてくる明かりの類が極端に少ないからである。詰まり半分くらいの住宅と店舗が、既に無人になっている。

八時にもなってないのにがらんとして、見様によっては怖ろしいアーケード街をとぼとぼと歩き、誰も居ないラーメン屋に入る。所謂ラーメン居酒屋であり、色色とおつまみの類もあって助かった。津山は牛の産地と云う事もあり、ホルモン焼きで有名である。牛の部位の名前にも地域差があるから、色色と質問してから食べた。牛の心動脈だという「ヨメナカセ」は食べず。てっきり強壮の効果があるのかと思ったら、下処理が面倒臭いので嫁を泣かせるという意味とのこと。併し元元内臓の類は不得手である。それにしても先客も後客も無し。幾ら祝日とはいえ少し寂しい。


11/2・水

 日中重い曇り。異様に寒い。また風邪を引いたのかと思った。午後出社。退社後は中華立ち飲みへ。おじさんたちが勢揃いだったが、早目に帰宅。夜は冷たい雨。まるで真冬のよう。


11/1・火 

 午前中は結構な雨。昼過ぎには急速に晴れる。若干の草取り以外は本当に無為。日銀総裁が出て来て、任期中の二パーセントの物価上昇達成は愈愈困難になったと正式に表明。デフレ脱却は吾人とて切に念願する事柄であるが、大体において、金融を緩和することで、物価が間もなく急に上がるから、上がる前に兎に角早めに買って置こうという心理が起き、物やサービスが飛ぶように売れるようになるというのは、素人から見ても出鱈目な理屈であった。間違えた入り口からは出るに越したことはないが、問題は出口に関しての戦略がないことである。併し総裁にしても何もふざけて居た訳ではなく、国民生活の向上を願い、それなりに真摯に取り組んで来たのだろうが、もう少し真面な軍師は居ないものか。

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