しまなみ海道に向けて
記憶によると、帝国宇宙軍最高司令長官は遅くとも700時には起床しており、余も745時ぐらいに起床した。本日は、830時より連邦政府連結子会社社長(Kei.K氏)の運転により、車によってしまなみ海道を観光することになっていた。その為、遅くとも800時には起床する必要があったのだ。
ほぼ定時に連結子会社の運行するしまなみ海道行きチャーター便に搭乗した。チャーター便には、運転手としてKei.K氏、助手席にマ氏が既に搭乗していた。我々2名は後部座席に乗り込み、総理の回収に向かった。総理は数分遅れてきたが全体の運行に支障がない程度であった。
車中では、帝国宇宙軍最高司令長官以外は大いに談話していたと記憶している。コンビニで総理が買い物をするものの財布を忘れる、総理が運転手へ運転妨害を繰り広げたなど詳細に記録することも無くはないが、控えておこう。
悲劇の誕生
トリビア、日本に島民専用のICがある。
来島海峡第二大橋には、島民が出入りするエレベータがある。原付、自転車、人間が輸送可能で、我々も視察を兼ねて島に降り立った。だが、ここで困難な出来事が発生した。降雨観測である。
降雨観測により、我々4人は来島海峡第二大橋に立ち往生した。だが、マ氏は本日15時の航空便に搭乗する必要があり、雨宿りをしている余裕はない。余とマ氏は英断を下し、来島海峡第二大橋、同第一大橋を走って突破することを決めた。我々は雨が降る中、約3kmを走破したのである。
悲劇であったが、これは大帝国と連峰の同盟関係を更に強固にする出来事であった。我々は悲劇を通じて、より強固な団結を生み出したのである。
市内〜昼食〜松山空港
市内で全員で食事。その後、マ氏離松を見届ける為に、松山空港に向かった。