(メモ4)茂木氏が無視した(知らなかった?)稲葉師団長・牛島旅団長の発言

2月2日付エントリ「ブラック・プロパガンダ」の内容について、もう1点疑問をはさませていただきます。

「1937南京攻略線の真実」について、茂木弘道さんはこう評価しているようです。

日本軍の軍規が世界最高だった!?(馬鹿な!)と思う人は、とりあえず「1937南京攻略線の真実」(小学館文庫)でもお読みになったらいかがでしょうか?
「実際」には日本軍はどうであったのかを知る良い情報源となるでしょう。


同書は第六師団の内部刊行物『転戦実話』のダイジェストです。
「1937南京攻略線の真実」の30頁に東中野氏はこう記しています。

一つの資料として、町尻量基師団長が、昭和十五年(一九四〇)三月十日の陸軍記念日に、『転戦実話』の編集を命じたのであった*1

町尻師団長は『転戦実話』の編集を命じ、さらに「序」を書いています。ということは、『転戦実話』の本文の内容に町尻師団長が目を通さない、とはほぼ考えられません。師団長以外の上層部、例えば法務部長が読む可能性もありうる。さてそんなsituationで、個々の兵士は「ありのまま」を書けるでしょうか。不祥事をやらかした兵士が、 師団長が目を通し、その他上層部、例えば法務部長も読むかもしれない『転戦実話』 に「ありのまま」を書くでしょうか。

にもかかわらず、茂木氏は何の留保もなく「実際」の日本軍を知る「良い情報源」と述べているわけです。

ところで、第六師団については、1938年に当時の稲葉師団長が岡村・第十一軍司令官にこう述べています。

七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。」(「岡村寧次大将資料」(上) 290頁〜291頁)

さらに稲葉四郎師団長と歩兵第三十六旅団長・牛島満少将は以下のように発言したとあります。

(中略)近く漢口に進入するに際し、南京で前科のある第六師団をして如何にして正々堂々と漢口に入城せしむるかを師、旅団長と相談するに在った。ところが、稲葉師団長と第一線を承る牛島旅団長(後の沖縄の軍司令官)は、既にこの事に関し成案を立てていた。両氏が言うには、『わが師団の兵はまだまだ強姦罪などが止まないから、漢口市街に進入せしむるのは、師団中最も軍、風紀の正しい都城聯隊(宮崎県)のニ大隊に限り、他の全部は漢口北部を前進せしむる計画で、前衛の聯隊を逐次交代し、漢口全面に到達するときには必ず都城聯隊を前衛とするようにする』と。(同312頁)

こういう証言を無視して、どうして「転戦実話」を『「実際」には日本軍はどうであったのか知る良い情報源となるでしょう』と述べることができるのか、大いに理解に苦しみます。

考えられる可能性。
(1)茂木さんは「南京事件研究会に参加して掘り下げた研究をしていった」のだが、同研究会は稲葉師団長の発言や牛島旅団長の発言を無視していた
(2)茂木さんは稲葉師団長の発言や牛島旅団長の発言を知っていたが、敢えて無視した

…どちらでしょうか。

*1:
第六師団の師団長は、1937年の南京侵攻の時点では谷寿夫中将。その後1938年に稲葉四郎少将、1939年に町尻量基少将が師団長に赴任。