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2010-12-09

[]長居青春酔夢歌

『長居青春酔夢歌』2009 監督:佐藤零郎 制作:NDS(中崎町ドキュメンタリースペース) 会場:Union Doc, Brooklyn, New York

公園を囲むフェンスに沿ってぐるりとブルーシートを張って、外から見えないように、野宿者のひとたちのテントが撤去された。

大阪市長居公園の強制代執行は2007年2月に行われた。

当時はニュースやブログで出来事を知って、強制代執行というもののおぞましさや長居公園の存在を知り、とにかくそれについて書かれる文字を追っていたけども、3年ちかくたった今、その長居公園ドキュメンタリー『長居青春酔夢歌』がブルックリンで上映されるというので、足を運びました。気持ちは半ばウキウキしながら。

強制代執行そのものについてのべることは難しいです。映画の感想だけでなく、あの日にあそこで起こった事をちゃんと知りたいけれど、ちゃんと知る、というのはまず無理だと思うから。当日公園で住まいを失われた(行政ときちんと話し合いをして対処する機会さえも失われた)人たち、野宿者の支援として抗議活動をした人たちがどんな気持ちだったかというのは、想像を絶しています。映画を見たあとにも、やっぱりそう思った。

でも、この作品は希望に溢れている。なんか見る前からそういうのは感じていた。(だからウキウキしてた)だってタイトルがそう言ってるでしょ?まさに、腹を割って語り合って、ぶつかりあう、という人間の関係そのものをドキュメントした作品だからだと思う。この映画を作った佐藤零郎(れお)さんは長居公園に住んでいた一人でもあるらしい。この一連の出来事を無言でカメラを通して記録する、という上に、仲間をよく理解しようとしている作者の姿勢が見ている者を引き込んで行くんだと思う。もっとも、映画の冒頭には、零郎さんの「共にいる仲間」としての姿がはっきりと見えるんだけど。

その衝撃的な冒頭部分も含めて、映画の「つくり」かた、もとても印象深かった。「音」と「無音」の行き来、真っ白な画面が、視覚と聴覚にショックを与える。その揺れ続ける詩的な構成がとっても良かった。だからといって、その「芸術性」が記録としての映画、というスタンスを壊しているわけではない。

テント村の強制撤去の場面を見てて、やっぱり目がいってしまうのは市から雇われた、ヘルメットを被って立っている男性たち。「終始無表情でおねがいします」というのも仕事の項目のひとつなんだろか。強制代執行の日、公園に住んでいた人達とその周りの仲間数人は、抗議のために「芝居」をすることになったらしい。どうして芝居をするのか、どうやってするのかまでの経過があるんだけど、誰にむけて、っていう話の中で、住人の一人おじさんが「当日、市からやってくる警備の人達に見てもらいたい」みたいなことを言う。もう、私はその言葉をめっちゃ感じてしまい、涙がドボドボドボと。

冷淡に,見て見ぬふり、ブルーシートで隠す、という行動が、あまりにも普通なこの社会で、見てもらいたい、という、メッセージを託す機会にしよう、という気持ち。あまりにも凄いと思う。無視しなければいけない、やりたくもない仕事をしなければいけない、とダイレクトに権力の下で働いている作業員たち。そして私も、無表情で仕事をこなす彼らの目に、舞台の上で大声出してるおじさんたちの姿がどういうふうに映るのかって思ったときに、ある種の希望を持たずにはいられない。

上映後には、この映画をNYにもってきてくれたNDSのメンバー後藤あゆみさんや作家の高祖岩三郎さんなどを交えてのディスカッション。公園と深いつながりのある釜ヶ崎のことも話してくれた。翌週の火曜日には、後藤あゆみさんによる釜ヶ崎の状況に焦点をあてたプレゼンテーションが違う会場で行われた。どちらも、とても意義深いイベントでした。中崎町ドキュメンタリースペースの活動が、とても気になっています。

ウェブサイトはたぶんこれかな。http://nakazakids.sakura.ne.jp/

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