クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-04-01

あえて、宮台真司氏の不毛な態度について

「数学屋のメガネ」さんの南京事件に関する主張に対して突っ込みを入れていったらキリがないのですが、この人の主な関心は「南京事件」そのものよりも「宮台真司氏の南京事件観」なんじゃないでしょうか。宮台氏の

http://d.hatena.ne.jp/khideaki/20070331/1175301327

まず30万人説ありきという前提で問題を考えれば、どちらの側にとっても建設的な未来はないだろうというのが宮台氏が語った趣旨であり、僕も賛成する考え方だ。

 この「考え方」に基づけば、(南京事件について)まず「30万説は正しいか否かという論点」から考えるのは不毛であるとなるはずですが…

 しかし、TBSラジオの宮台氏自身の態度こそ、そのような「不毛」な態度に該当するのではないですか。

「まず30万人説ありきではない」態度に立つならば、例えば「南京大虐殺はあったが、30万人説は誇張だろう」「南京大虐殺はあったが、30万人説は虚構だろう」と述べるのが自然でしょう。

南京大虐殺を「南京30万虐殺」とローカル定義したうえで「南京大虐殺はなかった」と述べるのは、私には「30万人説」にとらわれすぎた態度にすぎないと思います。こういう態度について、私はかつて「ローカル定義症候群」と呼んで批判しましたが、TBSラジオの宮台氏の態度も、この「ローカル定義症候群」そのものでした。

数学屋さんは、まず宮台真司氏を批判するのがスジでしょう。


補足として、「数学屋」さんが現在とっておられる態度も、まさに「30万説は正しいか否かという論点」に拘っているように思えます。

同じエントリの次の記述

しかし、遺体が残っていない人々については、どのような殺され方をしたのか、どうして遺体が残らなかったのかが整合的に説明されなければ、それは幻のような幻影だといわれてもしかたがないのではないだろうか。

この部分を読んでがっかりしました。

「30万人説」に拘らず「南京事件」の概要を知ろうとする人は、まず事件全体の概要が書かれた書籍を読むはずなんですね。秦「南京事件」とか笠原「南京事件」とか藤原「南京の日本軍」とか。

そして概説書を読んだ人は、中国人の埋葬記録にない遺体=「幻影」などとイージーに述べたりしないはずなんですが。「日本軍が処理した遺体」「揚子江に投棄された遺体」が多数存在するのに幻影扱いするのか、基礎文献読み直せ、と言われるのがオチです。

(これ、東京大空襲でも同様ですね。「記録」にない遺体は幻影、などと述べたら、炭化した遺体や海に流れた死体は数えられないだろうが、基礎文献読み直せ、と言われるのがオチです)。


しかし数学屋さんの上記発言は、勝手に「遺体は地上に残っていた」「そして中国人が埋葬した」ことを勝手に前提にして語っています。厳しい言い方をすれば「まったく基礎知識が欠けています。基礎文献読み直してください」。

まず、南京事件そのものを知ろうと努力すべきでは? その努力をスルーして「30万人説論争」にコミットしていこうとする態度に思えてしようがありません。それは、私には「不毛」に感じます。

PledgeCrewPledgeCrew 2007/04/01 18:47 一言で言えば、動機が不純だということですね。
なんだか、最初からあら捜しを目的にしているみたいでちょっと理解できません。

bluefox014bluefox014 2007/04/02 04:11 コメントありがとうございます。
まず「日本軍が南京で何をしたか」を知り、次に「それがどれほどの量的規模に及んだか」を考える、というのがあるべき態度だと思います。ところが数学屋さんは「南京事件」そのものについて、基礎知識を欠いていることが今回はっきりしました。
こういう態度は不真面目である、というのが拙ブログ開設以来の一貫とした主張です。

東京大空襲でも「米軍は45年3月10日に何をしたか」がまず重要で、それをさしおいて「日本側の言う10万人虐殺は正しいか」ばかり考えるアメリカ人が仮にいたら、違和感持ちますよね。「そんなことより、これがどれだけ残虐な行為なのかを考えろよ」と。

ApemanApeman 2007/04/02 09:39 某所でちょっとコメントしたのですが、「30万」という数字を評する際に「白髪三千丈」という常套句を用いるのは、たとえ悪意がない場合でもレイシズムすれすれだと思います。結果として「30万」という数字が過大だとしても、まず東京裁判の数字と較べれば、当時可能だった調査からでてくる数字として荒唐無稽(例えばそれこそ「桁が違う」ほどに)とはいえないこと。第十軍が杭州湾上陸時に「皇軍100万上陸」というアドバルーンを揚げたことが示すように、誇張表現そのものはどの文化にもあること。「白髪三千丈」で30万人説を片付けてしまう態度はこれらの事情を無視していると思います。

D_AmonD_Amon 2007/04/02 09:50 白髪三千丈については下記URLの記事の解説が素晴らしいと思います。
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/10/post_b81a.html
白髪三千丈を否定論に利用するのは誇張と嘘の区別もつかない「文学を分かっていない無教養な人間のたわごと」であり、自らの無教養さを曝す行為とみなしてよいでしょう。

galodeologalodeolo 2007/04/03 00:22  はじめまして。「南京大虐殺」問題には完全ビギナーであります。
自分のHP
http://galo2.hp.infoseek.co.jp/nannkinn1.html


で「白髪三千丈が中国の国柄」と述べましたが、
みなさまの御議論また

http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/10/post_b81a.html

をお読みし、自分の至らなさを知り、ほんとうに勉強になりました。
apeman様、D Amon様感謝申し上げます。

ApemanApeman 2007/04/03 13:42 galodeoloさん

こちら↓
http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200703280000/#comment
経由で「随想 現実と論理」を拝見してkngtiさんのところにコメントしたつもりだったのですが、字数制限をオーバーして弾かれていたのに気がつかず、それっきりになっていました。お目にとまってご理解いただけて幸いです。

galodeologalodeolo 2007/04/11 12:28 galodeoloともうします。

【  随想 現実と論理 ― 南京事件論争に寄せて ―  】(改訂版)
http://galo2.hp.infoseek.co.jp/index.html
をアップしましたのでお知らせいたします

ApemanApeman 2007/04/17 12:13 galodeoloさん

改訂版拝見しました。まだここをご覧になっているかどうかわかりませんが…。1点のみ反論をば。

>  というわけです。これは、c)のレヴェルに定位し南京事件を外交政略的レヴェルの問題として考える現実的立場ですが、このスタンスは確かに「大虐殺派」の痛いところを突いています。

>「大虐殺派」というのは、b)のレヴェルに定位し南京事件を戦争責任論の問題として考える理念的立場であり、「人類史的立場」から歴史と現実を眺望する発想であるがゆえに、たとえば、中国のしたたかな外交攻勢とその国益追求剥き出しのリアルな<現実>に、きちんと<フォーカス>を絞ることができていません。

そうでしょうか? 例えばチベット問題を持ち出されて「痛いところ」を疲れることになるのは、「虐殺=あった」派があくまで日中間の問題として南京事件を考える場合、でしょう。イスラエルを批判するものがホロコーストを否定する必要はないし、ホロコーストを追求するものがイスラエルに関して沈黙せねばならない理由がないのと同じことです。
現代中国における(による)人権侵害については、左派がどうこうという以前に、日本政府が有効に行動できていないというのが実情ですよね? 右派メディアにはおどろおどろしい記事こそ載っていますが、じゃあ具体的にどういうプログラムで状況の改善を図るのか…となると現実的なはなしはなされていないように思いますが。

galodeologalodeolo 2007/08/07 23:34 こんばんは。以前にコメントしたものです。
 青狐さんのHPをお借りする形で、
4月下旬頃に

【随想 フォーカスの問題 ― 「南京事件論争」 読者の方々の反応に寄せて?―】

という文章をアップした旨のコメントを投稿いたしました。
 これはapemanさんのわたしに対するご感想に対してのご返事でした。

ところが昨日、わたしのHPの読者の方から、【随想 フォーカスの問題 ― 「南京事件論争」 読者の方々の反応に寄せて?―】がアップされていないとのご指摘を頂戴しました(その方をはじめごく少数の友人知人にあらかじめアップ前にメールで文章を送付しご批評を頂戴し、訂正するところがあれば訂正した上でアップしています)。
 慌てて「三浦つとむ関連リンク集」から自分のHPを開いてみると、たしかにアップされていませんでした。これは、文章を作成しアップしたはいいが、「目次」の方にきちんとタイトルを入れていなかったからでした。うかつです。あらためてHPの目次からたどれるようにしました。

 apemanさん青狐さんのご質問には九月以降お答えしますが、そのまえに、【随想 フォーカスの問題 ― 「南京事件論争」 読者の方々の反応に寄せて?―】をぜひお読みいただければと思います。

ApemanApeman 2007/08/13 19:11 galodeoloさん
「随想 フォーカスの問題」拝見しました。こちらについてもいくつか申しあげたいことはありますが、お仕事がお忙しいとのことですし、私の方も8月末まで色々と立て込んでおりますので、同じく9月頃に自分のブログのエントリとしてお返事を書かせていただきます。

galo2galo2 2007/10/21 22:57 青狐さん、apemanさん、 お久しぶりです。仕事の山が一応越えました。まだなかなか本腰を入れてHPを更新する余裕はありませんが。
apemanさんと青狐さんの短文へのお答えですが、【随想 フォーカスの問題 ― 「南京事件論争」 読者の方々の反応に寄せて?―】で基本線は出しておるつもりなので、それに対する本格的な御批評ご批判(「apemanさんが「9月頃に自分のブログのエントリとしてお返事を書かせていただきます」と仰られています)、をまつことにします。

 わたしは体育会上がりで、議論というものは<勝負>(勝つことがすべてである以上どんな手でも使う)としてよりも<試合>(己の見地の正否を<試す>ために他者と<合う>)と位置づけるべきだと考えています。己の見地を<試す>ためにこそ他者と議論する。その結果己の見地が<勝ちを制している>ならば勝ちを誇り、<負け>と認めれば潔く自己修正する。もっとも、この問題は<理論的>にして<思想的>かつ<イデオロギー的>な問題ですから、難しいのですが。
 しかもわたしの場合IQ80の超劣等生ですから、知的な議論に対する憧憬が大きく深く、生成堂々の議論に一種名状しがたい<神聖性>を抱いている。
ここで私のモットーをば。
論争は徹底的に激烈かつ爽やかに!
 これでいきましょうや。

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