ブログ、一旦終了

コンサルになって、早3週間。

研究関連でまだやってることはあるけど、コンサル用に別のブログを作ったので一旦こちらは手仕舞いとする。読んでくださった方々、ありがとうございました。良い勉強になりました。

ざっくりまとめ

記事数

記事を書いた日:234日
記事数:275本

3年弱、書き続けた中で、275本なので、だいたい3-4日に1度書けてたということなんだな。昨年はあまり書けてなかったように思ってたので、予想に反して多い。

はてなカウンターのアクセス数

2011年:2,134(6月〜)
2012年:20,171
2013年:26,818
2014年:11,548(〜4月20日現在)
合計:6万ちょい(ぱっと見)

JSPS絡みので一度アクセスが増え始めて、その後もアクセス数は増えてるみたい。結構な割合で自分のアクセスも入ってそうだけど、6万のPVがあるってのは喜ばしいことだ。良くも悪くも、参考になってれば幸い。自分なりに研究生活・大学院生活を通して思ったことや学んだことを書いたので、今後も誰かの参考や役に立てばいいな、と思う。


反省するとすれば、もう少しホッテントリになるものを書きたかった。需要を捉えて、ガッと行くような記事が書きたかったな。

今後

コンサル用に作った方のブログで、仕事に関連して思ったことを書く。内容や考えることはたぶんそれほど変わらない。考えるための材料が変わることになるんだろう。


あと、研究については、まだ論文になってないデータや、書きかけの総説、翻訳しかけの一般書など色々とある。このブログの中にも、書きかけの下書きがたくさんある。なので、関連したところで時々は書くこともあるだろうと思ってます。

無策が最高の策

聞いたことあるようなないような、な言葉だけど、先月身にしみてこれを学んだ。


たいていのことは、準備ができるし、準備に意味がある。けれども、人のコミュニケーションにおいては、準備をせず、その時自分が思ったこと・したいことをそのまま伝えていくのが一番な時もあるんだと思う。

無策じゃない、準備してる場合の例

「この話はわざわざ電話するほどのことではないな。今度そんな話になった時についでに話してみよう」


ということもあれば、


「わざわざ電話すると、こっちが重要視していることが伝わっちゃうから、敢えてさりげなく打診してみよう」


こんなことも普通にあることだろう*1。これくらいで良くできる状況であれば、みんなしてるだろうし、良い準備なんだと思う。けれど、本当に大事な場面で駆け引きや交渉にハマると、全く望んでいない状態を招くこともあるんじゃないか。その時に役立つかもしれないのが無策。

大事な相手とのコミュニケーションは無策が良いかもしれない

無策が最善って状況は、それなりにレアケースだと思う。けれども、今は、「大事な相手とのコミュニケーションでは、無策を基本にする」ことがベストなんじゃないかと思えてきてる。

無策のフレーム化

無理やりフレームにしてみると、
「大事な場面、大事な相手とのコミュニケーション」において、「相手の意志・自分の意志を大事にし、駆け引きも交渉術も使わずに、双方を尊重して落とし所を探すとき」に無策が役立つ(かもしれない)。


相手が準備してあれば、それは伝わってこっちも疑心暗鬼になったりする。こっちが準備してあれば、相手も疑いを持つかもしれない。結局、駆け引きや交渉術に落ちていく。これって、ゲーム理論のジレンマに似てる。


どちらかが疑ったり、出し抜いたりすると片方に不利益が生じる場合、互いに疑心暗鬼に陥る。けれども、双方の最善は「互いに信じあう状況」からしか生まれない。そんな時。

心を強く

双方が信用しあう、そんな状況は始めから生まれるわけじゃない。「互いに信用しあおうぜ」、そんな呼びかけも、結局は、「いつか出し抜かれるかも」と、さらなる駆け引きと疑心暗鬼を生む。問題は、人の心が弱いこと。出し抜かれる不安、何かを失う怖さ、そういう弱い心は、ついつい駆け引きやなんやに人の行動を駆り立てる。


「相手を信用する」のは、自分から始めるしかない。自分も相手も、そんなに心は強くない。けれども、弱い心のままではジレンマにハマる。双方に不利益が生じる。


強くあろうとすることはできる。その瞬間、大事な一瞬に、勇気を出すこと。言うべきを言い、するべきをする。弱い心に負けず、そういう一瞬をしっかり積み重ねていく。


事後になって、「あんなことしちゃって結果がダメになったらどうしよう。準備しといた方が良かったんじゃないか。」、そんな気持ちが出てくるかもしれないし、実際に結果もダメになっちゃうかもしれない。けれど、少なくとも、その「大事な一瞬」に「するべき」と思ったことをできた自分には自信を持っていいじゃないか。


結果はともかくとして、どんな結果であれ「自分がするべきと思ってしたことの結果」であれば、許容可能なんだと思う。なにより、その瞬間に、「双方のベストを思ってするべきと思ったこと」をしているなら、それで出てきた結果もベストなものになると信じるしかしょうがないじゃんか。

自分のためにも、心が強かった、という結果を残す

短期的に見て利益がないとしても、気になるのは、長期的に見た時の影響。


「交渉・駆け引きの術を用いて、双方にダメな結果をもたらした」と一度でも結果が出てしまえば、「その時の自分」に失望するし、「今後の自分」にも期待しづらくなる。

まとめると

準備しない、ありのまま伝える、ノーガード戦法*2


最近、ほぼすべてのコミュニケーションがノーガード戦法になりつつあってちょっと不安。けどそれはそれで面白さもあるし勇気もいるししゃあないんだと思う。

*1:自分の場合は、思いついた時に伝えたくなっちゃうからガマンできないことが多い。その場で言わないと忘れて言わずじまいになることも多々ある

*2:戦法になってないけど

これからの自分の課題

コンサルに入った

1週目からグループワークで就活中のジョブみたいな演習をして、早速終電に乗って、と、ガツンとくる過ごし方をさせてもらってる。本当のインパクトや価値が求められるプロジェクト以前にこんだけだと、本番のことが不安になってくるぐらい。ともあれ、工夫するなり、結果を出すしかないので、頑張ってやっていこう。

やりたいこと、やりたい理由

これまでの自分はそれなりにエネルギーあふれる感じで色んなことをしてこれたと思う。少なからず他の人にはできないことをして、他の人には出せないバリューを出してきた*1


振り返えると、そのエネルギーの源、やりたい理由は

  1. 自分にしかできないことに感じる使命感
  2. やりさえすれば、どんな結果であれ、面白い
  3. あからさまに「やれば面白いし、大したコスト・リスクもないのに誰もしてない」というホワイトスペースが見える*2


という3点ぐらいにあった。「俺しかやる人はいないから、俺がやらざるを得ない」、「結果はどうなろうと、やれば面白いやん」、そういう複合的な気持ちでやったことばかり。


ある意味では、その辺の状況判断と決断に由来するオリジナリティとかインパクトだったのかもしれない。

この辺はどっちでもいいこと

けれど、実際のところ、この3つって実はどっちでもいいこと。


誰もしていないことってのは、研究では最低限のマナーみたいなもの。けれど、実社会では、「真にオリジナルな仕事」は必ずしも必要ではない。インパクトがあればいい。


やりさえすれば面白い、ってのは、結果には責任取るつもりのない、ある意味では保険をかけた考え方。


ホワイトスペースに飛び込むってのも、純粋に「やりたいこと」ベースな考えではなく、ただ見えてるところに行ってるだけ。


どれ悪くはないし、かけてきた情熱と行動の量は、ある程度人並み外れたところもあったと思う。それなりに結果も伴ってる。


けれど、たぶん、周りの人を見て、「この人スゲー!」って思う人は、そうじゃない「やる気」で動いてる。

これからの課題

自分しかできない、そんなのどうでもいい。もちろん、「誰でもできること」にはそれほど意味が無いと思う感覚は変わらないけど、そこにこだわる重点があるとイマイチ。


結果に責任を取らない考え方は、きっと、「結果への執着」、「物事への執着」を薄れさせる。「やることそのもの」に意味があることはこれからも続くだろうけど、これからの仕事ではさらに、「結果への執着」を持ちたい。


ホワイトスペースってのは、戦略的には必要なんだと思う。ただ、目的とする対象がない中で戦略があっても、それは大した結果を招かないような気がする。


もう一つ加えれば、これまでの自分は、「先がある程度見えてる範囲」での挑戦しかしてこなかった。「やれば面白い」、「ある程度のインパクトが残ることが見えてる」。そういう、保険のかかってる状況。*3


オリジナリティが出るかわからない、結果が出るかもわからない、けれど、どうしてもやりたい。そういうところで面白いことをして、結果を出せるように努力してみたい。

まとめると、「やりたいこと」を見つける

今までの自分は「やりたいこと」ベースでなく、「やりたいプロセス」ベースでやってきたと思う。物事が面白いってよりも、やること自体や自分にとっての新しさに焦点があった。


例えば、創薬は、完全に結果が大事な世界。どれほど良いプロセスへの関わり方をしようと、薬ができなきゃ意味がない。そこにあるのは、「なんとしても薬を作る」っていう気概なんだろう。先が見えなくても、やる。結果として、一つも新薬作りに関われずに終わっていく人も多い。けど、それくらい先が見えないところだからこそ、怖さと闘いながら、真っ暗な中を進む努力がかっこいいし素敵。


自分がこれからコンサルで勉強しながらやりたいのは、「結果が全然わからないけど、そこにただ情熱を傾けたい、そういうものを見つける」ということ。「いざとなったら、命さえあればなんとでもなる」と思えてる今だから、こういう精神性を活かすためにも、そういうのをしたい。


もう一つの課題は、物事の観察力と人を見る目を養うこと。

*1:こういう時コンサル用語も便利だな。

*2:喫煙室のスモーカー仲間で飲んだら面白いに決まってるし、幹事さえ誰かがやれば飲み会できるじゃないか

*3:保険がかかってると、心には優しい。けれど、自分がしたいのは、「心も体もめいいっぱい動かして、動き続けること」だろうから、もっとダイナミックに心も動かしたい。

愚痴と言い訳を言うなと。

愚痴と言い訳するけど

そんなん聞きたくないんだよなー。と思うことが多い。


「できなかったのはこういう理由があったからです」。じゃなくて、「その理由をどうつぶすか?」が大事なんじゃない?問題があるなら、そこを議論しようよ。んで、先生まで俺に愚痴ったり言い訳したりしなくていいじゃないか、と。


研究者なんてやりたいことをやってるはずじゃないか、いくら雑用が多くても、愚痴・言い訳をいう暇があったらそれを減らす努力すりゃいいじゃん。


いやならやめればいいじゃん。言い訳するより何とかする方法考えるのが仕事じゃん。そんな風に単純に思ってしまう最近。

愚痴と言い訳の効用

と言いつつも、やっぱり吐き出すのは大事。その反面、精神防衛ばかりになっちゃって言い訳ばかり考えるようになったら元も子もない。



自分もコンサルし始めたら愚痴りたくなることが増えるだろうけど、愚痴りたくならないように気をつけよう。言い訳するヒマあったら前進できるように考えよう。

マネージャーの立場・上の立場、を下から見ると

学生じゃなくなっちゃった

卒業式を終えて学生証も返し、後は1日から新社会人になるのを待つのみ、な無所属状態。
このブログを堂々と書けるのもあと数日なんだけど、思えばまだ今年の目標すらアップしてない。こんな自分だしまだまだ大学院のことで書いてないことがたくさんあるので、そういうのは書いてもいいのかなー。


ということで、コンサル&研究共通の話についてひとつ。

マネージャーの立ち位置

コンサルにおけるマネージャーと、研究における准教授&助教(教授も)の立ち位置はだいたい同じだと思う。下っ端の学生・アナリスト目線で見た時の「マネージャー」のふさわしい認識はこんな感じじゃなかろうか。


・マネージャーが仕事を振ってくるけど、どれもマネージャーが自分自身でできる仕事である
・その仕事のスピード・クオリティのいずれも、マネージャーがやったほうが早いし良い。
・けど、マネージャーの仕事は、「マンパワーとアウトプットのマネジメント」であり、全てを自分でやればいい、というわけじゃないから、敢えて「仕事ができない下っ端」に仕事を振っている。
・だから、下っ端が炎上したりいざとなったら、「自分がやればちゃんとやれる」、「自分がリカバリーできる」と思っている。それを前提として仕事を振っている。

下っ端の仕事

マネージャーがやれば速く良くできる仕事を振ってもらっている。マネージャー目線で言えば、「俺がやれば1時間でそれほど大事な仕事でもない。あの新入りに任せるなら、大きなヘマをせず5時間ぐらいでやってくれればいいか」みたいな感じだと想像する。成長していくに連れてこれが、「俺が1時間だからあいつなら2時間」という信頼感になってきたり、「俺がやるべきなぐらい大事なところだけど、あいつにやらせてみるか、ダメだったらカバーできるようにデッドラインをきって任せよう」というチャレンジになり、果ては、「俺一人じゃ困っちゃうからあいつに手伝ってもらったらいいアイデア出てくるかも」、となっていくんじゃないかと思う。


だから、下っ端としての第一段階の目標は、「まずマネージャーレベルのスピード・クオリティに近づくこと」。その次に、「マネージャーを超える仕事をすること」。


いきなり総合力で追いついたり追い越したりするのは無理なので、現実的には、「短期間で手を動かすスピードでは負けないようにしよう*1」、だとか、「多少時間はかかっても丁寧さ・正確さでマネージャーをうわまれるように頑張ろう*2」みたいに、一点突破型な目標がいいんじゃないか。


コンサルの場合、プロジェクトごとにマネージャーが変わる。最初のうちに、その時々のマネージャーをよく見て、「その人の弱いところでバリューを出しに行こう」とか、「マネージャーの強いところはガッツリぱくるようにしよう」みたいに使い分けれたら良さそう。

下っ端の宿命

自分の見解。


下っ端は、常に「いつか上を追い越すべき存在」であり、上は「いつか下に追い越されるまで、それに抗うべき存在」なのだと思う。下っ端には負けじと頑張って、でも、追い越されたらちょっと嬉しい、そんな感じだと、上としても下としても気持ちいいじゃないか。逆に、そうじゃないと、世代を経るに連れてどんどんダメになっていくような気がしちゃう。


なので、下っ端としても、戦略的に上から学び、上を追い越していきたい。だからこそ、どんな業界であれ合言葉は、「上を食う」であり、「老いぼれを駆逐する」なのだと思う。

*1:クオリティが多少低くても手数でカバーしにいく前提

*2:最低限のスピードを維持しつつ

博士課程でしておけばよかったこと

メンタル大事

ここ1年近く、家のことで本当に色々あった。かなり追い込まれてた時もあったし、なんとか自分なりに乗り越えてきたんだと思う。で、ここ1年でウツにならずに済んだ以上、今後もウツには無縁でやっていけるんだろうと思ってた。


で、昨日はボスと卒業した後輩(製薬勤め)の三人で飲んだ。その時に気づいたのは、「ここ1年、追い込まれてる時でも、常に自分がしたいことを無理やりねじ込んでやってきた。目の前の状況に流されるだけじゃなかった」ってこと。たぶん、「目の前に対応するだけで一杯いっぱい」になっちゃうと、ウツとかにもなりやすいんじゃないかな。


というマクラから、おもむろに、「博士課程でしておけばよかったこと」、後進の大学院生に意識してやってほしいことを書く。

コンテンツ

  1. 英語に触れる
  2. 研究者に気軽にコンタクトを取る
  3. 色んな分野を集中的に勉強する機会を持つ
  4. 研究・就活を含めて、色んな人に会う
  5. 日頃から周りにいる人とサシ飲みをする

英語に触れる機会を増やす

インターネットベースな話では、やっぱり英語の方が情報量がすごい。日本語で出てこないもので英語なら出てくる、そんなのザラ。研究では特に意識して、英語で検索したり、調べ物をするようにすると良いと思う。


あと、留学生がいたり、海外の学会に参加した時には、できるだけ多くコミュニケーションしてみること。失敗して元々、異言語の人と話せたら楽しいじゃないか。

研究者に気軽にコンタクトを取る

潜在的にコラボレーションする可能性のある研究者って実はたくさんいる*1。アカデミックなディスカッションだけでもいいし、互いにやってることを話せたりしたら、面白いし間違いなく勉強になる。


ただ、「今知らない人だから」って理由でコミュニケーションしないのではなくて、「今は知らないけど、自分から見たら大事な人」であれば、その旨をそのままメールに書いて送っちゃえばいいじゃんか。
文献を送ってもらうためのメール - ある生物系博士課程大学院生の日記

色んな分野を集中的に勉強する機会を持つ

ここで書いたけど、「一つの未知の分野をふんわり知っておく」ことはものすごく、研究の価値を高めたり、研究者としてのポテンシャルを上げるのに役立つと思う。
短期間で一つをモノにする勉強のやり方 - ある生物系博士課程大学院生の日記


一つやるのに1-2週間として、大学院にいる間に少なくとも10個ぐらいは新しいことをガッツリ勉強する時間があったな。やらなかったけど。

研究・就活を含めて、色んな人に会う

研究では、他の大学の先生に、「君の研究なんて夏休みの自由研究ぐらいのもんだね。もっとレベルの高い研究しなよ。勉強勉強。」と痛烈に批判してもらったり、あるいは、「創薬ってめっちゃ楽しいんですよ!」ってな姿を見せてもらったりした。


就活関係では、最終的に行くことになったコンサル業界の人にも多くお世話になって色んな話を聞いた。コンサル以外でも、某IT企業のジョブにいって事業会社の考え方や、コンサルと全然違うところを学んだりもした。



何を学ぶかは、相手次第、自分次第だけど、間違いないのは、「自分から会いに行かないと、誰も教えに来てはくれない」こと。その点、学生は「@@大学の学生で、おたくのような研究/事業に興味があるので誰かお話しさせてください」というだけで、チャンスがゴロゴロ転がり込んでくる特権階級。「今日も朝から晩までがっつり実験ですよー」みたいに研究や研究してますアピールばっかりしてないで、他のこともしっかり考える、世の中のいろんなことを勉強する。それが結果的に研究の肥やしにもなる。そういうほうがかっこいいと思う。


就活を始めて4ヶ月たった。内定ももらったので、振り返ってみる。 - ある生物系博士課程大学院生の日記
思考とは、自動思考から一歩先に進むこと - ある生物系博士課程大学院生の日記

日頃から周りにいる人とサシ飲みをする

これは今まさに痛感していること。追いコンの時期だからこそ、面白いってのもあるけど、研究室にいると、やっぱり深い話をする機会はあまりない。その点、普段から人を誘ってサシ飲みをしてたら、刺激もあるし勉強にもなるし、なおかつ身近な人と飲むのはいつでもできる。絶対オススメ。

今日は麻雀とサシ飲み

てなところで、昼から後輩たちとセットで麻雀してくる。終わったら夜はサシ飲み。この時期ならではのスペシャルな毎日だなあ。

*1:少なくとも自分の場合はそうだった

独り身になった

大学院生活も残り1週間で、昨年からここまでなかなかにまっとうじゃないcrazyな生活をしてたけど、ついに大きな所に一区切りがついた。


2011年に結婚して、2014年の今月、再び独り身になった。


昨年5月からずっと色々ありすぎて本当に嫁さん子ども含めてみんな大変だったけど、ようやく一段落。これからは別々にいたほうが幸せだろうという結論が出た。元嫁さんと子どもとは別々になってしまうけれど、今後の二人の幸せを祈りたい。


結婚生活を振り返ると、自分にもっとできることがあったのかなあ、と思うけれど、今回出た結論はお互いがベストを尽くした結果なんだと思う。過去をグチャグチャ言ってもしょうがないってのはわかってるし、次に向けて頑張っていこう。

学生結婚のメリット・デメリット

元から「自分の人生はそんなにまっすぐな道のりにならなさそう」と思ってた。で、学生のうちでも結婚してくれるって人なら、その後の人生でいろんなことがあっても一緒にやっていけるんじゃないかという考えもあって結婚に至った*1。結果は伴わなかったけど、コンサルになると変なバイアスがかかりそうだよね。


家事や子育てについて、自分が学生のうちに子育てができたから、嫁さんが仕事に行く平日でも自分が保育園を休んだ子どもの面倒を見たり、病院に連れて行ったり、ってことができた。そうやって世話をするのもあって、余計子どもがかわいかったし、よくなつく子になってくれた。
今後、社会人になって再婚して子どもができても、きっとこんなことはもう二度とできないんだろうなーと思うと少し残念。


最後にお金の件。学振研究員と言っても、授業料を払えば10と数万円しか残らない。お金がたくさんあって悠々の結婚生活ができるわけじゃない。この辺は無視できない大事な話だよね。

*1:4月からそうなるように、「コンサルで給料高いから」みたいな理由でついてきてくれる人だとその後が不安