『「育休世代」のジレンマ―女性活用はなぜ失敗するのか?―』

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

「育休世代」のジレンマ 女性活用はなぜ失敗するのか? (光文社新書)

大手企業でバリバリ働き、早期の結婚・出産も叶えたマクロ的には"勝ち組"の女性たちが、出産後に仕事への意欲が下がって見えたり、結局辞めざるを得なくなるのはなぜなのか?を解き明かした本。

出版前から噂を聞いていて、関心のあるテーマだったので、さっそく読んでみた。

しかし、いざ読もうとして序章で気づいたのは、未婚・子なしの男性、半公的機関に勤める資格職、職場は女性が半数以上で常に誰かが妊娠・育休・時短の状態にあるという自分は、この本のテーマに関してまったく当事者ではないということ。そういやそうか…。

なのであくまで「みんな生きたいように生きればいいじゃん」と思っているリベラル志向の一市民として、それから子育て相談に乗る支援者として、読んだ感想を書いてみる。

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この本の特徴は、15人の該当女性へのインタビューを通して、成育歴(家庭・学校環境)から就職・結婚・出産・職場復帰に至る一連のライフコースの中で変化する本人の意識や周辺資源が、コースの分岐にどんな影響を及ぼしているのか、丁寧に読み解いていく点。質的研究の参考例のようだった(TEM!)。

タイトルに答える結論は本書の最終章を読んでいただくとして、1つ興味深かったのは、子育て女性の就労継続が困難な背景として、単純に企業側の"女性"に対する不遇、柔軟性のないキャリアコースを指摘するのではなく、男女関わらず被雇用者が家事・育児・介護のような私的領域でのケア責任を負うことを想定していないことに対する言及。

現状では結局、「仕事最優先で生活を組み立てられる」ことが暗黙の前提とされており、育児や介護は他の誰かがやってくれることになっており、うっかりそういう「他に優先すべきもの」を抱えてしまうと戦力外、という構造が蔓延している。

「長時間労働をやめれば社会問題は一気に解決」ワークライフバランス社の小室さんも主張していたけれど、仕事最優先を当たり前と考えることのしわ寄せは確実に出ているわけで、その前提を変えず制度や"本人の意識"のせいにしてても現状は変わらないよね、という話でした。

(もっとも現時点では、自分も毎日残業をして、家事という"セルフケア責任"をおざなりに済ませている人間なので、あまり大きなことは言えない。)

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ところで、「ケア責任」のくだりから頭をよぎったのは、障害のある子を育てる保護者が背負う責任の大きさについて。

現状では障害福祉の受け入れ側も、両親共働きを想定していないことがほとんど。
(先日初めて障害児向け保育園をフローレンスがオープンさせた。)

医療的ケアが必要なければ普通の保育園に通うこともできるけれど、その子の発達に合わせた個別的配慮=療育が必要だろうという場合、僕らは保護者にそれを提案しなければならない。

それは両親のどちらか、多くの場合母親に、「あなたが仕事を辞めたほうがお子さんのためですよ」という2択を突きつける。

3歳児神話が神話化して久しいこのご時世に、それはひどく残酷な問いかけだと思う。

これも本来、保護者が就労を自由に選択できる程度には、責任の分散をはかるべき問題なのだと思う。

少なくともそういったシステムができるまでは、しわ寄せを食う保護者の葛藤に真摯に向き合わなければいけないし、その声を上げていかなければいけないと改めて思わされた。