2012-05-03
渋谷ヒカリエ
夫によれば「金持ち負け犬系女子」を狙った渋谷ヒカリエに行ってきた。
客を見ると、確かに身なりがよく小奇麗な、30代以降の女性が多い。
私は渋谷が大嫌いだ。これでもはるか昔、小学生時代は渋谷の東急プラザの裏あたりに住んでいたこともあり、その頃は落ち着いた「デパートのある街」であって、買い物といえば渋谷だったが、50代になった今となっては、もうわけのわからない若者カルチャー横溢の街で、疎外感を感じるばかり。買いたいものもないし、やたら混んでいるし、ほとんど行かない。
渋谷に対してはそういうスタンスでいるオトナが多かったと思うのだが、若者はしょせん金を落としてはくれないらしく、渋谷にオトナを呼び戻そうということでこのヒカリエが出来た。
しかし買い物をするオトナとは誰かといえば、ファミリーを持ってる人は、自由になる金が少ない。男はちゃらちゃらと雑貨なんか買わない。だからターゲットはやっぱり「金持ち負け犬系」になるわけだ。
そんなわけで私もボロボロになってきた財布を取り替えた。派手だ。店員の女性がすごかった。あまりに上手なので買わされてしまった。まあいい。
とにかくどこのショッピングセンターも同じ店しか入ってない中で、このヒカリエは、知らない店が多いし、ロンドンの店も多い。
しかし渋谷にあるので、たぶんそんなに行かない気がする。これが丸の内にあったなら、毎日通ってもいいが。。。
2011-11-13
ネイルという贅沢
コラム |
ようやく以前の稼業に戻ることが出来たので、調子づいて、今日は堰を切ったように買い物をしてしまった。
といっても、大した額ではない。失業する前は、もっと金遣いが荒かった。それに比べれば、まだまだである。
しかし、高価な物を買ったり、長続きしないことにお金をかけるのには、さすがに慎重になっている。
たとえば、ネイルだ。以前は月1回のペースでカルジェルを塗っていた。
「手は、自分が本当によく見る場所だから、その手が綺麗なのは、気分的にだいぶ違う。それに、1カ月近くカルジェルはもつから、マニキュアに較べれば、格段にコストパフォーマンスがいい」
という考えに基づき、ネイル屋(そんな呼び方があるのか)に通っていたわけだ。
しかし、今は、手であまりにも多くのことをこなすことを考えると、どんなにカルジェルが丈夫でも、何もないほうが動きやすい気がするし
塗るのは、顔だけで十分だというか、テレビタレントじゃあるまいしと言う気もするし
何よりも、ネイルを塗ることにかかるお金と時間(2時間ぐらいか)が勿体ないと思う。
この失業期間中に、ネイルなんかとうてい塗れない介護ヘルパーの世界を垣間見たので、ネイルアートなんかしてチャラチャラしてんじゃねえよという反感もある。
えっと、要は、恋をすれば塗るだろう。テレビタレントではないけど、塗る必要が出てくるのは、恋愛をするときだけだと思う。私がネイルを塗ったら、ヤバいことが起きているんである。
まあ、恋愛もまずないから、もうネイル屋には行かないだろう。
2011-04-04
おおさか
土曜日から足かけ3日、大阪と京都をウロウロしている。夫は食い倒れが目的だし、私はピリピリした関東地方を離れたいというのと、徳島にちょっと用があるのだ。
今回は小奇麗な大阪には全然行かず、難波、天王寺、通天閣、鶴橋といった、ディープなあたりを歩いていた。しかし私には、最近の東京より、このあたりのほうが、ずっと人間的な感じがする。店員はちゃんと自分のコトバで喋っているし、子どもはたくましくて素直だし、誰もがきちんと自分の欲望を目の前に出して歩いている感じ。
東京には、もうこういう人間的な街はなくなってしまった。どこも小奇麗で、適当に洗練されて、マニュアル化されている。だから小田原に引っ越したというのもあるのだが。
なにしろ東京は2千万人近くが昼間、集まっている巨大都市であって、地縁もうすく、マニュアル化でもしておかないと理解しあえないから、あんな風になるのだろうが、つまらない。
大阪に来て、漠とした不安が少しずつ薄らいでいく。人は人を追い落とすためにだけ生きているわけではない。私自身が、無価値になったわけではない。というか、最初から、無価値な人間なんて、居ない。
2011-04-01
自業自得
なんだかんだ、悲劇に見舞われているうちに、4月になった。私には、日本全体が重苦しい不安に覆われているように見えるが、違う角度で見ると、別にどうってこともなく暮らしている人が大半なのかもしれない。なにしろ私自身が、急に世間が狭くなったので、よく感じ取れないのである。
仕方がないので、自分自身にかなり沈殿して過ごしている。とにかく、自分に言い聞かせ、信じていることは「自分はいま、脱皮の最中なのだ」ということだ。変身しようとしているのだ。これは大手術を受けるようなもので、かなりの痛みをともなう。でも、もう始まってしまったことだし、乗り越えるしかない。
考えてみれば、定年退職を迎える時、どんなに周到に準備していても、これに似た虚脱感、空中に放り投げられどこに着地していいか分からないような感覚を持つのではないか。それが早くやってきたのだ。というか、自分で、早くやって来させることを、選んだのだ。
なんでそういう道を選んだのか考えてみると、自分の言葉を取り戻したかったのだと思う。長生きして無事な人生を送ることも大事だけれど、飼い殺しみたいにされたり、理不尽なことを飲み込んだりして、言葉を失ったまま、死にたくなかったのだ。
たぶん、この脱皮には、1年以上かかる。しかし謂れのない悲劇に襲われた被災者の方々も、力を振り絞って立ち上がろうとしているのだから、私もここで諦めたりはしない。だいたい、自業自得だし。
2011-03-21
東日本大地震に思う
3月11日に起きた地震で、日本中が少なからず動揺している。
ところが私は、いちばん苦しかったのがその前々週だったので、それほどココロにダメージがないのだ。
つまり、どん底が先に来てしまったから、そのあとの地震は、「もう、なんでもいいよ」と受け止めてしまったのである。
もちろん、日常生活での不便は当然あって、買い物に行くと牛乳がなく、何でも欲しいものが欲しいだけ手に入らないと気に入らない夫が不機嫌になったり、停電で、事態が理解できない障碍者の子どもがパニックになりそうになったり、電車が動かないので、行動範囲が狭まったりということはある。
しかし、それは大したことではない。被災地の方たちのことを考えれば、当然だ。
それより気になるのは、買い物に行ったり、テレビやインターネットやツイッターで見聞きする、日本人の「ショックを受けた状態」だ。
「原発って、そんなに危なかったんだ」
「人間って、こんなに簡単に死ぬんだ。あたしも死ぬかもしれないんだ」
ということを、改めて知ったような雰囲気である。
まあ、ショックなのはわかる。でも、それで騒ぐのは、今更じゃないだろうか。
分かっていたことじゃないのか、原発の怖さも、自然災害に対する人間の弱さも、人は死ぬということも。でも、そんなことは考えないようにして、原発の恩恵を受けてきたんじゃないのか。
こんな中でも、淡々とやるべきことをやる、死ぬときは死ぬ、それしかない。そしてそれは実は、これまでの日常と、何ら変わらないことなのである。
それと私が信じているのは、世の中というのは、悪いことばかり、良いことばかりが続くようにはできていないということだ。
この地震のあとに、東海地震が来るだろうという説があるが、もしそうなったとしたら、諦めるほかはあるまい。ただ、極端から極端へ走るような話は、現実性がないと思うのである。
