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大広孝日誌

2018-06-05

2018年5月

09:14 |

5/31・木

 本日のノルマを果たそうと四十本まで引き抜いたところで腰を痛めた。大した草ではなかったが矢張り片手でやっては駄目である。ぎっくり何とかかな。魔女の一撃と言うほどではないが、小悪魔の一蹴と言った感じ。ドクダミの総反撃である。以後区間運休。

夕方這う這うの体で出社。腰に変なベクトルが掛かると痛いので上半身を一枚岩のように動かす。すると自転車も時速六キロしか出ない。御婆さんの電動車にも抜かれる。情けなや。張り薬に続いて飲み薬(ロキソニン)を呑んだから夜には多少改善す。いやしかし、腰が痛くなるというのも歳を取った証拠である。精神的な打撃も大きい。なお中学一年生は学校の課題で頭が一杯の模様。授業時間を削って完成させる。此れでは自習教室だと思った。まあ御役所(公立中学校)への提出物の処理に翻弄されるのは此の国の市民社会と同じであるがね。謂わば毎日確定申告をやっているようなものかな。併し久久の中学一年の担当である(而も女の子が多い)。まず大量に甘やかすことから始めようと思っている。何しろ某監督のように怒ってさえいればいいという立場にはない者なので。

退社後は碑文谷王将へ。此処は炒飯が旨い。前回と同じ人が作った筈だが、併し微妙にパラッとし過ぎている。僅かな水分量の違いで印象が随分違う。最近はしっとり炒飯が人気である。何の関心も無いがワールドカップのメンバーも決まる。若手が居ないらしい。定年延長ジャパンだな。何しろあらゆる分野で上がつっかえているからね。こうして長い五月も終了す。


5/30・水

 朝からシロが見当たらず。何時も其の辺りで寝ているのだが。幾ら呼んでも出て来ない。草を取りゴミを拾いながら探すこと二時間。漸く何処からか這い出て来た。怪我等はないが少し様子が変。夜の内に何かあったのだろう。いやしかしあと一時間出て来なかったら非常災害対策本部を立ち上げる所であった。

 午睡の後、出社。入れ替わるように無責任社長が早退す。緊急の家族会議だそう。何でも娘さんが離縁するそうで・・・。従ってやや落ち着きのない子と取り残される。こういう場合は出鱈目な御話をするに限る。実は先生は南極に捨てられていて三才までペンギンに育てられたのだと。偶偶見つけた盥を舟にしてペンギンさんたちに引いて貰って極地を脱出、以後世界中を転転として漸く日本に辿り着いたのだと。何しろ鳥類には大変感謝しているので焼き豚は食べるが焼き鳥は絶対に食べないし、JRの駅でスイカのペンギンを見ると思わず「お母さん!」と言って仕舞う習性が抜けない。何時の日か魚肉ソーセージを山ほど担いで里帰りしたいと・・・。以下多数。案外素直に聞くから子どもと言うのは面白い。一方高学年帯は移動教室や修学旅行等で出席生徒少なし。立ち飲みBに寄って直ぐに帰った。夕方から小雨。復路は傘を差した。


5/29・火

 五月は長い。まだ平日が三日もある。昨日と同じような薄曇り。梅雨間近かと言った感じの温度と湿度。午前午後と断続的に草取り。結局人間の腕に軍手をはめたもの以上の道具は無し。只管引っこ抜く。石器時代並みの肉弾戦である。昼は環七博多ラーメン。替え玉付けて800円。領収書も貰うべきだな。

 残った選手たちも声明文を出す。此れは第二の日大闘争となりそう。しっかし、監督がコーチをいびり、コーチは選手を殴る蹴る。(そして恐らく上級生が下級生を・・・。)もう言葉も無いね。茅ケ崎の交差点で九十歳の運転者が死亡事故を起こす。神奈川の県央部には神奈川中央交通という立派なバス会社があるから、何も無理して運転することはない筈である。ところで須見伯母も自動車を買い替えるそう。新車には新型の安全装置を付いている。伊那には伊那バスがあるが、何しろ一日一ケタである。


5/28・月

 まず老家人を車椅子搬送。歩いて行くと一日分のエネルギーを行きしなに使い果たし、デイサービスに耐えられなくなるということで、とうとうこういう事になった。最早其の程度の体力しか残っていないらしい。一日薄い晴れ。午後千寿。途中散髪し、駅ビルで『ラディカル・オーラル・ヒストリ―』を購入。退社後は久久の「大江戸」で六皿と二杯だけ。帰り掛け同書に目を通す。紙に書かれたものを元に立証していく歴史学とも、地元の古老の証言を書き留める人類学とも違う。敢えて言えば思想史に近い手法かもしれないと思った。

国会は一日中モリカケ問題。多くの識者が言っているように、行政官政治家の中には正直なことを言う人が居ないものである。誤りを犯したことは取り返しがつかないとしても、せめて誠実に謝る人が居ればね。詰まり先述のアメフトの選手のような存在が居ないのである。加計学園はAとはそもそも会っていない、会っていたと嘘をついていたとの声明を出す。もう言葉も無い。


5/27・日

 誰も何の注目もしていないから書くけど日露会談終わる。秋田犬を上納しイチゴとウニを北方領土で育てることに合意したという。此の程度の事は役所の課長クラスが決めるようなことである。

何処かに行こうと思ったけど下腹部が不調。自宅に駐留し、草を抜き、梅を拾う。他は取り立てて無為。夜は昨日残りの鰆の蒲焼と碑文谷焼き鳥太子堂の巻き寿司付きで。御酒も控え目にした。


5/26・土

 昼は「青葉」で付け麵(780円)。カウンターの隣には極めて小さい女の子が。而も親はスマホに夢中でほったらかし。小鉢をべとべとにしながら一本一本食べている。吾人が給仕してやろうかと思った(但しやり方が分からない)。結局子の方は大半を遺棄して出て行った。此れだから男親は駄目である。終日まあまあの晴れ。草を数百本引っこ抜くも大して変わったようには見えず。今年の蚊は早くも凄い。

 夜になると二度目の南北会談の情報が。まあ韓国大統領が何とかしてくれるだろう。そしたら間違いなくノーベル賞である。森の夫妻も保釈される。早速相変わらずの怪気炎。役所にしつこく絡みつき、補助金を散散騙し取り、Aの存在をちらつかせながら国有地の異様な値引きをさせ、結果として自殺者まで出したというのに好い気なものである。


5/25・金

 相変わらず日本のメディア運動部騒動に掛かりっきり。まあ確かにあの大学の理事会というのはどう仕様もないね。あれではヤクザがつくったキャンパスでインテリに教えさせているようなものである。鳳生大学でも何回か古い理事や校友たちが問題を起こし、其の度に大学運営の近代化が進められてきた経緯があるが、此の大学はそういう機会がなかったのだろう。此の際、理事を全部入れ替えるぐらいの荒療治が出来るかどうか。何しろ日本で一番大きな大学なのだからしっかりして貰わないとね。また一夜明けた北の反応を見聞きするとまあまあ落ち着いている。何とかなるだろう。少し冷却期間を置くこと自体は悪くはない。

 さてさて本日は内政一本である。買い物は三便。一日にドクダミ等を最低五十本引き抜くという数値目標を立て直ちに実行す。三週間後には壊滅させることができる筈である。他は梅仕事。今年は裏年らしく収穫は少ない。庭猫の毛も梳く。また大病院での診察の結果、家人は花粉症後遺症で目の周りがアトピー性皮膚炎のようなものを起こしているとのこと。態態偉い先生の診察を受けなくとも一目瞭然、当たり前だの何とやらであるが、吾人が幾ら言っても納得して貰えなかった。ステロイド軟膏を塗り込む以外に方法は無し。なお特別初診料は5000円!


5/24・木

 森を巡っては大量の文書が出て来る。結局嘘を取り繕う為に次から次へと新たな嘘が必要となり、それらの嘘と辻褄を合わせるために文書を改竄したり捨て去るという理屈である。そして最初の嘘こそ、Aの国会答弁である。当のAはロシアを訪問。またファーストネームを連呼してヘラヘラするのだろうが生憎相手にもされず。

 かんかん照りで蒸し暑い。朝は大根おろしライス。昼はレトルトカレー。午後出社。金参万円受け取る。退社後は中華とバーIへ。帰宅後暫らくすると、米朝会談は米側から中止を通告。所謂北朝鮮文学に苛立って仕舞ったよう。参ったな。まだチャンスはあるが此れで北が態度を硬化して核開発を再開するとなるとまた戦争騒ぎに逆戻りである。併し一番喜んでいるのはAと日本の外務省だろう。破談となれば今まで通り何にもしなくて済む訳だから。


5/23・水

 道路で炬燵をした京都の学生が逮捕される。警察が暇すぎても宜しくないな。そもそも嘘ばかりついているAを掴まえるべきである。午前中は薄曇り。今度は世田谷の草取り。御昼頃から弱い雨。久久のバス出社。目黒駅定期券売り場でパンも売るようになっていて吃驚す。併し此のルートでの出社って、何時以来だろう。立ち飲みBに軽く寄り、11系統で帰宅。

夜、監督とコーチが会見。そんなことは言った言わないとの応酬となる。監督は其のまま入院したという。どちらにしてもこんなチームは解体した方がいい。怪我人と病人しか生まないのだから。帰宅後映画「イリジウム」。典型的なディストピア映画だがテンポが悪い。途中で離脱就寝。


5/22・火

 朝から税務署に電話を掛け事情を話す。何回かの遣り取りののち、追加の納付書は破棄し、修正申告書の送付のみ行うことで一件は落着す。いやいやしかし、そもそもどうして予定納税の所に変な数字を打ち込んだのだろう(分納の希望とでも勘違いしたのだろう)。下らない手間を増やして仕舞った。張り切ってやがて悲しき確定申告

 試合中に狼藉を働いた運動部員が謝罪会見。まだ二十歳である。芸能人でもプロ選手でもない人の会見は異例。一方指示をしたとされる監督やコーチは雲隠れ。大人がどう仕様もないから若い人が苦労する。それにしても日本で一番大きな大学も丸で統治出来ていない。大き過ぎるのかな。

なお芥田先生が伊那に行ったら中沢臨川について見てみたいとおっしゃるので、現地の資料館に連絡を取る。収蔵品を見せることは出来るというが、事前に見学申請をして欲しいとのこと。先生をお連れしての大旅行である。早速日程の調整を始めることとす。暗くなり家でぼんやり飲んでいたら巡査がやって来て、近所の車が隣の空き家の塀を傷つけたという。見たところ全く分からない。大体バンパーがブロックを擦ったくらいで110番をされてもね。其れでも事故証明を出すには事故其の物の記録が必要なのだという。警察や自衛隊が暇なのは佳いことだろうが、何だか面倒臭い世の中になったものである。今日は公務員とよく話しをした日であった。中日は四十歳の投手が出て来て完封勝利。案外今年は行くかもしれない。士気が揚がっている。元大リーガーの効能である。中日が強いと政変が起きるなどとよく言われたものだからAも愈愈だな。


5/21・月

 朝から御粥を焚いて食べた。矢張り流動食に限る。早起きした序でに少しゴミを拾って歩く。近所の個別指導塾が閉店していた。フランチャイズ方式なのだろう。十年位続いたかな。何時見ても生徒がいなかった。併し五月に閉めるというのも無責任な話しだと思った。よろよろの老家人を送迎し、昼はオリジン弁当。午後千寿に出校。晩食は構内の「小諸そば」。信州とは何の関係も無い蕎麦屋だが、こういう機械打ちで蕎麦粉?割(多分逆二八蕎麦)の方が馴染めるな。

 どうやらAの虚偽答弁は確定しそう。愛媛県から新たな資料が出る。それにしても支持率が下げ止まるから不思議である。家に着くと税務署から手紙が来ていて修正申告を求められる。文書の解読に数時間も要したが、どうも意味も分からず予定納税していたことにしていたらしい。併し其の分の減額はせずに所得税は計算通りに支払っていたから追加納税の必要はなし。うーん、どう説明しようかな。確かに吾人の(初歩的な)間違いである。本日無酒。


5/20・日

 辛うじて宿酔は無し。パン食の後、ブルーベリー畑で作業していると猛烈に胃が痛くなる。今回の宿酔は時間差をつけてやって来た模様。以後悉く運休す。漸く午後遅くになり復旧す。農機具センターのような所で高枝切り鋏を購入して作業を再開。三メートルまで伸ばせるがメードインリパブリックオブチャイナの安物だから切れ味は鈍い。先っぽをのこ切りに換装して数本切ったところで時間切れとなった。伊那市駅近くのラーメン屋に少し寄り飯田線に。

 岡谷で18時51分発の「あずさ32号」に搭乗する。塩尻でお客様の荷物が挟まったとかで五分遅れてやって来た。そう言えば行きの13号も遅れていた。最早中央線がダイヤ通りに走ることが珍しい。32号は件の新型車両であるがぎっしり満席。座席指定も離れ離れとなる。殊に自由席は甲府で溢れ返った模様。車掌が後続の「かいじ」に乗ってくれと案内していたくらいだから。いやしかし、何時乗ってもよく混んでいる。増発するか二階建てにするかして欲しいものである。何だか少し消耗した。其のまま帰宅。

 暇なので暫し時間旅行を。本日の旅程は17時43分に伊那市を出て、新宿到着は21時06分(実際は数分遅れ)。此れを1976年の時刻表で行うと、伊那市を18時40分の「急行こまがね3号」で出発、辰野で「急行アルプス」に連結し、新宿には22時34分着。凡そ四十年で三十分の時間短縮である。但し当時とは運転本数が違う。「こまがね」は一日三本しかない。ちなみに「アルプス」にはビュフェがついている。


5/19・土

 未明にかなりの豪雨。以後空気が入れ替わりすっきりと晴れた。朝御飯の後、月波君と木曽の方に出る。御嶽山もくっきり見える。国道361号を行き、開田高原の先の「県宝山下家住宅」を表敬訪問。本当に立派な建物である。江戸期以来の名家だったらしいが家業と家運が没落、最後は御婆さん一人になったところで県に寄贈されたとのこと。元元木曽馬を育て獣医のようなこともやっていたのだが、時代の変化に飲み込まれたらしい。惜しいことである。うーん、中古車販売業かガソリンスタンドにでも転向すればよかったのかな。其れか犬猫専門病院、いや建物を生かすなら古民家蕎麦店だな。商売をするにしても子孫が続かなくてはね。

其の後近くの「たけみ」という店で蕎麦休憩。ちょっと先の長峰峠まで行って見たが、峠のお茶屋さんも廃業した模様。其のまま折り返して帰る。伊那に戻り再び低木刈り。夕飯前に温泉施設に。初めて行く隣の村の施設である。山登りのイベントがあったそうで結構混んでいる。中央アルプス経ヶ岳。当然登ったことは無し。何時か生まれ変わったら・・・。

夜は馬刺しと山菜の天麩羅。併し山荘の冷蔵庫は無責任の体系だから極めて良くない状態である。特に調味料の類が年単位で期限を過ぎている。買って来るのは容易だが問題は廃棄方法。チューブ入りの生姜や大蒜や山葵や塩麹などはどう捨てたらいいのか分からない(中身をコンポストに出して、容器を洗い、資源ごみ?――水資源の無駄だと思うけど)。結局スーパーのゴミ入れに放り込んだ(スイマセン)。此の件に関しては23区の方がいい。何しろ捨て放題、焼き放題だから。捨てないことには買って来られない。一方泥酔した月波君は芥田先生に電話を掛け、伊那にお見えになるように説得していた。困ったな、先生をお招きするならば細かな計画を立てなくてはならない。十時就寝。


5/18・金

 さてさて本日から伊那に行くことになっている。何だか蒸し暑い新宿駅で須見伯母と待ち合わせる。実に半年ぶりの旅行らしい旅行である。何だか切符の買い方も電車の乗り方も忘れて仕舞った感じ。色色と思い出しながら準備した。

11時発の「あずさ13号」に乗車。伊那には二時半ごろ到着。乗用車を受け取り山荘へ。早速の掃除と低木刈り。張った枝をつぎつぎと切り落とす。何しろ雑木はどんどん生えて来る。藪が向こうから攻めてくる感じである。見通しが悪いと獣と遭遇する危険が高まる。猪にでも襲われたら大変である。管理の悪い上下の別荘地の枝も払う。奮闘二時間。前線を多少押し戻した。夜遅くになって月波君もやって来る。今回は高速バスとタクシーを乗り継いで来た。もう二三杯飲んで納盃。ちなみに甲府辺りから鼻水と止まらず。季節は逆流す。抗ヒスタミンで抑えた。


5/17・木

 昨夜は飲んでも食べてはいなかった。当然腹が空く。朝からシュークリームと饂飩を連続させたら、すっかり胃の調子が悪くなる。午後まで運休。夕方前出社。今週の質問は六月の休日の無さ。確かに七月の海の日までは遠いよな。矢張り山の日は六月にすべきであった。国会の怠慢であると指摘した上で、カレンダーは遠くまで見ず、一週間単位で生活するようにと指導す。退社後は立ち飲みBで少し飲んで帰った。夜まで暑い。


5/16・水

 昨日以上に暑くなる。三宿の先の電鉄系高級スーパーが撤退した跡に新たなスーパーが出店したというので行って見る。環七の内側には珍しいストアチェーンである。平日の午前中だというのに大変な人の出。広い店内の割りには鮮魚コーナーは控え目。他店より一円でも高い場合は通報して下さいと言うことだが、其れは他店と同じものを売っていることの証左でもある。もっと生鮮品に力を入れて欲しいと思った。大体鯵や鯖には二つとして同じものはないのだから。混んだ店内を一回りして酢豚弁当を二つ買って帰った。そうそう惣菜類にも同じものはない。ちなみに此の店のレジ袋で御金を取るというのはいいが、現金払いを歓迎するというのは時代に逆行している。何だかマッチポンプな店であると思った。

 午後出社。中学生の一部にはもう定期試験がある。しかも国語では文法が40点も出るという。困ったことになった。大体吾人の国文法の知識など十代前半で停止している(従って古典は全く出来ません)。色色な教本や辞典やネットで調べる。補助動詞とは何かとか、「ない」の識別とか。二百字程度の課題文の解析に二時間も掛かった。いやしかしね、文法が分かったからと云って文章の理解が進むとは思えない。担当の先生の得意分野なのだろうがこういう下らない出題はつくづくやめて欲しいと思った。

 退社後は立ち飲みBへ。久久に鶴木さんと会う。御母堂が亡くなり北九州市に帰省していたとのこと。鶴木さんは既に六十過ぎだから、御母堂も九十過ぎである。翻って見れば吾人の家人は既に九十三と、八十二。此の先に猫も死に絶えて仕舞ったら、吾人は早晩一人ぼっちである。何だかつくづく悲しくなった。

こういう晩こそはとバーIに寄る。天屋先生と井満さんに紛れて若い女性が居た。少し格好を付けて其の子の為にと千円札を置いて帰った。帰宅後はシロを呼び付け散散捏ね繰り回す。長生きするのだぞと言い聞かせながら。


5/15・火

 今日も真夏のようなお天気。まず居間のエアコンの清掃。フィルター掃除機能があっても埃がべっとりである。何しろ稼働時間が長いからな。続いてスーパーの裏に出来たと言う中華食堂へ参る。駐車場の地下にあった。此処は気付かない。隠れ家というより防空壕である。日替わりランチ500円。中から火事が起きたら助からない感じだが幸い消防署が近いから直ぐに助けてくれるだろう。今後行くことが増えるかもしれない。ただ舌の根に口内炎が出来て何だか咀嚼困難。家人は大洗濯。吾人も買い物と雑用。老家人と猫だけは昏昏と寝ている。猫はまだ若いんだけどね。ガザ地区は血で染まる。ノーベル賞?ちゃんちゃら可笑しいな。


5/14・月

 朝から晴れた。詰まった樋の掃除から。脚立を伸ばし梯子化して上がると松の葉がぎっしりと。続いて歩行時速一キロ以下の老家人をデイサービスに送り届ける。御昼過ぎに迎えに行く。復路は車椅子搬送である。シエスタの後に千寿に出校。退社後は町屋のBに回航。月波君と軽く会う。軽い打ち合わせ。D店長がどんどん御つまみを出すからあっという間にお腹が一杯となり大して飲めなかった。並びのラーメン屋で締めて御仕舞。帰宅は十一時過ぎ。

米朝会談はシンガポールに決まる。其の帰りの足でT氏は日本に寄るらしい。恐らく残念なお知らせをするのだろう。新潟市で小学生が遭難した事件も犯人が見つかる。小学生低学年を送り迎え無しで学校に遣るのは日本ぐらいだと聞いたことがある。併し夫婦共稼ぎ核家族では無理だよなぁ。今回の事件は近所の若い男らしい。以前は見守り当番みたいな人が事件を起こしたことも。仮に送迎をしたとしても事件を防ぐことはつくづく難しい。世の中とんでもない人が多いから。


5/13・日

 雨が降るというので午前中から買い物と刈った草木の袋詰め。午後は確かに大雨となる。元大リーガーは敵地東京に乗り込むも滅多打ちに。足の調子も悪そう。六時開始の試合で七時には組織的な抵抗が終了す。富山の鰆を蒲焼風にして勃牙利白ワイン(一本千円)を呑みながら見ていたから直ぐに切り上げたけど、態態お金を払って見に行った人は気の毒だと思った。夜半までには止む。

 英吉利に白熊の原発を、土耳古に海狸の原発を売り込む計画があるそうだが、同業他社殿は大清快の失敗を見ていないのかね。政府保証を付ける付けないで揉めているらしいが東芝もそうした政商になったが故に損切りが出来ずとうとうああいうことになったのである。


5/12・土

 結局宿酔。収まった後は断続的に草取り。今年は既に壊滅的な伸び具合である。他はゴミ拾いとゴミの分別。殊に二階の七号室からは大量の食品廃棄物が。野菜類はコンポストに入れた。都会の年寄りもやることはあるのだけどね。結局意欲の問題だな。昼は高遠の絵島蕎麦。夜は環七の鰹と鯵と唐揚げ。御酒も控え目にす。取り立てて無為。


5/11・金

 四日ぶりに朝からきちんと晴れた。老家人は通院に続いてケアマネージャーの訪問を受ける。介護保険の改定評定である。何だか少し張り切っていたようだけど二階級特進して要介護入りだな。結果はひと月後。それにしても台風シーズン等になると田んぼの様子を見に行ったお爺さんが帰ってこないなどという事態がしばしば発生するが、最後の最期まで立派な物だと思う。警察と消防には迷惑を掛けて仕舞うことにはなるが介護職員の世話にはならなかった。やることが沢山ある年寄りは幸福である。


5/10・木

 記憶が戻った元首相秘書官国会に呼ばれる。其れ以上は何も無し。見る気もしないから何も知らない。こんなことをやる為に国会が二週間も空転していたのである。

 朝から曇り。北側の側溝の掃除。何時の間にか砂と泥が溜まり草まで生えているから不思議である。お昼頃に寒気が入り発雷。少し降った。以後急速に晴れる。午後出社。何だか中学一年生は質問攻めにしてくる。而も余り関係のないことを。反抗期の一種だな。給食の味の薄さから宇宙と生命の始まりまでクイズ王になった積りで一つ一つ答えて行く。こういう場合は器の違いを見せなくてはならないが、何しろ吾人の頭も劣化してきているから大変である。

退社後は中華立ち飲みで延延と。此の店も料理人が変わり最近は中華色が濃い。厚揚げ焼きなどの一般的なメニューがなくなって仕舞った。実を言うと八角コリアンダーも苦手である。結局腹が減ったので碑文谷の「福徳」で「マー油とんこつ」(730円)。凝った作りのスープだがプリプリの中太麺と合っていない気がした。


5/9・水

 午前中まで大雨。而も寒い。家人の花粉症未だ治らず。眼の周りをパンパンに腫らしている。何か別の要因を探るべきだな。Tさんはイランとの核合意は破棄するという。ユーラシア大陸の東と西で正反対の方向に。尤もあちら側には西欧諸国がいる。英仏独で何とかして欲しいものである。特にドイツのおばさんに。

 午後出社。気候のせいか何時まで経っても眠気が取れず。チラシ入りクリアーファイルを配って歩いてもまだ眠い。退社後は一人で立ち飲みBへ。途中から市ヶ谷さんが現れ何とかなった。


5/8・火

 本日も梅雨のような感じ。但し気温は低いから、梅雨寒むである。昼は環七「福森」で中華そば(720円)。昨日の今日なだけに普段以上に旨く感じ、ついつい汁まで浚った。旨い物の有り難みが分かるのも不味い物の御蔭かもしれない。それにしてもラーメンには700円ぐらいは出さなくてはね。全国民が旨いラーメンを食べられるよう国民経済を成長させなくてはならないとも思った。

少し前に五輪開催期間中は大変な混雑になると何処かの大学の先生が予測していた。五十年前とは都市への集中度と大会の規模自体が違う。大きな競技と通勤ラッシュが重なると電車は各所で動けなくなるとのこと。平時ですら押し寄せる乗客を満足に捌けない脆弱な交通インフラである。不慣れな観客が殺到したらどれ程の混乱が起こるのだろう。会社も役所も全部休みにして仕舞う訳にはいかないだろうか。期間中は世田谷から一歩も出ない所存だから吾人の人生には何も関わらないだろうけど。夜は大雨。

北の指導者は大連を訪問したらしい。其の際は航空機を利用したとのこと。映像を見ると博物館にあるような飛行機であった。ソ連の飛行機には詳しくないが、ディーゼルカーならキハ58、電車なら東急7000系アッカンベーの同期だな。幾ら頑丈に造ってあるとは言っても古いものは危ない。心配で心配でそんなに遠くの空まで行けないのだと思った。


5/7・月

 連休終了に合わせたかのように雨模様。午後出社。相変わらず此方の生徒は反応が薄い。一年中五月病らしく元気がないな。丸で口を開いたら損をするという感じ。退社後は町屋のBを覗くもDオーナーは不在。そんなに飲む気がある訳でもないので近くの穂高屋に入る。店内は満席ではないが、酔っ払いと腹を空かせた人とそれらの人人が吐き出した紫煙が充填中。相変わらず殺伐としている。給仕係りも息つく間もない。牛丼屋よりオペレーションが複雑だからね。併しこういう所で働く人も大変だな。日本の印象が悪くならないといいが。麦酒と日本酒を飲み、パラッとはしているが何だか味の無い炒飯を食べて帰る(1390円)。此のチェーンはもっと値上げをして味とサービスを上げた方がいい。デフレ経済からの脱却に貢献してくれたと日銀総裁にも褒められる筈だし。


5/6・日

いやしかし、例え国が滅んだとしても、お百姓さんが作物を育て、流通業者が其れらを運び、交通警察官が違反車を取り締まれば、世の中の相当な部分は回っていく筈である。何も困ることはない。徴税や徴兵が弱まるのだから却って暮らしやすくなるという側面もあるだろう。「国家(機構)の没落が不思議にも明るさを含んでいる」(藤田省三)のである。ただロシアという所には国家はあっても社会がなかった。だからソ連という国家機構が崩壊した時、未曾有の混乱状態に陥って仕舞ったのである。そして其のトラウマがあのような指導者を生むに至る。反政権デモでは千人からが拘束されたという。愈愈四期目だそうである。

連休最終日。晴れ続けて午後は強風。買い物以外の外出は無し。苦手な理科の予習をユーチューブで。便利な世の中には成ったが、こういう映像で勝手に勉強されると学習塾も飯の食い上げである。ただ画面の中の先生は無駄な話しをしてくれない。知識は増えるのだろうが知性というか教養というものに触れるのには矢張り生の講義が必要であると思った。

夜はゴーヤチャンプルーゴーヤは何処でも手に入るようになったが問題は豆腐だな。島豆腐が売っていない。其処でまあまあの木綿豆腐を数時間掛けて脱水したがまだまだ密度が足りなかった。薄い豆腐が多すぎる。豆腐業界も大豆の含有量を示すように基準を改めると聞いたけど、早くそうして貰いたい。日本酒は其れで良くなったのだし。


5/5・土

 終日晴れ。連休もあと僅か。偶には土偶君を尋ねようと思った。彼は町田に住んでいる高校の同窓である。となると少し時間旅行をしたい。橙隠学園に行って見よう。十時過ぎの田園都市線に乗り、市が尾で下車。思い出の駅前だが、高校生当時は寄り道も買い食いも居酒屋巡りもしていないから見るべき店も無く。先ず「魁力屋」で麦酒休憩。最近勢いがある京都ラーメンチェーンである。色色と御つまみ類があるのは有り難いが、肝心のラーメンはたれが甘めで味も足りない。背脂系としては「花月」の方が舌に合っていると思った。

 さてさて給油も済んだので此処から橙隠学園まで歩こうと思う。横浜上麻生道路をてくてくと参る。しばしば渋滞した此の道路も今は立派な新道が出来ている。勿論吾人は旧道を行く。此のくねくね道を超満員のバスで毎日毎日往来したものである(今では信じられない)。駅から少し離れると畑と本家と家作が点在。昔のままとは言わないが大した開発がされていない。何しろ最近は都心回帰だからね。三十分ほどで到着す。

 此の学園は所謂オープンキャンパス方式なので塀や仕切りがない(従って良く抜け出したものである)。校舎間近かまでズカズカ行って観察す。バスロータリー横の旧第六食堂は健在だったが、建物は解体と増築を繰り返しているからもう何処が何処だかよくわからず。三年次に通った「進学棟」という凡庸な名前の校舎はある筈なのだが。色色な思いもあるが現実の風景と重ならないから感動も少なめ。卒業からもう四半世紀である。其れにそもそも高等学校としては大き過ぎたし、先生の入れ替えも激しかった。どうしても人間関係が希薄になるから元元の思い出も少ないのかもしれない。それにしても橙隠学園グループは大学から博物館まで次次と建て増ししている。こんなに建てて経営は大丈夫なのだろうか。人口ボーナスで儲けた学校法人は軒並み苦しくなっていると聞いたことがある。

 さてさてとりつく島も建物も無かった時間旅行はここら辺で終了。がらがらの小田急バスで柿生へ。相変わらず駅前はぐちゃぐちゃ。此れは鉄道会社の違いというより横浜市川崎市の整理能力の違いだな。続いて町田に移動。土偶君と会う。実に二年ぶりだが概して元気そう。暢気に生活している人は老化しないな。まず立ち飲みBへ。立ち草臥れたので「キリンシティー」へ避難。色色と思い出話をす。彼はあんまり酒が強くない。都合三時間ほど過ごしてお開きとなった。

復路は新装相成った小田急線で。快速急行で一気に下北沢を目指す。川崎側は相変わらずの地上線で少しもぱっとしない。都内の複複線区間も何だかもたもたす。此れでも改正前より少しは速いのかな。乗ったのがサハだったからか実感は乏しい。地下駅からのろのろと這い出してバスに乗り換え。太子堂で下車。「魚孝」で刺身、「西友」で五目あんかけ焼きそばを買い、両家人と猫に供す。一万七千歩。


5/4・金

 辛うじて宿酔は無し。朝から富士蕎麦ラーメン。終日かんかん照り。但し空気も乾いて結構爽やか。買い物は二便。昼はオリジン弁当。夜は東急ストアー。

イチローさんは事実上の引退。而も不可思議な役職を与えられて大リーグに残ることに。中日に来ないのかな。名古屋に来ればあと五年はグラウンドに立てるのに。割と頑固なタイプだから、人間万事塞翁が馬という感じにはならないのだろう。


5/3・木

 朝方は本当の嵐。以後回復す。何だか夏の陽気。午後外出す。日比谷で御酒を飲むことになっている。まず目黒通りまでたっぷり歩く。郵便局前から98系統に乗車。此のバスは世田谷等々力から東京駅まで行く。以前は都営と交互運転だったが何時の間にか東急の単独運行となっている。目黒駅を越え、堂堂と山手線の中まで入って行く不思議な路線。戦後復興期の通勤急行バスの名残りだと何かの本で読んだ記憶がある。東急としても手放したくないのだろう。何しろ社名が東京急行だからね。

日比谷の公園も大変な人の出。予約してあった「サロー」というビアレストランに入る。参加者は鷺乃間君、坪上君、そして月波君。本来ならば社崎君も誘う筈だが、何しろ彼は固定電話しか持ってない。葉書を書くか、直撃電話を掛けよう掛けようと思っている内にとうとう当日になって仕舞った。今時メールもラインも出来ないというのは周りに迷惑を掛けて仕舞うし、本人の世間も狭くすると思った。

店はビアガーデン風の造り。風が少し強かったが、外で飲むと気持ちがいい季節である。音楽堂ではロックコンサート。詰まりBGMも生演奏。飲み放題にしたから元を取ろうと散散の大量飲酒。続いて新橋に移動。何だか意識混濁、言語不明。人事不省になる前に吾人は自動帰巣装置が働いて途中退席。銀座線が工事で運休しているので都バス渋谷に出て帰った。


5/2・水

 朝から蒸し暑い。此れから五月の嵐だという。後先考えずに午後自転車出社。行って見ると教室が絨毯敷きになっていた。休み中、知り合いの内装屋さんに頼んでいたらしい(多分相当安く)。早速小さな子らが寝っ転がっていた。となると掃除が問題である。箒と塵取りでは仕事にならない。直ちに掃除機を買いに行く。店頭処分品を購入し以後轟轟と掛けた。いやしかし、やっていることは家でも職場でもまるっきり同じである。退社後は佐渡屋に。おじさんたちのボトルを飲んだ御蔭で千円で済んだ。多少降られて帰る。

 帰宅後「銀英伝」。主人公一行が国家主義者らに襲撃される回である。まあまあ再現されていて良かった。というのも此の三十年で世の中がすっかり右に折れて仕舞ったから、此の下りがカットされるのではなかろうかと密かに少少心配していた。また某一流芸能人はアルコール依存症らしい。併しアルコールと強制猥褻行為は一旦別に考える必要がある。酔ったからと云って女学生を押し倒すとは限らないからね。


5/1・火

 谷間の平日。元元火曜不出社。来年は三日あるが全部休みにして仕舞うそう。でも法案が成立していない。国会が空転しているからかな。また新元号は直前に発表されるのだという。カレンダー屋さんと手帳屋さんは気が気でないな。あと一年である。異様に暑く七月の陽気だという。取り立てて無為。昼はうどん、夜は冷凍の餃子

 

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