アンチ・クライスト

2009年のカンヌで絶賛だったそうだ。フォン・トリアーの映像は素晴らしい。自然、とりわけ動物をモチーフにしたカットやシーンは秀逸である。エピローグの森に群衆が集まってくるラストも印象的で「タルコフスキーに捧ぐ」というメッセージで締められている。確かに仕上がりも繊細である。しかしながら、この救いようのなさは何だろ?あまりに意味のない性描写と残忍なシーンが続く。無意味以前にいちいち大げさで、それが気になって何だかいたたまれない気分になってくる。というか、恥ずかしい。これを見ていると、もはや映画で描写したり表現することはなくなっているのかもしれないと思う。映画の終焉が始まっていることを随分前から、いやフォン・トリアーが登場した頃から顕著になってるが、とうとうここまで救いようのないことになったいるのかと思い、絶望的な気分になる。映画に対する絶望と物語の倫理に対する無力感に苛まれる。これが衝撃だったとするなら、もはや映画に大した衝撃はない。

葵会

上野公園の葵会に関して、最も詳細に記述されているかもしれない本。
上野墓地部落は寛永寺凌雲院の墓地に住み着いた、いわゆるホームレスたちの居住地域。一時期は上野公園には2000人以上のホームレスが住んでいたという。
葵会はその中でも最も「自治」が進んでいた政治力のあった地域。葵会は寛永寺が徳川家の祈祷寺だったことにちなんでいる。

これ以上のことを知りたければ、行政文書に当たるしかないかも。

蟻の街の奇蹟―バタヤ部落の生活記録 (1953年)

蟻の街の奇蹟―バタヤ部落の生活記録 (1953年)

ロスト・ジェネレーション

ロスト・ジェネレーション―異郷からの帰還

ロスト・ジェネレーション―異郷からの帰還

ロスト・ジェネレーションは「失われた世代」。「さまよった」とか「迷いのある」とか「喪失した」といった感じで「ロスト」に多くの意味を見いだし、それに応じてさまざまな視点から「ロスト・ジェネレーション」にアプローチしている。

ペダルを換える

ペダルを換えたい。オリジナルのものはあまりにもshabby。クリップは欠かせないので、次の三点セットで交換しようと思っている。

まずはクリップ。何とタングステン製で仕上げよし。
TOE CLIP SUPER STEEL L(MKS)
[rakuten:senk1009:10000163:detail]

で、肝心なペダルはこれ。
MKS SYLVAN LITE 三ヶ島ペタル シルバンライト
[rakuten:qbei:10028167:detail]

つけるためのストラップはこれ。
TOE STRAP fit α SPIRITS(MKS)
[rakuten:bebike:10006000:detail]

仕上げはいずれまた。

選挙の経済学

今年の夏祭りは選挙になりそうである。本書は選挙が民主主義ににとってどれほどのものかという疑義を提示している。おもしろい。たしかに直感的にも投票行動にはどこか虚しさを感じることが多い。ほとんどの政治学者も同様である。経済が選挙という政治的なイベントにとってネガティヴな要素になることが多く、それがゆえに政治的な正当性や中立性はますます幻想にちかいものとなる。著者は別に民主主義を否定しているわけではない。否定しているのは投票行動が政策を合理的に選択することにはなっていないとする点である。民主主義の危機はこうした経済的な要素の位置づけやメディアの市場メカニズムとともに議論されなければならない。

選挙の経済学

選挙の経済学

懐中時計

[rakuten:montlibro:10001633:detail]
今消費意欲をもっともそそられているもの。それは懐中時計だ。もはや腕時計への「こだわり」はイケてない。時計というのは標準時という社会的な制度に参加していることである。腕時計はベルトに制度を「巻き付けている」感が強く、社会的な制度を巻き付けている気がして窮屈な感じがしてきた。そこで、懐中時計である。制度を掌中にしている感じで悪くない。そして、それほど高くない。懐中時計の分野はデザインや市場という意味でもまだまだ伸びる余地がある。