生動する風景/Pmeet/最後の手段/武久 絵里

今週の+night↓
http://blanclass.com/japanese/


Youngest Artists Night [animated landscape]

息する部屋。物思う空気。生動する風景。かたちがあるものから、かたちのないものまで命を吹き込む3組のアーティストたちによる映像とパフォーマンスの夕べ。


日程:2011年3月5日(土)
開場:18:00 開演:19:30
入場料:1,200円/学生 1,000円


Pmeet [12]
大町碧・サトウトシ子による映像ユニット。「12」とは12ヶ月を月ごとに分け独自に解釈し、作品を制作するプロジェクト。今回はその中から1月、2月、3月を発表します。

これまでに髪の毛を題材にしたアニメーション「毛運動」や指人形劇アニメーション「ゆびいっぽん」などを発表している。2009年 横浜国際映画祭CREAM公募展「うちにもって帰ろう!映像アンデパンダン展」、(BankART1929・神奈川)、「東京綜合写真専門学校 学生自主企画卒業展-カミングアパート」(横浜市民ギャラリーあざみ野・神奈川)に参加。blanClassでは、2010年「スチューデントナイト vol.1」、「ゴールデンナイト」、2011年「おでん新年パーティー」などに参加している。
http://pmeet.jp/


最後の手段 SAIGO NO SYUDAN [たびびとのねごと]
映像パフォーマンス集団。絵画、デザイン、身体パフォーマンスなど、個々の活動を追求してきた有坂亜由夢、老田真衣、木幡連3人が集結。民話などをモチーフとし、集合写真、古本、玩具、絵画、紙、菓子等を使い創作したアニメーション映像は民族的土臭さを全面に出しつつも、人類に共通する原始器官を鷲掴みにする。

2010年「展覧会『陸離として』Closing Party」(sedona・東京)、「Wah Xmas Party」(Wah office・埼玉)、「rhythmholic 1st Anniversary」(WOMB・東京)、2011年「ageHa NEW YEAR PARTY」(ageHa・東京)など多数のクラブイベントや美術展で発表。blanClassでは、2010年「スチューデントナイト vol.2」、「1周年記念パーティー」に参加している。
http://oitama.com/saigo/


武久 絵里 Eri TAKEHISA [パルス]
区切った範囲が盛り上がるさま。この部屋にやってきて、時間を過ごして、どこかへ行く。各人が過ごしている連なった時間の内で、ある間いっしょに居る。空気を偏らせる・息をとどめては放すことのガイドとして私は振舞います。

1984年、東京都生まれ。2009年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。個展は、2008年「あいさつ‐障り」(ギャラリーKINGYO・東京)、2009年「lump」(apmg・東京)。グループ展は、2007年「いる??るあ」(武蔵野美術大学・東京)、「アートプログラム青梅−総天然色の無意識−」(青梅市街・東京)、2008年「Emerging Japanese Artists Exhibition」 (Fredsgatan・Stockholm)、「CROSS SECTION」(apmg・東京)、2009年「もの語る」(東京都美術館・東京)などがある。blanClassでは、2010年6月[澄み続ける水たまり](佐藤玲子との共作)、8月[Music Party]に参加している。


 今週の+nightは、ステューデントナイトなどに参加した最若手の作家たちのさらなる展開の場、Youngest Artists Night!! 第1弾は「animated landscape」とタイトルした。
 「animated landscape」とは1920年代のフランスの画家たちにとっての共通のテーマの1つと言ってもいいかもしれない。特に有名なのはフェルナン・レジェの習作に同名のタイトルがついた絵がいくつかある。和訳されているタイトルは「生動する風景」。


フェルナン・レジェ「animated landscape」(1921)

 ぎこちなく凍てついた写実絵画から絵画を解き放ったのは言うまでもなくセザンヌ。多くの画家たちが触発されて、キュビズム運動が怒濤のように絵画の主流になる。そこで挑戦されたことは事物を多角的に捉えることや、還元主義的に描法や色と格闘するばかりではなく、絵画に新たなる生命「まるで生きているような」躍動を与えることができるのか? ということでもあった。
 残念ながらそのほとんどの試みは、習作やドローイングどまりのものが多く、フィルムや写真によるテクノロジーに押されていた感が否めない。
 にもかかわらずそれら未完成の試みは魅力的なものが多く、あらためて見ると今日的な問題としてやり残されていることのように思う。
 これまで+nightで紹介した若い作家たちのいくつかの表現を見ながら、何度となくこの「生動する風景」というキーワードが頭をよぎった。それは生命のないものにまで息吹を与えるような試みなのではないか? というのは、ツールとしてドンドン使い勝手が良くなる、デジタル技術の進歩がもたらした副産物のようにも思えるが、なにも文字通りのアニメーションに限らず、ちょっとした行為で部屋に漂う空気を変質させるようなパフォーマンスにも同様の感想を得たりするのだ。
 そこで、気になるそのキーワードを添えて、3組の作家たちを呼ぶことにした。いわゆるジャパンアニメのトランスフォームばかりが王道ではない。ときに静かに、ときに激しく息する生命を目撃せよ。


こばやしはるお