か……かわいい……?

デカキャラが衝撃的だった「ザナドゥ」


 私の場合、親が業務でPCを使ってなかったから、PCゲームの思い出っていうと、ほとんど友達のところで遊んだ記憶、ってことになるなぁ。それはさておき。

可愛らしい主人公に反して難易度は高く、特集を組んだ雑誌は売れ行きを伸ばしたとの話もあります。


 うーん……? イースみたいに主人公にフォーカスも当たってなかったし、ザナドゥの主人公に「可愛い」っていう印象はあんまりなかったな……。

CD&Dと「称号」

 昨日のエントリの続き。


 メディアワークス版(エンサイクロペディア)以降記述が削除されたということは、「称号」は不要なルールだと判断されたということなのかもしれないが、私の当時の鳥取では結構使用頻度の高いルールだった。何に使うかというと、名乗る時に使うのである。

 TRPGにおける自分のPCは、自分のレベルを自覚しているわけではない。戦士だという自覚はあったとしても、レベル3なのか8なのかについては自分では分からない。しかし、かといって駆け出しのレベル1の戦士と、ネームレベルのレベル9の戦士が、同じように「自分は戦士だ」と名乗りを上げるのでは、相手の力量の想像がつかない。とはいえ、普通に考えて、対峙している相手がドラゴンを打ち倒すほどの戦士なのか、それともゴブリンにも負ける程度の戦士なのかは、熟練の同業者ならある程度推察できるはずだ。
 そんな時、自分の「職業」と「レベル」を客観的に表現するのが「称号」だ。「レベル6の戦士だ」と名乗る代わりに「ミュルミドン(剣士)の称号を持っている」と言えば、お互いの力量が分かるというわけだ。逆にいえば、レベル6相当の実力がなければ「剣士」と名乗ってはいけない、ということになる。
 私の当時の鳥取はメタ視点を嫌うプレイヤーが多く(私自身も好きではなかった)、フォーチュンクエストのように「自分はレベル11で〜」と言ったりするのに抵抗が強かった。レベルアップおめでとうの歌など論外である。そういう鳥取なので、PCの称号はいわば、ダブルクロスでいうところの「カバー」、つまりPCの生業や社会的立場を表すものとして重宝していたのである。

 だから、版上げで称号のルールがなくなった時一番不思議だったのは、他の鳥取では一体、PCはどのように名乗りをあげているのか、ということだった。まぁ、それをいうとソードワールドなどは称号云々以前の問題だったわけだが……(マルチクラスが多すぎて「冒険者」以外名乗りようがない)。
 ちなみに、何故称号ルールがなくなったかについては「シーフの称号が他に比べて酷すぎるせいでシーフ愛好家から苦情が出たせいではないか」と当時から半ば本気で思っていた。どのようなものだったかは、昨日のリンク先をご覧いただければお分かりになるはずだ(笑)。