なんでマニュアルなんか、と母は言った

4月、車を買った。マニュアルの軽自動車、ターボ付きだ。母は僕の車を見て「何で今更マニュアル車なんて……」と呟いた。

僕が車が欲しくなったのは、去年の秋頃のドライブがきっかけだ。「このままじゃ僕たちは腐ってしまう、つくばに根が張ってしまわないうちに、脱出せねばなるまい」と友人や先輩達らと集まり、二台に分乗して首都高を駆け抜け、葛西臨海公園までたどり着いた。深夜11時、海の向こう側の街は海にその偽りの姿を映し、そびえ立つ観覧車は闇に飲まれてっぺんまで見通せない。暗い中男4人で歩く僕たちの他にはカップルが数組居るだけだ。


「今のカップルトイレ入ってたぜ」
「なかなか出てこねえな……ヤッってるんじゃね?」
「男子トイレだっただろ?お前入ってこいよ」


ふわふわと接地感のない芝生の上を僕たちははしゃぎ走り回る。足が地に着いてない僕たちにはお似合いだな、と笑い合う。


「トイレ、入ってったらすぐ出てきたぜ」
「まじかよ、顔赤かった?」
「わかんね、でも流石に早すぎだろ、ソーローだよソーロー」


ケラケラと笑いながら、懐中電灯と双眼鏡を抱え僕たちは駆けた。カップルを双眼鏡で眺め、薄暗い相手の顔を懐中電灯で照らし、海を眺めた。


「もう、帰りますか?」
「いやあでも、この時間は青春そのものだよ。まだ、帰りたくないね」
「じゃあ、もうちょっと行きますか」


僕たちはそのまま奥多摩を目指した。首都高のライトが僕たちを照らし出し、まるで祝福してくれているようだった。僕は、先輩のコペンの助手席に乗っていた。


「やっぱり、自分のしたいことをしたいときにする、それが一番の贅沢で一番の楽しみなんだよ」
「そうですかね」
「やらなかった後悔より、やった後悔ですか」
「そうそう」
「告白しなかった後悔より、告白した後悔の方がマシ、だったりもするんですかね?」


先輩は静かに一速落とし、アクセルを踏み込んで車を駆った。小さなコペンは吸い付くように道路を掴み、4気筒のエンジンは滑らかに吹き上がる。友人の赤のヴィッツを射程に入れ、抜いた。


奥多摩までの道は険しかった。木を、森を掻き分けて僕たちは登る。ぐねぐねと曲がるカーブ、文字通りのセブンーイレブン。世界から僕たちは切り離されたように感じた。それこそが自由なのだ、と思った。


「そろそろガソリンやばいねえ」
「トイレ、行きたいですけどコンビニあります?」
「あってもやってないよこれじゃ……」


アイフォーンでコンビニを探そうとしても、電波は圏外。ため息をついて車を路肩に停める。あとから付いてきたもう一台も、その後につける。


「トイレないけど、ここでしちゃう?」
「この谷に向かってしちゃいます?」
「ああうん……だめだ外で立ちションとか、出てきてくれないわ……コンビニ探しに戻ろう」


そうして僕たちは今来た道を戻る。奥多摩たどり着かなかったけれどいいんですか?と僕が問うと、先輩は辿りつけないことが分かったから、それでいいんだよ、と笑った。


そして4月。僕に車が来た。7年落ちでマニュアル車、軽。僕のイメージの中の大学生にぴったりの車だった。もっといい車が安く買えるだろうに、と渋い顔をする母に、僕は言った。


「大学生は、オンボロの軽自動車をヒーコラ言いながら転がすものなんだよ」


いつの時代の話や、と母は鼻で笑う。それにターボ車なんて拘るからオンボロなのに高くなるんだよ、と言いながら僕の車の運転席に乗り込む。僕は、中央道は坂道が多いからね、ターボ付いていないと辛いんだ、と苦笑いしながら助手席でシートベルトを締める。僕が小さい頃、オンボロのターボな軽自動車に乗っていた母が、煽ってきた車を先に行かせて煽り返した姿が、頼もしくも格好良かったからだなんてことは、僕は口にしない。


久々の母のマニュアルの運転は、思っていたよりもスポーティーで荒々しかった。

お知らせ

筑波大文妄」第十五回文学フリマ参加予定です!
2012年11月18日(日)、東京流通センター 第二展示場にて開催です。
共同主宰のPetaHzくんと共に、id:Delete_Allさんやmmr346くんGraviton(井上)くんを迎えた豪華メンバーでお送り致します!

……まあ、まだ抽選の結果待ちなのですけどね。追って公式サイトなどで連絡致します!