『きょーれつ!もーれつ!!古代少女ドグちゃんまつり!』

火曜日。シネマート新宿で『きょーれつ!もーれつ!!古代少女ドグちゃんまつり!』。

劇場窓口で「レイトショーを」って言ったら、「どちらのレイトショーですか?」と聞かれて(しまった!2本あるのかよ・・)「ドグちゃん」と口に出して言ったときの、気恥ずかしさと開放感と言ったらなかった。ちょい白髪の目立つサラリーマン然とした男が「ドグちゃん!!」と口にすることの素晴らしさについて考えた。

(余談であるが、この劇場では以前に石井隆の「『人が人を愛することのどうしようもなさ』1枚ください」と、窓口で言わざるをえなかった経験もあるので、なんとなく恥ずかしい言葉を言わされる劇場として記憶されるだろう。)

映画の前にトークショーがあって、井口昇監督、ドグちゃん谷澤恵里香さん、江口寿志の3人が登場。江口、井口両名による谷澤さんホメ殺し(というかホメてんだか貶してんだかわかんないけど愛情溢れるトーク)が面白かった。Twitterでの江口氏発言の意味は「みんなに批判されてもドグちゃんはオレが守る!」。感動。

映画。ドグちゃんのTV版の総集編という感じで、第1話と最終話を中心にダイジェストという感じ。これはもうDVDで全話観るしかないだろう・・というくらい良かった。ドグちゃんは、ひきこもりのマコトにとってのドラえもんであり、ラムちゃんであり、母でもあり、恋人でもあるという相当に面倒くさい役割のはずなんだけど、「ドグちゃん眠くなっちゃった・・」とか、「土っぽい湿ったとこが好き!」とか、天真爛漫な神様なので、観ていてほっとするというか癒される。

それがラストへ向かっては涙無くしては観られない展開になり、まさかの土偶ビキニの女の子が出てくる映画で泣くという有り得ない事態に・・。

そしてオマケ(というには余りにも豪華な)パイロット版ドグちゃん(=スポンサー向けサンプル)。あまりのニュアンス(笑)の違いに会場もドッカンドッカン笑ってた。マシンガールとかロボゲイシャ的なエログロ変態系ドグちゃんで、あんなにテレビで白目むいてもいいんだろうかと不安になるくらい、狂気のシーンが続く。これはこれで面白かったと思うけど、まあ完成したほのぼの可愛いドグちゃんを今は讃えたい。

特撮もの、連続テレビシリーズ、ということでオープニングムービーでもわかる通り「ウルトラセブン」的なストーリー(怪獣=妖怪は常に現代社会の何かを象徴している)で、その戦闘(=退治)には、いつも哀しさがつきまとう。でもドグちゃんアイスラッガーで敵を切り裂くんじゃなくて、「ドキドキウェーブ」で胸に吸い込んでしまうのだから、なんと愛に満ちた殺し方であることか。大人たちが、本気になって遊んで、本気になって作った馬鹿馬鹿しいお話は、こんなにも人の心を撃つのかと思った。

『丹下左膳餘話 百萬両の壺』

丹下左膳餘話 百萬両の壺 [DVD] COS-032

丹下左膳餘話 百萬両の壺 [DVD] COS-032

BSで放送していた山中貞雄特集『丹下左膳餘話 百萬両の壺』。29歳で戦死した山中貞雄の現存するフィルムからの放送。

1935年の作品なんだけど、なんというお洒落というかクールというか、ウディ・アレンかと思ったよマジで。会話は軽妙洒脱。セリフで言ったことと真逆のオチになったことを、言葉で説明せずにテンポよく次のシーンでトボケた感じで表現するあたり、現代の説明過多の映画が恥ずかしく思える。百万両の壷をめぐる単純なコメディなんだけど、出てくる人たちがみんな呑気でかわいらしくて、まさに江戸の人情喜劇。(どうでもいいことだけど、くず屋のオッサンが大泉洋そっくりで笑った。)

みんな野望があったりお金が好きとかじゃなくて、嫁さんの支配から抜け出したい婿養子のささやかな願望だったり、ただ居候してればそれでいい丹下左膳のオロオロした表情とか、映画全体から漂ってくる余裕とかユルさがとても良かった。75年前の人の考える面白さとか、映画的な語り口というのが今とそう違わないことにもちょっとびっくりした。