「手をつなごう 森と水とわたしたち」

シンボルマスコットの森っち

植樹祭に招待された

 きょう北秋田市(旧鷹巣町)で第59回全国植樹祭が行われた。主催は秋田県と社団法人国土緑化推進機構

 実は去年冬ごろ、私のもとにこれの招待の打診があった。県自然保護課からで、過去に自然保護指導員を務めた人を、被招待者として推薦したいとの旨であった。格好の日記ネタでありながら触れなかったのは、果たして本当に私ごときが招待されるか、いまいち確信がもてなかったからである。4月に、寺田典城秋田県知事と河野洋平国土緑化推進機構会長名義での招待状が届いても、実際に植樹祭に出席してみないことには、「この俺が?」と一抹の不安(というか猜疑心)がぬぐえなかったのである。

 で、いよいよ今日という今日、早起きして集合場所へ向かい、バスに乗り込むまで、やっと植樹祭参加がマジもんだったと思った次第である。なぜ参加できる(招待される)確信がもてなかったかというと、最近は少ないけれどなにかと私は体制批判じみたことを、雑誌や新聞などで展開することがあるし、そもそも自然保護指導員をクビになった(任命されなくなった)理由も、おそらくはそんな「余計な真似」が、県の上層部の癪に障ったからじゃないかと見当つけていたからだ。県が威信をかけて執り行う一大イベント、それも天皇夫妻を招いての式典に、私がふさわしいかどうか、ちょっと考え込んでしまったわけである。

 とはいえ、植樹祭の趣旨は森林保護・育成と、それへの関心を国民にもっと持ってもらい、活動を広げ、未来へつなげようというもの。私を排除するような狭量とは無縁であろう。排除だなんて野暮ったいなことはこの際考えず、半世紀に一度のイベントに招待された栄誉をありがたくいただくこととし、その模様をつづってみようと思う。

会場までバス

 集合時間は朝5時20分。これに遅れればアウトなので早々に起床し、車で集合場所へ向かった。出発地からは植樹祭会場まで3時間はかかる。秋田県内では一番に近い遠隔地だから、ゆっくりはしていられない。寝不足は致し方ない。

 5時55分出発だ。なんか5人ほど欠席らしい。寝坊したのか取りやめたのか。今朝は天気があいにくの曇り空に小雨もぱらついている。会場ではどうだろう。半袖シャツだと寒かったが、日中には気温もあがろう。

 秋田自動車道を飛ばし、大曲―秋田―能代と過ぎ、終点となっている二ツ井インターで降り、そのまま会場となる北秋田市の北欧の森公園へ直行だ。天気はこちらも曇り空。雨さえなければよかろう。風がほとんどないのが救いか。

 9時すぎに着いたバス調整地で結構待たされた。県内外各地から参加者を乗せたバスが、100台は軽く超えていそう。多くは私のような県内招待者で、これに県外招待者が加わる。政財界・報道・警護・合唱隊などなど、それぞれの持ち場を与えられ、植樹祭は否が応にも厳粛で、かつ盛大に行われることが実感される。

 かれこれ30分ほどのバス調整のち、やっと会場近くまでバスが達し、下車する。

もう始まってた

 広大な公園の木々の中をウッドチップを敷き詰めた遊歩道を歩き、ものものしいゲートで手荷物をチェックされ、金属探知機をくぐり抜けると、やっと本会場が見えてきた。「お野立所」と呼ばれる、皇族が臨席する萱葺き屋根が見えてきた。もう10時を過ぎている。式典はすでにはじまっていて、作家の石川好氏と建築家の安藤忠雄氏のトークショーが行われていた。

 やっと座席につき、一息。参加者は続々と入ってくる。もう始まっているというのに。

 雨谷麻世さんの歌のあと、プロローグである。秋田にゆかりの深い著名人3人――西木正明氏・内館牧子氏・明石康氏のリレートークにつづき、アトラクションと感謝状贈呈を経て、いよいよ式典の本番だ。

 特設モニターにでっかい車と白バイの車列が映し出されると、歓声があがった。車から天皇・皇后両陛下が降り、知事の案内で現れると参加者はいっせいに日の丸の小旗を振り回す。「お野立所」に二人が腰掛け、式典の開催である。

 天皇陛下の「お言葉」のち、主催者あいさつは河野洋平氏、寺田知事と進んでいく。天皇・皇后両陛下の「お手植え・お手播き」はブナやスギなどを、「お野立所」のまん前に植えていくのだった。あんなところに細い苗木植えたって、どう見ても邪魔では…。

 プログラムはどんどん進んでいく。歌や太鼓や踊りのアトラクションに、来年の会場となる福井県とのリレーメッセージと終盤。天皇・皇后両陛下の退席で、ほぼ終了である。もう正午を過ぎていた。

あわただしく帰る

 植樹祭参加は招待された側なので、昼食も食わせてもらえるのだが、待たされてやっと届いたお弁当はすっかり冷えていた。品書きは山菜主体でけっこうヘルシー。冷えていたとはいえ空きっ腹にはなかなかいけた。先導の役員さん「1時20分にはバスへ向かいます」という。おいおい、もっとゆっくりさせてよ。

 でも時間に追われているらしい。あわただしくご飯を食べ終えると、イベント広場へ走って買い物をする。いくつかお土産を買って座席にもどると、もう帰り支度をして出発寸前だった。買い物したのは私だけのよう。せっかくのお土産、ほかの人は買わないの?

 やれやれ、めったにない体験なのに、自由時間もないのかと苦笑しつつ、全員そろったところでバスまで歩いて向かう。なんでも30分ほど歩かされるらしい。

 歩きながら見る周囲のスギ林、きれいに枝打ちされて整えているが、それは会場周辺や遊歩道沿いのみ。ちょっとはずれると枝伸び放題の手入れゼロのスギ。人目につきやすい森はそこそこ手入れして体裁をつくろっているが、目の届かない森は放置。このザマなのだ。

スギを植える

 バスが見えてきた。降りたところとは別の場所。と、駐車場を行き過ぎ、林の中へ案内されていくと、そこが私たちの植樹場所だと。なんだ、俺たちも植えるのか。

 およそ15平方メートルの一角がわが班の作業場所らしい。担当者の説明どおりに苗木を植える。ってか、この苗木、スギじゃないか。

 「スギだけなんですか?」と尋ねた。「そうなんです」と申し訳なさそうに答える担当者。

 なにもスギを植えなくてもいいじゃないか。ブナとかミズナラとかクリとかホオがあるじゃないか。よりによって有害な花粉を撒き散らし、保水力の貧弱なスギを植えるのか。生長が早いからって、これ以上スギを増やしてどうするのですか。

 ああ、これでまた秋田の森は黒くなっていくんだな。秋の紅葉にはさらに黒いスギの森が映え、観光客をガッカリさせることだろう。

 スギなんて植えたくなかったけれど、しかたあるまい。スギ自体に罪はない。悪いのは秋田の森をいっそう黒くボコボコにしようとして恥じない連中なのだ。

帰路に想う

 一日のプログラムが終わった。バスへ戻って帰還である。午後には空も晴れ、腕や顔が日焼けに痛いほどだった。

 酔い止め薬で眠い目を閉じてもバスに揺られては眠れない。

 植樹祭の意義は森を育て、守り、ともに生きることにある。だがその一方で自民党政権は、森を壊し、山を削り、谷を埋めている。その実態はこの目で私自身が、嫌というほど見てきた。天皇陛下はじめ、知事も河野会長も、地球温暖化にからめ、森の大切さを説いていたが、こんな人工のニセ自然でゴッコ遊びするよりも、いま壊されつつあるふるさとの森をどうしてくれるというのか、明快な答えをいただけない。

 CO2削減、地球温暖化、ゴミの問題もたしかに大切である。でも、私たちを生みはぐくんできた、太古とかわらぬ自然が、いまにも自民党政府による「国策」にしたがって引き裂かれようとしているのに、なんの手も打たないで平気でいられる神経が理解できない。どことは言わないが、白神山地と遜色ない自然が、まもなく地図から消えうせようとしているのだ。

 植樹祭の最中、テレビ局記者から電話があり、取材は延期したい旨の連絡があった。きのうの地震の影響である。

 植樹祭、疲れました。