07/12/28 (Fri)
■月のかさ、双子、終わらない話
イブの日、夜遅くに帰ってきていつものように空を見上げたら月に大きなひかりのわっかがかかっていた。
思いがけぬプレゼントのように、その景色はわたしから冷たい空気も重たい荷物も一瞬のうちに奪っていった。
できることなら友達に電話をかけて、今の月を見て、と言いたかったけれど封印されたみたいにそのことに満たされて閉じ込めてしまった。
神々しくて同時にほんのりまがまがしい、なのに堂々と打ち上げられた秘密みたい。
明け方にうなされた。
はっきりと起きているのに思考が絡まって夢のような妄想がとまらないことがまれにある。
バスでの窒息もその仲間。
今日私を困らせたのは赤毛のふたごの50歳くらいの女性で、ふたりは同時に私のなかから出てゆこうとして出られず、なのに私の忠告をききやしないのだった。
守りたいひとに守るものを送り、創ってほしいひとにちいさな世界を送り、ふたごのかたわれに秘密をおくる。
どんなふうに変わってゆくのかな。
今は恐れはない。
昔よりもずっとずっとつよく、やわらかになりたいと願うから。
■大阪、また京都、大阪、それから
銀閣寺の近くで抹茶シェークを飲んでいた私に友達から連絡があって、疲れていたらしい私は最寄り駅からすぐ大阪にむかってしまった。
大阪で合流して初めて、あら…そういえば私身軽だな…ということに気付く。
京都駅のロッカーに大きな荷物を預けてきたのをすっかり忘れていたのでした。
また電車で取りにいってその往復にぐったり。
CA4LAでどうしてもほしい帽子があったので見に行ったり(結局なかったけど)大好きな雑貨屋さんの本店に立ち寄ったり。
大阪は少し外国みたいだなぁ。いい意味で少しラフであまり他人に干渉しない…ように感じる。ひとに求めるよりひとを見て自分がどう動く、ということを考えているような。
まあでもこれも私の友達から感じることを含めての印象だから、限られたものなんだろうと思う。
ものすごく疲れた。
明日会社なんて信じられない。
でも楽しかったから大丈夫だ。
ごめんなさい。
でもありがとうね。
旅のあいだちょこちょこコメントを覗いて、うれしくなりました。
少しずつお返事します。
さて、明日からラスト一週間。
あっ、その前に、素敵なクリスマスをお過ごしください。
■池田満寿夫、銀閣寺
そうだ、銀閣寺に行ってみよう。ということでバスについて、歩く。
途中平安神宮に寄ると池田満寿夫の版画展をやっていた。以前から見てみたかった作家でもあるので思い切って入ってみる。
版画をやってみたばかりだから(版画というよりただの木彫りだったけど)こういう残し方をするには結構浅く彫ったんだろうなぁ、とか思いながら見た。一度やってみただけなのになんてずうずうしいんだろう。
色の選び方と配置が絶妙だと思った。あと汚しのタイミングも。
中期の作品が好きだ。
手の指の描き方や、やわらかい肉の中にときどき骨の突端を感じるからだのラインがいい。
この美術館には他の作家の作品もコレクションされていたので、そのことはまた。
ときどき来るバスを頼りに歩いていてふと不安になったので犬の散歩をしている街のひとに道をきいた。
そうしたらえっ?ここから歩くんですか?30分くらいかかりますよ、と言われた。だから、京都駅からずっと歩いてきたから大丈夫です、と言ったらやっぱりとても驚いていた。
犬が私のマフラーめがけてなんとか飛んでこようとする。目が、好奇心と優しさで満ちてる。こらこら、と怒られながらもぐいぐいわたしに構おうとする。
ひとが好きなんですよ、とその人。
可愛いけれど犬には慣れてないからついおっかなびっくりになる。鼻を撫でたら手をぺろんと舐められた。
そうだ、あの小さな川沿いに歩いていけばもっと早くつくかもしれない、と飼い主さん、思い出してくれる。
川沿いのほうが歩くのはうんと楽しいのでうれしかった。
20分くらいで銀閣寺へ。
地味な印象のお寺だけれどものすごいひとだかり。しかも徹底してこだわった見せ方をしているから道が細くて、ゆっくり写真も撮っていられない。なるべくペースを乱さないように歩く。
銀閣寺は太陽が昇ったら、苔の緑と土の茶と砂の銀に輝くお寺になるんだろう。湿った銀閣寺も素敵だったけれど次は晴れている木漏れ日の中の銀閣寺も見たいと思う。
帰りもまた鴨川を歩きたいなぁと思ったけれど、銀閣寺の庭の山を降りるときに足が少しがくがくしていた。朝の7時からずっと3時まで歩いたから当然なんだけどちょっとびっくり。
よく考えたらご飯もろくに食べてないし。歩いていると食べることを忘れる。
足が震えちゃって可哀相だったから抹茶シェークを飲んで、バスと電車で帰ることにした。
明日は大阪。
■鴨川で尾行され先回りされる
歩きながら、京都は碁盤の目になっていることを思い出して少し安心する。
まだ街は全然目覚めていない。どこもシャッターが閉まっていて、騒がしくしているのは鳥たちだけ。
雨がぱらぱら降っていてお堀やみずたまりに小さく波紋をつくっている。ときおり出会う、出掛けのひとは空をみて傘を持とうかもつまいかを思案している。
おねえちゃん、と声をかけられたので振り向くとおじさんが傘かしたろか?と言う。大丈夫です、ありがとうと笑うとおじさんはぴょんぴょん走っていってしまった。
鴨川に出会ったのでずうっと北へむかった。
川の方に降りて見上げたり、かもに目線をあわせたり、橋をくぐったり。
橋のしたにはかならずブルーシートでできたおうちがある。TVのアンテナがついていて選択物干しもぶらさがって、生活が整っている。
川のくらがりを見ると『IT』を思い出してしまう。闇を含んだ水は恐いのに、覗き込みたくなる。
あやしい灰色のサギのような鳥にまた出会った。目黒川でであったぺてん師みたいなあいつ。
ただまっすぐ立って、にせものの監視カメラみたいだ。
わたしが気付いてしまったことにやつも気付いたみたいで鴨川のところどころでわたしを見張っていた。
4度くらい遭遇したのだけれどそのたびにもうずっとそこにいたかのような顔をしている。
気配を隠してるつもりらしいけれどその動かなさが余計に目立っている。
なにが怪しいって、サングラスをかけていてX脚がぴんと伸びているところ。羽根をきしっと乱れなくたたんでいるところ。
本能寺まで歩こうとしたんだけどわからなくなったし足が痛いから三条でひとやすみ。
ひとりじゃなくても孤独のことを考える。
淋しくはない、ただこどくのこと。
■閉所恐怖症
バスが暑すぎて、眠れない。
ブランケットもマフラーも外して少しでもひやりとする窓に顔を近付ける。
そうか、暑いことじゃなくて私は今息が苦しいことでもがいていたんだ。
酸素が足りない。
窓が開かないバスでこれ以上息が苦しくなったらどうしたらいいんだろうと思うとさあっとからだが冷えた。
息がとにかく苦しい。
でもみんなすうすう寝てる。
だんだん恐くなる。
息が苦しくて、どこかに隙間がないか探すけど…隙間はない。
窓にてのひらをつけて冷たさを感じながら、そこから酸素がとりこめたらいいのにと思う。
狭いところにじっとしていなきゃいけないことが恐い。
息がうまくできない体勢を長いこと続けなきゃいけない状況が恐い。
息苦しくて汗すらでてくるのに、まわりのひとは何もかんじていないみたいだ。
たまに、夜中に受けた小さな不快はどうしようもないくらいの大きさで私を繰り返し襲う。
からだの内側のどこかが子どもみたいにぐずる。
けれど今はおとなだから、ぐっと歯をくいしばることもできる。
苦しい。ほんとに。なんで?
ちいさいころから私はわたしのなかの両極にいつ、引き裂かれてしまうんだろうと恐れていた。
はやく朝になって。
■色のうまれる
いつもより早く会社へ。
起きるとまだ真っ暗で、いつも私が居間にはいると必死に飛んでくるちゅんもまだ枝でぼけっとしていた。
藍色に紅が混ざりはじめた東の空は染めたての生地のようで、色がさらされてゆくのをココアを飲みながらゆっくり見ていた。
色が生まれはじめる朝と色が沈んでいく夕方とではこんなにも違う。
手紙書くぞ、って言われたときのあらゆる反応を想像すると可笑しい。
みんなにとってたった2回の私との出会いはどんなものになったんだろう、と思う。
ビデオを見ながらもう一度、なんだか泣きそうになった。
子供たちは知らないんだ、どんなにかたくさん、自分たちがもっているかということ。
そう思うのは決して、その時代をすぎたからこその傲慢ではないと思う。
どれだけのものをもっているか、彼らはしらない。
変わり得るということ、それだけですごいし、だからフリーでいてほしいとも思う。
まぁ、毎日接していたらそんな甘いことも言えないのだろうけど。
どれだけ自分が特別なものかを知らないのは決して子どもだけではない、かもしれないな。
■クロス×リピート
電車の窓に顔をつけるようにしてビルと電車の隙間の空を見ていた。
まだ駆け足に空の色が変わってゆく時間ではない。
けれど青空が見られることが少し嬉しくて。
ああ、こういう子供じみたことはもうひとには言うまい、とも思ったんだけれど、空の色に子供みたいと笑われたっていいじゃない、とまた塗り直される。
ちょうど私の進行方向とクロスするように、鳥が真上を飛んでいった。
ビルとの隙間はレールのはばくらいしかなかったから、ほんとうに一瞬のこと。
けれどほんの小さな偶然はしばらくわたしのこころを奪った。
同じレベルにいたら正面衝突なのに。
あざやかにすれちがった瞬間を何度もくりかえし見ていた。
■図画工作の時間
熱中しすぎて熱が出たり、あまぐりを食べたり、チョコをつまんだり。
木堀りをしたので指が痛くなったけど、木のかおりを嗅ぎながら削ってゆく作業は楽しい。
そのためにもついこの間そのかおりを知った桂の木を選んだのだった(でもあの独特のにおいは葉からくるものなのかもしれないな)。
日本代表の3位決定戦を見ているうちに終えられると思ったのに結局終わったのは決勝戦が終わってから。
ACミランとボカの試合、集中して見たかったけれどあんな見方も楽しかった。
ネスタが点入れたし!
私のなかでサッカーは1998年のフランスW杯で止まっているから、カカとかピルロとか、もっとよく見て知りたかった気もしたけど。
マルディーニはこれで引退になるのかな…。
デルピエロもまだだよね?←ミランじゃないし。でもいつもいつも心配なの。
出来上がりを母に見せたら「なんか色がぱっとしないわね」とひとこと。
おかあさんのはがきが足りなくなっても分けてあげないもんね。
■そして
好きなものがいっぱいつまったフィンランド。
フェリシアは元気かな。
風邪をひいていないだろうか。
いろんなことを文章にできたらいいのに。
昨日つくってみた年賀状をあげてみようか。
ちらっと見たものの、もったいなくてじっくり読めない。
どうしたらいいんだ。
霧に包まれた町のことを思い出す。
ぬかるんだ道を飛ばしながら陽気にはしゃぐサンナ。
急にあらわれる岩や、壁の影。
ひとりだったな。
でもひとりきりじゃなくて、ひとりずつなんだと思った。
決して折れないひと、ばかりだ。
人生は続く、よね。
ほんとだ。
■『幽体』
友達のソロ公演へ。
mixiってすごくて、そこでつながったダンサーさんがいっぱいいる。
そんななかのひとり。
以前から何回かやりとりをしていて、イメージとしてはものすごく静謐なものを創るのかしらと想像していた。
けれど表面的になにかをかむることじゃなく、静けさを内面が破り侵食して覆ってしまうというような…生っぽい作品だった。
たましいは無から、他に気付き、触感を得て感情を覚えて、どんどん外への領域をひろげてゆく。
同時に深く内面に降りてゆく。
照明が思いがけず劇的に(あの雰囲気のなかで私が抱くイメージより劇的に、という意味だけれど)変化するのは、喚起させられる外界とか、内面の変化…を表していたのかな。
だとしたらそこにある精神はものすごくピュアで痛みやすくもあり、思わずぎゅっと目を瞑ってしまうこともあった。
手が美しかったよ。
それから最初の片栗粉のような装置も素敵だった。
次も楽しみ。
■カレイドスコープ
見たり触れたりしたことに対して、今の自分の受け取りのブーム…のようなものだけでしか噛み砕けないことではもったいない、と感じる。
この2日間でたくさんの作品に触れたけれど、そのなかからなにを選びとるかということももちろん大事で、さらに、感じた全体の空気のようなものも覚えておきたい…けれどそれをうまくことばにするすべを見いだせないままに薄れてゆくことが、惜しいと思う。
思ったり、それでも一度この表面で触れたことなのだからそれでもいいのだ、と考えてみたり。
はしからひとつずつかたちにしてゆくしかない。
■ **
わたしのなかに、のどの乾いた魚がすんでいる。
でも何故乾いているか、その魚はしらない。
ことばそのものは感じていることに比べたらはるかに指し示す範囲が少ない。
わたしのなかにあるこのことはどのことばに換えればいちばん馴染むんだろう。どの単語がいちばん近い温度や色を持っているんだろう。
いつも迷っている。
いつも話すのに時間がかかってしまう。
そのひとは大きくて澄んだ、深い海のようだった。
たくさんのいきものをつつんでいる。
なにひとつおろそかにせず生みだされることばはたぶん、瞬時に選択されたものなんだろう。一番ふかいところからわきでてきたたくさんのことばから。
聞いているだけでここちよくて、ずれや、ひっかかりがなくわたしのからだの中にしみ込んでゆく。
あまり馴染むものだから頭を通過しなかったそのことばたちをかたちとして思い出すことが困難なくらい。
私はそのひとを、一番近いところから全身でみていた。
瞬きをすることもできずにただただ、受けようとした。
からだの中心、呼吸に近いところは締め付けられ、でもからだの中のたくさんの部分は世界にむかってひらかれてしまった。
そんなごちゃごちゃをそのひとのことばは丁寧に針で掬い、いっぽんにつなごうとしてくれているようだった。
友達を別にして、こんなに響き続けたことがあったかしら、と思う。
ことばの内容ももちろんだけれど私はそのひとの持つもの…辿ってきたこと、たいせつに育んできたこと、畳んでなかに仕舞ってきたこと…そのひとの存在に魅了されてしまった。
踊りを見る前にすでに恐いような気持ちになっていた。
ことばだけでこんなにすごいのに。
そして…
やっぱり踊った彼女はすごかった。
わけのわからない涙や息や、芯のちからや、そんなあらゆるものがからだから抜け出してしまった。
すごくすごく、楽しみ。
たぶん私はそこでは無力。
でもそれでいい。
気張ることなくただ染まってこよう。
冒頭のことばは、レニという哲学者のことばだそう。
このことばをきいて、おどったり書いたり、伝えたかったり…こうして生きていくことがそれ以外のなんの理由もないのだ、ということにまた近づいた気がした。
■もじがさわぐ
特別に好きな文章は、字のならびでわかる。
まるみがちょうどよいから。
ぱっと見ただけでその文字の色が見えるほどの感覚が私にはあるわけじゃなくて、温度のほうをむしろ感じるのかもしれない。
温度…じゃないかなぁ。手触り。
絵や写真にはそのひとがあらわれると思う。文章にだって。
だけどこの文章の配列…俯瞰図…手触り…?甘さ?なんと表現していいかわからないけど、それにもすごく特徴が出る、ような気がする。
私が感じるのはある特定のひとだけだけれど。
漢字とひらがなの配分かなぁ。それによる黒と余白のバランス…。
なんだろう。何をどう感じているのか自分でもうまく説明ができない。
そのなにかは日記でも、ちょっとしたメールやコメントでも同じ。
不思議なものだな。
不思議でもなんでもないのかもしれないけど、とおくからでもその動物の模様を見分けられるような感覚で、文章がわかる。
そのことにふと気付いた。
07/09/23 (Sun)
■それは生まれてくるどこかと似て
私にとって会話とは、いつも心臓をとくとくとはやうたせるものらしい。
うまくいかない会話では手のひらにしっとり汗をかいてしまうし、感覚のまま話せるときには逃すまいと気持ちがはやるし。
話すのがうまくないとずっと公言してきたけれど、たぶんそんなことを考える必要はないんだな。私に欠けているのは会話の巧みさよりもむしろ、向き合い読み取る感触であって、たぶん余計なことを考えれば考えるほどそこがぶれて余計汗をかいちゃうことになるのだから。
どこからか取り出した自らのものごとを、いつも自分のやりかたで差し出せばいいとは限らない。
だけどたいてい私は待つから、そうするとお互いにどこにも到達しないまま、表皮のところで迷うことになる。
そんな会話がいけないとも思わないけれど。
汗をかいちゃうのはそのずれであって、自分が伝えたかったことが伝わったか、という不安にすら到達していないそのこと。
チャンネルをあわせるのが遅い。チャンネル数が少ないのかもしれない。
その代わり周波数が合えば本当にどこでもないどこかで、感覚どうしが接する気がする。
会話も表現も、最後には相手に委ねるしかないのでだからこそその行方のことを考えるとたっぷり汗をかいちゃうのだけれど、導く術に長けるよりは、豊かに取り出せることや、瞳をみつめ続けることを考えよう。
今は、それでいいや。
07/09/22 (Sat)
■おもいこしをあげて
なんとなくひきこもりがちだった今週。
腰の様子はいつもと違ってすぐには全快しない。きっとずっと寝ていたからだろう。
動かなきゃ。
友達がUPした動画を見てリハーサルが着々と進んでいたことに少し、焦る。
リハーサルが進んでゆくその場所にいるということがどんなに大事か、よおく味わっている今回だからこそ余計に。
知恵熱も去ったし、ふんどし絞めて頑張るぞー。←体育会系ノリ?
幸いなことに見習いたいひとばかりがまわりにいる。
ほっとさせてくれるひと、ついて行きたいと思うような頑張りのひと、まっすぐな視線、日々なにかを生み出しているエネルギー。
強いことはやさしいことだ。
それが当たり前なことに、ときどき自分をへこませたりしながらも。
どんな場所に私が在りたいか、そのことを思い悩むまでもなく、思い悩む余計な時間もなく、ときには走っていいのだ。
感じたことや見たものをもっと、なにかにうつしたい。

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