ブエノスアイレス旅行記(その3)

さて、IOC総会で東京が2020年オリンピックを勝ち取ったその翌日。ブエノスアイレス最終日です。

まずは街に出て歩いてみます。

今まで旅行したどの街とも違うのが、アジア系の人がまったくいないこと。たまに見かけますが、ほとんどいません。世界のどこにでもいる中国人も見ない・・・。

一件だけ見つけた中国人の痕跡。

化粧品店?が中国人観光客を歓迎しているようです。でも他には中華料理店もなかったし、まったく見当たらず。

7月9日通りを歩いてコロン劇場へ。

世界三大劇場の一つで、オペラファンには有名なところらしいです。残り二つはパリのオペラ座とミラノのスカラ座。実はこちらは建物の裏側らしい。通りが後からできたので裏口を通っているのだとか。

そしてこれはコロン劇場のそばにある裁判所。

市のシンボル、オベリスコ。

見づらいですが、根元に横断幕がかかっていて「アン王女、私たちはあなたを歓迎しない。マルビナス諸島フォークランド諸島)はアルゼンチンのものだ」と書かれています。抗議活動中。イギリスのアン王女はIOC委員なのでブエノスアイレスに来てたんですね。

そのオベリスコの脇にあるコカ・コーラのネオン。

「私たちは東京の2020年オリンピック開催を祝福します」と書いてあります。仕事早いですね。

ふらふら歩いてショッピングモール(ガレリア)へ。しかし、300万都市の日曜なのに空いてます。建物の階数表記はイギリス式、日本の二階が "Primer Piso(一階)" です。

そして、車以外では初めて見た日本企業。

資生堂が地球の裏側まで。

車はトヨタとホンダが少しいる以外は、メルセデスベンツフォルクスワーゲンが主流。家電製品はサムスンかLGでした。

ホテル近辺まで戻って、南米独立の英雄、サン・マルティン将軍の像。

この写真を撮った直後、人の良さそうなおっさんに話しかけられます。こっちがスペイン語を少し、相手が英語を少し話せたので、チャンポンで会話したら、周辺の観光情報などを親切に教えてくれました。胸には赤十字みたいなマークを付け、英語も若干できたので、ボランティアの観光ガイドか何かかと思ったら、「実はドラッグから若者を救う活動をしてるんだ」とか言ってチラシを見せ、「寄付をしてくれないか」と言ってきます。

やられた・・・寄付金詐欺だ・・・。

ちょうど手元に10ペソ(200円くらい)だけ余っていてこれどうやって使おうかと思っていたので、もういいやとあげてしまいます。

しかし、そこまでやるか・・・。日本だったら、外国人観光客から小銭を巻き上げようなんて思う人はまあいないですよね。単純に貧富の問題なんですかねえ。そんなに割のいい稼ぎとも思えないけど。

午後からはバスで観光地めぐり。また五月広場に戻って大聖堂です。外観は工事中で中だけ。

ここの大司教が最近ローマ法王になった人です。

五月広場です。割とこじんまりとしてますね。奥は大統領官邸。

昼食に向かう途中、アルゼンチンで唯一のロシア正教会。奥に小さく見えている尖塔のある建物です。

昼食は、使わなくなった港湾地区を再開発したエリア。横浜の赤レンガ倉庫とか東京のベイエリアと同じ発想です。

やはりアルゼンチンでも金持ちしかこないエリアらしいです。

昼食後は、一転して下町のボカ地区へ。



ブエノスアイレスで一番古い街で、着の身着のままでたどり着いた移民が船の廃材や塗料で掘っ建て小屋を作ったのが始まりだとか。だからカラフルな家が多い。

最近はアーティストが移り住んでちょっとした名所になっています。写真に撮ったのは観光地化している綺麗なところ。少し外れるとスラムっぽくなります。正直、治安は悪い。

今度は、街の反対側のレコレタ墓地。


街じゃないですよ。墓ですよ、これ。面白い。エビータの墓もここにあります。

ひととおりバスツアーしたので、これで旅程終了。空港からアトランタへ向かいます。

途中、高速道路の脇でピクニックを楽しむアルゼンチン人。



自由すぎる・・・。馬も見かけました。

エセイサ国際空港。

小さいです。日本の地方空港くらい。

正味三日間のアルゼンチン楽しかったです。スペイン語圏、南米は初めてでした。まあ、次に行くとしたら弾丸では行かないな・・・。疲れすぎる。