クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-09-04

靖国神社と「ほめてごまかすメソッド」

もう少し靖国問題で。しかし今日とりあげるのは、靖国神社に限られるわけではない、国民国家ならばどの国家も行いうる(実際に行っている)メソッドの問題である。

今日安倍晋三氏の発言をみると、戦死者に対して「尊崇」という言葉が使われていた。

http://www.asahi.com/politics/update/0904/006.html

安倍氏と谷垣財務相麻生外相の討論の司会を務めた田勢康弘早大大学院教授が、靖国参拝の有無を明らかにしない安倍氏に「首相日程を秘密にするのはまず不可能だ」と指摘。安倍氏は「日本のために戦い、亡くなった方々のために尊崇の念を表する気持ちは持ち続けたいし、持ち続けるべきだ」と応じたうえで、「今宣言する必要はない」と語った。

先月の小泉首相の参拝に対する、政府見解(「靖国神社参拝に関する政府の基本的立場」)。

「敬意と感謝」という言葉が使われている。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/yasukuni/tachiba.html

小泉総理の靖国神社参拝が、過去軍国主義を美化しようとする試みではないかとの見方は誤りである。総理はかねて、靖国神社への参拝は、多くの戦没者に敬意と感謝の意を表するためのものであり、


先週靖国問題意見交換した、私より若い人の意見

ただ、純粋戦争を直接知らない世代であるからこそ、

もう二度と戦争を繰り返さないために靖国神社に祭られている方にねぎらいの言葉感謝の意を表するのに何の問題があるのでしょうか。

私たちの国を代表して(それが意に反していたかいなかったかは別として。戦争はそういうものだと思うのです。)戦ってくださったんです。



私は、こういう「尊崇」「敬意」「感謝」「ねぎらい」という言葉によって、何かが「ごまかされている」という考えを持つ。これを仮に「ほめてごまかすメソッド」と呼ぶ。

上の意見に対する私の返事。

うーん、(「ねぎらい」「感謝」「戦ってくださった」という言葉のニュアンスから想像するに)●●さんはあの戦争の戦死者を「消火活動中に殉職した消防隊員」や「洪水から街を守った災害救助員」のようなイメージで捉えているのではないでしょうか。

でも先の戦争というのは、国境に外敵が攻めてきて応戦した戦争ではなく、むしろ日本の側がよその国境を越えて侵攻していった戦争だったはずです。日本が攻められたのは日中戦争から終戦までの8年のうち最後の半年。それまでずっと「外から来た放火魔と戦い街を守った」戦いではなく、むしろ自らが放火魔となってよその街に火を付けて回っていたわけです。(ここで「放火」は比喩ですが、実際日本兵は現地の民家の家屋を壊して薪にし、飯を炊いていました。http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060724/p2参照)

ですから兵士は、(国民にとっては不要な戦争のために)軍隊に「拉致」されて、「放火魔の片棒を担がされた」ようなものです。しかも日本軍兵士の死因は、半分以上は餓死(および栄養失調で病死)とされています。これは強制労働されたあげく栄養失調や飢餓で死んだ、虐待死に近い。

このような無残な死に方を強いられた人たちも被害者であり、私は痛切な感情を抱きます。しかしそれは「ねぎらい」「感謝」「敬意」という気持ちからはほど遠いものです。そういう美辞麗句で包み込むことは、私には「ほめてごまかす」行為にしか思えません。


私が「ごまかれている」と考えることを2つに絞って述べよう。

1つは、国民の側からすれば「不必要な戦争」に多くの国民を動員し、海の向こうの戦場に連れていき、その結果多くの国民が「不必要な死」を強いられたこと。

2つめは、1944年の時点で敗色濃厚な状況になっても戦争を終結させず、その結果戦争末期の1年に実に多くの国民が死んだこと。(しかも膨大な数の兵士が「餓死」した)これもまた、国民の側からすれば「不必要な死」であった。


こういう「不必要な死を強いた」膨大な死者に対し、後付けで「最高の栄誉」を与えることで辻褄をあわせようとするのが「ほめてごまかす」メソッドだと思うが、果たして辻褄はあうのだろうか。

higetahigeta 2006/09/05 11:27 こちらでははじめまして。国が遺族に遺骨をしっかり帰さず、肉親の最期の状況もきちんと伝えなかったという事実もごまかされることになると思います。

GetBackJoeGetBackJoe 2006/09/05 15:34 つうか、慰霊以前に「顕彰」のための施設であったということをもっと強調すべきだと思いますけど。餓死であろうと戦闘死であろうと、とにかくお国のために良くぞ死んでくれた。そういう戦争動員のための顕彰であったと。
「見事散って靖国で会おう」そう言い聞かせて、自分の死が無意味な死であろうとする疑念(や確信)を振り払うための精神的な軍事施設靖国神社の目的は第一に顕彰であって慰霊ではない。

それが分かればまともな頭を持った人間ならばごまかされることもないと思いますが。

bluefox014bluefox014 2006/09/05 19:26 コメントありがとうございます。

>つうか、慰霊以前に「顕彰」のための施設であったということをもっと強調すべきだと思いますけど。

少し補足しますと、このエントリの意図は、宗教法人靖国神社そのものより、靖国神社を下支えする人たちの「メソッド」を問題としようとしているわけです。
このエントリを書いた動機は、エントリでも触れた年下との方と意見交換したことに発するのですが、遊就館史観の積極支持者でない人たちも靖国神社を下支えしているという事実があり、そういう人たちと靖国神社の「コラボレーション」によって進行している現象をはっきりさせたかった、ということがあります。

blackdragonblackdragon 2006/09/06 00:59 「英霊」という言葉も、勝手に祭り上げたあげく、相手の反論を許さないタイプのごまかしを含んだ表現だと思います。「英霊」という言葉を好んで使う人の言動を見ると歴然としています。と、常々思っていたのですが、この記事に触発されて、「英霊メソッド」と呼ぶことにします。
示しているものは、「ほめてごまかすメソッド」とほぼ同じものですが。

mushi1984mushi1984 2006/09/06 01:13 こんにちは。はじめまして。取り上げられている方のような言説は漠然と対峙しにくいと感じていたのですが、このエントリはかなり参考になると思いました。
メソッドの分析を超えてさらに広い範囲での問題を考えると、どうも「政治」や「社会構造」、あるいは「歴史的な位置づけ」の中でその問題を考えるということができない、ということが問題であるように思います。これは特に日本がそうだと思うのですが、社会問題を議論するのに、どうしてもソーシャル・リフォームではなくて適応主義、精神主義的な議論が先行してしまうということと繋がる問題でもあるように思います。靖国神社にしても、それは当然「歴史的」、「政治的」な文脈のもとに存在してきたものなのに、それがすっぽり抜け落ちているんですね。これはちょっと偏った見方かもしれませんが、やはり一つには教育の問題もあるかと僕は思っています。近現代の急所には触れない歴史教育とか、政治教育の不備(これは広田照幸の主張ですが)のツケが社会変動の大きなこの時期に回ってきていると考えることも可能ではないでしょうか。

jo_30jo_30 2006/09/06 09:18 なるほど。
「ほめ殺し」ではなく「殺しほめ」というわけですね。

bluefox014bluefox014 2006/09/07 04:06 コメントありがとうございます。
>blackdragonさん
「英霊メソッド」のカジュアル版が「ほめてごまかすメソッド」、というイメージです。

>mushi1984さん
問題提起ありがとうございます。教育の問題についてはまとまった考えを述べるに至っていないのですが、とにかく現状では近現代史に絡むことで「すりかえ」「ごまかし」が 多すぎる、すりかえやごまかしのスキルばかり巧くなっているという感じがします(←これはいくつかの保守系ブログを意識しての発言です)。そういうすりかえやごまかしが蓄積されて、国家と社会、国家と個人の間の緊張関係がとても「つるつるべったり」な関係としてイメージされがちになっている。この「つるつるべったり」メソッドに、「嫌韓」「嫌中」系のナイーブな人がのっかってしまっている(または、まんまと騙されている)というのが、「小泉と靖国の5年間」の負の遺産ではないかと思います。
この「つるつるべったり」については、昨年「ベッタリ・ナショナリズム」という概念でhttp://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20051118とかhttp://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20051126にて不十分ながら考察したことがあります。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。