地震があったわけでもないのに10万人も死んだということ

noharraさんの「彎曲していく日常」にコメントを述べたところ、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050302#p4

# bluefox014 『>nohharaさん
東京には東京大空襲を記憶する平和公園も都営・国営の博物館も存在しない、という事実がなにかを象徴していると想います。土地がないわけではなく、例えばまさに空襲の現場だった両国国技館の横に東京都の土地がありますが、そこには江戸東京博物館のでっかい建物が建っています。TBの方法のご教授有り難うございます。』

それを目にしたdempaxさんが「3/10東京大空襲と慰霊施設 関連リンク」をエントリーしておられる。
http://d.hatena.ne.jp/dempax/20050309#p3

彎曲していく日常 2005/03/02 コメント欄 id:noharra:20050302#c id:bluefox014 さんのコメントに関連して

3/10東京大空襲と慰霊施設 関連リンク

ブログというメディアの特性、特に横に繋ぐ力というものを実感した。
dempaxさん、TBありがとうございます。



実は、「彎曲していく日常」でのコメントは、ある夏の日に(dempaxさん作成のリンク集の冒頭でも紹介されている)東駒形から「都立横網町公園」を経由して、江戸東京博物館を横目にみながら両国駅に着いたときの体験を想起しながら書いたものである。確か一昨年のことで、小雨の降る夕方だった。

左は, 1945年3月の空襲被害者のための追悼碑. 右は, 関東大震災被災者のための追悼碑.
東京都慰霊堂内の展示もそうなのだが, この公園内の各所では 「戦争被害」と「震災=天災」とが, 横並びにされている.戦後日本社会の戦争被害の捉え方の一面が示されていると言えるだろう

(上記dempaxさんリンク集より)

これを読んで、あのとき感じた違和感の根源が何だったのか、自分なりにわかった気がした。

震災と戦争被害を横並びにする、横並びにしてよしとする考えには、地震があったわけでもないのに10万人も死んだことの「意味」の欠落を感じる。そしてこれは単に横網町公園だけの問題ではなく、(前エントリーで指摘したところの)ルメイに勲章を授与したという事実などともつながっていると思う。

私は日本に本格的な「戦争被害博物館」が必要だと考え、そこには日本国内だけではなく日本軍が足を踏み入れた地域での戦争被害、シベリア拘留被害なども盛り込まれるべきと考えている。(拙稿http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050118も参照)しかし、「震災と戦争被害を横並びにする」発想といったん決別しない限り、そのような博物館構想が都や国のレベルで立ち上げることはないだろう。



昨日、dempaxさん作成のリンク集のサイトをひとつひとつ読んでいたら、翌日になっていた(笑)というわけで拙稿を3月10日にエントリーしそびれました。