今週土曜日のLive Artは平田守が初登場。
彼は一昨年、多摩美PBLの発表をblanClassで行った時、キャンバスを舐めて絵を描くという衝撃のパフォーマンスをした人。その様子を眺めていると、赤いストロークで絵のようなものがキャンバス上に現れてくる。種は簡単で、摩擦によって自身の舌から滲み出してくる血で絵を描いたという仕掛け…。
今回は、そんな生々しいパフォーマンスをするわけではなく、彼が日頃、作品を通して考えている「イメージ(画像)」について、ちょっとした試みを行う。
平田守の作品は、いくつかのシリーズを並行して展開しているようだけれど、身近なところから、さまざまなメディアから、イメージ(画像)を取り寄せて、寄せ集められるように再構成されるものが多い。
シュルレアリスムや、ポップアートというまでもなく、また絵画と特定するまでもなく、長い間、何度となくイメージは解体され、また再構成され、新たな意味が付加されたり、あるいは意味を剥奪されてきた。情報化社会では、消費を操作するために生み出されたはずの「情報」そのものが商品化され、いろいろのものから実態が失われて久しい。
それはここ10年、スマートフォンが登場して以降、加速して、日常の私たちに「イメージ(画像)」は何度となく増幅して、思考の一端を担っているのではないか?
というのが、平田くんの問いかけ。
以前、blanClassのスタッフをしていた波多野くんは、写真学校で勉強している頃から、紙に焼いてあるものは「写真」だけれど、Webで見るものは、どうしても「画像」と言いたくなる、というようなことを言っていたが、今回放送室で、平田くんは「写真はイメージです」という広告などの表記の矛盾を指摘する。
確かに、「写真」も「イメージ」も「画像」も、その語が示している意味は、ほとんど変わらないのに、それぞれの脳みそはいろいろなものに変換して整理している。
ナイーブな感じもするが、頭の中のそれらの質の違いを同じものだというのは、なんとなくはばかれる。
さて、今回の展示とワークショップは、そんな「画像」と意味や、「画像」とリアルが、決して一対一対応していない現状を確かめるようなことを実験します。(流されている映像(虚像)を風景のように眺めながら、絵を描こうという試み)
それがどんな経験になるのか、やってみて、改めて考えましょう。
というわけで、今回はいつもよりも早い時間(17:00〜)から展示が見られます。19:00からのワークショップと合わせてご参加ください。
――
【blanClass放送室】
blanClass放送室でも平田さんと現在の「画像」の悩ましい存在意義についてお話しをしました。こちらもご覧ください。
2018/4/20/平田 守/ blanClass放送室
こばやしはるお
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
展覧会/ワークショップ|平田 守[いつだって画像はコピーされる事を望んでいるかもしれない]
http://blanclass.com/japanese/schedule/20180512/
https://www.facebook.com/events/1148866291915677/
イギリスの進化生物学者、リチャード・ドーキンスは遺伝子という情報を「自己複製子」と定義した。
私は画像情報そのものが、自発的意志を以て自己複製を望んでいるとは考えない。
しかしインターネットの登場以降の画像情報の振る舞いは、恰も複製の為の主体的な生存戦略を持つかのようだ。
それは親から子供へとコピーされる「自己複製子」のようであり、ドーキンスが人間個体を「人類の遺伝子を増殖させる為の乗り物」と定義した様に、画像情報表現の総体にとって個別の画像はモジュール(代替可能な部分)であるという類比が成り立つ。
今回は画像を複製(またはトレース)し、代替え可能な画像(モジュール)についての考察と実践していく場にしたいと考えている。
日程:2018年5月12日(土)
開場:17:00 ワークショップ:19:00〜
参加費:¥1500(ワンドリンク付)
会場:blanClass(横浜市南区南太田4-12-16)
https://goo.gl/maps/Q7Aat7nBarE2
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
平田 守 Mamoru HIRATA