クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-29

[]「南京大虐殺」をめぐる「ローカル定義症候群」

以下のブログでの議論。

http://blog.goo.ne.jp/kayaamex/e/56853ac1c6b45269c5bd5c66f5a268d2#comment

ちなみに、コメントは削除されて現存していない。

だいたい以下のような議論がされたのだが…

端緒はエントリ内の以下の記述(これは現存している)

南京大虐殺など学説ではほぼ否定説が大勢であることについて真実を指摘し間違いを諭すことなどは中国との関係上あってはならないことなのである。

これに対し、私が疑問を述べる。

この場合「学説」というのは歴史学における学説しか考えられないのですが、歴史学者の間で否定説が大勢であるという話は聞いたことがありませんが? だいいち、「歴史学者」の中で否定説に立った人の名前を、私は一人も思い出せません。思想史研究者など他分野の人間では名前を思い出すことができますが…

学説では否定説が大勢である、と仰るならば、とりあえず否定説に立つ「歴史学者」の名前を複数列挙していただけると幸いです。

なお私は、日本軍史料だけでも南京での大規模な虐殺があったことが確認できると考えています。

返答。

私も南京で虐殺事件がなかったとは主張していません。

私が言いたいのは30万が殺されたとする所謂南京大虐殺のことです。

学説では数千、4万人、十数万とありますが、いずれにせよ30万説は学説では否定されているということです。

私の再疑問。

あの、「南京大虐殺」とは文字通り「南京での大規模な虐殺」という意味言葉でしょう。日本のどの辞書にも「30万虐殺」と定義した辞書はありません。

4万人説も十数万説も「南京大虐殺」を否定しているとは到底思えないし、数千説も「南京大虐殺」を否定しているとは言えない、と思いますが?

東京大空襲では10万以上が殺されたとされていますが、仮にこれに対し3万頃殺された学説が出された場合、その学説は「東京大空襲」を否定した学説、と考えますか?

最後の返答。

青狐様

反論しようと思ったが馬鹿馬鹿しいのでやめ。

二度とこなくて結構です。

で、それまでの議論は削除されていた、という次第。


問題は「ローカル定義」につきる。このローカル定義によれば、日本の歴史学者は笠原十九司氏も、吉田裕氏も、藤原彰氏も、秦郁彦氏も全て南京大虐殺否定派に属してしまう。そのようなローカル定義で南京大虐殺を否定することに、どれだけの意味があるのだろうか。

しかし、このようなローカル定義に固執する人をちらほら見かける。

2006-07-31

[]ネット上で偽造された史料が「南京事件ありえなかった」説の土壌に

前回確認したのが、apemanさんやジムシイさんが相手している否定派の人たちが、歴史学者の書いた概説書を全く読んでなさそう、ということだった。

彼ら否定派の人たちは日中戦争においても「日本軍軍紀規律」は比較的厳正だったと認識している。その根拠の一つに以下のサイトがある。

フランスの国際法学者フォーシーユ

日中戦争日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、日本軍人であることに誇りを持っていた。中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を斬り分けられ、生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)にされたりしたのである。更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」

フランス フィガロ紙の従軍記者カレスコート・イリュスト、ラシオン紙の記者ラロ、

両氏の『日本軍戦闘観戦記

日本軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する。吾らは日本軍の如き慈愛心の富める軍隊を、この地球上広大なりといえども他に発見し得るか怪しむものなり」

「ひるがえって中国軍を見よ。日本兵のひとたび彼らの手に落つるや、あらゆる残虐の刑罰をもってこれを苦しむるなり。その残虐非情なる行為は、正に野蛮人にあらざれば為し得ざるものなり。然るに日本軍は、これあるにもかかわらず、暴に報ゆるに徳をもってす。さすがに東洋君主国に愧じずというべし。」

http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/00104.HTM

Posted by ADON-K at 2006年07月26日 01:34

ところが、上の「フォーシーユの文」や『日本軍戦闘観戦記』は、日中戦争より42年も前の日清戦争について書かれた記述だった。

前者は有賀長雄「日清戦役国際法論」(1896年陸軍大学校)の序文。(ポール・フォーシルと記されている。都立中央図書館にて確認)

日本は独り内部の法制に於いて世界最文明国の班列に達したるに非ず。国際法の範囲に於いても亦同然たり。経験は日本政府が能く其の採択する所の文明の原則を実行するに堪うるを表示せり。すなわち日本は清国に対する一八九四年の戦争に於いてこの事を証明したり。この戦役に於いて日本は敵の万国公法を無視せしに拘らず自ら之を尊敬したり。


もうひとつも日清戦争についての記述だった。

http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from1to2wlaw.htm

フランスのフィガロ紙従軍記者とイリュストラシオン紙従軍記者は、「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この広大な地球上に発見し得るかを怪しむなり」と驚嘆し、 

「ひるがえって清軍を見よ。日本軍卒の一度、彼等の手に落つや、あらゆる残虐の刑罰をもって、これを苦しむるにあらずや。或いは手足を断ち、或いは首を切り、睾を抜く、その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず、しかし日本はこれあるにかかわらず暴に酬ゆるに徳をもってす。流石に東洋君子国たるに愧じずと云うべし。」



日中戦争時の日本軍軍紀規律は劣悪だった」説の根拠は日本軍史料を根拠にしているが、これに対し「「日中戦争時の日本軍軍紀規律は厳正だった」説の根拠は、ネット上で偽造された史料だったりするわけである。

追記するかも。

2006-07-27

[]概説書を読まずに南京大虐殺はありえないと言い出す現象(実例1)

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.htmlの議論は現在ジムシイさん、apemanさん、十条さんたちが参加しているが、相手をしている否定派(と思われる)人たちについてのメモ。

否定派の人がみんな概説書を読んでいないようなのだ。



●野良猫さん

まず、野良猫さんは秦郁彦南京事件」を読んでいないのは間違いない。

きちんと読んでいたら、「日本軍で南京城内に入ったのは第十六師団だけ」などというトンデモな間違いを発言することはなかったはず。

実際には、煙さんが述べている通り、南京城内に入ったのは5個師団に及ぶ。

http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060724

(なお、ja2047さんが紹介された史料によると、第九師団の歩兵第7聯隊に至っては安全区の中に居座っていた)

http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=470;id=imgbord#470

さらに野良猫さんは、(昨年12月に議論した時点では)笠原十九司『南京事件』も読んでいなかった。同書の内容を歪曲して引用し持説の論拠にし、さらに歪曲していたこと自体に気が付かなかった。

http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060707参照


●ADON-Kさん

ブログ主のADON-Kさんも、秦郁彦南京事件」を読んでいないようだ。読んでいないまま議論に参加している。

国際法違反のイペリットガス攻撃を平然と作戦案に盛り込む第十軍は、遵法精神が高かったとは到底思えないのですが、異論はございますでしょうか。

Posted by 十条 at 2006年07月25日 01:52

ところで参考までにその作戦ソース元が知りたくて、ちょっと検索してみたのですが『集団司令部作成 「南京攻略二関スル意見」』らしいという掲示板の情報でしか解りませんでした。

もしソース元がご存じであれば教えてもらえますか?

Posted by ADON-K at 2006年07月24日 06:18

秦郁彦南京事件」(中公新書)に載っていますよ。読んでいないのですか?

Posted by 十条 at 2006年07月25日 01:57

秦郁彦南京事件」(中公新書)に載っていますよ。

 それは知りませんでした。ありがとうございます。

Posted by ADON-K at 2006年07月25日 03:38


●リューシーさん

リューシーさんも秦郁彦南京事件」(中公新書)を読んでいないようだ。というかこの人の場合、南京事件について初歩の初歩も知らない状態で議論に参加している。

支那も南京大虐殺が起きた(と勝手にほざいている)時点で中立国に現場を公開して実施検証してもらえばよかったのです。

実際、カチンの森で濡れ衣を着せられたドイツは戦時中でも世界中のジャーナリストや医者などを招いて捜査してましたし。

まあ支那の場合、最初から言いがかりつけるのが目的だったからやらないのは当然というわけですな(笑

Posted by リューシー at 2006年07月26日 22:21

中華民国の人間が南京の地に足を踏み入れることができたのは、日中戦争終結後、南京事件から7年以上経た後だ。それまではずっと日本軍の実効支配下にあったから中立国の検証など依頼できるわけがない。


●ディケルス提督さん

既にリタイアされたようだが、ディケルス提督さんも同様だろう。

もし、秦「南京事件」を読んで、日本軍軍紀弛緩の実相(とりわけ176頁の天野郷三中尉の事例など)を読んでいたら、以下の発言はなかったはずだ。

>日本軍は一貫して「国際法を基本的に遵守」していたとお考えですか?

はい。

>時期によって変化があったとお考えですか?

無論です。結論から先に言えば、北清事変時の日本軍の遵法精神を100点満点とすると、支那事変以降のそれは大きく低下して、まぁ80点ぐらいで、同時代の支那軍、ソ連軍、アメリカ軍は0点以下といったところでしょう。

Posted by ディケルス提督 at 2006年07月14日 07:10

つまり、同コメント欄の「否定派」の主要な人が全て(歴史学者の書いた)概説書を読んでいない(ことはほぼ疑いない)。にもかかわらず論陣を張っている。つまり歴史学者の本を読まないで論陣を張っているわけだ。

客観的には、かなり奇異な現象だと思う。


こういう人たちを一度に相手しているapemanさんの苦労は想像に余りある。

2006-07-19

[](メモ)概説書を読まずに南京大虐殺はありえないと言い出す現象

最近は「社会現象としての南京事件否定派」という問題意識でいろいろ考えている。

その現象の中で多発しているのが「概説書を読まずに南京大虐殺はありえないと言い出す現象」である。

考えがまとまり次第、続きを書く予定。

2006-07-11

[]「岡村寧次陣中感想録」と「空とぼけメソッド」




先日の「「岡村寧次大将陣中感想録」と「読みたくない字は読まないメソッド」」というエントリに対するADON-K さんの反応について。

エントリのポイントは3点だった。簡潔に紹介すると、


(1)「岡村寧次大将陣中感想録」の「南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し」という記述を紹介したのに対し、 ADON-Kさんは別の史料(「岡村寧次大将資料」)の話にすりかえた。

だいたい、今回紹介した「岡村寧次大将陣中感想録」は(太字青狐)

南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し

という記述がキモなのに、平然と「その中身も「掠奪・強姦」であった」という文を反論として引用してくる神経が理解できない。読みたくない字は読めなくなるのだろうか。



(2)当該文章が書かれた時期。

それに「陣中感想録」の当該文章は、「一九六三年に「記憶を呼び戻して」書いたものである」ものではなく、「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。



(3)宮崎・原田・萩原の情報源。「安全区委員会の被害届」という決めつけについて。

そしてもう一つ問題は、宮崎・原田・萩原の情報源を「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。

決めつけメソッド。

既に述べたように原田熊吉少将は中支方面軍の特務部長でもあった人間で、事件当時の南京に入っており、「ラーベの日記」にも登場する。いわば事件の現場を見ている人間である。にもかかわらず情報源を「安全区委員会の被害届」と決めつけるのは、意図的な矮小化・無効化と思われてもしかたがないだろう。





以上3点で構成された青狐のエントリに対する、 ADON-K さんの反応。

■「岡村寧次大将陣中感想録」と「読みたくない字は読まないメソッド」?

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060704/p1

さらに燃料投下w

>、「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。

 可能性が高いって・・・www

>「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。

 勝手に断定してると勝手に断定してない?www

違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。

想像じゃなく

Posted by ADON-K at 2006年07月05日 02:41



予想通りだったのだが、上記(1)、つまり「岡村寧次大将陣中感想録」を別の史料(「岡村寧次大将資料」)の話にすりかえたことに対しては完全にスルー、である。

これもまた、空とぼけメソッドなのだろう。


(繰り返すが)でっちあげ・捏造派」の人にとっては「南京事件」とは、「中国側が創作した情報」だけを根拠として捏造されたものでなければならないのだろう。そういう人にとって「南京事件があったという日本軍側の情報・認識」は「存在してはいけない」もの、ということだろう。その結果、「読みたくない文字は読めない」メソッド」や「空とぼけ」メソッドが発動されるものと思われる。



残りの2点。

(2)書かれた時期

「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。

可能性が高いって・・・www

(中略)

違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。

想像じゃなく

推測の根拠は既に書いている通り。むしろ1954年6月に厚生省引揚援護局によって書物の形になっている「陣中感想録」が、どうして「1963年に記憶を呼び戻して書いたもの」になりうるのか、私には理解不能

である。



(3)情報源について

「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。


勝手に断定してると勝手に断定してない?www

違うというのならどちらの場合もソースを出して反論すべきでしょう。

想像じゃなく



いや、ソースを出すまでもないのですが。

そもそも情報源が「安全区委員会の被害届」に限定されるのだったら、岡村の記述に「4〜5万」とか「俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり」という語句は存在しないはずなのですが。*1

そのような語句が存在するということは、情報源が「安全区委員会の被害届」以外に存在することを示している。にもかかわらず情報源を「安全区委員会の被害届」に限られると断定するのは、単に「決めつけメソッド」であるだけでなく「大ウソ」である。



ところで上の(3)のくだりは、野良猫さんの「空とぼけ」とまったく共通である。

野良猫さんはこう述べていた。


安全区委員会は、日本軍に関する抗議を日本領事館に行っていた。その連絡が日本政府に「虐殺」という内容で届き、中支派遣軍司令部に確認を求めている。畑俊六日記もそうした経緯を書いたもの。岡村日誌も同様。



おそらく2人の意見は、元ネタが共通ということなのだろう。

事件当時南京に居た原田少将から聴取している、という事実をもみ消したい、という意志が働いている、ということだろうか。

*1:それらの語句が「安全区委員会の被害届」には存在しないのは「南京事件の基礎知識」レベルの事柄だと思いますが